第百二十三話 逆巻く運命 ―Report of a gun―
階下で鳴った銃声に、士官用の個室で椅子にかけ、微睡んでいたグローリア・ルイス中佐は飛び起きた。
艦内での銃声。それは人同士での殺し合いを意味する。
まさか裏切り者が姿を現したのか――しかし、なぜ今?
怪訝に思いながら廊下を駆けるグローリアは、騒ぎを聞いて飛び出してきた他の士官らと共に現場へ赴いた。
「あの部屋は……確か、水無瀬少佐の……!?」
廊下に立ち尽くしている黒髪の少年の前でドアが開け放たれている。グローリアの記憶が確かならば、そこは水無瀬ナギ少佐の部屋だ。
「水無瀬少佐!? 一体何が――」
「中佐っ!? 迂闊に足を踏み入れては――!」
部下の制止を振り切って部屋の中へ飛び込んだグローリア。
彼女が目にしたのはハンモックの上で泣き出している金髪の少女と、銃を両手に下げて項垂れ、床にへたり込んでいる一人の青年であった。
「水無瀬少佐、あなた一体何を……!?」
グローリアには状況が飲み込めなかった。
誰も撃たれていないのもそうだが、ナギが撃ちそこねた当人だということが彼女には信じられなかった。
あの快活でやんちゃな、文句を言われながらもなんやかんやで人に好かれる水無瀬ナギが人に銃を向けた――突拍子もない悪夢を見ているのではないか、と思わずにはいられなかった。
「……僕は、軍人失格だ」
虚ろな目で上官を見上げ、ニヒルな笑みを浮かべるナギ。
退廃的な空気を帯びる青年の前に跪き、グローリアは首を横に振りながら言った。
「あなたは私が育てた軍人です。今日だって、『巨鯱型』の群れを撃退してみせたではありませんか。あんな戦果は、立派な軍人でないと挙げられないものです」
「それはパイロットとしての話でしょう。『軍人たる者高貴であれ』……初めて会った時、中佐はそうおっしゃられましたよね」
その言葉には確かに覚えがあった。
新米ながらも立て続けに多くの戦果を持ち帰ってきたナギは当時、どこか傲ったところがあり、それを咎めるつもりでグローリアはそう言ったのだ。
「でも今の僕は、その高貴さを捨ててしまった。僕は……フユカさんと昔の恋人とを重ね、彼女を自分のものにしたくなった。だけど彼女は僕の要求を嫌がったので、言うことを聞かせるために衝動的に銃で脅した。……酷い話でしょう?」
自嘲に頬を引きつらせ、ナギは吐き捨てた。
グローリアはそんな彼の顔を見ていられなくなって、視線を逸らす。
「ええ……酷いですね。本当に……衝動的に銃を抜いた者が理性でそれを空撃ちに留め、冷静に自らの行いを振り返れるなんて、嘘のような話」
俯く青年は何も言い返しはしなかった。
グローリアは銃声の恐怖に声を上げて泣いている少女に目を向け、溜め息を吐く。この様子では事情聴取もままならない。ひとまずは、ナギの言葉を信じて彼を軍法違反――二条、『レジスタンス』隊員は特例なき限り、人を攻撃してはならない――で拘束するほかあるまい。
「……詳しいことは別室で聞きます。前田少尉、本村少尉、彼を拘束しなさい」
後ろ手を手錠代わりのベルトで縛られたナギは、二人の男性少尉に連れられて部屋を出て行った。
その後に続くグローリアは廊下で茫然としているナツキに目をやり、命じる。
「最上少尉のこと、頼みます。後ほどあなたたちにも事情を伺いますが、彼女が落ち着くまでは一緒にいてやりなさい」
「……は」
乾いた声で応えるナツキ。ショックを受けているように見受けられる彼のことも案じつつ、グローリアは足早に去っていった。
その場に残された眼鏡の少年は、あらん限りに拳を作って歯を食いしばっていた。
「……理解できない……」
*
時は二日前に遡る。
都市の中央区角にて、とある喫茶店で蓮見タカネと落ち合わせた不破ミユキは、そこで行方不明になった七瀬イオリについて報告していた。
「彼がいなくなってから約二週間と少し……警察の方からも、まだ見つかったって連絡は来ていないわ。もし彼が今後見つかることがなかったら、計画はどうなるかしら」
「それはこちらの台詞ですよ、不破さん。私は貴女を信用して任せたのです。それが、こうなってしまうとは……私の審美眼が腐ってはいなかったこと、次の一手で証明していただきたいところですね」
鷹のごとき鋭い眼差しで見据えてくるタカネに、「ええ」と答えるミユキ。
あくまでも焦りは見せない。鷹揚に、これまで通り任せておけというスタンスでいる。
「彼が抜けたとしても代わりになる子には目を付けてあるわ。私のクラスメイトの男の子なんだけど、なかなかの切れ者よ。まあ実力的にはイオリくんには劣るけど、野心は彼よりずっと――」
と、ミユキが語ったその時。
爆音が、彼女の耳を劈いた。
「伏せろッ、不破さん!!」
「っ、何――!?」
タカネの鋭い叫びに、即座に身体をテーブルの下に隠したミユキ。
その刹那、窓ガラスが割れる甲高い音と同時に、爆風が店内に流れ込む。
連なる悲鳴、テーブル上から落ちて砕ける食器類。爆音が収まり、ほとぼりが冷めたのを見計らって立ち上がったミユキは、その場の光景に唖然とするほかなかった。
「……何てことなの」
ミユキの声は否応なしに震えていた。
彼女たちが座っていた場所からちょうど一席分ずれたところにいた二人連れの男女が、頭から血を流して沈黙している。おそらくは、即死。
「テロか。……狙いは、我々だろうな」
動揺するミユキに反して、タカネの声音は冷え冷えするほど淡々としていた。
彼はミユキの腕を引いて二人の遺体から遠ざからせ、すぐに百十番する。
喫茶店の外の街路は既に騒然となっており、早くもパトカーのサイレンが鳴り響いていた。
これまで都市内では殆どと言っていいほど起こってこなかった、テロ行為。【異形】に対抗すべく一つになろうという標語を掲げ、人同士の諍いや犯罪をなくしていこうと積み上げてきた社会の形が崩れ去っていく音を、タカネは聞いた。
「……これも流れか。我々を阻害せんとする、運命の……」
タカネはミユキにしか聞き取れない微かな声で呟きを落とす。
貴公子然とした男はこの状況下にあっても、それを想定していたかのように冷静だった。
「不破さん、貴女は『学園』に戻った方がいい。『学園』が聖域だとまでは言い切れませんが、ここにいるよりかはずっと安心です。この中央区画には、野心家どもが多すぎる」
ミユキの肩を抱き寄せ、力強い口調で忠告するタカネ。
彼に頷きを返すミユキは俯いて唇を噛み、思考を巡らせる。
(イオリくんが姿を消したことと、私たちの居場所が襲撃されたこと……無関係だと考えるのは楽観的すぎるわよね。敵はどこまで私たちをマークしているの? 私たちだけでなく、『尊皇派』の他の構成員たちにまで手が及んでいたとしたら――)
考えはどんどん悪い方へ転がっていく。昔馴染みの同年代の研究員たち、可愛い後輩たち、独自に声を掛けていた元『レジスタンス』のパイロットたち、そして出資者の九重夫妻と息子のアスマ――今、彼らがいっぺんに襲われでもしたら、ミユキにはどうにも出来ない。
「ダメ、そんな……私は、皆をそんなことに巻き込むためにやってきたわけじゃない……私は、ただ……」
「不破さん、落ち着いてください。大丈夫です、都市の脅威は警察と『レジスタンス』が取り締まる。我々も必ず守られます」
明瞭な口調で言われてもなお、ミユキの震えは治まらなかった。
顔を青ざめさせる彼女にタカネが同じ言葉を繰り返すなか――彼のスマホが着信音を鳴らし、新たなる知らせを運んでくる。
男には嫌な予感がした。だが、見ないわけにはいかない。画面をフリックしてニュースサイトを開き、飛び込んできたのは――
「『九重グループの九重会長が襲撃され、重体』!? 『実行犯は現場で射殺され、現在警察が身元の確認を急いでいる』――」
「何よ、それ……!? 嘘、でしょう……!?」
床に崩れ落ちるミユキに、今度こそタカネは掛ける言葉を失った。
整えた髪が崩れるのも構わず頭を掻き毟る彼は、スマホを持つ手に握りつぶさんというほどの力を込める。
「早いペースでの要人の襲撃……敵は間違いなく本気だ。もたもたしていたら全てを台無しにされる」
自分たちが『レジスタンス』を変えるべく息巻いている間に、別の敵からの急襲を受けた。
それは想定していないことではなかった。だが、これほどまで早く実行に移してくるとはタカネも思っていなかった。何かが起こるにしても選挙直前の九、十月以降になると踏んでいたのだが――予想の裏を突かれてしまった。
「人同士の争いとはこういうものです。動揺していては始まらない……改めて覚悟を決めていただきたい、不破さん」
ミユキにはどこか事態を甘く見ていた節があったのだろう。狼狽えているのは、その証左だ。
彼女は貴重な協力者の一人。ここで折れてもらってはタカネとしても困る。
「え、ええ……そうね。この道を選んだのはあたし自身……自分のエゴは、最後まで貫き通すわ」
途中、どんなに過酷な戦いがあったとしても、最終的に平和が掴めればそれでいい。月居カグヤとは違う、人が人を苦しめずに済む安寧の世界をミユキは目指す。
駆け込んできた警察から事情聴取を受けている間も、『学園』に戻って寮の自室で寝転んでいる間も、ミユキはその初志を何度も反芻していた。
同じ夢を見、同じ理想を掲げ、同じ希望を未来に託したカグヤ――彼女との決別さえなければ、こんなことにはなっていなかったかもしれない。
「……これも『運命』だっていうの、カグヤ」
恋焦がれた彼女の優しい微笑みは、もうミユキの元には戻らない。
ミユキは彼女のことを理解できていなかった。自分の理想を押し付けるばかりで、彼女の心からの声を聞いてすらいなかった。
行き違い、すれ違い。それに気づいた時にはもう、二人の関係は取り返しのつかないところまで至っていた。
もう少し話し合っていれば、彼女をきちんと見てさえいれば、修復できた関係だったのではないか――悔恨は、尽きない。
シーツに顔を押し付けて濡らす彼女は瞼を閉じ、その無気力に全てを委ねた。
眠れば楽になる。面倒なことは後で考えればいい。今は休息が必要だ。
努めて思考を空っぽにし、睡魔が訪れるのを待つ。徐々に這いよる静寂に引っ張られて、彼女の意識は落ちていった。




