第百三十話 力の覚醒 ―Because I'd like to live as me.―
『行くのですね、レイ』
「ええ。師団の皆を任せます、ミコトさん」
直撃した砲撃が『アイギスシールド』を激しく揺らす中、ミコトはレイに微笑みかけた。
これから二人は別行動になる。だが、どちらもそれきりになるとは到底思っていなかった。
自分たちは必ず勝って帰る。それぞれに守りたいものへ、そう誓ったから。
「絶対に戻って、あなたを守ります」
『神に誓って、あなたの帰る場所を死守いたしますわ』
一旦の別れの言葉を交わし、敵が魔力をチャージし始めたその隙にシールドを解除するミコト。
飛び立ったレイは後ろを振り返ることなく、自らがやるべきことへ真正面から相対していく。
定められた合流ポイントへ向かい、討伐隊一同で一つのワームホールへ一気に突入する――それがミッションの第一段階だ。
【メタトロンmark.Ⅱ】、【ミカエル】、【イスラーフィール・飛天】、【ドミニオン】二機、そして【ラミエル】。
魔神を討つべく集った彼らを統べるのは、信念の炎を燃やす御門ミツヒロ中佐である。
『宇多田中佐、朽木少尉、ワームホールから出現する『飛行型』の対処は君たちに任せる。突入できる隙が出来次第、行くぞ』
『了解です♡ うふふ、張り切っちゃいますよ♪』
『……了解』
チャーミングな笑みを浮かべるカノンに、表情一つ変えないアキト。表情は異なるものの、そこにある覚悟は同じだ。
カノンの【イスラーフィール・飛天】は前身機をほぼそのままに、飛行ユニットとして小型戦闘機【アラエル】を背面にドッキングした機体である。
SAMとの合体を前提に作られた【アラエル】はカノンのアイデアから開発されたもので、まだ実装数は少ないものの陸・海のSAMの空中適応を可能にするという革新的な兵器であった。
『朽木くん、呼吸を――『音』を合わせて連携を!』
『……は、はい!』
モニター越しに微笑みかけてくるカノンにアキトは頷き、彼女の声から感じる「味」を理解せんとする。
甘味と酸味が混じり合い、そこにひとつまみの苦味を垂らした、色香の中に毒を忍ばせたような声。
その味にアキトは覚えがあった。誰よりも愛し、慕い、尽くすべきだと信じている母親の声と、この女性の声は似ているのだ。
『先行します! 御門中佐たちはすぐにホールへ飛び込めるよう備えていてください!』
その類似は偶然だった。アキトは幸運の巡り合わせに心中で感謝しながら、一際大きな一つのワームホールへと向かって飛び立つカノンに並走していく。
『……ッ!』
黒く蠢く単眼の蝙蝠の如き『飛行型』たちが、迫り来る二機を迎撃するべく光線を乱れ撃つ。
視界を埋め尽くす万華の光。
だが――そんなものは、【ドミニオン】の前には無力だ。
「俺が防ぎます、宇多田さんは――」
「その隙に詠唱を終わらせる。満点ですよ、坊や♡」
『死神の鎌』を振り抜いた斬撃の軌跡には虹色の魔力粒子がたなびき、半透明の『アイギスシールド』を展開する。
注ぎ込んだ魔力の量だけ際限なく硬度を増す、現存する魔法の中で「最強」を誇る女神の盾。飛空艇の全人員から吸い上げれば核にも匹敵する瀬那マナカの【アポカリプス・レイ】をも防いでしまう、異星人の二人が人類を守るために贈った秘技であった。
(俺には『耐光線塗装』があるけど、それだけじゃ後ろの宇多田中佐や他の仲間を守りきれない。ちょっと魔力消費はでかいけど、これで……!)
バリアを焼き破らんと何百条にも渡る光線が飛来し、莫大な魔力波による衝撃がアキト機を吹き飛ばそうとする。
だが、それでも朽木アキト少年は一歩も退かない。
歯を食いしばり、汗を滝のように流して充血した目で眼前の敵たちを睥睨し続ける。
全ては母のため。そして、自らを理解するため。
頭の中に響く奇妙な声は戦いになるとアキトへ囁きかけてくる。アキトという自己を、乗っ取ろうとしてくる。その原因が何なのかは戦いの果てに見えてくるような気がして、アキトは戦場に身を擲つ。
(俺は朽木アキトだ。ナツキの『弟』で、ハルの『友達』で、フユカの『兄』である、朽木アキトなんだ――!!)
雄叫びと一緒に胸中で吐き出す、アイデンティティの宣言。
誰が何と言おうとも、抗いがたい獣の本能に飲み込まれようとも、それだけは変わらない。変わることはない。
『お前は、オレだ』
「ち、違うね。俺が、アキトだ」
鼓動の荒ぶる左胸を掴み、アキトは腹の底から込み上げてくる熱に歯向かうように拳を握って、上体を丸めた。
魔力を使えば使うだけ、頭の中の声は幾つも重なって反響する。
それでも――自分は自分でいたいから。
朽木アキトは、その『獣』を支配する。
「俺の身体も、心も、全部……俺だけのものだ!」
瞳に赤い炎が灯る。爪牙が伸び、髪が逆立って隠れていた左目も露になった。
発動した『獣の力』。しかし少年は心の中に潜むその声の苦味さえも飲み下し、自らの血肉とした。
「受けた全て……食らわせてもらう!」
盾が受ける魔力は『力』を覚醒させたこれより全て、彼のものとなる。
獰猛な笑みを浮かべる少年は盾を解除すると同時に、全方向の敵めがけてカウンターを浴びせた。
迸る七色の光線のスクランブルが、たちまち『飛行型』の群れを殲滅していく。
『もぅ、お姉さんの出番を食っちゃうなんて悪い子ですね。でも……嫌いじゃないですよ、そういうの♡』
一帯の空域を巻き込んで乱れる光線を見て取った敵SAMが三機、一斉に極太のレーザー砲撃でアキトを狙う。
上空の三方向から降り注ぐ、鮮血の色をした破壊の光。
だが、それを視認した瞬間には既にカノンの魔法は発動に至っていた。
『【蝶々のカノン】』
悲哀を歌うような女性の高い歌声が輪唱となって響き渡り、その刹那――こちらへ肉薄しようとしていたレーザーの直進が、停止した。
驚愕したように動きを固めたように見える三機の敵SAM。
だが実際のところ、彼らは機体そのものが動かせない状態に陥っていた。
『【蝶々のカノン】の「追唱」……最初の音波が魔力を停滞させる効力を有していたのに対し、二波以降は筋力を停滞させる。そして三波以降は、脳も』
『鋼鉄の歌姫』は『第二の世界』で理智ある【異形】パイモンに敗北して以来、二度と同じ失態を晒すまいと鍛錬に励んできた。ただ身体をいじめるのではなく、早乙女博士ら自らより優れた頭脳の下で効率的に魔法を究めてきたのだ。
プライドの高い人間は一人では決して限界を超えられない。なぜならば、自らの限界を客観的に定められないから。もっと上に行けると過信して多くの重荷を背負い、潰れてしまう。
だからカノンは最初に、自身のプライドを破壊した。鏡の前で何度も自分は至らない人間だと言い聞かせ――その上で、愛する人のために強くならねばならないと繰り返した。
その結果が、この新たな魔法の誕生だ。
『じわじわと思考が緩慢になっていくのを感じるでしょう? そうなってしまえばもう、この戦場で私たちについてこれなくなる。【異形】だろうがヒトだろうがお構いなしに』
ホバリングすら出来ず、ランチャーを抱えたまま墜落していく三機。
彼らを見下ろして薄く笑みを浮かべるカノンは、「行きましょう」とミツヒロらへ呼びかけた。
急がねばいつワームホールが消え去るかも分からない。彼女らは迅速に作戦を遂行するため、無謀にも思える敵地への転移を開始した。
最初に穴へ飛び込むのは、アイギスシールドを展開したままのアキト機である。
『朽木少尉に続け! 支援小隊は俺の後ろに付くんだ!』
一列になって続々と、彼らは黒き空間の狭間へ突入していく。
(シバマルくん……イオリくんに続いて彼まで失うわけにはいきません。ボクが絶対に、助けますから)
殿を務めるレイは最後に第二師団の飛空艇を顧みて、ここまで送り出してくれた少女の顔を思い浮かべる。
そして、離れ離れになってしまった彼の屈託のない笑顔も。
堅物のレイとそりが合わないことも当然あるが、何だかんだで仲良くやれている快活で子供っぽい彼。
レイが引きこもりを止めてすぐにクラスに馴染めたのも、彼とイオリがいたからこそだ。
あの笑顔まで失ってしまえば、レイの翼はまたへし折られる。それだけは――あの暗い闇に墜ちることだけは、繰り返せない。
「――行きます」
真っ直ぐ黒いホールを見据えた瞳には、純然たる覚悟のみが宿っている。
短く呟いたレイはワームホールへ身を踊り出し、【異形】の領域へと足を踏み込んだ。




