第百十九話 敵側のSAM ―The encounter it's difficult to believe in which―
現れたそのSAMの存在は、陸・空軍の者たちも確認していた。
飛空艇から数キロ先の【イェーガー・空戦型】に酷似した機体を見据え、マトヴェイ・バザロヴァ大将は形のいい眉を顰める。
胸騒ぎを煙草の一服で鎮めようとする彼だったが、到底そんなものでは収まらない。
ざわめく者、絶句する者、皆が皆困惑し、どうすべきか迷いを抱いていた。
「ば、バザロヴァ大将……!? ど、どうなさいますか……?」
「取り敢えず、通信を試みなさい。あれがどこのSAMであれ、『緊急通信チャンネル』ならば通じるはずよ」
煙管を噛んで命じるマトヴェイに、部下の一人はおぼつかない手つきでコンソールを操作していく。
自分の隣で当惑していると思われたシバマルの方へマトヴェイは目を向け、そして意表を突かれた。
少年の顔つきは険しく、その瞳には鈍い光が宿っている。怒りを内包した戦意――まだ十七の彼のどこからそんなものが湧き出ているのか、マトヴェイには分からなかった。
「……い、犬塚くん?」
「【異形】だ。……理智ある【異形】の『ベリアル』が鹵獲した機体を操っていたって、『第二の世界』で奴と戦ったツッキーが言ってた」
思わぬところからもたらされた情報にマトヴェイは息を呑んだ。
シバマルがでたらめを言う理由も、カナタが彼に嘘を吹き込む理由もないだろう。これは信じるに値する話だ――そう決定づけた赤髪の将は、司令室を見渡して命じる。
「あのSAMたちは【異形】に操られている可能性が高いわ! 交戦し可能な限り鹵獲、無理そうなら迷わず撃墜なさい! いいわね!?」
「「「イエス・サー!!」」」
芯の通った大将の声によって、混乱していた部下の意思は一つに纏まる。
指針を得た軍人たちは動きの精彩を取り戻し、格納庫にて待機していた【空戦型】へと出撃命令を続々と出していく。
「大将、緊急通信チャンネルを開きましたが応答ありません!」
「……無視を決め込んでるのか、それとも奴らは無人機までも操れるのか……どちらにせよ、戦うしかないわ」
最後は自分に言い聞かせるように口にして、マトヴェイはシバマルを見やった。
「犬塚くん。SAMは人類の反逆の象徴……だから、それを撃つのを躊躇う兵もいるでしょう。SAMに思い入れがあればあるほど、ね。アンタにも抵抗はあるかもしれないけど……現在、空軍機で最高のスペックを持つのは【ラジエル】よ。やれるわね?」
「……おれに迷いはありません。あいつらに落とされるくらいなら、こっちからやります。おれは生きて、ツッキーや学園の仲間たちのところに帰る」
決然とした眼差しを返してくるシバマルは、すぐに踵を返してSAM格納庫へ急いだ。
司令席に掛けたマトヴェイはモニターに映る敵影を睥睨し、高らかに叫ぶ。
「輸送艦は何としても守り抜くのよ! 物資がなくなれば『基地』及び『プラント』の修復も叶わなくなる!」
カタパルトから連続で飛び立っていく【空戦型】と、【ラジエル】。
彼らの武運を祈りつつ、赤毛の大将はさらに海峡の向かいから飛翔した小さな影たちに舌打ちした。
「はぁ、『飛行型』もお出ましってわけね。奴ら、アタシたちを本気で陸に上がらせたくないみたいよ」
*
「海中の敵は私が相手取る! アキト、お前は現れたSAMに当たれ!」
海中より氷をかち割って躍り出し、開いた顎で獲物を食らわんとする『巨鯨型』の【異形】を『対異形ミサイル』の連射で迎撃するナツキ。
ゆうに50メートルに迫る体長の【異形】は、『第二級』の中でも最上級の脅威としてデータベースに記録されている種だ。
ハルの鎖鎌やアキトの死神の鎌でも大したダメージにならず、艦に近寄らせないよう足止めするのが精一杯という状況。
そんな中でのナツキの判断に、アキトは思わず異を唱える。
「っ、ナツキ。む、無茶だ……!」
「無茶ではない。私たちは『使徒』だ。【ドミニオン】のパイロットとして選ばれた存在だ。第二級などに敗れるほど弱くはない」
そう言ってからすぐに詠唱を済ませ、ナツキは海中に虹色の光のカーテンを張る。
数百メートルにわたって艦の側面に沿うように幕を下ろしたそれは、『アイギスシールド』そのものだ。
本来多くの人の魔力があって最高の強度を実現する防壁を一人で発動してのけたナツキは、その盾が巨体での突進をかましてくる敵をも受け止めるのを確かめ、改めてアキトへ言う。
「行け、アキト。お前ならば、敵の真意も確かめられるかもしれない。敵の声を聞き、その上で引き込まれないよう注意して臨め」
「……あれには、『トモダチ』が乗ってるのか?」
「その可能性が高い。やれるな?」
フユカが『お友達』と呼ぶ存在が何なのか、アキトにはいまいち分かっていない。ナツキは敵だといい、フユカは仲間だといい、他の多くの人々には認識さえ出来ないモノたち。
戦いになると頭の中で囁き始める、奇妙な「声」。それと同じ臭いがして、アキトはその『トモダチ』が好きではなかった。
「……な、ナツキが言うなら」
ナツキの声は甘い。その甘味が好きだから、アキトは彼に従う。
迎撃のため西へ飛び立つ彼を見送り、ハルは口を尖らせた。
「僕は行かせてくれないわけ?」
「お前は前科持ちだ。私のそばから離しはしない」
薬の投与量を増やしたおかげでハルの「暴走」は今のところ抑えられているが、いつまた暴れだすかも分からない。
失態を二度と起こさぬ覚悟で臨んでいるナツキは強い語気で言い含め、強敵の気配にうずうずしている赤髪の少年に釘を刺した。
「この『巨鯨型』を倒すのが先決だ。ハル、お前は奴の退路を断て!」
「っ、言われなくても分かってるっての!」
そう答え、ハルは『アイギスシールド』の突破を諦めて迂回しようとする『巨鯨型』の進路上に『対異形ミサイル』をぶち込んでいく。
比較的海面に近い位置にいた敵は、放たれたミサイルを察知して急潜行。
が、先を行っているのはハルの方だった。
「逃がさねぇよ、デカブツ!!」
鎖鎌を腰に収め、代わりに彼が抜いたのは『魔力銃』。
すかさず撃ち出された魔弾の雨は水をものともせずに突き進み、無防備な鯨の背に幾つもの穴を穿った。
「やったか……!?」
ハルは目を眇めて獲物の様子を確認する。
海中から煙のように上がってきているのは緑色の血液。それだけだ。攻撃の衝撃に漏らしうる気泡などはない。
「……レーダーが捉える生体反応は途絶えていない。潜行を許したか」
「チッ、深く潜られちゃ手が出せないじゃんか!」
渋面を作るナツキの言葉にハルも舌打ちし、既に敵の影の見えない海を見下ろす。
あとは海軍のSAMたちに任せるほかない――警戒を払いつつ視線を空に向けた二人は、空戦型SAMたちの戦いをしばし見守った。
整然と隊列を組んで接近してくる敵の【イェーガー・空戦型】へ、シバマルは通信チャンネルを繋げてみた。
敵が理智ある【異形】ならば、まだ声が届く可能性はある。
カナタがそう言っていたように、彼らとの「対話」を試みるのだ。SAMがSAMを撃つ惨劇――一年前の瀬那マナカや似鳥アキラによる暴虐の再来を防ぐためにも。
「おれは【ラジエル】パイロットの犬塚シバマル少尉です。聞こえますか」
『…………』
敵のパイロットはものを言わない。
繰り返しても結果は同じで、意思さえも見通せない沈黙があるだけ。
拳を固く握って頭を振るシバマルは、既に距離200メートルを切った敵に対してやむを得ず銃を抜いた。
「犬塚少尉、貴君は自由に戦ってくれ! 言葉が通じない以上、撃墜を狙うんだ! いいな!?」
「――了解です!」
事前の訓練時間が足りなかったこと、それから単に【ラジエル】と【空戦型】ではそもそものスペック差が一世代分違うこと――それが彼の別行動の理由だった。
シバマルは頷いて眼前の敵に連射を浴びせ、魔力の燃焼による加速で急上昇して迎撃を躱す。
第四世代機【イェーガー】を凌駕する速度でアクロバティックな飛行を実現する【ラジエル】に、味方の空軍兵は驚愕する。
「ここから先は通さない!」
鷹のごとき鋭い眼光で標的をロックオン、風の魔力を込めて解き放った弾丸が初撃を食らわしてきた敵を穿ち抜く。
着弾と同時にそれは爆発し、巻き起こった豪風が機体を木っ端微塵に吹き飛ばした。
風に乗って鼻を焦がす硝煙の臭いに顔をしかめ、シバマルは勢いを緩めることなく次の敵へ銃口を向ける。
繋げっぱなしだった通信越しに絶鳴の一つも寄越さなかった先ほどの敵機を怪訝に思いつつも、彼は重く固い引き金に指をかけた。
(気持ち悪い……なんか、訓練で的になってくれる旧世代機を相手にしてるみたいだ)
敵からは生気も、意思も感じない。こちらを捉え、銃撃してくる動きも完全に制御された機械的なものだった。
人が素手で撃った時に起こりうる微細なブレもなく、ただ照準を合わせたところへ弾丸を撃ち込むコントロール。
ゆえに、対空戦に不慣れなシバマルでも予測できた。
「何なんだよ、こいつら!」
二機目、三機目と撃墜していきながらシバマルは吐き捨てる。
周囲では残る敵を味方機が討伐し、その残骸が氷海へ墜ちる潰れた音が連続していた。
出現した総勢八機の敵SAMは、瞬く間に全滅させられる。
「これで、片付いたのか……?」
「油断するなよ、犬塚少尉! 何だか呆気なさすぎる。まるで、哨戒用の無人機のような……」
上官の忠告にシバマルは唇をぎゅっと引き結んだ。
油断すれば足元を掬われる。かつての敗北――『フラウロス』に為すすべもなくやられたあの雪辱を繰り返すわけにはいかない。
空は雲一つなく晴れ渡り、風すらない凪の天気。このまま終わってくれればいいのに、とこの場の誰もが思っていた。
だが、敵はそこまで優しくはない。
彼らは人類の倒し方を学んでいる。人とSAMの数には限りがあり、自分たちは無尽蔵の軍団を送り込めると知っている。
「――来たぞ、迎え撃て!」
「「「はっ!!」」」
空を覆う飛蝗のごとき『飛行型』の軍勢。
先程からポツポツと現れ出してはいたが、無人機の偵察が失敗したと見るや即座に物量での攻めを開始してきた。
司令部のマトヴェイは一挙に数を増やした敵を睨み、推測する。
「こちらが即効で出せる空戦SAMの数を測るための無人機だったのかもしれないわね。まぁ、どちらにせよあの数じゃ、こっちがどんだけSAMを揃えようがしんどいのは変わんないんだけど」
司令室内のオペレーター各員を見渡す赤髪の将は、その紅の唇を軽く舌で舐め、そして命じた。
「【レーヴァテイン】と【グングニル】を『飛行型』集団へ照準! 各個体の力は大したことないわ、とにかく数を減らすのよ!」
第二師団の生駒センリ少将は陸戦SAMを駆る自らが出撃できないことを歯がゆく思いながら、戦場を俯瞰していた。
第一師団の現在の進行度は、九州エリアまであと半分ほど。このまま妨害が激化すれば、到達時間はずるずると後に引き延ばされるだけだ。
とにもかくにも、まずは海を渡りきらねば話にならない。SAM全体の三分の二を占める陸戦機が力をフルに発揮できない現状は、こちらの不利だ。
「少将、俺が出ます!」「ボクも出させてください!」
彼に申し出たのは風縫ソラと早乙女・アレックス・レイである。
その意思に応じてセンリは頷き、彼らとその部下の【空戦型】全機に出撃を命じた。
司令部を飛び出していこうとするレイの背にミコトは声をかけ、彼の武運を祈る。
「レイ、お気をつけて!」
「――分かってますよ、ミコトさん!」
振り返らず肩ごしに親指を立てるレイ。
自分が騎士と呼ぶ少年をこの上なく頼もしく思うミコトは、センリに向き直って提言した。
「生駒少将。わたくしを空母へと下ろす許可をいただけますか」
「……そこから支援に徹するつもりか。だが、貴君に付けられる護衛はそう多くないぞ」
「構いません。わたくしは【機動天使】です、自分の身は自分で守れます」
敵は海・空の両方から押し寄せ、一機のSAMを守るためだけに戦力を割いている余裕はない。
だが、それを承知の上でミコトは言い切った。【機動天使】のスペックと彼女自身の実力を信用しろと、人類最強のパイロットに臆せず訴える。
「……そこまで言うなら、止めはしない」
「しょ、少将!? よろしいのですか、殿下を危険に晒すなんて――」
「麻木中佐、貴君が口出しすることではない」
皇女の身を案じてくる副官を一声で黙らせ、センリは毅然とした面持ちでいる少女を見つめた。
何か気の利いたことの一つでも言おうとした彼だったが……結局思いつけずに頷きだけを送る。
そんな寡黙で口下手な上官に微笑みを贈り、ミコトも司令室を出て行った。
「郷田少佐、第三師団の司令室へ繋いでくれ」
「は、はいっす!」
次いでセンリが打った手は、未だ港で待機状態にある第三師団との連携だった。
「夜桜大佐、【ラミエル】を出してくれ。御門中佐の……ミツヒロの力が必要だ」
第三師団、飛空艇内司令室。
センリからの要請を受け取ったシズルは、振り返ってミツヒロへ笑いかけた。
「センリくんから直々の指名よ、ミツヒロくん」
「……生駒、先輩……!」
ミツヒロが学園の一年だった時、センリは三年だった。当時アキラはセンリの試験での戦いっぷりに感激し、ミツヒロを連れて彼のもとに「弟子入り」しようとしたのだ。結局人付き合いの苦手なセンリには断られはしたが、それからは時折、暇な時間に訓練を共にしてもらったことがあった。
「……分かりました。俺、行ってきます」
敵が飛行型SAMを製造できたのは、おそらくはアキラがもたらした【空戦型】があってのことだ。
アキラを【異形】側に行かせてしまったのは、ミツヒロの罪。それを償うために、彼は戦場へ発つ。
「あの、私は!?」
「あなたはまだ温存よ、刘少尉。空戦機が万一全滅したら、こちらは圧倒的不利を被るわ。だから呑んで頂戴」
シズルに制されてユイは焦燥を抑えつつ、ミツヒロの席に着く。
飛空艇の砲撃を担う重役だがそれに臆することなく、彼女は凛然とモニターに映る無数の敵影を見据えた。
(大丈夫です、わたしたちなら。わたしたちの神を、信じましょう)
彼女らにとっての勝利の神――戦いの意思を結ぶ楔となっている少年に、ユイは祈りを捧げた。




