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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第一章 始動

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第十五話 女王と下僕 ―Sweetheart imitation―

 月居カナタの手によって『異形』パイモンは討伐され、同時に『第二の世界ツヴァイト・ヴェルト』と発電所のコンピュータ『エルⅢ』に侵入していたウィルスも消滅した。

 停電していた都市の機能はその日のうちに問題なく復旧し、住民たちは『異形』の侵入という事態を知らぬまま、日常へと戻っていった。

 人の言葉を解し、人と同じ知性と意思を持つ『異形』パイモン――『魔道書ゴエティア』に刻まれたその名が学園をはじめとする世間に公開されるのは、もう少し先のことになる。


「やはりとんでもない代物ですね、その『魔道書ゴエティア』は。まさか、未確認の『異形』の名まで載っているとは」


 既に他の部下が全員帰宅した司令室にて、一人椅子の背もたれに身体を預けていた月居カグヤへ、男が声をかけた。


「……勝手に入ってこないでって、いつも言っているでしょう」


「合鍵を持たせてくれたのは貴女ではないですか。……えー、とりあえずお疲れ様です、司令」


 無精ひげを生やした長髪で白衣の男性――矢神キョウジに、カグヤは口を尖らせる。

 キョウジは勝手知ったる風に司令室を歩き、カグヤの席に歩み寄って彼女に耳打ちした。


「――どうです、今夜、一緒に星でも見ませんか」


「プロジェクタが映す星空なんて、味気ないわ」


 咥えたタバコにライターで火を点け、女は首を横に振る。

 彼女の銀瞳に揺らぐ煙のように、その声音には覇気がなかった。


「……想定外の事態、でしたか?」


「いいえ、『異形』に関しては問題ないわ。ただ……息子のことがね」


「ああ、カナタくんのことですか。あれは私も驚きましたよ、まさか彼が大声で瀬那くんと言い争うとはね。彼の人間不信は思ったよりも深刻だった……担任として、もう少しケアしなくてはと思い直しましたよ」 


 司令の愛人、と『レジスタンス』内でもっぱらの噂となっているキョウジは、学園が休みのこの日、作戦中の司令部に無断で入り込んでいた。

 彼が周囲の顰蹙ひんしゅくを買ったのは言うまでもないが――面の皮の厚さを誇る彼はそれも気にせず、情報収集に勤しんでいたわけである。


「それはどうだっていいのよ。問題は、あの子が力を『覚醒』させたら制御が効かないってこと。前回もそうだったけれど、『暴走』した上に力を使い果たせば倒れてしまう。それではあまりに不完全じゃない」


 長いネイルの先で肘掛けを執拗に叩きながら、女は言った。

 その言葉にキョウジは何か言おうとして、逃げるようにタバコに火をつけた。

 出しかけた感情を煙と一緒に飲み下し、男は女の細い手に自らのそれを重ねる。


「……ね、キス、して?」


 欲しいものをねだる子供のように、カグヤはキョウジに囁きかけた。

 微かに潤んだ瞳と、妖しく紅の差された唇。抜けるように白い肌は年齢を感じさせない若々しさで、その美しさは男の欲望を強烈に刺激する。


「ここで、ですか? 誰かに見られでもしたら……」


「今がいいの。ね、いいでしょ?」


 そう訴えてくる女王に、下僕の反抗は許されない。

 彼女に嫌われることだけは何としても避けたいキョウジは、二人きりの司令室の中で、カグヤに言われるがまま行為に付き合うほかなかった。



 月居カナタ、早乙女・アレックス・レイの両名は翌朝には『レジスタンス』本部附属病院内で目を覚まし、検査の結果、特に異常もなかったためその日のうちに退院が決まった。

 マナカは二人をつきっきりで看病し、シバマルたちには「彼らが体調不良で帰宅した」と連絡を入れておいた。

 遊園地で遊びつくすはずが異常事態に巻き込まれ、何があったかを友達に明かすこともできない。マナカはそれにもどかしさを感じつつも、『レジスタンス』の司令から直々に命じられてしまえば従う以外に選択肢はなかった。

 

「……あ、ありがとう、瀬那さん。ぼ、僕のことを好きだと言ってくれて」


 柔らかい日差しが差し込む窓辺のベッドで、カナタは側にいるマナカへ微笑んだ。

 その笑みに以前までの微妙な強張りは一切ない。彼が本当の意味で自分を受け入れてくれたのだ――そう思うと嬉しくて、マナカも笑顔になる。


「今思い返すとちょっと恥ずかしいけどね。何か偉そうに怒鳴っちゃったし……謝らなきゃいけないよね」


「う、ううん、気にしてないよ。ぼ、僕こそ、酷いこと言ってごめんね」


 怒鳴りあったことはそれで水に流して、二人は視線を絡め合う。

 縮まった距離感を意識して仄かに頬を染めるマナカは、カナタへ言ってみた。


「ねえ、カナタくん。昨日みたいに、マナカって呼んで」


「え、えっ?」


「いつまでも苗字呼びだとよそよそしいでしょ? ね、お願いっ」


 押せば行ける――マナカのその確信通り、銀髪の少年は少し困ったように眉を下げつつも、囁き声で彼女の名を呼んだ。


「ま、マナカ、さん」


 名前を呼ばれてはにかむマナカに、カナタも照れ笑いする。

 と、そこで近くから溜め息が漏れる音がして、二人はそちらを向いた。

 

「あのですね、惚気のろけるなら外でやってもらえませんか? 読書の邪魔です」


 あからさまに不機嫌な口調で言ってくるのは、隣のベッドのレイだ。

 普段は一つ結びにしている金髪をほどき、肩まで流したスタイルにしている彼は、そう口を尖らせて本を閉じた。

 

「あ、ご、ごめん……」

「な、何か急に恥ずかしくなってきた……」


 カナタが謝り、マナカが一層顔を赤らめる中、レイは手元の本の表紙に視線を落とす。

『新版・魔法理論』――レイの父、早乙女アイゾウ博士の著書である。

 レジスタンスの科学技術部に勤務する父とレイの関わりは、ほとんどなかった。激務に忙殺されているために会えない、父はそう言っているが、それは嘘だとレイは見抜いている。

 父親は長女を溺愛していた。だから、彼女を守りきれなかったレイが憎いのだ。それに、髪を伸ばしている今のレイの姿は彼女に酷似している。レイを見ていると長女を失った悲しみを思い起こされてしまう――その辛い過去から逃れるために、父親は息子を遠ざけていた。


(他人と自分を比べるなんて、ガラじゃないのに……)


 病室まで見舞いに来た月居カグヤと彼女を笑顔で迎えるカナタをそばで目にして、羨ましい、とレイは思わずにはいられなかった。 

 最愛の姉を失って以来、彼は誰にも執着しないと心に決めていた。それなのに――カナタに嫉妬したり、羨ましいと感じたりしてしまっている。

 彼と出会ってから自分は揺らいでいる、とレイは嫌でも認めざるを得なかった。


「遊園地、結局アトラクション全部は巡れなかったね」


「ま、また行けばいいよ。また、皆で……さ、早乙女くんも」


「――ボクはいいですよ。そんな子供騙しの遊びよりも、SAMに乗っている方がよっぽど有意義ですから」


 声音にとげが出てしまう。本当は嬉しいのに、ついそっぽを向いてしまう。

 布団に潜り込み、二人から顔を隠してレイは黙りこくった。

 

(所詮は、他人。他人同士で馴れ合っても……喪った時の痛みが、酷くなるだけ)


 姉の笑顔も、友のふざけてはしゃぐ姿も、二度と戻らない。かつての仲間とカナタやシバマルたちの姿を重ね、泣き出したくなる気持ちをぐっと堪えて少年は心中で呟いた。



「こんにちはー。月居くん、早乙女くん、体調はどうですか?」


 鷹揚に挨拶しながら入室してくる女性に、マナカが「二人とも異常はなさそうです」と答える。

 緩やかにウェーブのかかったプラチナブロンドの髪を腰まで流した、白い【アーマメントスーツ】姿の彼女の名は宇多田カノン。

【イスラーフィール】を駆る彼女は『レジスタンス』内で『鋼鉄の歌姫』とも称され、その美貌も相まって部下たちからの人望も厚い人物である。


「あら、早乙女くん? お布団に隠れちゃって、可愛い♡」

「余計なお世話です」


 布団をめくって覗き込んでくるカノンにぎょっとしつつも、レイは平然を装った。

 そんな彼の様子にカノンは輝くブロンドを揺らしてくすくすと笑い、ドアへ振り返って手招きする。


「ソラくんも入ってきたらどうですかー? 恥ずかしがることないですよ」

「う、うるさいなっ、わかってるよ」


 乱暴にドアを開けて入ってきたのは、声からして【サハクィエル】パイロットの風縫かぜぬいソラであることはマナカたちには分かったが……登場した彼の見た目に、驚きを隠せなかった。

 色素の抜けた髪に赤い瞳、白雪のような肌――これだけでも特異だが、彼の背丈は150センチにも満たないほどで、成人とは思えない童顔だったのだ。

 

「しょ、小学生!? ……いや、中一くらいかも……?」


「だから姿を見せたくなかったんだ……! いいか聞けよ学生ども! 俺は21歳だ、お前らより5歳も年上なんだからな! 分かったら敬いやがれ!」


 顔を真っ赤にして憤り、声を張り上げる小柄な少年、もとい青年。

 唖然とする三人にカノンは苦笑しながら補足した。


「見た目は可愛い坊やですが、これでも彼は学生時代、次席で卒業した超優秀なパイロットなんですよ♡ ちなみに首席は私でした」


 マナカたちは二人が同い年だと明かされて驚愕する。

 さらっと自分の自慢もしてのけるカノンは、猫のように足音一つ立てずカナタのベッドへと歩み寄る。


「私ね、可愛い男の子が大好きなんです。うふふ、カナタくん、君も味見させてくれないでしょうか?」


 ベッドの端に手をつき、少年へと身を乗り出すカノン。

 身体に密着した【アーマメントスーツ】――このスーツは裸身の上にそのまま着る作りになっている――が彼女のしなやかな腰つきや豊満な胸の線を強調していて、カナタは目のやり場に困って俯いた。

 

「あらあら……免疫つけないとダメですよ? 現場では殆どの時間、男女問わずこれで過ごすんですから。ま、私としては新人くんの可愛い反応を見るの、楽しくて好きなんですけどね♡」


「おい、ショタコン色ボケ女。司令のご子息だぞ、絶対手ぇ出すなよ」


「はいはい合法ショタくん。分かってますよ、司令怒らせたら怖いですもの」


 本気で警告するソラに、肩を竦めてカノンは答える。

 カグヤがカナタを何よりも大切に思っていることは、二人も承知済みだ。暇があれば机上の写真立ての中の息子を見つめている司令の姿を、これまで彼女らは何度も見ている。


「さて、事件に巻き込んでしまったお詫びも兼ねて、私からちょっとサービスしますね。『中間試験』で戦う『異形』のデータと対処法、教えてあげます」


「――そんなもの要りません」


 ウィンクしながら言ってくるカノンに拒否を突きつけたのは、レイである。

 

「遠慮しなくてもいいのですよ? 試験の結果がどうであれ、君たちの進路は決まっている。どうせ既定路線を行くのなら、楽な方がいいでしょう?」


 小首を傾げるカノンは、平然とそう口にした。

 レイは彼女に対し臆さずに軽蔑の目を向け、言い放った。


「何があるか分からないのが戦場でしょう。試験が『異形』戦のシミュレーションである以上、本番と同じ条件で臨むべきです。それに――ボクたちは、そんなアドバイスなんてなくとも勝てるのですから」


 彼の言葉には迷いも嘘もない。自分とカナタの力があれば、一年の試験に出る程度の『異形』ならば蹴散らせると確信している。

 

「ボクたち、ね。……まぁ自信があるのは良いことです。頑張ってくださいね、三人とも」


「は、はいっ! ありがとうございます、頑張ります!」


 起立して敬礼しつつ礼を言うマナカに、カノンは目を細めた。

 ソラの手を引いて彼女が退室していった後、カナタは掠れた声で呟く。


「……し、試験、か」


 少年は睫毛を伏せ、細い身体を掻き抱いた。

 得体の知れない『異形』との邂逅、その眼光を目にした瞬間、自分に起こった『暴走』という異常。

 試験での『異形』戦で、また異変が起こったらどうしよう――そんな不安がこみ上げてくる。

 母が『覚醒』と呼んだ現象。『異形』を喰らう力。グラシャ=ラボラスを殲滅し、パイモンをも噛み砕いた獣の力。

 月居司令からしたら歓迎すべきものなのだろう。だが、カナタは怖くて仕方がなかった。

 自分が自分でなくなってしまうようだ。矢神キョウジやマナカに襲いかかってしまったように、また側にいる誰かを傷つけてしまうかもしれない。


「……カナタくん。不安とか、悩みとか、よかったら私に言って? 一人で抱え込むよりも、二人で分けあった方がきっと楽になるよ」


 俯くカナタを見つめ、自分にできる最善のことは何か考えてマナカは申し出た。

 マナカはカナタの「契約者」であり、同時に「サポーター」でもあるのだ。パイモン戦でカナタの心を支えたように、この先も彼の側でそうし続ける。


「……ぼ、僕は……」


 少女の手の優しい温度を感じながら、カナタはぽつぽつと話しだした。

 詳細不明の獣の力、母親のこと、友達のこと……彼が満足するまで、マナカはそれらの悩みを聞いていた。

 

「やっぱり、ちゃんとお母さんに訊いたほうがいいんじゃない? お母さんはその力について、何か知っているんだよね」


 カナタとの会話、そして昨日の富岡との電話からも「力について知る者」の存在は確定的だ。

 ならばその者たちに訊ねる以外、疑問を解決する手段はない。 

 ただ――カナタにそれができるかどうかは、また別問題だ。


「と、特別な事情がない限り、学生が『レジスタンス』本部に入るなんてできない。で、電話やメールだって、母さん、いつも出てくれないし……」


 そもそもカグヤと接触することが難しい上に、会えたとしても前回のようにはぐらかされてしまう可能性がある。

 うーんと唸る二人に対し、レイは舌打ち混じりに言った。


「いいですか、月居くん。とにかく今は目の前の課題――中間試験での『異形』戦について考えなさい。君はボクと並ぶ貴重な戦力なんですから、うじうじ悩む時間は訓練に宛てるべきです」


「……そ、そうだね。SAMに乗れば、何か見えてくるかもしれないし……」


 レイの叱咤にカナタは頷く。

 結局、彼らはそこへ戻ってくるのだ。自分たちの居場所に――SAMに。

 


 そしてGWゴールデンウィークが明けた、最初のホームルームにて。

 数日ぶりに集う教室に早くも懐かしさを覚えていた少年少女たちに、新たな知らせがもたらされた。


「月居くん、早乙女くん。君たちにいいニュースがあるぞー」


 教壇に身を乗り出して、普段より幾らか興奮した面持ちのキョウジ。

 彼に呼ばれて起立したカナタは同じく席を立つレイを見やるが、彼も心当たりがないようで怪訝そうに担任を睨んでいた。


「そう睨むな、早乙女くん。いいニュースと言ったのは皮肉ではないよ」


 クラスメートたちの注目を浴びる二人は、続くキョウジの言葉に揃って息を呑んだ。


「一年A組の月居カナタ、早乙女・アレックス・レイの両名を、新型SAMのパイロットに任命する――月居司令直々の指名だ。受けてくれるな?」


 瞠目しながらもすぐにレイは頷き、遅れてカナタも首を縦に振る。


(僕が新型のパイロットに。それはつまり……誰も乗ったことのない、僕だけの機体が手に入るということ――)


 自分だけの機体。自分だけの居場所。カナタはそれが得られる安堵感に胸が満たされると同時に、やはり疑問にも思った。

 学園の一年生が新型機を手にした例は、これまでに一度たりともない。司令の決定はカナタの「力」を期待してのことなのだろうか。だとしたら、本当にこれを喜ぶべきなのか――。

 

「月居くんには【ラジエル】、早乙女くんには【メタトロン】がそれぞれ支給される。実機は未完成だがデータとしては出来上がっているようだから、今日にでも『第二の世界』で乗り回せるぞ」


「やったじゃん、ツッキー、レイ先生! とんでもない快挙だぜ!」


 椅子ごと後ろを向いてにかっと笑ってくるシバマルに、カナタは控えめながらも笑みを返した。

 ――そうだ。今は、喜んでいよう。新たな機体を自分のものにできる栄光を、素直に受け取ろう。


「……ら、【ラジエル】、か」


 期待に胸を膨らませるカナタは、その日の授業中はずっと上の空で珍しく教師に注意されるほどだった。

 そしてグラウンドでの白兵戦の訓練が終わり、空が茜色に染まりだした頃――『第二の世界』にダイブした彼らの前に、白き翼を持つ二体の新型機が姿を現す。   

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