第百三十一話 パラダイムシフト ―New existence―
ワームホールに吸い込まれた瞬間、シバマルを迎えたのはどす黒い色をした触手だった。
鋭敏すぎるほどの感覚で異変を察知した魔神は魔力で出来た無数の腕を伸ばし、銀翼のSAMをがんじがらめにする。
『その白銀の輝き……まさかこんなにも早々にお目にかかれるとは、ヒトの女王の子よ』
四つの触手で四肢を縛り上げられたシバマルは、戦車に座すその魔神の顔に刻まれた笑みを見た。
青い肌以外は人間に酷似した、ファンタジー世界の魔導士のようなマントを纏った美青年の【異形】、ベリアル。
ほくそ笑む魔神から視線を外し、この場の全景を確認しようとするシバマルだったが――目に入った光景に、絶句するほかなかった。
「……なんだよ、これ……!?」
小規模の都市にも匹敵する規模であるドームの内側に広がっているのは、彼が見たこともないおぞましい物の数々だった。
区画が整理され通路が碁盤目状に敷かれている畑の、跡地。
本来ならば野菜や果物が植えられているはずのそこに鎮座しているのは、巨大な繭のような、あるいは肉塊のような、ぶよぶよとした緑色の膜に包まれた物体である。
得体の知れないその物体の表面からは、蛆のごとく『飛行型』や『人狼型』、『子鬼型』といった第二級【異形】が次々と産み落とされていた。
地面から生えている肉塊のそばにはワームホールが設置されており、【異形】たちは生まれたそばからそこへ吸い込まれていっている。
「ここは『プラント』の中、なのか……? こ、ここにある全部が、【異形】を生むシステムだっていうのかよ……!?」
都市の人口に対し余剰に作物を生産できるよう設計された『プラント』。
見渡す限り広がっている畑には【異形】を生産する肉塊が整然と並んでおり、息が詰まるほどの腐肉の臭いを漂わせている。
『おや、その声は……ヒトの女王の子ではないのかね? 彼に会えたのなら僥倖だと思ったのだが……喜び損だったかな』
「……なんで独り言が聞かれてんだよ、バケモンか」
『化物、怪人、魔神、好きに呼ぶがいい。ワレワレにとって名など必要のないものだ。ワレワレがワレワレの識別に使うのは、その力。強い者と弱い者、区別はそれだけなのだよ』
鷹揚な口調で語るベリアルに、シバマルは口をへの字に曲げた。
心底どうでもいい――ついそう考えかけて、首を横に振る。
カナタは【異形】との対話を試みようとしていた。彼に倣うなら、敵の声にも耳を傾けなければならない。
「そうかよ……お前、ツッキーのこと『ヒトの女王の子』とか呼んで特別視してるみたいだけど、何でなんだ? やっぱ、あいつが『力』を使えるからなのか?」
四肢が縛られて動けない現状、シバマルに出来ることは会話による時間稼ぎだけだ。可能性は低いだろうが味方が助けに来てくれることを信じ、それまで待つしかない。
『その通りだよ。彼の力はワレワレとヒトとを繋ぐものだ。大いに利用価値がある』
「利用、って……あいつの力はお前たちが好きにするためにあるもんじゃない!」
『どうだかね。君は何も知らぬからそう言えるのだよ。力の存在、実体なきモノたちの存在、その意味を何も知らない』
憤慨するシバマルとは対照的に、ベリアルは泰然とした表情を崩さない。
縛られて痛む四肢の感覚に顔を歪める少年と、魔力は使っているものの安全圏から話すだけの魔神。
自らが圧倒的不利な立場にあることを改めて思い知らされるシバマルは、操縦桿を固く握って項垂れた。
(何も知らない……知れば、何かが変わるのか? 何が?)
力を持つ者の真実。月居カナタの真実。
それを知ったその時、自分とカナタとの関係はどうなってしまうのだろう。得体の知れない不安に襲われ、シバマルの背筋には怖気が走った。
初めて仮想世界で【異形】を見たとき、シバマルは心の底から恐ろしいと思った。それはその後も変わらなかった。『フラウロス』に見せられた都市蹂躙の光景、眼をぎらつかせにじり寄る第二級以下の【異形】たち、そして全てを炎に変えたベリアル――彼の戦いにはいつだって、恐怖がまとわりついていた。
その恐れに屈さずに戦い抜いてこれたのは、ひとえに仲間の存在があったから。
カナタ、レイ、ユイ、イオリ、マナカ、そしてA組の全ての仲間たちがいたから。
仲間を守るために、絶対の敵である【異形】を討つ。そう強く念じることで弱い自分を奮起させ、過酷な戦いを乗り越えてきた。
カナタと【異形】。【異形】とヒト。
異なるはずの二者。相容れぬはずのモノ。いつか真実が紐解かれたとき、それらの境界線はどこへ行ってしまうのか――果たしてそのとき自分はカナタと共にいられるのか、わからなくなる。
真実が友との絆を引き裂くかもしれないのなら、恐れを増長させる可能性があるのなら、シバマルはそんなもの知りたくはない。
だが……真実を理解してどう転ぶかなど、蓋を開けてみなければ誰にも分からないことだ。
「おれは……っ」
原初的な笑みを湛えている青い肌の魔神を見下ろし、視線をさまよわせる。
異臭を放ち異形を産む肉塊の畑、プラント内の監視を勤めているらしい『飛行型』、畑の合間の通路に覗いた、一つの人影のようなもの。
「っ……!?」
その人影は薄青の作業着を着て、帽子を被っていた。かつてプラントで人が使っていたトラクターを乗り回して、ぐしゃぐしゃに潰れた肉塊を曳いている。その顔は、前を向いているため見えない。
その様子はさながら農業に従事する作業員そのもので、シバマルは言葉を失った。
自分が何か、知ってはならない真実に近づいた――そんな気がする。
『あれが気になるのだね、ヒトの子よ』
「…………」
人影から目を背けたシバマルだったが、その背中は妙に脳裏に焼き付いて離れなかった。
彼の思考の何もかもを見透かしたようにベリアルは微笑み、そして、語りだす。
『あれは『新人』と名付けられた種の生物だよ。ヒトと【異形】の遺伝子とを混ぜ合わせて生み出された、人類とワレワレとの間に起こった革新的な転回の一つ』
震える腕を抑えながら、シバマルはその言葉に息を呑んだ。
人と他の動物との交配は倫理に反するとして、クローン等の遺伝子操作と同様に国際条約で禁止されている。
自他ともに認める馬鹿のシバマルでも、それくらいは常識として知っていた。
その人の常識を踏み越えてヒトと【異形】のミックスは生み出された。理智ある【異形】など当然、ヒトの倫理の範疇にはないだろうが――それにしても、到底信じられない。
「よく、分かんねぇよ……『新人』だとか、パラダイムなんちゃらだとか……」
『じきに理解できるようになる。これが運命だと』
困惑するしかないシバマルにベリアルは歌うような口調で言い、それから不意に流し目を右手に送った。
『……お出ましのようだ。喜ぶがいい、ヒトの子』
首を回してシバマルがその方向を見ると、そこにいたのは――
「【ドミニオン】! それに、【イスラーフィール】、【ミカエル】、【ラミエル】、【メタトロン】まで……! 皆、来てくれたのか!」
半透明のシールドを展開したまま前進するアキトの【ドミニオン】を先頭に、【ドミニオン】ナツキ機、【機動天使】と【七天使】、そして支援部隊の【イェーガー】小隊がワームホールよりこの『プラント』内に突入してきた。
目を輝かせるシバマルに対し、やはりベリアルは眉一つ動かさない。
六機もの最新世代機は魔神と【ラジエル】を視認し、一直線にそのもとへ駆けつけていく。
『聞こえるか、犬塚少尉!』
「御門少――じゃなかった、中佐! 聞こえます、生きてます!」
『そうか、いま助けに行く!』
シバマルの応答に力強く答えるミツヒロ。
通信系統を含め、【ラジエル】の能力はまだ生きている――それを見て取り、彼らは今日中にあった危惧の一つを拭った。
『ワームホールを通してキミたちが来ることは予見していた。少なくとも「彼女」ならば、そうすると思ったからね』
第一級異形を何度も葬り去った【ラミエル】等を前にしても、ベリアルは態度を崩さない。
全ては自分の手のひらの上とでも言うように、魔神は目を細める。
『ここはもう、キミたちのプラントなどではないのだよ。まさしく「飛んで火に入る夏の虫」……キミたちは蠱毒に蝕まれて死にゆくのみだ』
魔神が手を高々と掲げたのを号令に、肉塊より生まれし『飛行型』たちが一斉にSAMたちへ飛びかかった。
それでも部隊は『アイギスシールド』で敵を弾きながら進撃を止めない。
「皆が来てくれたんだ、おれだって……!」
ここで捕まったままではいられないと、シバマルも動き出す。
深呼吸した彼は【ラジエル】のあぎとを開き、そこでの魔力のチャージを開始した。
魔法の詠唱の暗記が苦手な彼だが、レイやカナタが使っていた魔法は間近で見聞きして覚えている。
「風穴一つ、ぶち抜いてやるぜ! ――【テンペスト】!」
溜めに充てた時間は三秒。
逆巻く風が圧縮空気の塊となり、息吹に乗せて眼下の魔神へと放出される。
『小賢しい』
が、しかし。
冷然とした眼光がそれを捉えた途端、発射された暴風の「卵」は着弾を前に暴発した。
「ぐっ――!?」
風の暴威に触手ごと巻き込まれ、宙に投げ出された【ラジエル】。
必死に操縦桿を握って体勢を立て直そうとするも――間を置かずに襲いかかった衝撃に、シバマルは背中を思いっきり背もたれに打ち付けた。
背骨に走った鋭い痛みに顔をしかめ、少年はなおも放してしまった操縦桿へと手を伸ばす。
『ヒトの考えなど透けて見えるのだよ』
再度の衝撃。
肩に食らった激痛に息を詰め、シバマルは涙の滲む目でモニターを睨んだ。
戦車に座すベリアルの付近に攻撃に使われたであろう兵器も、魔法の炎や光なども見られない。魔神は腕組みしたまま、攻撃の体勢に入っているようにも思えない。
予測するための予備動作すら伴わない、不可視の魔法攻撃。
第二の世界では決して見せることのなかった、ベリアルの未知の手だ。
攻撃を防がなくては死ぬだけ。必死に防衛魔法を展開しようとするシバマルだったが、痛みのあまり詠唱することもままならなかった。
諦めて手打ちでコマンドを入れ始めても、その隙にまた見えざる射撃が彼を襲う。
「がはっ……!?」
脇腹を撃ち抜かれた感覚。
『アーマメントスーツ』からは血の一滴も出ていないのに、『コア』が脳を通して彼に焼けるような痛みを刻み込んだ。
「す、すぐにッ、ペインレス……」
その時、彼は見てしまった。
カメラが自動的に捕捉し拡大処理を施してモニターに映した、ベリアルの顔を。
人を傷つけているにも拘らず、全ての感情を取り払ったような面。
理解の及ばないその存在に対し、彼は恐怖を覚えた。抗うことさえ叶わない、本能が訴える強者への畏怖を。
「あ、ああ、ああああああッ……!?」
否応なしに喉が震える。
激痛に悶え、身体の制動が不可能になる。
間もなく、背中を撃ち抜く衝撃。濁った息を吐き出す少年が見るのは、鎌首をもたげた蛇のような黒々とした触手の数々だった。
「シバマルさんっ!?」「シバマルくん!」
ユイとレイの悲鳴が響く。
肉のカーテンとなった『飛行型』の群れに遮られ、彼女らの救援は遅れざるをえなくなっていた。
アキトとナツキの『アイギスシールド』で光線を弾きながら進んではいるものの、進撃は停滞している。
「敵の数が多い――皆は下がって! ここは私が!」
「分かった! 朽木、織部、シールド全面展開!」
そこで声を上げたのはカノンであった。
プラントの天頂近くまで一気に躍り上がりつつ詠唱を進め、【蝶々のカノン】をもって敵の軍勢を無力化せんとする。
ミツヒロの号令で【ドミニオン】二機は前方のみならず全方位を球形のバリアで対応、放たれる音魔法に備えた。
「これが『鋼鉄の歌姫』の力! 【蝶々――」
刹那。
背筋を撫でた殺気に、カノンの呼吸は停止した。
――何かが来る。
本能が鳴らす警鐘。スローモーションのように引き伸ばされる時間。
詠唱を切り上げて機体を転回、翼を翻すと同時に彼女は長杖を振り抜いた。
『やりますね、人間』
中性的な声がカノンのその対応を褒めたたえた。
彼女の銀杖と交差しているのは、魔力で形作られた虹色の杖。伸ばされたその柄を握っているのは、翼の生えた駱駝に乗った青い肌の美しき【異形】。
「――パイモン!」
『ふふふ……お久しぶりです』
長い黒髪を風に流し、パイモンは抜群に整った中性的な顔に笑みを湛える。
空飛ぶ駱駝を駆る【異形】は伸縮自在の杖を引っ込め、十分に間合いを取った上でカノンと向き合った。
「仮想空間での邂逅だったけれど、覚えてくれていたんですね、パイモンさん? 言葉が通じ、記憶を共有できる間柄なのに……殺し合わなくてはならないなんて、随分と悲しい巡り合わせだと思いませんか」
『ヒトはワレワレに恭順すべきです。世界は既にワレワレのもの……抵抗は無駄に命を散らすのみなのです』
「それが認められないから、人類はこれまで戦ってきたんです!」
叫び、『対異形ミサイル』を撃ちながら詠唱を再度執り行うカノン。
だがパイモンは自身の周囲に黒いベールのごとき防御魔法を張り巡らせ、その乱射をものともしない。
着弾したそばから、まるで虚空へ吸い込まれていくように弾頭は消えていった。
「【蝶々のカノン】!!」
戦場に奏でられる輪唱が空気を震わせ、そこにいる全てのものを悲哀の色に染めていく。
蠢く『飛行型』は次々と墜落し、飛び交う光線も敵へ直撃する前に霧散していった。突破口が開けたミツヒロらはアイギスシールドをすぐさま解除し、ベリアルのもとへと直行する。
『効くでしょうね。――劣等種には』
黒いベールを引き裂き、有翼の駱駝に座す悪魔は微笑んだ。
先端が刺股のように分かれた杖先を【イスラーフィール】の胸元に突き立て、それを通して魔力を送り込む。
迸った電撃は機体装甲の『耐魔力塗装』をも貫通して、コックピット内の女をいたぶった。
「ああああああああああああああああッッ!?」
パイロットの制御を失い、墜ちていく機体。
それを見下ろして理智ある【異形】は嗤う。これこそが上位種である自分たちに逆らう愚者に定められた、運命なのだと。
「パラダイムシフト」とは
その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。パラダイムチェンジともいう。 科学史家トーマス・クーンが科学革命で提唱したパラダイム概念の説明で用いられたものが拡大解釈されて一般化したものである。(ウィキペディアより)




