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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第六章 覚醒・破

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第百四十七話 覚醒《めざめ》 ―"I'm confronted with my mother."―

 ぴくり、と。

 ベッドに横たわっていた少年の指先が、わずかに動いた。

 レジスタンス本部の最奥部、『エル』のサーバ本体が秘められたその部屋にて。

 そこで市中の運命を見届けていた鏑木リッカ博士は、その布が擦れる微かな音に顔を上げた。


「っ、これは……!?」


 目の前にあるPCの画面に表示されているのは、少年の脳波の状態を示すグラフ。平坦で動きのなかったその線がいま、急激に波打って活発化していっている。

 

「か、カナタくん……良かった、戻ってきたのね……!」


 思わず声を詰まらせながら、リッカは跳ねるように席を立った。

 月居司令がカナタを助けるために発動した、市中の【潜伏型異形】から魔力を得る計画――それが功を奏し、カナタは目覚めたのだ。

 ベッドへ駆け寄ったリッカは少年の顔を覗き込んだ。

 緩やかに瞼が開き、震える長い睫毛の下からサファイアのような瞳が覗く。焦点が合わず虚ろなその目を見つめ、リッカは彼の手を握って言った。


「カナタくん、私が分かる? 鏑木リッカ、あなたが『第二の世界』で異形の【シード】を探した時に監督した者よ。覚えて、いるかしら」


 彼女の問いにカナタは頷いて応じた。

 その答えに口元を緩めてしまうリッカだったが、それに反して少年の表情は意識がはっきりしていくにつれて険しさを帯びていった。

 上体を起こそうとするカナタをリッカはとどめた。一年もの間眠っていた身体でいきなり動こうなど、無理な話だと。


「いま司令に連絡するわ。あなたはそこで、安静にしていて」

「……ま、待って、ください。ぼっ、ぼ、僕は行かなきゃ、いけないんです」

「行くって、どこに?」


 リッカには少年が何を考えているのか、察することさえ出来なかった。その瞳に灯っている赤い炎も、彼女には見えなかった。


「ぼ、僕はっ……ま、守らなきゃ……た、戦わなきゃ、いけないんです」


 少年は女博士の腕をぐいと押しのける。

 棒切れのように痩せた腕だとは信じられないほどの膂力でリッカの制止を拒み、カナタはなおも必死に起き上がろうとした。


「ダメよ、カナタくん! あなたはまだ、動ける体じゃ……!」

「あ、あなたは何も分かってない! い、いま何が起きているのか、あなたは知ってるんじゃないですか!?」


 声を震わせて怒鳴る少年に、リッカは言葉に詰まった。

 だがすぐに首を横に振り、厳然と言い含める。


「それでもダメ。あなたの身体の安全が最優先よ」

「ぼっ僕の身体なんてどうでもいいんだ。ま、マナカさんは言った――ぼ、僕には止めなくちゃならない人がいるんだって。だっだから、その人のところへ行く」


 唐突にマナカの名前を出され、呆けた顔になるリッカ。

 意識が混濁し、錯乱状態にあるのか。そう考えて鎮静剤を用意しようとする彼女だったが、白衣の袖を掴む懸命な彼の顔を見ていると、その言葉を一蹴することも出来なかった。

 月居博士はいつだって、研究に全力だった。人のために一日でも早くSAMの完成を急ぎ、寝食も惜しまなかった。

 そんな彼と――一緒なのだ。この子は父と同じように、誰かのために自らを投げ打ってまで使命を果たそうとしている。


「カナタ、くん……」


 リッカにそれを止める権利などない。あるのは、彼を守るという義務。

 天秤の傾きが定まるまで、時間はさしてかからなかった。


「……馬鹿ね、私。結局、あの人の幻に振り回されてばかり。司令には怒られちゃうわね、これは」


 溜息を吐きながら、女はかつて愛した男の忘れ形見を見つめた。

 そして、少し眉を下げて口元を緩める。


「いいわ、協力してあげる」

「あ、ありがとう、ございます。じゃ、じゃあ、『アーマメントスーツ』に着替えるの手伝ってもらえますか?」

「スーツって……あなた、本気で戦うつもりなの?」

「ぼ、僕にはそれしか、手段はありませんから」


 目を剥くリッカにカナタは毅然とした面持ちで言った。

 

「い、いまの僕は、一人で着替えることもままならないです。だっ、だけど、SAMに乗りさえすればそれが身体になります。だ、だから、戦いについては問題ありません」

「それは、そうでしょうけど……まあ決めたものは仕方ないわ。スーツと車椅子用意するから、少し待っていて」


 そう言い残し、リッカは一旦『サーバルーム』を出て行った。

 ほどなくして彼女はスーツと車椅子を約束通り持ってきて、カナタを着替えさせた。

 ほぼ骨と皮の少年の裸体を目にして「本当に戦わせていいのか」と迷いを生じさせつつも、しかしカナタの真っ直ぐな眼差しに射抜かれては手を止めることは出来なかった。


「あなたの機体は、いま別のパイロットが乗って遠征に出ているわ。機体はどうするの?」

「べ、別の……?」

「そう。犬塚シバマルくんよ。あなたも知っているでしょう?」

「は、はい。そ、そうなんですか、彼が……」


 別のパイロットと聞いて若干表情を曇らせたカナタだったが、シバマルの名が出ると安堵の表情を浮かべた。

 慣れない手つきで彼を車椅子に乗せてやり、SAM地下格納庫へと向かうべく部屋を出ようとした、その時。

 机上のパソコンの画面が突然切り替わり、開いたウィンドウに少女のアバターが映り出す。


『カナタ、あんた起きたの?』


 その合成音声にカナタは仰天した。

 忘れるはずもない少女の声――瀬那マナカ、いやマオの喉から発せられていた声そのものだ。

 彼女をモデルにしたAIか何かだろうか、と小首を傾げるカナタに、画面内のマオは「細かい話はあと!」と口を尖らせる。


『さんっざんアタシとマナカを待たせたことについての文句は山ほどあるけど、それも保留よ! いい? いまこの都市は大変なことになってるの! 【異形】が人々に取り付いて暴れさせる、そんな混沌とした世界が出来上がってる! それを止めるには、アンタの力が必要なの!』


【異形】が、人に。

 マオやアキラのように人類に牙を剥いてしまった者が大勢出てしまっている。その現実を受け止めて、カナタは尚のこと自分が立ち上がらねばという思いを強めた。

 あの時マオと向き合い、二度と同じ悲劇を繰り返さないようにすると誓ったのだ。人と【異形】は棲み分けながら共存できるはず。一方が一方を滅ぼすまで果て無き争いを続ける修羅の世界に幕を引く――それがカナタの望みだ。


『【ラファエル】を使って、カナタ! あの機体はあたしとマナカで制御できる、病み上がりのあんたでも十分戦えるようサポートしてあげるから!』

「わ、分かったよ」


【ラファエル】は『第一次福岡プラント奪還作戦』の折に頭部が全壊してしまっていたが、既に修復されて『レジスタンス』本部地下に格納されている。

 リッカはカナタの車椅子を押し、急いでそこを目指した。

【輝夜】が鎮座する大空洞を囲む回廊は、『サーバルーム』ほか『超人ハイソルジャー』にまつわる実験室などの部屋に繋がっている。そのうちの一つ、物置同然の大部屋に【ラファエル】はパーツを分解した状態で運び込まれ、雌伏の時を過ごしていた。


「【ラファエル】の組立フェーズはあの子がいま、進めてくれているわ。それが終わり次第搭乗して」

「は、はい」


 そう言いながら、リッカは自分がどうしてこんなことをしているのか分からなくなっていた。

 睡眠不足で判断力が鈍った彼女はいまや、ただの風見鶏に過ぎない。

 

「辛いわね、カナタくん。でも、あなたは何も悪くないわ」


 少年を目覚めさせるための「儀式」が暴走する人々を生み、多数の死者まで出してしまった。リッカは月居博士とその息子のためなら何を犠牲にしても構わなかったが、当のカナタは違うだろう。


「地上の暴徒を鎮める……その手立てはあるの?」

「か、鏑木博士。ぼっ、僕にはその前に、戦うべき人がいます」


 少年は認めたくなかった。信じたくなかった。だが、あの静寂の世界でマナカは言ったのだ――月居司令を止められるのは、カナタしかいないのだと。

 格納庫に入ると、既に自動機械のアームがSAMの組立作業を進めているところだった。分割されていた脚と胴体が接続されていく様子を見上げながら、リッカはカナタへ訊ねる。


「その、戦うべき人って……?」

「つ、月居司令――いえ、ぼ、僕の母さんです」


 先程からずっと、カナタの頭の中には多くの声が微かに響いていた。唸り、苦しむ人とも獣ともつかない声。自らを制御できず暴れてしまう人々の声を『交信クロッシング』能力で聞く少年は、彼らを思って胸を痛める。


「何を言ってるの、カナタくん? 司令は、あなたのお母さんは、あなたを目覚めさせるために魔力を集めようとして……!」

「そ、それが真実だとしたら、ぼっ僕は一生眠ったままで良かった。で、でも現実は違う。か、母さんは僕のために何もかもを犠牲に出来るような人じゃない」


 母親にとって自分とは何なのか。

 入学当初のカナタは愛に飢え、母に認められるべくSAMに乗って自己主張しようとしてきた。だが、『フラウロス』に過去の光景を見せられて以来、自分が信じてきた母親の姿は幻だったと気づかされた。

 月居カグヤにとって、カナタは道具でしかなかったのだ。彼女が愛しているのは別のもの――【異形】だ。


「か、母さんが何を考えているのかは分からない。で、でも、母さんのやっていることが正しいとは僕には思えないんです。ひっ、人に【異形】を取り憑かせて暴れさせる……そ、そんなの、痛いだけだ。か、悲しいだけだ」


 少年の言葉は切実だった。彼はどこまでも、苦しむ人や【異形】に心を寄せて顔を歪めていた。

 その表情をリッカは直視できない。自分の行動は果たして正義だったのか――愛に霞んだ視界がクリアになればなるほど、彼女の呼吸は荒くなっていった。


「違うわ、違う、違うのよ! 司令はカナタくんを救うために力を貸して欲しいって言ったわ! 月居博士の選んだあの人が、間違っているわけないじゃない!?」


 頭を抱え、半狂乱になって叫ぶリッカ。

 涙を流す白衣の女性を見上げたカナタは、悲しそうに睫毛を伏せた。この人もまた、カグヤの「道具」として踊らされたに過ぎなかったのだ。


「そんなの、違うわ……司令は、人のために……あなたという希望を、取り戻すために……」


 床に膝を突き、女は泣き崩れた。月居カグヤが絶対の正義と信じていたからこそ、彼女は人を犠牲にする「儀式」に協力できたのだ。だが、その正義という支柱が折れてしまった現在いま、彼女はもはや何をすることも叶わない。

 女への憐憫に時間を割いている余裕はカナタにはなかった。

 彼は視線を切って黄金と白のカラーリングの愛機の兄弟機、【ラファエル】を見上げる。


『ドッキングフェーズ完了、システムオールグリーン。カナタ、行けるよ!』


 拡声機能スピーカーを用いて声を掛けてくるマオに、カナタは頷いた。

 打ちひしがれているリッカに代わってマオの操作する機械腕アームが彼の身体を掴み上げ、コックピットまで運び入れる。

 自動で開いたドアの手前で降ろされたカナタは、這うようにその中へ入り、弱った身体を懸命に動かして操縦席まで辿り着いた。


『パイロット搭乗確認。ヘッドセット装着。超兵装機構、起動するわ!』


『コア』の中にコピーされたマオとマナカの脳が【ラファエル】のシステムを司り、カナタのために一年の眠りを解除する。

 起動と共にコックピット内が光に満たされていく中、カナタは目を閉じて脳と機械とが接続していくのを待った。

 身体に残っていた感覚が途切れ、鋼鉄の肌の体感へ切り替わっていく。


「まっ、マオさん……ま、また会えて嬉しいよ。でっ、でも、君は、どうして……」

『説明すると長くなるんだけど……まあ、簡単に言えばこれはあたしの「擬似人格スワンプマン」。瀬那マオとマナカの人格が『コア』という媒体に焼き付いた、コピーらしいわ。といっても、あたし自身の意識レベルじゃ、自分がコピーだなんて感覚は全然ないんだけど』


 あの時コックピット内で亡くなった少女の精神や記憶と、いま話しているコピーとではそれが連続している。

 彼女は限りなく本人マオに近しい別の存在と言えるが、当人からしてみれば肉体が失われて電脳世界に移住した程度の感覚だ。彼女は自らの死の瞬間を覚えていながら、未だ生きていると言える現状唯一の人物である。


「ま、マオさんとマナカさんの身体は死んでなくなったけど、こっ、心は生きてる……ってこと?」

『そういう理解でいいわ。戦闘中はマナカじゃなくてあたしがアシストするけど、いいわね?』

「りょ、了解だよ。……ふふ、なんか嬉しいな。き、君とようやく一緒に戦えるなんて」


 小さく笑みをこぼすカナタに対し、マオがどういう表情をしたのかはアバターの表示がないため分からない。

 だが、カナタには彼女も同じように笑ってくれているだろうという確信があった。

 マオとぶつかり合ったあの日、これから分かり合っていこうと言葉にせずとも誓ったことを、きっと彼女も覚えているだろうから。


『ゲート開放。瀬那マオ、【ラファエル】――』

「つ、月居カナタ、行くよ!」


 ゴゴゴゴッ――! と重低音を響かせて壁と廊下の一部がスライドしていく。

 それと同時に天井も上へ上へと格納されていき、高さ七メートル、幅五メートルほどのSAM用の通路が現れた。

 大空洞と直結するこの回廊や周囲の部屋のいくつかには、SAMが移動できるような仕掛けが施されているのだ。

 開いた通路の向こうには、白い光に満たされた空間がある。そこに、カナタが対峙すべき人がいる。

 少女と共に名乗りを上げた少年は、自らの意思をもって一歩、踏み出した。

 鋼鉄の身体には不思議と重さを感じない。機体と同調した彼は流れるような動作で歩みを進め、大空洞へと入り込んでいく。


『来たのね。……カナタ』


 そして。

 彼が来ることを予覚していたかのように、純白のSAMに搭乗するカグヤは微笑んでいた。

 大空洞の中央を貫く柱、そこをくり抜くように設けられた台座に座す【輝夜カグヤ】は、少年の来訪を迎えて立ち上がる。


『そのSAMでどうするつもりかしら、カナタ? 私に協力する? 静観する? それとも……阻むかしら?』

「かっ、母さんが街の人たちや【異形】たちを苦しめるなら、ぼっ僕はそれを止めるよ」


 母親からの問いかけにカナタは毅然と答えた。

 何でも母親の言いなりだった幼い自分はもう捨てた。いまのカナタは一人の人間として、月居カグヤという女と向き合うことができる。

 

『そう』


 ぽつり、淡々と。

 月居カグヤはそれだけこぼして、刀のつかに手をかけた。

 そして、言い放つ。


『これも戯れ。さあ、あなたも剣を執りなさい、カナタ』

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