第百三十二話 運命の宣告 ―"For everything, preparation"―
「宇多田中佐!? そんな……!」
パイモンの雷撃を直に食らい、天頂より落ち行く【イスラーフィール】。
彼女の敗北に悲痛な声を漏らすユイに、唇を噛むミツヒロは叱咤する。
「構うな! 俺たちが今見るべきは、ベリアルだ! 奴を倒さねばワームホールは生まれ続け、地上の部隊の負担は増えるばかりだ!」
ミツヒロとてカノンを見捨てたいわけではない。だが物事には優先順位があり、戦場ではその選択もよりシビアになる。選択を誤れば自身の死に直結する――そんな世界に、彼らはいるのだ。
「しかし、パイモンを放置するわけにもいきません! ここはボクとアキトくんで行きます、御門中佐たちはベリアルを!」
そこで声を上げたのはレイであった。
ベリアルは最優先で討伐すべき対象であるが、パイモンも脅威度としては同程度。
支援部隊を除き、残っているのは【メタトロン】、【ドミニオン】二機、【ミカエル】、【ラミエル】の五機だ。そのうちの二機をパイモン討伐に宛てる――割けるギリギリの戦力かつ攻防のバランスを考慮したレイの提言に、ミツヒロは頷きを返した。
「了解した。必ず勝てよ、早乙女少尉、朽木少尉!」
「はい!」「無論です」
機体のカメラ越しに視線を交わし合い、レイとアキトはドームの天頂辺りにいるパイモンのもとへと上昇していく。
「あの【異形】の最大の脅威はバリアによる魔法攻撃の反射です。迂闊に攻めればこちらが手痛い目を見ます」
「……分かった。守りなら任せて、仮に攻撃が跳ね返されたとしても俺が受け流す」
仮想空間での戦いでも結局は人類側からの攻めで倒せなかったパイモンについて、レイは持っている情報を共有する。
相方の言うことを頭に入れたアキトの口ぶりに、レイは思ったことを率直に呟いた。
「何だか、少し頼もしくなりましたね」
「……そう、かな」
「ええ。何だか……『彼』と似た感じがします」
レイは存じぬことだが、奇しくもアキトはカナタ同様『獣の力』を精神力で御した人間であった。
『超人』として覚醒を果たしたアキトは、【異形】が身体を離れてもなお力を芽生えさせてのけたカナタには劣るものの、彼に匹敵するほどの力を既に得ている。
接近してきた二人を見下ろして嗤う、有翼の駱駝に騎乗した麗しき【異形】。
その姿を睥睨し、少年二人はそれぞれの武器を構えて戦いの火蓋を切った。
『ワレワレに恭順なさい、愚かなヒトの子らよ』
「ボクたちはお前なんかには絶対屈しない!」
【メタトロン】で相対するのは初めてとなるパイモンへ、レイは初撃から【太陽砲】を撃ち放った。
反射されたところで【ドミニオン】なら完璧に防いでくれる。その信頼があってこそ出来る、豪勢な様子見の砲撃だった。
瞬く赤き光は黒いベールに直撃し、その表面に波紋を描く。
が、束の間――その光は揺らめきながら、霧散するように消失した。
そのベールには『対異形ミサイル』も【蝶々のカノン】も、【太陽砲】でさえも通用しない。
圧倒的な力を見せつけてくる理智ある【異形】を前に、二人の少年は冷たい汗を流した。
『抵抗は無為。恭順を約束さえすれば、命まで奪うつもりはないというのに』
己の無力を思い知れ。
人智を超えた【異形】は原初的な笑みを浮かべ、そう告げた。
「命までは奪わない……あの蹂躙が再び起こらないと、本気で言っているのですか? 無数の『飛行型』をここで生み出して、人類を攻撃しているあなたたちが? ……詭弁ですよ、そんなの」
レイは機体のスピーカー機能を使い、パイモンへと吐き捨てる。
【異形】は人類を攻撃する敵だ。それは彼らの遺伝子に刻まれた本能。ベリアルも第二の世界で口にしていた――人が睡眠や食事を求めるように、【異形】たちは殺戮を本能的欲求としているのだと。
相容れることは有り得ない。少なくとも、理智を持たない下級の異形たちとは。
そして、知性ある【異形】だとしても、人類に仇なす意思が明確ならば――
「あなたたちに恭順したとして、人類はどう扱われるのですか。ボクたちの尊厳は守られるのですか。あなたたちにとってボクたちとは何ですか。餌ですか、ペットですか、実験動物ですか、それとも奴隷ですか」
これが最初にして最後の対話になると、レイは半ば確信していた。
アキトも固唾を飲んで彼の言葉を聞いている。『獣の力』を完全に制御下においた彼は心中で、自らの就くべき場所を探っていた。
ヒトと異形のこれからの関わり方。
全ては、パイモンの返答次第。
『人類は……布石です。ワレワレでもない、ヒトの子らでもない、新たな種の誕生のための。今はその転換期。ワレワレと魂を共にするヒト、遺伝子を分かち合うヒト、ワレワレを理解するヒト……形は違えど、進化の分岐点に立つ者たちは既に現れています』
如何に知略に長けるレイといえども、予想だにしないその答えに狼狽せざるを得なかった。
布石。新たな種。進化の分岐点。
(理智ある【異形】たちは人類と【異形】とを混じり合わせ、より優れた種を生み出そうとしている? その結果として生まれたのが、カナタのように【異形】の力を使える者? ……では、残されたボクたちこれまでの人類はどうなる?)
早乙女・アレックス・レイは聡い少年だった。彼はパイモンの意思を正しく理解し、そして訪れる自分たちの運命も誰より早く悟ってしまった。
「では……古い存在、劣った存在であるボクら大勢の人類は、【異形】とヒトの特性を併せ持った新たな人類に淘汰されるのだと言うのですか」
「と、淘汰……!? それって……」
遅れて敵の真意を理解したアキトが声を震わせる。
彼を背中に庇うように前に出たレイは、芯の通った声音で恐れず言った。
「滅びですよ。ボクらの」
「そんな……!?」
座して滅びを受け入れるつもりなど、レイには毛頭ない。
もはや対話の意味さえも失われた。滅びを突きつけられたとしてもレイは最後まで生きる道を選びたい。姉や仲間たちに報いるためにも、生きて多くの人々を守り抜きたい。ならば――選ぶ道は一つだ。
「対話は終わりです。ボクらは生きる、それだけ」
『愚かな……自ら艱苦の道を選び取ろうとは』
パイモンにとってはレイの一言一句が戯言にしか聞こえないのだろう。
だが、それが何なのだ。レイは信念を最後まで貫き通す。天国の姉や仲間たちと、都市に残してきた最高のパートナーへそう誓ったから。
五つある【太陽砲】ユニットの砲門を全て敵へ向け、少年は再度の掃射を敢行する。
戦闘は、再開した。
*
迫り来る無数の黒い魔手を旋回しながらの高速飛行で躱し、ベリアル本体のもとへと接近せんとするミツヒロたち。
すれ違いざまに燃え盛る剣で触手を断つ【ミカエル】、大盾で無理やり弾きつつ突き進む【ドミニオン】、光線の乱射で触手を焼き切る【ラミエル】。
彼らの猛進にベリアルは目を剥いていた。
どうやら『飛行型』をはじめとする下級【異形】との交戦を経て、人類側は物量で攻める敵への対処法を学んでいるようだ。眼前から圧倒的な量が迫ろうと怯まず、的確に突破口を開く一打を見舞ってくる。
『優れたヒトの力……欲しいものだよ、全く! パイモンなどは浅ましい欲だと笑うだろうが、ワタシはあの力をこの手に収めたい!』
戦車上に立ち、ベリアルは両腕を大きく広げて哄笑していた。
強い魔力の輝きを宿した三つの鉄人形が、もうすぐ手の届くところまで来ている。
笑みを深めた彼は右腕を天高く掲げ――そして、ぐっと勢いよく握り込んだ。
「っ、何!?」
瞬間。
地面より伸び上がっていた幾万本もの触手たちが寄り集まり、一本の巨大な腕を形成する。
その速度は刹那にも満たない。コマ送りにしていた映像のカットを幾つかすっ飛ばしてしまったかのように、魔手はその過程を無視したようにも思える変化を遂げたのだ。
「あがッ……!?」
驚異的な腕力で胴体を握り掴まれ、ユイは呻吟した。
ベリアルの眼はユイの飛行ルートを予見していた。
触手を操っている彼は初めからターゲットをユイに絞って、彼女の機動を誘導するように仕向けていたのだ。もとより触手は無数にある、逃げ道に使えそうな間隙は絞られてくる。
(ミカエルが捕らわれた!? しかし触手が一本化したのなら、攻め入る隙も出来たはず!)
今この敵を討ち取らねば勝利は有り得ない。そのプレッシャーと仲間が捕まった焦りが、ミツヒロの行動を普段よりも逸らせた。
彼は突撃を続行しながら胸部のオーブに光を灯し、ラミエルの大規模攻撃魔法を発動しようとする。
「待てッ――!!」
しかし、ナツキの叫びも既に遅い。
好機を捉えたベテランパイロットの詠唱速度は彼の想像を遥かに超え、触手が纏まって一秒と経たないうちに全て済まされていた。
戦車上に立つベリアルを、光の奔流が飲み込まんとする。
「喰らうがいい、天使の光を! ――【クリスタル・レイ】!!」
青年は吼え猛った。彼は掴んだ操縦桿を大きく前に倒し、ベリアルへ出来うる限り肉薄して超至近距離からの光線を放つ。
照射されれば全身の筋肉が麻痺する、【ラミエル】の秘技。
透明な輝きが美しく戦場を彩った、その直後――世界は、暗転した。
「なっ……!?」
――刹那、明転。
微笑むベリアルが見据える先は、巨大なドームの天頂だ。そこから降り注いだクリスタルの光が雨となって、その直下の【ラミエル】へと降り注ぐ。
「させはしない!!」
ナツキの叫びと同時、再びの暗転。
青年の頭上には漆黒の魔力壁が出現し、彼が自身の魔法を浴びるのをすんでのところで阻止した。
瞬く間に輝いた二つの光と、それを覆い喰らった二つの闇。最初の光はミツヒロの初撃、次に現れた闇は魔神が纏ったオーラである。その漆黒が光を喰らった直後、天頂から差してきた光はミツヒロの攻撃が「転移」させられたもの。そして最後の闇がナツキの防御魔法【絶対障壁】だ。
「御門中佐、攻撃を逸りすぎです。私が守っていなければ、あなたは自分の魔法に首を絞められていた」
ベリアルがワームホールを利用した防御を行ってくるのではないかという予測と、転移させたこちらの攻撃を上空から落としてくるのではという直感をもってナツキは動いた。
幸いそのどちらも的中し、こうして難を逃れたわけだが……ことはマイナスをゼロに戻しただけで、戦況にとりわけ変化はない。
このまま戦っても勝ち目は薄い、ならば対話に臨むべきか――そう考えつつ、ナツキは防壁の展開範囲を全方位に広げてミツヒロと自身を守った。
「【イスラーフィール】は墜落して動けず、【ラジエル】も敵の手に落ち、【ミカエル】も今や囚われの身……この状況では、持久戦を仕掛けるほかに手段はありません」
ベリアルは様子見でもしているのか、次の攻め手を用意してこないでいる。
与えられた猶予を惜しまず使って提言するナツキに、ミツヒロは異論を唱えなかった。
「さっきは済まなかった、織部少尉。戦果に目がくらみ、逸ったのは俺のミスだ。作戦についても『使徒』の君にこちらから口出しする権利はない」
「……情けない男ですよ、あなたは。だが無能ではないはずだ。【ラミエル】をフルスペックで活かせるパイロットは、人類の中でもあなたしかいない」
軍人としては軽蔑しながらも、ナツキはパイロットとしてはミツヒロのことを認めていた。
『第一次プラント奪還作戦』の際、負傷の身でありながら幾度もの『アイギスシールド』の行使に耐えて指揮を執り続けた桁はずれの体力と魔力。第一級のコウノトリ型『シャックス』との戦いで、暴風吹き荒れるなか飛んでのけた人外じみた飛行能力。そのどちらも、ほかに並ぶ者のないミツヒロの才能だ。
確かに人として誤り、今さっきも判断ミスで窮地に陥りかけはしたが、その才には失態をも帳消しにするほどの価値がある。
「敵への攻撃は警戒を解かせない小規模なものに抑え、魔力をじわじわと削りながら消耗するのを待ちます。こちらも防壁を張りながらの布陣となるので魔力消費はそれなりのものになりますが……私と御門中佐の魔力ならば、耐えられるかと」
汗ばんでずり落ちかけた眼鏡を指先で押し上げ、ナツキは早口にプランを説明した。
初めて実機で臨む戦場でこうも冷静でいられるのは彼の並外れた胆力によるものだが、実際はそこまで焦っていないわけではない。
自分だけは普段通り平然と、「織部ナツキ」らしくいないといけない――アキトやレイ、ユイといった彼を知る面々を不安にさせないためにも、彼にはその仮面を被る義務があった。
「刘少尉や犬塚少尉はどうする? 助けずに指を咥えて見てろっていうのか」
「助けられるのならそうします。ですが……敵は強大です。刘少尉も犬塚少尉も、最悪の事態は想定しているはずです」
「織部っ、俺はもう、仲間を失うわけには――」
殆ど間を置かずに言ってくるミツヒロに、ナツキは溜め息を吐く。
彼がそう答えるのは分かっていた。彼が内心尊敬していた立川マコト中佐は、第一次作戦で瀬那マナカの魔法に呑まれ、遺体の欠片も残さずに散ってしまったのだ。第一次作戦の報告書に目を通し、その悲劇はナツキも把握している。
その上で、ナツキは勝つために最優先にする事項を明確にした。
敵を討つ――仲間の救出よりも第一に考えるべきは、それなのだと。
「私のプランが成功すれば必ず『ベリアル』は討てる。全ては私たちの連携にかかっています、それをお忘れなきよう」
話しながら思考を必死に巡らせて、ナツキは作戦をミツヒロへ伝えた。
一度でそれを頭に叩き込んだミツヒロは「了解した」と頷き、深呼吸する。
軍人として長く戦ってきた彼は、ナツキに異論をぶつけられるほど青くはなかった。
「現場指揮官としての才能では君に完敗だな、織部。ここで勝ったら佐官まで飛び級させてやる」
「それは嬉しいですね。……勝ったら、ですが」
「勝たせてやる。俺はどうしようもない愚か者だが、活かすべき力は持ってるようだからな」
半透明の黒い防壁越しにベリアルを睥睨し、二人は声を交わし合った。
勝つための、命を守るための戦いを――そう誓う彼らは間もなく、防壁を解除して飛び出していく。




