第百三十四話 賢しきヒトの子 ―The stage which falls―
御門ミツヒロが出撃の直前に見据えていたのは、戦車に座すベリアルと、彼が放った魔の手に囚われた【ミカエル】。
これから行う作戦は『ベリアル』を倒すための『舞台作り』だ。
ナツキから託された策を頭の中で反芻し、覚悟を決めるその時――青年は親友との会話を脳裏に過ぎらせていく。
『……ミツヒロってさ。ぼくのこと、ほんとに好きだよね。色んなとこ連れ出して、いろんなこと一緒にやって、色んなこと喋って。ぼくが振り向かないって、分かってるくせに』
別に、ただ友達として仲良くしてるだけだ――ミツヒロがそう言うと、アキラは柔和な笑みを浮かべた。
その表情にドギマギしてしまうミツヒロを面白がるように目を細めて、ポケットを弄る。
『これ、あげる』
「飴? お子ちゃまじゃあるまいし……」
『ぼくからしたらそう見えるってこと。いい悪友だよ、きみは』
ふわふわのパーマがかかったミツヒロの金髪をくしゃくしゃと掻き回すアキラ。
子供じゃないのに、とミツヒロは胸中でまた呟くも、それを言葉には出せなかった。
『きみがいてくれて、これでも本当に助かってるんだよ。ぼくと真正面から向き合ってくれるヒトはきみくらいだ。きみのおかげでぼくは、ぼくらしく生きていこうって思えるんだよ』
アキラが【異形】に心を蝕まれ始めた時期がいつか、ミツヒロは知らない。
だがその影響を強く受け始めたのがあの学生時代ではないことは、断言できる。あの頃のアキラはいつも楽しそうに笑っていた。その笑顔が見たくてミツヒロは休みになると彼を遊びに連れ回した。三年間の学園時代で苦楽を共にしてきたのはかけがえのない思い出だ。
彼が変わってしまったのはおそらく、軍に入ってからだろう。
昇進するにつれて職務に忙殺され、プライベートな付き合いの時間は殆どなくなった。軍の中にはアキラの性別を理解せず揶揄する者――特に年配の上官――もおり、それが彼にとってのストレスになっていたのだ。
それでもミツヒロは何もしてやれなかった。激務の合間にある束の間の休息で昔のように遊ぶ余裕は最早なく、泥のように眠るばかりだった。ミツヒロが佐官に昇格してもアキラは中尉止まりで、その辺りから「上司と部下」の間柄になった。
自分が離れなければ。もっとそばに居て、安心させてやれていたら。彼が裏切ることも、なかったかもしれなかったのに――。
(アキラ……俺はお前に、また会いたい。もしもやり直せるならば、お前ともっと沢山話し、お前の気持ちに寄り添ってあげたかった。間違ってばかりの俺に、何かを言う資格なんてないかもしれない……だが、それでも)
瞼を固く閉じ、ミツヒロは決意の言葉を心中で呟いた。
これから掴む勝利はお前に再会するための第一歩だ――そう言い聞かせ、瞼を引きちぎる。
心は凛と凪ぎ、視界はそれを投影したかのようにクリアだ。
半透明な黒の防壁越しにベリアルを見据えたミツヒロはナツキ機の肩を叩き、短く言う。
「行こう」
『了解です』
合図と同時に防壁が解除された瞬間、ラミエルの機体は色を失い空気に溶け合った。
光学迷彩によるステルス機能。第一級【異形】をも欺く、彼の十八番の一つである。
「いざ勝負、ベリアル!」
ナツキは高らかに宣戦布告し、大盾を構えて果敢に飛び出していく。
威勢良く攻撃に転じた彼にベリアルは薄く笑み、【ミカエル】を自身のもとへと引き寄せると漆黒のオーラをドーム状に展開した。
触れた攻撃を別の場所へ転移させる、ワームホールを応用した防御。ミツヒロの光魔法をもってしても打ち消せない、現状ではこちら側に突破手段のない絶対の壁だ。
『さあどう来る、ヒトの子よ! 少しはワタシを楽しませてくれたまえよ!』
戦いを享楽としか思っていないような魔神の口ぶりにナツキは眉を顰める。
彼は盾を構えて飛びかかる動作から一転、急ブレーキをかけて足底部のホイールを高速回転。砂煙を上げて後退していく。
『ワタシは人参を追いかけて走るロバではないぞ? ヒトの子よ』
わざわざ飛びついてやるほどベリアルは愚かではない。
それはナツキも織り込み済みだ。彼の役割は敵の注意を自分に向けさせること、それだけ。
「だが鉄人形には食いつく! そうだろう、賢しき【異形】!」
挑発は惜しまない。大した効果がなくとも、それで僅かでも敵の精神に揺らぎを起こせれば十分だ。
腰から抜いた銃で煙幕弾をばら撒き、一帯を黒煙で覆い隠す。同時に『魔力銃』で幾つもの炎属性の魔力弾を地面に打ち込むのも忘れない。
敵が黒いオーラの防壁を張ったまま動かないのをいいことに、手早くフィールド作りを済ませていく。
「守ったまま動かないのか、ベリアル! 理智ある【異形】も思ったより腑抜けだな!」
煙幕の中に響く銃声。
敵は防壁の向こうで身構えただろうが、これは空撃ちだ。どうせ撃ったところで防がれる。
視界は黒煙に塗りつぶされ、地面に打ち込んだ魔力を帯びる弾丸が絶えず高熱を放出し、感覚を少しずつ狂わせていく。
それでもベリアルは動かない。いや、動けないのだとナツキは断じた。
(通常の防衛魔法は展開したまま発動者が動ける。しかし、あれは異なる。あれは自身が纏うバリアなどではなく、その座標に設置する仕掛けのようなもの)
つまるところ、あの『転移膜』――便宜的にそう呼ぶことにする――のドームを展開している間はベリアル自身動くことができないのだ。
それを展開したまま外部に出るには、『転移膜』に内側から触れて予め設定しておいた転移先に繋がるワームホールへ運ばれるしかない。
それが分かっているならば、あとはワームホールが現れる瞬間を逃さぬように警戒網を張っていればいい。
(ワームホールの出現には確かな予兆がある。出現数秒前から起こる、魔力の微かな揺らぎ……それを捉えられれば、一撃を叩き込める)
あの黒い穴が現れる光景は戦いの中で嫌というほど目にしてきた。『第二の世界』でのベリアルの戦いも、ナツキは繰り返し映像を見て学んでいる。
『超人』として来るべき邂逅に備えてきた彼だからこそ、ここまで冷静に敵を炙れる舞台を演出できているのだ。
ナツキはフユカのような突き抜けたパワーも、ハルのような圧倒的な速さも、アキトのように攻守の魔法に長けているわけでもない。
他の三人が持つ敵に止めを刺すに足る力は、彼の機体にはない。あるのは他より優れた防御力だけだ。
だが、彼というパイロットにはそれを補って余りある武器がある。
それこそが知略と観察眼。そして焦らずに戦況を見通せる鋼の心。
(私に力を貸せ、『ロックオン』)
そう呼びかけた相手は、彼が心に飼っている男性の【潜伏型異形】だ。
初めから『超人計画』の全容を聞かされていた彼は「母」に認められたことによる矜持をもって、心を律し、『薬』に頼らずとも【異形】を自らの制御下に置いてきた。それでも時折振り回されることはあったが、一度たりとも『暴走』を起こさなかったのは彼の精神力の証左だと言って間違いない。
『久々に呼んでもらえて嬉しいぜ、ボーイ』
(軽口を叩いている暇はない。周辺に現れるであろう魔力反応――それを発見し次第、照準を合わせろ。『コア』システムへの干渉はできるな?)
『お安い御用さ。どんなヤツにだって狙いをつけてやる』
名に恥じぬ自負だ――そう内心で言いつつ、ナツキは敵の動向に細心の注意を払った。
通常種のそれとは異なり、理智ある【異形】は戦いの中でこちらの手を読もうと思索する。ヒトよりも遥かに強大な力を有し、ヒトと同等の知性を持つ――並みの兵ならばそう聞いただけで怖気づいてしまうような相手だ。
だが、それゆえに導き出せる勝機があるのだとナツキは見抜いている。
敵の「読み」を考慮に入れた駆け引き。敵の頭脳が優れていればいるほど嵌るであろう策を、ナツキは既に用意していた。
(焦るな。時を待て)
先に焦れた方が負けだ、とナツキは弁えていた。逸りがちな少年の心を殺し、彼は静かに移動しながら射撃の空撃ちを続行し続ける。
(私は『超人』だ。ヒトの子などではない)
*
ベリアルは嗤っていた。
ナツキの空撃ちも煙幕の目くらましも、所詮は子供の浅知恵だと彼は嘲る。
(そんなもので動揺するほどワタシは小心者ではないよ。それに……煙幕があろうと、移動すれば空気中の粒子は動く。この魔眼がそれを見逃すと思われたのは、残念だ)
魔力による熱を拡散させ、機体が放つ熱を誤魔化すための隠れ蓑にする――熱探知を想定したその策は賞賛に値する。
だが、煙幕と併用したのが却って仇となってしまっている。折角の光学迷彩もそれでは台無しだ。
(二時の方向に黒い機体。そして背後、七時の方向にステルス機。さあ、どう出るかな)
ベリアルには敵機の位置が完璧に把握できていた。
こちらの魔力にはまだ余裕があり、しばらくはワームホールの防御を展開し続けられる。
(わざわざ顔を出してやるほど馬鹿ではないよ、ワタシは)
敵の揺さぶりになど構わず、悠々と鹵獲した【ミカエル】の『コア』を侵食していればいい。
警戒は絶やさぬままベリアルは魔手が握り掴んだ小型機を見上げ、舌なめずりした。
その機体の頭部へと掲げた手をかざし、指先より黒い魔力のオーラを放出する。
「ふふふっ……ワタシのものとなれ、忌々しき方舟より生み出されし頭脳よ」
*
ミツヒロはナツキから授かった「策」を胸中で何度も反芻しながら、じりじりとベリアルの周囲を巡るように移動していた。
鳴り響くのはナツキが放つ空撃ちの銃声と、それに紛れて一定間隔で撃ち込まれる『魔力銃』及び煙幕弾の音。
上空から襲い来るであろう『飛行型』たちは先ほどカノンがパイモンへと放った【蝶々のカノン】の余波を受け、動けずにいる。舞台は完璧に整った――青年は手応えを確かにして、与えられた役割を着々と果たしていった。
*
円を描くように移動しているミツヒロの挙動に「何か仕掛けている」と感づいたベリアルだったが、それは放置しておいて【ミカエル】への干渉を続行した。
人類側のSAMに対抗するために、その解析は急務となる。その好機をみすみす逃すわけにはいかない。
「抗うか、ヒトの子よ。だが……どこまで持つかな」
コアと接続しているパイロットの意思が、ベリアルの魔力の侵攻を阻害している。
敵のパイロットはベリアルの魔法を『第二の世界』で目にしており、それゆえに対抗属性となる光の魔力での妨害を果たせたのだ。機体が動かせずとも諦めないユイの姿勢に感服しつつ、それでもベリアルは自らの勝利を疑わなかった。
「キミがワタシを知ったように、ワタシもキミにまつわる知識を得た。前回の邂逅で半ばまで遂げた解析でね」
刘雨萓が得意とし、【ミカエル】の十八番である魔法は炎属性。対するベリアルが今使っているのは闇魔法で、彼はそのエキスパートだ。
専門属性で攻めるベリアルと、非専門の光魔法で守るユイ。どちらに分があるかは明白というもの。
コックピット内で痛苦に呻く少女の声を想像し、ベリアルは嗜虐的な笑みを浮かべた。
汗を滝のように流し、顔を赤らめ、脳に走る痛みに必死に耐えて抵抗するヒトの姿。そんなものは実に醜く、救いがたいものだとベリアルは思う。
「ワレワレに迎合すれば戦いの苦痛もなくなるというのに……無駄な抵抗さえしなければ、キミたちを生かしてやるというのに。どうしてそうも愚かなのかね、ヒトは」
異星から放逐されてやって来た、人類の上位種こそが【異形】だ。かの星の民よりもずっと脆弱な地球のホモ・サピエンスにとって、【異形】たちは神にも等しい超常の力を有した存在。
それが魔力に目覚め、SAMという力を得、歯向かってくる――その構図は誤りなのだと魔神は呟いた。
「抵抗力を得たからヒトは修羅の世界から逃れられなくなった。戦いを選んだからこそ、不必要な痛みを刻まれることになった。ヒトが変わらぬ限り、世界は涙を流したまま……理解してもらいたいものだよ」
ベリアルの一言一句を否定するように、機体の隙間から侵入して『魔力液』に混ざる黒い魔力の流動が、止まる。
ヒトで言うところの血管の「弁」を閉じ、汚染された魔力が『コア』まで至らないようにされたのだ。
だがそれは、機体の演算能力の全てを手放したに等しい行為だ。血流が送られなくなった脳はやがて、機能停止する。
「自ら死を選ぶか、鉄人形」
ベリアルには理解の出来ない行為だった。命を繋ぐことよりも矜持を選ぶヒトの「感情」は、呪いのようだと彼は思う。
機能停止した『コア』は生き返らない。どれだけベリアルが魔力を送り込もうとも、復活させる手立てはない。
「まぁ、良い。敵の一機を機能停止に追い込めた……結果としては上々だろう」
顰めた眉を緩め、笑みを口元に貼り付けるベリアル。
と、次の瞬間――激しい震動と同時に鳴り響く轟音に、彼は目を剥いた。
「っ、これは――!?」
魔神を乗せる戦車ごと、地面が崩落していく。
*
ワームホールによる防壁は魔神および戦車の接地面には展開できない。
何故なら、触れたそばから別のどこかへ転移させられてしまうから。
防壁が足元に貼れないならば、足場を崩してやればいい。
「やったか……!」
円を描くようにベリアルの周囲を歩いていたミツヒロの行動は、このための布石だ。
彼は【ラミエル】足底部の魔力噴射口から炎属性の魔力を撒いており、機を見てそれを一挙に起爆させた。
ナツキが戦場へ炎の魔弾を無作為に撃ち込んでいたのは、その隠れ蓑とするため。
「……」
砂煙を上げて崩落する地面に沈みゆく黒いドーム。
それを見下ろすナツキは敵の移動に備え、すぐに視線を上空に向ける。
直後、予測に違わず先ほどミツヒロの光魔法が吐き出された位置から、戦車に座す魔神が出現した。
『狙い撃つぜ、ボーイ!』
迸る緋色の光線が戦車の土手っ腹を穿ち抜き――そして、爆発を巻き起こす。
自身の中に生きる【潜伏型】のサポートを得て目標を射止めたナツキは、木っ端微塵となって爆風に呑まれる戦車と魔神に目を眇めた。
戦車の破壊に伴い、溢れ出た魔力が爆心地より戦場へ伝播する。
大盾を構えたにも拘らず、機体を軋ませ痛みを呼び起こす黒いオーラ。懸命に踏ん張って衝撃に耐え、身体を焦がすような熱に抗うナツキは、空中のその一点を睨み据えていた。
「……ベリアル」
爆風が止み、闇の魔力の放散も収まった頃。
そこには戦車を失ってもなお生きている魔神の姿があった。
『ふふっ……よく考えた、ヒトの子よ。だが、それでワタシを仕留められると思ったのなら間違いだ』
「間違いだとしても構わない。私の狙いは、お前を倒すことではないのだから」




