第百十五話『第二次プラント奪還作戦』 ―Well, sally!―
張り詰めた静謐の中に銀髪の女は佇んでいた。
今日この日から、彼女の司令としての集大成となる戦いが始まる。
いま彼女がいるのは『レジスタンス』本部司令室。ひな壇のようなオペレーター席の前方にある大モニターに映っているのは、都市直上の晴れ渡った山間部の景観。
そこには隊列を組んだ3個師団の兵士たちや戦車、戦闘機の類がずらりと並び、都市を守る魔力隔壁の解除を黙して待機していた。
司令部のオペレーターたちもカグヤの一声に備え、各コンソールの前で緊張感を纏っている。
「……お嬢様」
「ええ……わかってるわ」
一歩下がったところに立っている富岡に囁かれ、カグヤははっきりとした口調で応じた。
迷いはない。憂いもない。あるのは理想と欲望への執念のみ。
この作戦に全てを懸ける女は眦を吊り上げ、息を鋭く吸い――そして、宣言した。
「これより『第二次福岡プラント奪還作戦』を開始する! 『アイギスシールド』西区角第五、第六ブロック解除! 第一師団、進軍開始!」
一息に放たれた命令をオペレーターらが即座に復唱、それから実行に移していく。
兵たちの前方の空間には微かに虹色の光が揺らぎ、魔力の隔壁が一部解除された。
ほどなくして、彼らの行軍が始まる。
「さあ、行かせてもらうわよ! 皆、覚悟はいいかしら!?」
「「「サー、イエス・サー!!」」」
第一師団を率いる空軍大将マトヴェイ・バザロヴァの威勢良い声に、同じ飛空艇司令室にいる士官たちは敬礼とともに叫ぶ。
「いい返事ね。皆の戦いぶりに期待させてもらうわ!」
士気は上々。彼らの表情も一様に引き締まっている。
一部メディアからのバッシングを受けながらの門出となりはしたが、ミコトが付いてきてくれていることはそれ以上に彼らの闘志を燃やす結果を生んだようだった。
「第二師団も出撃するぞ。総員、進軍開始!」
生駒センリ少将の号令に、マトヴェイらに続いて彼らも動き出す。
青年の研ぎ澄まされた刃のごとき眼光がレイやミコトを含む司令部の士官たちを刺し、彼らに直立不動の敬礼を取らせる。
それから直ってすぐに各々の職務に当たりだした彼らを眺め、センリはスン、と微かに鼻を鳴らした。
(獣の臭いはしない……裏切り者は、ここにはいないか)
万を超す【異形】を討ってきた彼は、その修羅の道の中で【異形】の些細な臭いまでも嗅ぎ分ける力を会得していた。
『コア』と密接に結びつくことによる、脳の活性化――それによって後天的に得たもの、と彼は認識している。
このような力、身体が【異形】を求めている結果なのではとセンリは嫌っていたのだが、ここに来て役に立つとは思ってもみなかった。
(裏切り者は他の場所に紛れている可能性もある。だが……立場ゆえにここを離れられないのがもどかしいな)
作戦の中枢に位置する者たちがシロだと分かったのはいいが、憂慮の全てが解決したわけではない。
皆を不安にさせないためにも「裏切り者」については極力話題に出さない方針でいるセンリは、内心で歯がゆさを抱いていた。
「ミコトさま――いえ、皇少尉。既に『アーマメントスーツ』を着込んでいるようですが、もう少し楽にしていても構わないのですよ? あなたは学生の身です、出番が来るまでは部屋でゆっくり待機してもらっても……」
センリの側近である黒髪ベリーショートの女性、麻木ミオ中佐がミコトを案ずる。
だが薄桃の『アーマメントスーツ』を纏う少女は首を横に振って、控えめに笑ってみせた。
「お気遣い感謝いたしますわ。けれど、わたくしは軍人として、そして一国の皇女として、戦うあなた方の姿を目に焼きつけないわけにはいかないのです。それに、わたくしは同じ学生のレイと比べても経験不足。少しでも知ることから始めなくては、差を埋められませんから」
「本当によく出来た皇女さまっすね……この人がいてくれるなら、絶対リベンジを果たせるっす!」
センリの一番弟子を自称する青年、郷田コタロウ少佐は感心の吐息を漏らした。
先の戦いで巨馬の異形『ガミジン』に殺された葉山中佐と彼は親交があり、その仇討のためにも一段と張り切っていた。
「……レイ」
司令室の片隅に立つミコトは、隣に佇む金髪の少年を横目で見た。
大モニターを見据える彼の面持ちは険しい。思考に集中しているらしいレイの手をそっと握ると、彼はびくんと肩を跳ねさせてミコトのほうを向いた。
「み、ミコトさん……どうしました?」
「イオリの件でわたくしはシバマルらの前でああ言いましたが……本心は御門中佐と同じです。戦いとそれ以外の憂いは切り離すべき。そうでないと、敵に致命的な隙を晒すことになりかねません」
本当に憂いは、迷いは晴れたか。
皆の前で見せる優しい少女としての顔ではなく、一パイロットとしてミコトは確認してくる。
そんな彼女の目を正視して、レイは深々と頷いた。
「大丈夫です。ボクは彼に……必ず勝って帰ると誓いましたから」
出立の前日、レイはシバマルたちと共にカナタの病室を訪れ、そこで彼に帰還を約束した。
二週間経っても未だに消息を掴めていないイオリにも、同じように誓ったのだ。
敗北は彼らへの裏切りになる。だから、絶対に迷うことは許されない。
「なら、良かったです。たとえあなたが危機に陥っても、わたくしが共に支えます」
「……ありがとう、ミコトさん」
少女の手を力強く握り返すレイ。
失われた彼の翼の片方を担おうというミコトは、モニターに映る荒涼たる凍土を見つめてただ勝利を祈るのであった。
第二師団の全部隊が都市を発った後、最後となる第三師団の飛空艇司令室。
夜桜シズルの側に立つユイは彼女に敬礼し、申し出た。
「よろしくお願いします、夜桜大佐。敵が現れたらいち早く、わたしをお出しください」
「同じ部隊で戦うのは初めてになるわね、刘さん。【ミカエル】の機動力は空戦型SAMの中でも随一。こちらとしても、積極的に頼らせてもらうわ」
艶やかな黒髪の美女は柔らかく笑み、青髪の少女に小さく頷いてみせる。
第三師団の【機動天使】は第一次作戦の時の第一師団と同じ面子だ。だが、その脇を固める佐官以下の将校の顔ぶれは大きく変わっていた。
ミツヒロの側近だった立川中佐、シズルの直属の部下であった葉山中佐といった者たちが戦死し、そのポストには若手の少佐や大尉が就いている。
尉官以下には現場指揮官から司令部へと初の格上げをした者も多く、まだ二十二、三の彼らはガチガチに緊張した様子でオペレーター席に着いていた。
「ま、敵が出てくるにしても目的地に近づくまではそんなでもないと思うよー。遭遇する敵は先を行く第一、第二師団が軒並み片付けてくれてるだろうし、最初の二、三日は気楽にいっちゃって大丈夫だから」
強ばった表情の部下たちにそう言うのは毒島シオン中佐だ。
相変わらずの派手なメイクが目を引く彼女の緩慢な態度は、弛緩剤となって士官たちを少しだが和らげさせる。
(……アキラ。あの地でお前と再び見える時が来たら、俺は、この手で……)
彼の親友として、決着は自らの手でつけようとミツヒロは決意していた。
自分が止められなかった暴虐。感づいていながら何もできなかった罪。その贖罪として、親友をこの手で殺める。
名も知らぬ兵に撃たれるよりはその方がアキラも喜ぶのではないか――ミツヒロにはそう思えて仕方ない。
呑気で天然だった彼。身体と心の性別のギャップに苦悶し、時折ミツヒロに弱音を吐いていた彼。その笑顔を思い出すと、あの裏切りさえなければとつい繰り返してしまう。
(起こった過去は書き換えられない……それを分かっていてもなお幾度もやり直したいと願ってしまうのは、俺の弱さか。罪か)
似鳥アキラは罪人だ。そしてその罪を見過ごしてしまった御門ミツヒロも、同罪だ。
親友を討った暁には、自らの罪にも然るべき罰を与えてもらわねばならない。
本来ならば死罪になっても当然のことを、彼はしてしまったのだから。
(この世界にもしも神がいるのなら……全てが終わった後、俺を裁いてくれ)
幾度も失った仲間の墓標前で懺悔してきた青年は、神に懇願する。
深い悔恨を滲ませる横顔のミツヒロに視線を向けるのは、シズルだ。
「重く大きな罪……それは私も同じね」
*
「空母【エーギル】SAM部隊第一中隊隊長、水無瀬ナギ少佐でありますっ! よろしく、若きパイロットたち☆」
ピースサインと一緒にウインクも決める中性的な美青年、水無瀬ナギの挨拶に返されたのは残念ながら沈黙だった。
「…………」
「張り切りすぎて引かれてるぞ、ナギ」
「あれっ、おかしいなー。僕の想定では女の子が黄色い声を漏らし、男の子は羨望と尊敬の眼差しを送ってくるはずなのに……」
彼らは今、初めて海軍と合同で戦うことになった【ドミニオン】パイロットたちとの顔合わせを行っている最中だった。
空母内の食堂に集った四人の前で爽やかかつキュートに自己紹介をしたつもりのナギだったが、アオイに突っ込まれて肩を落とす。
が、彼は持ち前の前向きさで即座に切り替え、真面目な口調で語りだした。
「……ごほんっ。えー、君たちも知ってるだろうけど、僕らの海戦型【イェーガー】は陸空軍のそれと比べて数が少ない。予算の大半は艦船とかに注ぎ込まれちゃってるせいでね。空母の対空ミサイルは旧自衛隊の兵器を転用したもので精度も十分なんだけど、素早くかつ大量に襲い来ると予想される『飛行型』の全てを相手取るには小回りが効かない」
「それを補うのが我々の役割だと、事前に湊大尉から聞かされています。あなたの要請も既に承知しているところです」
ナギの言葉を先取りして言うナツキ。
『使徒』四人のリーダー格である彼は、軍内での自分たちが「異端」であることを十分に弁えていた。
出過ぎた真似をせず、着実に指示されたことだけをこなす。
言外にそれを分かっていると口にするナツキに、ナギはにっこりと笑ってみせた。
「僕より年下なのに、随分としっかりしてるね。ふふ、頼らせてもらうよ」
小柄な青年は眼鏡の少年のもとへ一歩歩み寄ると、その肩に手を置く。
残りの三人にも目を向け、ナギは「じゃあ、またね」とその場を後にしていった。
「……綺麗な人……なんだか、お母さんと目が似てる……」
「あぁ? おいフユカ、あんなのに絆されるんじゃないぞ。ああいうのは笑顔の裏に何を隠してるか分かったもんじゃないからね」
「お前たちは何を言ってる……。私たちはここでは余所者の立場だ、絶対に粗相をするんじゃないぞ」
ぼうっとナギの背中を見送るフユカに、ハルは唾を吐く真似をしてみせる。
ナツキは溜め息を吐きながら念を押し、それからアオイに向き直った。
「……私たちは決意の上で参戦しています。我々が学生であることを気にした配慮などは一切必要ないということを、改めて申し上げておきましょう」
「言われなくとも分かるさ、目を見れば」
アオイはそれだけ言って微笑み、親指をくいと立てて後ろを指す。
「この季節に【異形】が増える海域まではまだ時間がある。少し、デッキで海でも眺めたらどうだ? 都市では見られなかった景色、一度見ておくといい」
「うみ……? うみって、何、ナツキ?」
「地球上の陸地以外の部分で、塩水をたたえた所だ」
「お水? でも、このお船に乗る前、そんなのなかったよ?」
「む……確かにそうだが、辞書にはそう定義されてるんだ」
小首を傾げる金髪碧眼のあどけない少女に、黒髪で眼鏡の少年は若干戸惑いつつ教える。
まるで兄妹のような光景に頬を緩めるアオイは、彼らの肩を押して食堂の外まで誘った。
「見たほうが早いかもな。今の世界の形、海の形……知らなければ、人類の未来は見通せない」
甲板に上がったフユカたちはそこで、広がる銀面に息を呑んでいた。
海水の表面は凍てつき、強烈な冷気が船底から立ち上っている。
「……あ、あの、この空母……どうやって進んでるの?」
「船の前側面にある魔力拡散器から放たれる熱気で氷を溶かすことで、移動できているそうだ。……というかアキト、フユカやハルはともかく、お前まで予習して来なかったのか?」
夏だというのに初冬の風が吹付け、アキトの長い茶髪を揺らしていく。
少年は髪を押さえながら「……ごめん」と呟き、視線を下向けた。
「……あ、呆れた、よね。お、俺、現実逃避、ばっかりで……」
それが何を指しているのかナツキは分かっていながら、腕組みしたまま何も言わなかった。
あのライブ以降、アキトは頻繁に昼休みや放課後にミコトやレイとつるんで音楽に興じるようになった。これまで他人と殆ど口をきかずに過ごしてきた少年にとって、それはとんでもない変化だ。
【異形】を宿すことによる精神的な不安定さをそれで和らげられるなら、とナツキは不承不承だが彼の行動を容認していた。
「見てみて、ハルっ! 『お友達』がいっぱいいるよ!」
「わっ、引っ張るなよ! 危ないだろ!?」
ハルの服の裾を引っ張り、氷面や空を指差して興奮しているフユカ。
都市内よりもずっと多い靄のような【潜伏型異形】は、フユカたちに気づくとしきりに話しかけてきた。
フユカもその邂逅に大喜びで、舌っ足らずな口調ながらも一生懸命自分の伝えたいことを言葉にしている。
(不思議ちゃんとは聞いていたが、ここまでとは……『イマジナリーフレンド』ってやつなのか? それでもあの四人の中では一番強いっていうんだから、分からないものだな)
少し下がったところで彼らを見守るアオイは、目を細めて少女の口元を凝視する。
『コア』はパイロットの心の欠落を埋め合わせるように干渉し、力を増す。その前提知識から、彼はフユカが多少おかしくとも特段気にはしなかった。
ただ――自分たちを除けば両手で数えられるほどの水兵しかいないのにも拘らず、周囲から見られている感覚だけが、拭い去れない違和感として残った。




