第百三十三話 皇女の信念 ―"Burn a heart."―
空を黒々と覆うように出現し、光線を見舞ってくる『飛行型』の軍勢。
それに加えて超火力の魔力光線砲をもって攻めてくる、敵側の【イェーガー・空戦型】。
第一、第二、第三師団の飛空艇の進行は、彼らの妨害のために遅々として進んでいなかった。
苛立ちを募らせるマトヴェイ・バザロヴァ大将はその胸中を隠せてはいるものの、部下たちへの鼓舞をしている余裕は既にない。
「っ、右舷に被弾! 損傷は軽微!」
「整備班は直ちに修復を! 北島大尉、『アイギスシールド』の魔力をその箇所へ集中的に回しなさい!」
オペレーターの悲鳴じみた報告にマトヴェイは力強く指示を飛ばす。
太陽が中天に昇っている今は、戦闘開始から既に三時間あまりが経った頃だ。『アイギスシールド』の連続使用により、飛空艇の乗員たちには疲労の影が見え始めている。
だというのに、師団の進行は予定よりも大幅に遅延していた。本来ならば今頃は『プラント』に到着し、そこで最終決戦に臨んでいたはず。それがこのような前哨戦に時間を割かれようとは――マトヴェイは【異形】たちに罵声の一つでも浴びせてやりたい気分だった。
「ソラ、まだやれる!?」
『正直きついですよ、大将! 流石の俺でも、こうまで魔力を使っちまうと……』
【サハクィエル】パイロットへ通信で訊ね、その返答にマトヴェイは歯噛みする。
今、この戦場にはソラの換えになる人材は【ドミニオン】の二名しかいない。その二名もソラと同じく激戦の渦中にあり、穴埋めとしては使えない。
「無理を承知で言うけど、もうちょっと踏ん張ってくれる? まずは何としても目的地に到着できないと、話にならない」
『そりゃ、そうですが……でもっ……』
「これは命令よ、風縫ソラ中佐」
『ああっ、分かってますよ! やればいいんでしょう、やれば! なんせ俺は空を統べる天才パイロットなんでね、そんくらい当然余裕ですよ!』
今すぐにでも彼を退かせてやりたい思いを封印し、マトヴェイ・バザロヴァは軍人として過酷な選択をソラに強いた。
厳然と、冷然と言う大将にソラは反駁せず、ヤケクソになったかのような口調で応じる。
魔力切れを気にして抑え目な威力の光線で【イェーガー・空戦型】の一機を狙い撃った【サハクィエル】をモニター越しに見つめながら、マトヴェイは心中で勇敢な青年に謝罪の言葉を連ねた。
*
「【祈りよ、汝の血肉となれ】――【リリーフプロテクション】!」
一方、第二師団飛空艇上では皇ミコト少尉の【ガブリエル】が、隊列を組んだ空軍二個小隊へと魔力回復魔法を行使していた。
消耗しては回復を繰り返し、持久戦をものともしないミコト指揮下の部隊は今や、第二師団の防衛の要であった。
だが裏を返せば、彼女が失われればその防衛ラインが一気に崩壊しかねないということでもある。
「――また来るぞッ、ミコトさまを守れ!!」
狙い違わず突き進んでくる魔力光線砲の一撃を前に、横列を組んだ【空戦型】五機が『アイギスシールド』を展開する。
ほぼ同時、直撃。
光線砲は広がった虹色の防壁にぶつかって屈折し、その軌道を逸らした。
「ぐっ!?」「がはっ……!?」
が、その威力に耐え切れず防壁は崩壊し、発生した衝撃波が兵たちを吹き飛ばした。
ミコトの回復がなければ持たない、限界間近の防衛。
少女の悲痛な声が落ち行く彼らを呼び、もう何度目とも知れない回復魔法の光が降り注いでいく。
(わたくしばかりが狙われて、皆さんを何度も辛い目に遭わせてしまっている。わたくしが自力で戦えず、力を与えることしか出来ないばかりに……)
いつしか作戦は敵を倒すよりもミコトを守る方に傾き、前進から遠ざかってしまっている。
ガブリエルの支援を完璧に活かせるだけのスペックを持つ機体がそばにあれば、もう少し状況が好転したかもしれないのに――ミコトはそう惜しまずにはいられなかった。
最大の脅威であるベリアル討伐が何より優先されるのは間違いなく、そのためにレイを行かせたことも誤りではないと彼女は思う。だがそれでも、レイが隣にいてくれたらとどうしても願ってしまう。
(あなたの微笑みを、優しい言葉を思い返すだけで……わたくしは、戦い続けられます。たとえ、無謀な試みになろうとも……このまま散るよりかは、マシでしょう)
桃色の輝きを帯びる翼を大きく広げ、その威光を【異形】らに見せつける【ガブリエル】。
掲げた槍が灯す目がくらむほどの光輝は飛空艇上から眼下の戦場へと行き渡り、ミコトの意思を敵味方問わず全てに示した。
『み、ミコトさま……!? 何をなさるおつもりで――』
「わたくしも武器を執り、戦います。この槍が飾りではないということ、【異形】さんたちに教えてやらねばなりません」
ミコトは女性皇族でありながら、自ら志願して幼少期から武道も嗜んできた。【異形】がこの世にいる限り、人類の戦いの歴史は終わらない。皇族として己の力で国を、民を守りたい――その信念をもって彼女は自分を鍛え、どんな戦いにも対応できるよう研鑽してきたのだ。
魔力は出来うる限り味方の支援に当て、戦いは可能な限り肉弾戦のみで行う。
皇ミコトの全てを出し切らねば、この戦に勝利はない。
「あなたが隣にいなくとも、わたくしは皆と共に希望を掴むと誓いますわ! ――皇ミコト、【ガブリエル】、舞います!」
叫び、ミコトは飛び立った。
大量の『飛行型』が飛び交い敵機が好機を狙うスクランブルな戦場に一人、少女は出撃していく。
使命感の権化となった彼女は乱れ撃たれる光線の雨を掻い潜り、『飛行型』の一団に肉薄。
すれ違いざまに槍を振り抜き、血しぶきの円弧を描いていく。
「はああああああッ!!」
裂帛の咆哮を上げる皇女の進撃。
振るわれる槍は戦士たちの御旗となり、風穴を切り開いて彼らを先導した。
桃色の光輝の尾を引き、目視することさえ困難な速度で敵を掃討していくミコトの姿は、まさしく彼の『阿修羅』こと生駒センリを想起させるほどの威容を放っていた。
「あの速度は――!?」「ご自身に【ガブリエル】の加護をかけていらっしゃるのか!」
彼女が敵を倒すために割く魔力は、自身を強化する【リリーフプロテクション・破】のみ。
瞬間的に通常の数倍の出力を実現できるようになる『付与魔法』をもって白兵戦を仕掛けるミコトに追随できる者の存在は、この戦場にはなかった。
ビームを視認したそばから躱し、敵の大きな眼球を貫き殺す。メガランチャーの照準を合わせている【空戦型】にも容赦なく襲いかかり、コックピットのある頭部へと穂先を突き込んで爆砕させる。
その戦闘に慈悲はない。支援のみならず自らも戦場に躍り出た彼女からは既に、優しさの欠片も残っていなかった。
「あの速度で飛ばれていては相当なGがかかっているはず。華奢な殿下がそれに耐えられているなど信じがたいことだが……これも『奇跡』がなせる業か」
その戦いを目にして呟くのは彼女の指揮下にある第七小隊の隊長である。
彼らは皆一様に畏怖していた。皇ミコトこそが奇跡の体現者なのだと、疑わずそう信じた。その力、その強さは、まさしく天の頂に立つに相応しいもの。
「どこまでもお供いたします、殿下! ――行くぞ、お前たち!」
「「「はっ!!」」」
改めて忠義を誓った兵士たちが、これまでの疲労を感じさせない精彩に満ちた機動で敵の迎撃へ臨んでいく。
飛空挺から少しでも敵を離すべく、彼らは隊列を保ちながらその防衛ラインを徐々に前へと上げていった。
「『対異形ミサイル』、撃――!!」
「砲手下がれ、魔導士隊前へ! 魔導砲撃開始!」
ミサイルが撃ち出されたかと思えば、間髪入れずに魔導士――魔法特化のパイロット――による炎や雷、氷属性の砲撃が迸る。
空を走り抜ける砲撃の数々が雑兵を一掃し、小爆発の連鎖で皇女の進撃を赤々と彩った。
その爆音をファンファーレに敵SAMの目前へと急迫する【ガブリエル】。空軍小隊が放つ砲撃から逃れるべく敵が高度を上げたその刹那、彼女の一撃は一機の頭蓋を貫いていた。
「【異形】とは違い、SAMには絶対的な数の限りがある。数さえ減らしてしまえばこちらのものですわ!」
敵SAMの武装であるメガランチャーは大いなる脅威だ。だが、それは数人がかりの『アイギスシールド』で軌道を逸らせられる上に、連射が不可能な代物。おまけに機体本体の性能はこちらの【イェーガー】と変わらないため、最新機にさらなる強化を乗せてある今の【ガブリエル】には到底追いつけない。
(【リリーフプロテクション】の効果終了まで残り120セコンド。その時間でどれだけ敵機を減らせるか――)
敵は各機が散開している上に、いざとなったら『飛行型』の群れに雲隠れしたり、最悪ワームホールで逃走できる。
圧倒的な能力差を誇示する【ガブリエル】であっても、その全てを制限時間内に討伐することは不可能だろう。
それでも、皇ミコトはやれるだけのことを全力で行うのみだ。
「はああああああああッ!!」
闘気を燃やし、槍を構えて突撃する。敵の魔力光線砲が放つ極太レーザーを旋回して回避、撃った反動で軽くノックバックしている機体へ一撃を叩き込む。
敵機の爆散を横目にすることもなく、彼女は次なる獲物へと向かっていった。
これまでの戦いのなかで、【異形】側のSAMは決して味方を撃つことはないのだとミコトは気づいていた。だからこそ、こうして各個撃破が出来ている。敵が無人機なのか単にこちらの通信に応答しないのかは分からないが、どちらにせよ利用しない手はない。
「――ッ!!」
脳に鋭い痛みが走る。視界が一瞬くらみ、呼吸が荒く乱れる。
魔力の過剰使用による症状がミコトを苛み、彼女を戦場から解き放とうと囁いてくる。
お前の限界はもうすぐだと嘲笑う戦の神の声を、少女は聞いた。
――まだです、わたくしは……!
皇ミコトは象徴。かつての月居カグヤのように人々を導き、奮い立たせ、希望を与える――それこそが彼女があるべき姿にほかならない。
強く、優しく、人々を救う守護者として凛と立つのがミコトという少女だ。決して、折れた姿は見せられない。
「わたくしの戦いは――思いは、決して潰えませんわ!」
いずれ父から受け継ぐことになる、立場。
国民から向けられている、友愛。
兵たちから受け取っている、無償の信頼。
そして――友から貰った、親愛の情。
それら全てを背負って、皇ミコトは覚悟を吼えた。
「想いの炎を燃やすのです! たとえこの身が灰になろうとも、誇り高く戦い続けますわ!!」
オーバーヒート寸前の腕が軋み、不規則な鼓動は胸を突き刺すような痛みを少女に課す。
赤い涙が目から滴り落ち、血の混じった息を吐いてもなお、彼女は絶対に止まらなかった。
一機、一機、また一機。彼女の決死の猛進が、敵機を撃沈させて爆炎の花を咲かしていく。
もはや【ガブリエル】に追い縋れる者はどこにもいない。敵も味方も全てを過去にした少女は、光線乱舞す戦場を駆け抜け――レーダーが観測する残された一機の首根っこを薙ぎ払った。
「これがッ、わたくしの……わたくしたちの、思い……!!」
硝煙を撒き散らして爆発していく最後の一機。
爆風にマントを激しくはためかせる【ガブリエル】はその瞬間、【リリーフプロテクション】の限界時間を迎えて停止した。
もう動かない身体を操縦席に預けるミコトは、霞む目で赤く警告表示しているモニターを捉える。
刻まれるアラートの不快音を気にする余裕さえなく、彼女は重力になされるがまま墜ちていった。
(……わたくしの戦いは、人類のためになったでしょうか。わたくしの命は……どれだけの兵士を守れたでしょうか)
死を悟ってもなお、ミコトは自分でなく他人を思った。それは彼女の心からの言葉だった。
彼女の許嫁の蓮見タカネなどは、それを「厳しい教育が形成した精神だ」と明言するだろう。だが、それは彼女の本質を見ない言葉だ。皇ミコトは与えられた情報を与えられるがまま飲み込む少女ではない。皇室という特殊な環境で育てられながらも積極的に民に触れ、彼らと同じような音楽に夢中になり、彼らからの温かい言葉を受け取って育った彼女だからこそ言えた、イノセンスな博愛精神。
(嗚呼……陛下。叶うのならば、あなたに……勝利を、報告したかった)
満身創痍の微笑みに、一抹の悔しさが混じる。
見つめた空に『飛行型』の影は薄れ、中天を過ぎた太陽が眩く彼女を照らしていた。
「……美しい。愛おしいほどの、澄み渡った、蒼穹……」
その青は自分が愛した少年の瞳と同じで、彼の穏やかな笑顔を思い出して、どうしようもなく手を伸ばしたくなる。
叶うならば彼に会いたい。刹那の間でいい、その温もりを享受していたい。そばにいて手を繋いでもらえれば、それで構わない。
「……レイ」
彼女が少年の名を呟いた、その時だった。
激突の衝撃が訪れるよりも先に、奇妙な浮遊感がミコトの背中を包み込んだ。
『ミコトさん聞こえるー? もし生きてたら、応答よろしくー』
相手が皇女であっても物怖じしない馴れ馴れしい口調には、ミコトは微かに覚えがあった。
毒島シオン陸軍中佐。蜘蛛をモチーフとした『毒の雨』を降らすSAM【マトリエル】のパイロットである、奔放で破天荒な女性だ。
「わ、わたく、しは……」
『辛そうだね、もういいよー。すぐに衛生兵に移送を頼むから、ちょっとの間辛抱しててねー』
【異形】の群れの間隙から覗ける空は、変わらず青い。
それを眺めて微かな笑みを浮かべたミコトは、瞼を閉じた。
自分を魔法――強靭さと柔らかさを併せ持つ糸を張り巡らせる、【マトリエル】の専用技――で受け止めてくれたシオンに、彼女は心中で感謝の言葉を捧げた。
「敵SAMは全滅した! 全軍、全速前進!!」
「【グングニル】、【レーヴァテイン】共に照準! 残る『飛行型』および地上の第二級以下を掃討します!」
第二師団の長である生駒センリ少将の号令を皮切りに、全師団がこの時を好機と見て動き出した。
ミツヒロらがベリアルと交戦している成果か、先程から新たに出現するワームホールの数も減ってきている。形勢は逆転しつつある――確かな手応えと共に、彼らは残り十数キロを切った目的地への前進を押し進めた。
「【サハクィエル】と【ドミニオン】二機を下がらせて! 少しでも休憩させてやらなきゃ、本丸での戦いに耐えられなくなるわ!」
これまで奮戦し続けてきたソラ、ハル、フユカの三名は、マトヴェイの指示で飛空艇に帰投。『プラント』に到達するまでの短い時間ながら、『メディカルルーム』にて魔力回復処置を受けた。
「問題は、ワームホールの向こうに飛んだミツヒロくんたちね」
シズルが憂慮するのはベリアル討伐の役目を託した若きパイロットたちの命運だ。
彼らとは電波でも魔力でも通信が叶わず、シズルたち側からはその状況を知ることができずにいる。
開けた道へ突き進み、『レジスタンス』は悲願を果たさんとする。
その行路の先に待つものの正体も、そこにある脅威のほども知らずに。




