第百四十八話 輝夜《カグヤ》 ―Tnings to be happened as if predetermined―
初めて目にする純白のSAM【輝夜】を前に、少年は生唾を呑み、ライフルを抜いた。
その機体は一言でいえば異質だった。
純白の体躯は汎用機【イェーガー】と比べて細く、体高も五メートル程度とやや低い。
見た目の特徴としてはまず一つ、三日月を模した金の飾りを正面に輝かせる兜。そこからは角飾りに代わって虫の触角を思わせるような銀色の毛束が二本、斜め上へと伸びており、途中で折れてツインテールのようにたなびいている。兜の下からは、飾りの毛と同じく銀色の髪が腰まで流れている。
二つ目に、下半身に纏った白銀に煌く袴。脚部を包むそれはカナタの見たこともない素材で出来ており、遠目には布のようにしか見えない。
胸部には『コア』が複数積み込まれ、【イスラーフィール】や【レリエル】と同様に女性的なフォルムを形成している。
「こっ、これが、かっ母さんのSAM……!?」
それを目にしたカナタの第一印象は、「機械らしくない」というものだった。
触角のような二本の毛束やなびく銀髪、光沢を帯びて潤んだように輝く赤い複眼は、そこに一つの命が宿っているのではないかと錯覚させる生気を放っている。
月居カグヤの理想を体現したSAM。
【異形】の力を研究し、彼らが『コア』に頼らずとも魔力を扱えるメカニズムを解析し尽くしたカグヤだから作れた最高傑作。
それが、【輝夜】だ。
『これまでは機体のスペックに乗り手である私自身が追いつけていなかった。けれど、私は手にしたのよ、カナタ。私の遺伝子の中にも【異形】の力は組み込まれた――この力をもって、私は最も美しい私となるの!』
高らかと叫び、カグヤは地を蹴って飛び出していく。
抜き放たれるは居合の一閃。
一瞬にして間合いを詰め、銀色の刃の袈裟斬りを決めんとする【輝夜】に対し――カナタは『アイギスシールド』で応じた。
ガキンッ!! と衝撃が防壁越しに機体を震わせる。
『いい反応速度ね。最初から発動待機状態にしていたわけではないのでしょう?』
「そ、そう、だよ。いまの僕は……いや、僕らは」
刃を弾かれた【輝夜】は重量を感じさせない軽いステップで後退する。
相対する【ラファエル】も一旦敵との距離を取り、腰のウェポンラックからライフルを装備した。
「ぼ、僕らはもう以前までの僕らじゃない。か、母さんの言いなりにも、どんな悪意にも屈したりはしない。ぼっ、僕はマナカさんやマオさんと一緒に、本当の幸せを掴むために戦う!」
――【マーシー・ソード】!
少年と少女の信念を体現したかのごとき、光の剣。
銃口より迸った魔力が実体なき剣と化し、黄金の光輝を放っていた。
「い、行くよッ!」
『あいあいっ、任せといて!』
マオの制御で燃える魔力が、足底部と背面部の加速機構をフル稼働させる。
眩き黄金を纏って突進する【ラファエル】。
と、同時に【輝夜】もまた動いた。
『来なさい』
突き込んだ【マーシー・ソード】の剣先は確かに【輝夜】を捉えていたはずだった。
少なくともカナタは相手の肩に攻撃を当てた手応えを感じていた。
だが、しかし。
次の瞬間には、【輝夜】の姿はカナタの眼前から姿を完全に消していた。
「なっ!?」
『――遅いのよ』
背後より迫り来る気配。
思考よりも本能に従って振り返った少年は、振り抜いた光の剣で攻撃を受ける。
『甘い』
刹那の拮抗はその一言で瓦解した。
【輝夜】の銀刃は【ラファエル】の魔力を溶かすように無力化し、そのまま刃を叩き込む。
「ぐっっ――!?」
すんでのところでマオが『女神の盾』を展開したにも拘らず、カナタは身体をくの字に折って吹き飛ばされた。
空中を漂うコンマ数秒。だがカグヤはその隙を逃さず、追撃を浴びせんとする。
曲げた膝をバネのように弾けさせた一瞬、閃くのは抜いていたもう一本の太刀。
『逃さないわ!』
制動のままならない【ラファエル】にその一撃を避ける手段などなかった。
真正面から斬撃を食らってしまうカナタは、防壁を破壊するその刃に腹を切り裂かれる。
「あ゛ああッ――!?」
神経を焼く灼熱。たまらず叫び、歯を食いしばって耐えようとするも――漏れ出る【魔力液】の量は決して少なくはなかった。
『あと二、三撃といったところかしら!』
「ぐっ――マオさんッ!!」
戦況はカグヤの有利に傾いた。ほくそ笑む彼女は仰向けに倒れゆく【ラファエル】へ最後の一撃を叩き込まんと二刀を十字に構え、そこに黒い魔力を纏わせていく。
それでもカナタは諦めなかった。
彼は共に戦う少女の名を呼び、魔力を燃焼させて『力』を覚醒させる。
鼓動が荒ぶり、獣のごとく爪牙が伸びて髪が逆立つ。サファイアの瞳は真紅に染まり、吐き出す息も赤く熱を宿し始めた。
『【モードチェンジ】ッ!』
少年から送られる魔力をもって一瞬での変形を実現させるマオ。
その背中が地面に着こうという寸前、【ラファエル】は鉄砲玉のように真っ暗な天井へと飛び上がっていった。
漆黒のオーラを纏って叩き込まれる二刀の連撃は、一秒前まで【ラファエル】がいた地面を抉るのみにとどまる。
「【アストラルビット】!!」
星のように瞬く魔力エネルギーが幾多の弾丸と化し、上空より【輝夜】へと降り注ぐ。
赤い光の尾を引く魔力弾の雨を前に、【輝夜】は初めて防御体勢を取った。
『【絶対障壁】』
回避から即、発動したカナタの魔法。
だがそれに対してもカグヤは一切動揺することなく、淡々と防御魔法を行使した。
黒い板のごとき六角形の障壁が無数に連結し、一つの大盾を築き上げる。
その漆黒の盾に吸い込まれるように星光の雨は消えていった。
「き、効かない……!?」
『その機体を手がけたのは誰だと思って?』
月居カグヤは『レジスタンス』が作った全てのSAMについて知り尽くしている。対するカナタは【輝夜】について、何も知らない。
カナタは情報の面で大幅に不利を付けられている。【ラファエル】の能力をフル活用してもなお、彼がカグヤを上回れることはないだろう。
『私には全て見えているのよ!』
「そ、それでもッ……!」
カグヤがカナタの力に関するデータ収集を怠っていたわけがない。彼女はカナタが眠っていた間も、『第一次プラント奪還作戦』で彼が【異形】から奪った力を含め、解析と検証を重ねていたはずだ。
(機体も僕のことも、母さんには全部お見通しだ。でも、僕には――)
マオがいる!
瀬那マオの精神が【ラファエル】内に残ったイレギュラー、それを活かせばカグヤに勝てる可能性もある。
「【マーシー・ソード】ッ!」
超ロングリーチの光の剣が上空より振り下ろされる。
すかさずカグヤは先ほど同様に【絶対障壁】で防御、それを無効化した。
『闇雲に撃ってもあれで防がれるだけだわ! アプローチを変えないと!』
「わ、分かってるよ! け、けど、攻め手を緩めるわけにはいかない! ぼっ防御性能ではこちらの方が劣ってる、しゅ、守勢に入るわけには……!」
【マーシー・ソード】はラファエルのメイン武器であり、この機体の魔法の中では最も燃費がいい。
とりあえずカナタはそれを撃ってカグヤに防戦を強いようとしているわけだが、それが決め手にならないのも理解している。
(マオさんの最強の魔法、【アポカリプス・レイ】なら――)
【絶対障壁】は見たところ闇属性。相性としては、光属性の【ラファエル】の魔法を打ち消せる。
だが、それは相手側の力がこちらと互角以上だった場合に限る。上回ってさえいれば――押し通せる!
「ま、マオさん、詠唱コマンドを! ぼっ僕が時間を稼ぐから、君が発動まで持って行って!」
『りょーかい!』
光の尾を引いて激しく飛び回りながら、黄金の一刀を連続で突き下ろしていく【ラファエル】。
その間にもマオは【アポカリプス・レイ】――第一次プラント奪還作戦の際に『レジスタンス』側に多くの犠牲をもたらした滅びの魔法――の発動準備に入った。
パイロットと『コア』がそれぞれ並行して別の操作を行う――これこそが、人格を持つ『コア』が有する最大のアドバンテージだ。
『ちょこまかと面倒な子ネズミね。ま、いいわ……付き合ってあげる』
漆黒の防護壁で全身を包み、その場から動かない【輝夜】。
その主たるカグヤは微笑み、息子の奮戦に真っ向から応じた。放たれる光の刃のことごとくを受け止め、一撃たりとも通さない。
膠着状態はしばらく続いた。
乱舞する黄金の光輝、その全てを吸収する奈落の闇のごとき防壁。
時間だけが過ぎていく。その時間は自分たちに有利をもたらすのだと、カナタとマオは信じた。
『詠唱は終わったよ! いつでも撃てるわ!』
発動待機状態にまで運んでくれたマオに「ありがとう」といい、カナタは眼下の【輝夜】を見据えた。
彼女は先程から同じ位置に鎮座したまま、防壁を解除する気配すら見せていない。
解除したところにぶち込むか。それとも防壁ごと吹き飛ばせる算段でそのままやるか。
発動待機状態のまま長時間が経つと、高まり続けた魔力が暴発を起こすリスクがある。逡巡に許される短い時間の中、決断を強いられるカナタは――。
「……ッ」
失敗したら次はない。
これを撃てば魔力のほとんどを使いきり、戦闘の継続は著しく困難になる。
『たとえ君が失敗しても、私がなんとかする! だからミスを恐れず撃って、カナタくん!』
そのとき叫んだのはマナカだった。カナタの不安を感じ取って一時的に意識の表層に出た彼女の言葉に、カナタは柳眉を吊り上げる。
「……ありがとう」
『もう、マナカのやつ、いきなり出てきたら色々混線しちゃうじゃないの! ――で、カナタ。覚悟は出来た?』
深呼吸し、少年は頷いた。
操縦桿を握る手に力を込めるカナタに、マオは笑う。
『んじゃ、行きますか!』
【マーシー・ソード】の乱発が終わったにも拘らず、【輝夜】側に防壁を解除しようという動きは見られない。
カグヤはカナタたちが大魔法の詠唱を並行して進めていたことも、おそらくは見抜いているのだ。それを受けきれる確信もまたあるのだろう。でなければ、防戦一方になるのを選ぶわけがない。ジリ貧になりうる戦い方を選ぶほど、月居司令は愚物ではないのだから。
「これが、僕とマオさんの全力の一撃だ! 【呑み込め、神光】――【アポカリプス・レイ】!!」
六枚三対の黄金に煌く光の翼。
【モードチェンジ】と同時に広がったそれは、大空洞中に際限なく広がる鯨波と化す。
迸る光の波は全てを撫で、運ばれた魔力粒子は激しく振動して刹那のうちに灼熱を生み出した。
壁に埋め込まれたガラスケースは跡形もなく弾け、中にあった【異形】の標本はどろどろに焼けただれて無惨な姿に成り果てる。
その渦の中心に呑み込まれた【輝夜】は――しかし、【絶対障壁】の漆黒の輝きを絶えさせずにいた。
「やっ、焼けッ、焼けよッ……!!」
少年が喉を枯らすほどに濃度を上げる深淵の闇。
その黒薔薇は光の中にあってこそ、美しく咲き誇る。
【輝夜】は光の渦に呑み込まれたのではなかった。彼女自身が光を吸い込んで、自ら渦の目となっていたのだ。
「流石でございます、お嬢様。あなたはどこまでもどこまでも美しい……そのお姿は未来永劫、人どもの記憶の中に刻まれ続けることでしょう」
地上へと通じる螺旋階段を上る富岡は、スマホに映るその光景を眺めて恍惚と笑みを浮かべた。
どんな光だろうが彼女の闇を晴らすには値しない。それがたとえ、彼女の血を引く息子であってもなお。
「さようなら、おぼっちゃま。そして哀れにも利用された鏑木博士。歴史の影に葬られた敗北者として、あなた方は永劫に辱められましょう」
嗄れたその声には、若き日に戻ったかのごとき生気が宿っていた。
全てはここで終わり、またここで始まるのだ。
人々の心は原始に戻る。秩序が崩壊し、弱肉強食の混沌の世界が生まれる。美しく残酷な、カグヤにとっての理想郷へ変わる。
「嗚呼……惜しむらくはこの身の先の短さよ。せめて、もう一回りの若ささえあれば、あなたの生み出す世界の行く末を、見届けられたというのに……」
そう、老人が呟いたその時だった。
彼が抜け出るはずだったドアが上階でガタンと開き、何者かが足を踏み入れた。
この隠し通路を知る早乙女博士は、隔壁に閉じ込められてここまで辿り着けるはずがない。では誰が? そこまで考える富岡の腕は、思考中もなお懐へと入り込んだ。
仄かに漂う壁面のランプの薄明かりを頼りに、富岡は侵入者との邂逅に備えながら階段を上がり続けていった。
そして、確かに近づいたであろうその時機を見極め、彼は先手を打つ。
「まさかあなたが今になって舞い戻ってくるとは。明坂ミユキ、元SAM開発部主任」
来る女の名を先んじて言い、富岡は銃を胸の前に運ぶ。
相手側は下りなければ埓があかない。待っていれば確実に来るだろう。富岡はそこを狙い撃つだけでいい。
「あなたはお嬢様の理解者たりえなかった。お嬢様の真の願いに共感し、理解できたのは、富岡めたった一人のみであったのです」
あと数段上がったところにいるであろうその者は、無言だった。
本部全体を震撼させる魔力が地下より解放され、螺旋階段の石壁もパラパラと破片と埃を落とす中、富岡は眼鏡の下の眼に鈍い光を宿した。
『アアアアアアアアアアアアアア――――!!』
絹を引き裂くような女性の叫びが足元から打ち上がり、都市の誰もの耳朶を打つ。
始まったのだ。月居カグヤの計画、その第二幕が。
ガタンッ、焦りを孕んだ足音が鳴る。
それと同時に富岡は撃鉄を起こし、引き金を即座に引いた。




