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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第一章 始動

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第十四話 悪魔を喰らいし者 ―I believe you.―

 敵は二体の人型。動きはない。

 それだけ確認したカナタは銃剣を構え、目の前の『異形』へと接近しながら銃声を打ち鳴らした。

 

『――ワタシは、ここにいます』


 敵を認めて迷わず攻撃に移ったカナタに対し、パイモンは先程と同じ言葉を発した。

 その美麗な顔に、安堵したような笑みを浮かべて。


「っ……!?」

「カナタくん、惑わされないで! 人の言葉を操る者が味方であるとは限らないよ!」


 驚愕するカナタの操縦席の隣で、同乗しているマナカが強い口調で言う。

 カナタのメンタルケアを任された彼女は、ここに来るまでの間、カナタの『暴走』をどうにか抑えていられた。

 ――「何かが入ってくる」、自分の頭を抱えて少年はそう訴えていた。

 それが何かマナカには分からなかったが――今、こうして対峙して直感的に理解する。


(……『異形』が、関わってるの? 彼の頭の中に入ったっていうのは、あの『異形』……?)


 少年の息遣いは震え、乱れていた。

 血走った瞳は獲物を前にした獣のようで、小さく開かれた口からは鋭い犬歯が覗いている。

 

「あ、あああ……ッ!」


 低く発される唸り声。

 がくがくと揺れる操縦桿を握る手と腕。

 前傾姿勢でモニターに食い入る彼の視界には、少女は既に入っていない。


『はじめまして、ヒトの女王の子よ』


『異形』の中性的な声が少年を呼ぶ。

【蝶々のアリア】によって身体動作を制限されてもなお、二体の人型は眼前のSAMへと両手を差し伸べる。

 その行動にマナカやソラ、カノンは絶句した。

 人と対立するはずの存在が、人が乗る機械へと話しかけ、攻撃せずに接触を求めようとしている。

 奇妙だ、とマナカは思った。ソラは本能的な嫌悪感に襲われ、カノンはそこにいるのが『異形』なのか人なのか分からなくなっていた。

 少年は掠れた声で呟く。 


「お、お前は、誰、だ……?」



 問いかけ。接触に伴う手続き。

 頭の中に響く誰かの笑い声。誰かの泣き声。

 母親に抱かれる温もり。父親に撫でられる喜び。

 赤い隕石。熱い。鉄の肉体。冷たい。

 声が響き続ける。僕と遊ぼうよ。

 夕暮れの公園。一人の子供。

 誰も乗っていないのに揺れるブランコ。乾いて軋む音。

 

 ――誰かいる。


 少年は気づいたが、その姿が見えない。

 絶対に知っている。その者とカナタはどこかで会っていて、繋がっている。

 それだけは分かるのに、思い出せない。


 砂場で独り砂のお城を作る子供を、その者は見ていた。

 見えないものの存在を意識した瞬間、砂は崩れ去って、彼の記憶に基づく幻想もまた掻き消えた。



『ワタシは、パイモン。あなたの、名前をお聞かせ願え――』


 悪魔の言葉はそれ以上続かなかった。

 飛びかかった【イェーガー】の両手が二体の首根っこを鷲掴み、持ち上げる。

 みしみしっ、と鉄の爪がめり込んで『異形』の細い首をへし折らんとした。

 しかしパイモンは自身の身体に【強化魔法】を施し、その破壊に抗った。


『……ワタシたちのもとへ還りなさい、ヒトよ』


 何度もリフレインする声。男とも女とも取れない、ざらついているようで滑らかな、実態を掴めない誰かの声。

 それがパイモンの声と重なって不協和音を奏でる。少年を、呼んでいる。

 

「ぼっ、僕は……いいい『異形』を、たっ、倒さなくちゃいけないんだ。そ、それが、母さんの望みだから……!」


 引き寄せようとしてくる誰かの意思に、少年は反抗した。

 胸の奥底から突き上げてくる得体の知れない衝動を抑え込み、操縦桿が軋むほどの力でそれを握り締める。

 

(ここが、ここだけが、僕の本当の居場所なんだ――)


 母の呪縛が「SAMパイロット」としての彼を呼び起こし、自らの意思の主導権を握らせる。

 SAMは自分と母親を繋ぐ絆であり、父が遺した希望だ。彼は「見えないもの」を信じない。信じるのは――この、鉄の身体だけ。


『嗚呼……拒絶するのですね、ワタシを。ワタシたちを』


 二人の子の姿をした『異形』は、そう悲しげに呟いた。

 微かに潤んだ黒いつぶらな瞳は、憐憫の色を宿してカナタの【イェーガー】を見る。


『あなたはワタシたちと分かり合えるニンゲンです。あなたの魂はワタシたちと共鳴しています。仮想空間の情報ではありますがワタシの同胞に触れ、力を目覚めさせたのがその証。あなたは、ワタシたちと共にあるべきなのです』


 パイモンの発言にカナタは耳を疑った。

 分かり合える? 共鳴している? ――ありえない。ありえてはならない。

 月居カナタは人間だ。月居夫妻のもとに生を授かった、一人の男子だ。断じて、『異形』の同胞などではない。


『おい、どういうことだ、月居カナタ!?』

「ぼっ、僕は、何も……」

『本当に何も分からないんですか、月居くん?』

「ほ、本当に、何も知らない……」


 明確な敵意をもって訊いてくるソラと、刺のある声音で詰問するカノン。

 二人に対しカナタは判然としない口調で答えるが、その弁明が彼らに通じているとは思えなかった。

 

「カナタくん……君は、私たちの仲間だよね……?」


 操縦席の隣に立つマナカは、胸に手を当てまっすぐカナタを見つめた。

 それでも――彼女の瞳は揺らいでいた。これまで一度だってカナタを疑ったことのなかった少女が、彼へ猜疑の目を向けている。

 

「ぼっ、僕は……」


『覚醒』『暴走』。母親や担任が口にした単語が脳裏にちらつき、カナタは口ごもる。

 グラシャ=ラボラスを倒した際とその直後、そしてつい先ほどの観覧車の中でカナタは『暴走』状態に陥ったらしいが、彼はその時のことを覚えていない。

 自分の知らない間に自分の中の「誰か」がこの身体を乗っ取り、暴れているのではないか。

 その「誰か」とは何者なのか。幼い記憶に根ざす、「見えない者」か。

 ――分からない。月居カナタは、自分を知らない。


「……せ、瀬那さん。ぼぼ僕は、何? 僕は人間だよね? ぼっ僕は化物なんかじゃ、ないよね!?」


 少女を見上げ訊ねる。彼女が求めるものを与えてくれないと、分かっていながら。

 

「君は……人、だと思うよ。少なくとも、私はそう思う」


 自分でさえ知らないのに他人が理解しているはずもない。その言葉は、一時的な鎮痛剤だ。

 だが、気休めに過ぎないとしてもカナタの動揺は確かに落ち着いた。

 胸に手を当て、深呼吸を繰り返した彼は、目の前の『異形』へ問うてみる。


「い、『異形』と人間が和解できる可能性が、まっ万に一つでもあると、本気で思っているの? きき君たちは僕らの世界をめちゃめちゃにして、たくさんの人を殺したのに」

『……和解せよ、とは言いません。ただ、管理下に入ってほしいのです。その鉄の人形を捨て、ワタシたちに恭順してほしい』 

 

 パイモンの提案に、カナタは震える拳を操縦席の肘掛けに叩きつけた。

 管理下だって? ――ふざけるな。

 鉄の人形だって? ――馬鹿にするな。

 恭順などありえない。その先に人類の本当の幸せなど、どこにもない。


『怒っていますか? 「誰もいなくなったらいいのに」と言ったのは、あなたでしょう? あなたは他人が嫌いなのです。人が嫌いなのです。悪意を孕んだ人の感情を恐れ、憎んでさえいる。殺してしまいたいとすら、本心では願っている』


 パイモンはカナタの心を暴き、彼の友や上官の面前でそれを口にする。

 マナカと二人きりの観覧車の中でそう言ったのは、事実だ。月居カナタという人間が他人を恐れ、信じず、今も「表面的な付き合い」に徹しているのは、真実だ。

 彼が信じているのは母親だけ。しかしその母親を恐れる内心があるのも、彼は自覚している。


「だ、黙れッ……!!」

「カナタくん、敵の思惑に乗せられちゃダメ! 冷静になって!」


 閉じられた内面を無理やり露出させ、犯してくるパイモンにカナタは吼える。

 敵に心を侵食され、さらにはそこに少女の甲高い声が加わり――カナタの中で、何かが切れた。


「きっ、君も黙ってて、瀬那さん! ぼっ僕のこと、何も知らないくせに! ししし知った風な口を利いて、僕に近づいて、節操もなく身体で誘ってくる、汚い人間のくせに!!」


 喉が焼けるかと思えるほどの大声でマナカを怒鳴りつけ、少年は赤く血走った目で彼女を睥睨する。

 そんなカナタに対し、マナカは操縦席に横から身を乗り出して、彼の手を掴んで引っ張ると怒鳴り返した。


「知らないから何だって言うの!? 君のことを大切だと思ってるから、私は君を諌めるの! 確かに私は君のことを何も知らないし汚い人間なのかもしれない――けれど、この気持ちに嘘はないよ!」


「う、嘘はない、だって? そ、そんなの信じられるわけがないじゃないか! みみ、みんな僕を裏切ったんだ、僕を悪意をぶつける的に仕立て上げて罵倒して、追い込んだんだ! きっ君も犬塚くんも、神崎さんや七瀬くんだって、いつ敵になるか分からない! そ、そんな人たちを信じられるわけ、ない……!」


 少年の中の不安と恐怖が声として表出し、濁流となってマナカを呑み込んだ。

 未だ【イェーガー】に掴まれたままのパイモンがカナタの答えを黙して待ち続ける間、コックピットの二人は意思と意思をぶつけ合う。

 誰も信じられない少年に、少女は叫んだ。


「何があっても、私はカナタくんの味方でい続ける! たとえ君に嫌われたとしても、必要とされなくなったとしても、それは絶対変わらない! だって、私はカナタくんが好きだから――ロジックも何もないけど、この心が君の側にいたいんだって、訴えてくるの!」


 カナタからしたら、それは身勝手な押し付けかもしれない。

 だが、それでもマナカはこの思いを伝えたかった。あなたを信じ、愛し、味方でいる人間はここにいるのだと、知ってほしかった。

 涙をこぼしながら声を震わせる少女に、少年はかける言葉を逡巡した。


 ――本当に信じてもいいの?


 しかし彼の胸に湧き上がる感情を、記憶の底から現れる幼い彼が否定する。


 ――ダメだよ。どうせ、上辺だけだ。僕が信頼できるのは、母さんとSAMだけなんだ。


 泣いてばかりだった昔の自分。他人を嫌いになった自分。幼いカナタが作った心の障壁は、その向こうから手を差し伸べる少女を拒絶していた。

 そうだ。誰も、何も、信じてはいけない。頼れるのは自分だけだ。

 部屋の隅で蹲る少年は、孤独の沼にずぶずぶと浸かっていく。

 だが、その時――彼の脳裏に、一人の少年の姿が過ぎった。


 ――信じられる人は、いる。


 早乙女・アレックス・レイ。

 彼はカナタに嘘を吐かない。彼は他人としてカナタを認め、そして背中を預けて戦ってくれる人だ。

 レイに叱咤されたおかげで強くなろうと決意できた。彼のようになりたいと、憧れのような感情も芽生えた。

 カナタはレイを尊敬し、信じている。彼と一緒にいると、安心できる。好き、なのだと思う。

 果たしてその「好き」は彼だけの例外か――幼い自分にカナタは問うた。

 そして今、隣で答えを待っている少女を前に、少年はその心の壁を叩き壊した。


「ぼっ、僕は――き、君を、マナカを信じる! きっ、君に抱いたこの気持ちが『好き』ってことなら、僕はそれに従うよ!」


 緊迫していたマナカの表情が、その言葉に弛緩する。

 彼女に頷いてみせたカナタは視線をモニターへと戻し、捕らえた状態のパイモンへと言い放った。


「しょ、正直、君の言う通り僕は他人が嫌いだよ。でっ、でも、殺してしまいたいだなんて思わない! そ、そんなことをするくらいなら、僕は一人で死にたい! ぼ、僕は他人が怖いけど――それでも、守りたいんだ! きっ、傷つけたくなんか、ないんだ!」

 

 誰かを損なう悪意を少年は望まない。『異形』による破壊も、死も、彼の求める世界には必要ない。

 二つの顔に悲しげな微笑みを浮かべ、それからパイモンは瞼を閉じた。

 彼を味方に引き入れるのは不可能だと、悟ったかのように。


『では、ワタシを喰らいなさい、ヒトの女王の子よ。そうすればワタシは死に、この仮想空間や「エルⅢ」と呼ばれるコンピュータへのクラッキングも解除されます』


 開かれたパイモンの眼光が赤く煌く。瞬間――その光をモニター越しに視認したカナタの心臓が、どくん、と一際激しく脈打った。

 喘ぎ声が漏れ出る。これまで引いていた頭痛や吐き気がぶり返す。視界が奇妙に歪み、身体ががくがくと痙攣を始める中、カナタは無意識のうちにコンソールに指を這わせていた。


「カナタくん!? 何を――」


 マナカの声はもう、届いていなかった。

 解放された獣性に従って少年は捕食行為を執り行う。

 唸り、人のそれとは思えない咆哮を上げたカナタは、両手で掴んだ『異形』の肉体にかぶりついた。

 バキリ、と骨が噛み折られる不快音が鳴る。『異形』特有の緑色の血液が流れ落ち、その機体を汚していく。

 人の子供のような身体がSAMに食い尽くされるまで、さして時間はかからなかった。

 マナカは見ていられないと目を背け、カノンは呆然とし、ソラは静かに瞠目する。

 SAMによる『異形』の捕食――前代未聞の光景を前に、彼女らの時間は停止した。


『オオオオオオオオオオッッ――――――――!!』


 獣の遠吠えのごとき【イェーガー】の砲声が、『第二の世界』に響き渡る。

 その捕食が何を意味し、月居カナタという少年に何を与えたのか、この時はまだ、誰も知らなかった。

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