第百四十四話 蠱毒の都市 ―"They're a person, return originally."―
都市の狂騒は拡散していく。
目に見えぬ魔力が人と人との間を渡り、その効力に当てられた者は皆一様に凶変した。
それはまるで感染症のように、彼らを無自覚のうちに苦しめていく。
「あああああああああッ!?」
「うおあああああああッ!?」
獣のごとく、吼える。狂う。
赤く滾る瞳は眼前の生命を奪わんと欲し、その爪であらゆるを切り裂く。
身体を得た【潜伏型異形】たちは皆、より力を求めてヒトを喰らわんとした。彼らの中には月居カナタと対話した者のように理智あるものもいたが、そうでない存在もやはりいた。
いや――むしろ、そうでないものの方が多い。彼らは所詮、実体なき思念体。身体をなくしてまで強い意志を保てる者は少なく、殆どは怨念などを残して彷徨っているだけに過ぎないのだ。
「ヒトは死ねば『それ』になる。肉体が死せども、脳の魔力量が多い者は亡霊……いいえ、魂となって世界に残留するの。ヒトの立場を捨て、彼らの声を聞けるようになってようやく分かったことよ」
『レジスタンス』本部地下、大空洞にて。
月居カグヤは誰に言うわけでもなく独白していた。
【潜伏型】の宿主となった彼女は彼らの存在を認知したからこそ、この計画の発動まで至った。
「理智ある【異形】の遺伝子は我々ヒトとほぼ同一だった。形は違えど、おそらく我々も【異形】も共通のルーツを持ち、理智ある者たちは特に我々に近しい種だった。【異形】は遠い星の存在だったけれど……我々人類も、遥か昔に同じ星からやって来ていたのかもしれないわね」
【異形】に関する知識を渇望した彼女がたどり着いた、一つの結論。
元来同じだったから、同様に魔力を扱える。言葉を使える。
「ふふふ、愛おしいわ……。私たちは同じ星に生まれ、同じ星に舞い降りた、同じルーツを持つ存在だったなんて。だからこそ、共に生きられる『可能性』がある」
地上では多くの【異形】たちがレジスタンス軍と戦っている。
地下では亡霊たちが生ける者たちを殺し合わせている。
その戦闘と殺戮に、人同士がぶつけ合う大義などない。あるのは唯一、生存本能。
「同じだからこそ奪い合う。それもまた、普遍的な結論。でも、それゆえに……命というものは、美しくあれるのよ」
血脈の闘争。
悪意の一切を排除した、純然たる生きるための欲求に従って戦う彼らに、カグヤは究極の美を見出した。
彼女は文明が生んだ知性と、それに溺れるばかりの人々を唾棄する。
あるがままの姿が美しさの至高だ。それこそが最も尊ぶべきものだ。ならば――
「あなたたちはね……原初に戻ればいいの」
*
『な、なんでっ、暴れだす人が増えてくの……!?』
真壁ヨリは驚愕する。
都市中央区角の上空を覆うように【防衛魔法】を展開した『学園』のパイロットたち。
しかし、魔力が発されていたのは本部の塔からではなく地下であったため、それは時間と魔力の浪費にしかならなかった。
「どうして気付けなかったの、私!? 皆のリーダーを任された立場にありながら……!」
冬萌ユキエは項垂れ、拳を操縦席の肘掛けに叩きつけた。
電波塔のイメージから、魔力も同様に拡散されているのだろうという先入観があった。それに引っ張られて「地下」という可能性を考慮できなかったのは、彼女の落ち度だ。
「彼らを狂わす魔力は地下から放たれているわ。ごめんなさい……見破れなかった」
『謝罪は後でしょ、リーダー! 出処が分かったんなら即対処しなきゃ!』
『そうだぞ、冬萌リーダー。それに、分かんなかったのは俺らも同罪だ。リーダーだけのせいじゃねえって』
謝るユキエに言うのは風縫カオルと日野イタルだ。
クラスメイトのフォローを受ける黒髪の少女は顔を上げ、頷く。
僅かの間に沈んだ意気を立て直し、彼女は手早く次の指示を打っていった。
今度は地表に貼り付ける形でのバリアの展開を行うようにする。
「位置取りに変更はないわ! そのままのポジションで、地面に向けて――」
『おいっ、冬萌!? 人が足元に群がってきやがってんだが、どうすりゃいい!?』
飛び込んできたのは毒島カツミからの報告だった。
そしてそれは彼のところのみならず、リサやサキ、他の生徒たちからも同様の声が上がる。
人々が渇望するのは魔力だ。その力を得るべくSAMに飛びかかり、爪を立てている。
『この人たち、どうするんですの!?』
『蹴っ飛ばすのは容易いけど、相手は人だし。かと言って、こうも群がってまとわりつかれると……』
魔法発動前に高まった魔力に反応し、彼らは殺し合いを中断してまでSAMへと向かってきていた。
生身の肉体では到底太刀打ちできないことにさえ気づけずに、闇雲に飛びついたり体当たりしたりしている。
一人二人ならどうということはないが、それが何十人にもなると話は別だ。揃いも揃ってぶつかってこられれれば、【イェーガー】だろうと揺らぐ。
「絶対に手を出しちゃダメよ! 私たちは人を守るために戦ってるの、決して人の血を流させちゃいけない!」
その状況を鑑みてもなお、ユキエは当然の大義を説く。
戦うべき敵を見誤るなと強い語気で言う彼女に、反論する者はいなかった。その思いは皆の根底にある、戦う理由だから。
「人々がぶつかってこようが、踏ん張ってポジションを維持して! ――【防衛魔法】、行くわよ!」
ユキエの叫びと共に、全員の意思が一体となる。
アスファルトの地面へ掌をかざし、彼らは魔法を実行へと移していく。
――が、そのうちの一機は腕をだらりと下げ、動きを停止させた。
「っ、何が……!?」
『『『――【防衛魔法】、発動!』』』
ユキエが異変に気づいた直後、不完全な布陣のまま【防衛魔法】は展開される。
中央区角全体を覆うはずだった防護フィールドはピースの欠けたパズルのようで、その欠けは一ピースにとどまらなかった。
「長塚さん、近藤さん、清水さん、応答して! 聞こえたなら返事を!」
しかし、ユキエの呼びかけに返答はなかった。
彼らの魔力反応は消えていない。にも拘らず、彼らは動けていない。聡明な少女であっても、そのわけはにわかに分からなかった。
『ユキエちゃん、何が……!?』
「三名からの応答がないの! 真壁さん、日野くん、石田さん、三名の元へ行って状態を確認して! こちらからのステータス確認では何の異常も見られなかったけれど、何かしらのアクシデントがあったはずだわ!」
SAMが起動しているということは、彼らは生きていて意識もあるということ。
なのに、何故――と、思ったのもつかの間だった。
『っ、うっそだろオイ!?』
『な、何でっ――!?』
驚愕と動揺の声がイタルとヨリの口から漏れ出た。
彼らが見たのは、決して信じられはしないような光景。
全速力で駆けつけた先でだらりと頭を垂れていた味方機が突如として顔を上げ、その銃口を自分たちへ向けてきたのだ。
一切の躊躇なく撃ち放たれる弾丸。鳴り響くは乾いた蛮声。
全く予期していなかった一撃に二人は回避を間に合わせることも出来ず、その銃弾をもろに食らってしまう。
『ぐうううううっ!?』
『あがっ……!?』
イタルは右肩を、ヨリは左膝をそれぞれ穿たれる。
「どうしたの、二人とも!?」
『……わっ、わっかんねえ、よ……! あい、つ、いきなり俺に、銃を、向けて……』
『ど、どうすれば……ユキエ、ちゃん……!』
イタルからの報告を受け、ユキエは周囲一帯を見渡すために近くの高層ビルへと『ワイヤーハーケン』を突き刺し、壁伝いに屋上まで登攀した。
「【防衛魔法】を使って!」
そう叫び、肩を押さえるイタル機と膝を突くヨリ機を確認したユキエ。
二人を撃った機体に乗っている長塚と近藤という生徒に、味方を撃つ動機などないはずだ。彼らはこの危機に立ち上がった勇気ある者たちである。断じて、人類の敵では有り得ない。
(味方を撃つ裏切り行為。そんな、ことが……)
有り得ない――とは、言い切れない。
『第一次福岡プラント奪還作戦』での敗戦は、瀬那マナカと似鳥アキラ両名の裏切りによって齎されたものだったのだから。
マナカに関しては不明だが、似鳥アキラについては【異形】への関与があったと御門中佐の証言によって判明している。
【異形】が都市の人を狂わせているとしたら、その効果がSAMパイロットに及んでもおかしくはない。
(マナカさんも【異形】に狂わされたかもしれないってこと……? いえ、それを考えるのは――)
眼前の問題を対処した後だ。
銃を無差別に乱射する二機の攻撃に対し、ヨリもイタルも自身を守るので精一杯。通りで暴れていた人、逃げ惑う人、どちらも構わず暴走狩人は撃ち殺す。
やむを得まい、とユキエは覚悟を決めるほかなかった。
「――あの二機を止めるわ。ベストは動きを完全に封じることだけど……それが困難な場合は、破壊するしかない」
ユキエの命令に一同は言葉を失う。
味方であるはずの機体を撃つ。これまでに考えたことさえなかった行動を前に、彼らは葛藤に駆られた。
だが、それでも――カオルは、ユキエの言に従った。
軍隊では上の指示が絶対である。学生の身であれど、SAMに乗っているなら立派な一兵士だ。ならば、規律に全てを任せるのみ。
「こうなったらやるっきゃないよ! アタシらが最優先に守らなきゃいけないのは、兵士よりも民間人なんだから!」
「おうッ!」
カオルの叫びにカツミが声を張り上げて応じ、二人の機体が先行して暴れだしている二機のもとへと走り出す。
彼らの迅速な行動を受け、躊躇していた他の生徒たちも地を蹴って飛び出した。
『チッ――こいつもか!』
舌打ちするサキが【防衛魔法】で防いだのは、瞳を赤々と燃やす【イェーガー】の弾丸。
先ほど動きを止めていた三機のうちの残る一機が、遅れて目覚めたのだ。
路傍の車を踏み潰してこちらへ向かってくるその機体に、サキは撃鉄を起こす。
『悪いね、あたしは容赦しないから』
手間も犠牲も最小限に。
その一念で彼女は照準を敵機の胸部――最大の急所である『コア』――に合わせ、一撃を放った。
空気を切り裂き、鋼鉄の弾丸が装甲を穿ち抜く。
『やりますわね、サキさん!』
『このくらいどうってことないよ。それより、あんたも気をつけな。魔力消費はかさむけど、【異形】の魔力から身を守るためにも機体に【防衛魔法】を纏わせておいたほうがいい』
サキの機体は薄らと緑色の光芒を帯びている。その魔力が地下より拡散している狂気の魔力から彼女を保護しているのだ。
一撃で僚機を沈黙させたサキの手際を褒めるリサは、その忠告にすぐさま従う。
他の生徒たちも同様に自らを守り、自身が新たな「敵」とならぬよう備えた。
が、しかし。
ドドドドドドッ――!! と鳴り響いた轟音が、彼らの戦慄を呼び起こした。
『な、何だ!?』
『これは――!?』
その音に彼らは聞き覚えがあった。
実戦試験の中で使用した、【異形】を征するための兵器が奏でる射出音。そして、爆撃音。
「――そんな」
直後、その爆撃を受けたビルは敢え無く崩れ、瓦礫の雨を降り注がせる。
たちまち広がる人々の悲鳴。逃げる間もなく圧死させられた者たちを前に、辛くも死を逃れた者たちは恐怖に身を凍らせ、或いはもつれた足で一刻も早く避難しようとした。
一体どこへ逃げるというのか? それすらも分からないまま、人々はただ逃げ惑う。
『あの機体を止めるよ! カツミ、「フォーメーションツインズ」!』
『おうッ!』
『ワイヤーハーケン』を駆使した立体機動で飛び回り、彼らは『対異形ミサイル』をもって爆撃を行った一機へと急迫した。
ビルの窓ガラスを吹き飛ばしながら壁と壁の間を蹴り進むカオル。
カツミはその背後にぴったり付け、残像のごとく彼女に続く。
『見てなよユキエちゃん! これがアタシの、アタシらの戦術!』
カオルもカツミも、優秀な兄姉と比較されて育ってきた。兄や姉に追いつきたい、そう願って走り続けても、彼らの才能には簡単には届かない。
機体の差も経験の差も歴然。戦いで結果を示し、仲間に慕われる人脈も兄姉の方がずっと多い。
だが、それでもカオルたちは諦めはしなかった。兄や姉と比べられても恥ずかしくないように、彼らと肩を並べられるようにと訓練を積んできた。
その一つの答えが――
『一人じゃダメでも、コンビなら!』
次弾の射出準備に入った【イェーガー】の視界の右脇より出でる、カオル機。
咄嗟にそちらへ砲口を向けた敵機に、カオルは鮮やかに銃口を向けた。
【イェーガー】もまた即座に銃を取り、狙いをろくに定めぬまま連射を浴びせんとする。
が、そんな動きを読めない彼女らではない。
『甘い、ぬるい、遅いッ! そんなんだから【異形】に惑わされちゃうのよ、アンタは!』
瞬間、カオル機の背後より飛び上がるもう一機。
直線上にちょうど位置していたカツミ機は敵側からは見えておらず、不意打ちのごとく彼は現れた。
カオル機の肩を容赦なく蹴り飛ばし、その機体を地面へと蹴り落とす。その勢いのままにカツミ機は空へ躍り上がり――その光景は敵からすれば、一機が突如分身したように見えた。
『上とッ――』
『下から――』
太陽を背に二丁の銃を構えるカツミと、弧を描くように火花を散らしながらアスファルトを削るカオル。
敵がどちらを狙うべきか迷った一瞬の隙を突き、二人は寸分たがわぬタイミングでの魔法を発動する。
『――挟み撃ちだよ!』
『【ツインズ・レイ】!!』
上からは毒々しい紫紺の魔力が乱れ飛び、下からは膝立ちのSAMが激しい緑風を巻き起こす。
カオルの豪風が檻となって敵機を封じ込め、逃げ道を失ったところにカツミの猛毒の雨が降り注いでいった。
やがて渦巻く風が止んだ頃――そこに残されていたのは、装甲の全てが腐食されて真紅の『コア』が剥き出しとなったSAM。
鎧を失ってもなお腕をわななかせ、銃口を上向かせようとするその機体は――斜め後方より飛来した弾丸の一撃に胸を貫通され、完全に動きを停止させた。
「……ごめんなさい」
狙撃手の役割を担ったユキエは呟く。
味方機を撃って止めを刺してしまったこと、それからリーダーでありながら真っ先に動けなかったことを彼女は激しく後悔した。
(何で、こんなことに……こんな戦いをしたくてパイロットになったわけじゃ、ないのに……!)
リーダーとしての最後の矜持がそれを声に出させなかった。
この都市は生き残った人類の希望であるはずだった。それが今や、狂乱の様相を呈した地獄へと変貌している。
世界はいつだって人の思うままにならない。それが自然の黙示であると、まだ十七の少女には受け止められない。




