第百四十五話 雪鳴《セツナ》 ―Without giving up until the end, struggle!―
『中央区角から始まった人々の突然の暴走には依然、歯止めがかかっていません!』
『国会議事堂上空より中継です、出動したSAMは『学園』のものとみられ……』
『「レジスタンス」は未だ動いておりませんが、スタジオの宮田さん、これは……』
『崩落したビルには百名を超える従業員がおり、来訪者等も含めると死者は百二十名にも達する可能性が……』
チャンネルを回して各テレビ局の報道を確認していたキョウジは、ボサボサの髪を掻き回して唸っていた。
一教師に過ぎない自分に、この事態の解決のために起こせる行動などありはしない。今は現場で戦ってくれている生徒たちを信じ、『学園』の子供たちに決して外へ出ないよう言いつけることくらいしか出来ない。
それが歯痒くて仕方なかった。
「心配ですね。しかし、『レジスタンス』がこの事態の中でも動かないなんて……」
隣の席から話しかけてきたのは、養護教諭の沢咲アズサだ。
彼女を含めた全教員はいま、会議のために職員室へ集められている。会議中であってもなおスマホを開いてリアルタイムでの情報収集を行っていたキョウジは、彼女の言葉に判然としない面持ちで言った。
「そうですな。……教頭先生、『レジスタンス』からはまだ何も?」
「あ、ああ。まだ何も……」
「矢神先生、あなたも元『レジスタンス』でしょう。誰か連絡のあてはあるんじゃないですか?」
「とっくにやっていますよ。ただ、繋がったのは本部にいない者たちだけでして……彼らも何が何だか理解できていない様子でした」
肝心かなめの本部の者と連絡が取れない。学園のみならず、メディアでさえも『レジスタンス』からの声明は何もないと報じている。
それが『レジスタンス』の本意だとはキョウジには思えなかった。
(ミユキさん……彼女との通信が繋がれば良かったのだが)
不破ミユキという女子生徒が『学園』に在籍しているとキョウジが知ったのは、昨年に赴任してしばらく経った頃だった。
彼は当初、信じられずにいた。月居カグヤのかつての恋人であり、右腕として働いた明坂ミユキは、四年前の『福岡プラントの悲劇』の際に追放されたはずだった。
しかし、対面したその少女の顔は紛れもなく明坂ミユキその人だった。眼鏡をかけ、見た目が少女時代に若返ってはいたが、間違いなく記憶にあるミユキの面影がそこにあった。
どういうわけか、と訊ねたキョウジにミユキは全てを語りはしなかった。
ただ、彼女は言ったのだ――「これは呪いよ」と。
彼女はここでは生徒として生きると言った。ゆえに、キョウジは彼女を「明坂主任」とは呼ばなかったし、奇妙な心持ちだったが一教師として彼女に接してきた。
(彼女ならば、何か分かることもあったんじゃないか? カグヤ司令と俺よりも近しかった彼女なら、この事態になっても動かない司令の意思が……)
彼女の言い分を無視して、強引にでも情報を引き出していれば良かった。自分は成人男性で、彼女は女子高校生。少し力で捩じ伏せてやれば――
(ちくしょう、馬鹿だな俺は。クソ野郎だ、全く)
頭皮に爪を立てるように頭を掻き毟り、男は取り出した煙草に火を点けた。こういう場では常なら怒られるものだが、混乱のせいか誰も彼に注意はしなかった。
誰も彼もが憶測で物事を語り、事実を正しく捉えられてはいなかった。
ただ、キョウジだけは――その真実に、最も近づいた人間であった。
(『他人なんて嫌いよ』と、最後に会った夜にカグヤ司令は言っていた。だが……それとこの事態が結びつくものか? 彼女にそんな力はないはずだ。これが【異形】の起こした異常事態ということは間違いないはず……)
しかし、彼はカグヤが『超人』と化していたことを知らなかった。
ゆえに、【異形】との交信能力を用いてカグヤが【潜伏型異形】を呼び覚まし、人々に寄生させた事実にまで辿りつけなかった。
「くそっ……黙って見てられるかよ、ちくしょう!」
周囲も構わずキョウジは叫ぶ。
自分に出来ることなどないかもしれない。だが、何もせずに事態が悪化していくのを待つくらいなら、彼は走り出す方を選びたかった。
「矢神先生、何を!?」
「止めないでください、沢咲先生! 元『レジスタンス』として、俺には何かやれることがあるかもしれない!」
「ダメです、危険すぎます! あなたがそんな無茶をする必要なんて――」
必死に制止してくる沢咲の胸を、キョウジは突き飛ばした。
よろめく彼女に「すまない」と内心で謝る彼は、もはや止まらない。
「俺一人の命とこの事態で失われる者の命――どちらを天秤にかけるべきかは自明でしょう! 思い上がりだと笑われようが、馬鹿だと蔑まれようが、俺は行く。月居司令や明坂主任に会えさえすれば、何か分かることもあるかもしれない!」
止める者、狼狽える者、皆の様子は違えど彼を阻む者はいなかった。
事態を解決しうる一縷の望みがあるならば、何も出来ない自分たちはせめて、そこに願いを託そう――そう、彼らは考えたのだ。
矢神キョウジは走り出す。
歪む都市の運命の渦中にある二人の女性を、その胸に思いながら。
*
サキやカツミ、カオルの活躍によって暴走していた二機は鎮められた。
だが、残る一機――イタルを撃った機体は未だ討たれず、周囲への無差別な銃撃を行い続けている。
区画の最北を担当していたその機体のもとにユキエが辿り着いた時には既に、ビル一つと路傍の人々の多くが文字通り潰されてしまっていた。
生ける者もそうでない者も構わず血祭りに上げられ、スクラップと化した自動車はそこら中に転がる。
砂塵と鮮血の臭いが濃密に立ち込める道路をビル上から見下ろして、黒髪の少女は唇が切れるほどに噛み締めた。
「……何故、どうしてっ……市民を守るべき兵士が、それを殺さなくちゃならないの――!?」
これが悪夢だったならどれだけ良かっただろう。
アラーム一つで終わる幻だったなら、傷つくのはユキエだけで済んだ。
だが、これは紛れもない事実だ。目の前で人やSAMが暴れて、その結果多くの命が失われた。こうしている間にも、狂気はますます感染を広げてしまっている。
『地表にバリアを張ったというのに、どうして暴れ出す人が増え続けているんですの!?』
リサの驚倒する声が響く。
彼女らが知る由もないことだが、イオリが本部に突入した直後に放たれた強烈な「第二波」は、既に都市中央区角の外側にまで放射線状に拡散してしまっていた。
その発動後にバリアを張ったところで後の祭り。伝播した魔力は都市内に漂っていた【潜伏型異形】たちを一気に呼び起こし、人々への更なる寄生を始めたのだ。
『最初の【防衛魔法】も、その次のも、全部徒労に過ぎなかったってこと……?』
無力感に苛まれるサキの言葉が、他の者たちの肩にも重くのしかかる。高い士気をもって突入した分、その消沈も大きなものだった。
だが――そんな中でも、カオルとカツミだけは前を向き続けていた。
足掻くのをやめれば自分たちの行動が無意味だったと確定してしまう。そんなのは嫌だと、彼らはもはや意地だけで戦っていた。
『全部を諦めるのは魂燃やして戦い抜いた後でいい! アタシらはアタシらに出来ることをやる! あの暴れてる一機を止めたら本部に突入するよ!』
『冬萌、あの機体に一番近いのはお前だ! 撃たれちまった日野のぶんも、お前が背負って戦いやがれ!』
カオルの叫びに残された僅かな闘志を再燃させ、他の生徒たちも動き出した。
ユキエらに近い位置にいる数機を除き、彼らは本部へと直行していく。
「人と戦うこと……マナカさんと戦ったあなたの気持ち、ようやく分かった気がする」
カナタが抱えた感情の重さをユキエは知った。
今も眠っているだろう彼が願い、戦いの果てに掴みとろうとしたもの――それを手に入れるために、ユキエもまた武器を取る。
「平和を願うならば――やむを得ないわ。ごめんなさい、お父さん……私は、私の手で人を殺さなくてはならない」
暴走した兵士を止める手段が不明な以上、止めを刺すのは避けられないことだ。放っておけばより多くの死者が出てしまう。SAMというのはそれだけ危険な兵器なのだ。
ビルから飛び降り、黒髪の少女は剣を抜いて最後の暴走機と対峙する。
「私だけを見ていなさい。あなたの最後の獲物を!」
相対するSAMの両眼が緋色の光を灯した。
その獣のごときあぎとを開き、赤々とした呼気を吐き出しながら前傾姿勢を取る。
抜き放った銃剣を構え、その機体は銃弾の先制攻撃をユキエへ浴びせた。
連続で瞬く弾丸、鳴り響く乾いた銃声。
ドドドドドドッ――!!
衝撃音が【イェーガー】の表面を覆う虹色の防壁と激突する。
「『アイギスシールド』、展開ッ!」
魔力を帯びた実弾など、その盾の前には無力だった。
ことごとくを弾く虹の光輝に守られるユキエは、抜き放った剣をもってろくに知らぬ上級生を思った。
彼も自分と同じく、人々を助けたいと立ち上がった者の一人だった。しかし――どうにも、不幸だったのだ。
(あなたの思いは、私が背負う。だから――ごめんなさい)
銃撃が叶わず刃での応戦に切り替えた相手が、ユキエに乱撃を浴びせてくる。
型も何もない、獣の格闘。
悪意と暴力衝動に支配されるだけの彼の刃は、しかしユキエの『アイギスシールド』を破るのに至らず――
「――【雪鳴】」
しん、と。
降りしきる雪のごとき静けさを纏って閃いた突きの一撃が、その機体の左胸を貫いた。
血の輝きを宿していた【イェーガー】の両眼はたちまち光を失い、機体全体が完全に沈黙していく。
これにて、暴れていた三機とも制圧が完了した。
『やったな、リーダー……助かった、ぜ……』
「日野くん、あなたは大丈夫なの? 肩を撃ち抜かれたようだけど……」
『平気だよ。めっっっちゃ痛いししんどいけど、俺の身体は何ともない。ただ、利き腕が使えないから戦うのはもう無理だ』
「分かったわ、あなたは一旦下がって。ヨリさんも、彼と一緒に」
イタルの状態を確認したユキエは、膝を負傷したヨリともども彼を下がらせることにした。
戦力の抜けが二。そこはアスマとヤイチが戻ってくる分と、彼らが引き連れてくるという【イェーガー】の最新型を加えればリカバリー出来る。
南下して本部を目指すユキエは、モニターに表示される僚機のカメラ映像をつぶさに確認しつつ、本部の父へ思いを致した。
(お父さんはおそらく、【異形】によって身動きが取れない状態。絶対に助け出したいけど……内部の【異形】をどう相手取る? 外へおびき出せればベストだけれど、相手が人に紛れて都市に入れる「理智ある異形」だった場合、簡単に引っかかってくれるかどうか……)
そこまで考え、彼女は頭を振った。
上手くいかない可能性を考慮しても仕方がない。カオルの言う通り、自分たちはやるべきことをただやり進めるのみだ。
『冬萌さん!』
『すみません、遅くなりました』
と、そこに西の空から登場したのは体高三メートルほどの小型SAMの群れ。
【イェーガー・反逆者】――機動天使【ミカエル】を参考に考案された市内戦闘用機である。
やはり右腕に大きなドリルを装着しているアスマ機を先頭に、総勢十機が参戦してきた。
「十機もの新型SAM……!」
本部内での戦いになるならば、ここからは彼らメインでの作戦へ変更となる。
機体がどこで誰の下で製造されたのかは問い詰めたいところだが、今ばかりは目を瞑ってユキエは彼らに指示を飛ばした。
「本部に突入した七瀬くんとは通信が繋がらなくなってしまった。だから、恐らくは本部内全域に通信障害が起こっているんだわ。レジスタンスの人たちと連絡が取れないのも、そのため」
『ジャミングか、或いは【異形】の魔力による妨害か……いずれにせよ、突入してしまえば外へ助けを求められないってわけですか』
都市の惨状を眼下に認めながらも冷静さを保っているアスマ。
彼のその態度をありがたく思いながら、ユキエは訊ねた。
「突入した後の現場指揮はあなたに任せたいわ。出来るかしら?」
『舐めないでください』
不敵に笑うアスマに「頼むわね」と返し、黒髪の少女は胸に手を当てて死者への弔いの言葉を心中で呟く。
自分たちが出たせいで、SAMが暴走して余計な死者を出してしまったのは事実だ。だが、事態を解決できる可能性が僅かでもあるのなら動かなければならないのが軍人だ。守れなかった者にはいくら詫びても足りないが――彼らの死を無駄にしないためにも、これ以上の惨劇は防がなければならない。
(魔法に詳しい者がいれば、【異形】の魔法のカラクリも見破れたかもしれないのに……)
脳裏に金髪の美少年の姿を思い返し、ユキエは自嘲の笑みを漏らす。
必要なピースが欠けている。彼女が仰いだ優秀な者たちは皆、ここにはいない。
「役者不足かもしれない……だけど、それでも、背負ったのなら最後までやり通すわ」




