第百十三話 円卓会議 ―Queen's pride―
『レジスタンス』本部の大会議室、『円卓の間』。
七月も半ばとなったこの日、その場には陸海空の全ての将校たちが集い、来る『第二次福岡プラント奪還作戦』に関する最終軍議を開いていた。
タブレット端末で各資料に目を通しながら各々が言うべきことを述べていく中、陸軍の冬萌ゲンドウ大将は行路について触れた。
「今回の進軍ルートは概ね前回と同様のものを用いたい。失敗の許されない作戦だ、ミスを少しでも減らすためにも慣れた道を行く方が良いだろう」
「いや、それはよした方が良いと思いますぞ、冬萌大将。奴らは『学習する』。こちらの接近を嗅ぎつけて前回通った道に伏兵を忍ばせてくるということも、ありえない話ではない」
冬萌大将に反駁するのは、陸海空の三人の大将のうち唯一前回の作戦に自ら参加した海軍のミラー大将である。
豊かな顎鬚を撫で付けつつ、黒い肌の将軍は視線を円卓の一角に置かれた液晶パネルへ向けた。
「ルートはエルに計算させればいい。彼女の精度は折り紙付きだ」
『えーっ、私がやるの? 細かい計算とか好きじゃないのに……』
「好みでなくとも得意なのだろう? 人類の未来のためだ、呑んでくれ」
ステンドグラスが輝く大聖堂を背景に佇む緑髪の少女は、露骨に顔をしかめてみせた。
だがミラー大将が頭を下げると、『まあそうだけど……』と渋々承諾する。
「んじゃ、ルートについてはそれで決まりね。早めにお願いするわよ、エル。一応各機にはナビがあるとはいえ、行く道はなるべく頭に叩き込んでおくべきなのだから」
咥えていた煙管を離し、紫煙と一緒に言葉を吐くのは空軍のマトヴェイ大将。
女装の麗人である彼は赤いアイシャドウに彩られる片目をつむり、AIの少女に言った。
「……学習する【異形】ね。ほんと、数年前じゃ考えられないことよ。彼らが人の戦術・戦略を理解してきているというのに、アタシたちは変わらないまま……だから、第一次作戦では敗北を喫した」
「ああ。おまけに味方の中に潜む敵――似鳥アキラや瀬那マナカといった【異形】に与する人間がまた現れないとも限らん」
失敗を省みるマトヴェイに相槌を打つミラーは、御門ミツヒロ中佐を一瞥した。
目線を感じて肩を強ばらせるブロンドの天然パーマの彼が悪人だとは、第一次作戦のあと何度か会って彼と話したミラーは思わない。
ミラーが期待するのは、彼の「番犬」としての役割だ。
最も信頼する者からの裏切りを経験したミツヒロは、それを経験していない他の者と比べてその臭いに幾分か敏感になっている。
「前回の失敗の直接的要因も、それ。はぁ……どういたします、ミラーのおじ様、冬萌のおじ様? 兵も士官も全員集めて、身ぐるみ剥いで身体検査でもします?」
「……アキラの坊主が【異形】の血液の成分を含ませた飴を所持していたということを鑑みると、やる価値はあるかもしれんな。だが……」
「完全に抜き打ちな状況でせねば、意味がない」
ミラーの言葉を継ぐゲンドウの発言に、この場の全員が押し黙る。
少しでもチェックを気取られたら証拠になりうるものを隠されて終わりだ。全員を同じ空間に押し込んだ時点で、検査だとばれてもおかしくはない。少人数のグループごとに抜き打ち検査をするにしても、不意の検査を受けたグループが複数出れば噂になり警戒されてしまう。
ならば、全体への検査よりもある程度容疑者を絞って行うほうが良い、と言えるのだが――。
「味方の中に潜む敵を探す……アキラくんの件でその存在が露見した以上、彼の同胞は簡単には尻尾を出してくれないでしょうね」
艶やかな泣きぼくろが扇情的な黒髪の美女、夜桜シズルは憂いた。
敵がどれだけ潜んでいるのかも、その見極め方も何一つ分かっていない状況。アキラに関しては物証がなければ誰も疑わなかっただろうことからも、敵が実際に動き出したところを捉えて捕縛する以外の策は難しいと思われた。
「見えない敵を気にするあまり疑心暗鬼となり、味方間の不和を生む……それだけは避けなければいけませんわ、大将閣下方。現場の雰囲気は士気に直結します」
「貴官の憂慮も承知している、夜桜大佐」
深い皺を眉間に刻み、机に肘をついて組んだ指の上に顎を乗せるゲンドウ。その仕草は彼が思考の沼にはまりこんでいる時の癖だ。
「必要な手はこちらで打つ。貴官らは戦いという本分に専念していればいい」
「……は、はっ」
揺るぎない口調で言い渡すゲンドウに、一瞬戸惑いながらもシズルは敬礼を返した。
彼女の隣に座る生駒センリ少将はゲンドウを真っ直ぐ見つめ、彼へ小さく頷いている。
その首肯から上官と部下以上の何かを感じたシズルは、センリの精悍な横顔をしばし横目で観察していたが――彼にじろりと睨まれて、視線を逸らした。
「――話を作戦へと戻すわ」
と、そこで、これまで沈黙していた月居カグヤが開口する。
以前よりも衰えてなお瞳の青色は色褪せさせない女は、全体を見渡して告げた。
「今回は陸海空の三個師団をもって、『福岡基地』及び『プラント』の奪還を目標とします。決行日は八月一日、一ヶ月での完遂を目指します。良いですね?」
立ち上がり、決然とした面持ちで言うカグヤに反論する者はいなかった。
余裕をもってミッションを完遂できる時間と、三個師団分を賄える食糧等の物資を十分保てる期間。その二つを天秤にかけて最大限譲歩できる時間設定が、一ヶ月だった。
皆が覚悟を持ってそれを受け止めるなか、挙手したのはミツヒロだ。
「御門中佐、どうぞ」
「確認させていただきますが、各師団は前回のように陸海空の三軍の混成部隊となるのでありますか?」
「ええ、そのつもりよ。ただ前回と異なるのは、部隊の分断は行わないこと」
前回は共倒れを避けるために、第一師団と第二師団は別行動となっていた。それが功を奏し、【ラファエル】の大魔法による全軍の壊滅は避けられたのだ。
だが、同じ手が理智ある【異形】相手に通用するとは限らない。
「敵は前回のこちらの戦略を踏まえて動いてくるでしょう。前回そうしてきたように、大量の【異形】による波状攻撃でこちらを疲弊させ、各個撃破を狙ってくるはずだわ。ならば、こちらも敵の物量には物量で対抗するまで」
兵たちを一定間隔で交代させるサイクルを形成し、一旦退いた者たちを十分に休息させる体制を築く。
そのためになるべく多くの兵を用意し、一人あたりの負担を可能な限り減らせるようにするのだ。
「物量には物量……単純だが、悪くはないやり方ですな。戦における数的有利は勝利に直結する。敵とのその差を少しでも埋め合わせれば、勝機も見えてくるかもしれん」
ミラー大将が唸り、その隣でグローリア中佐も頷いた。
それから「しかし」と意見するのは宇多田カノンである。
「第一次作戦でも物資、特に食料はギリギリ足りているという状況でした。第二次作戦ではさらに一万の人員が増えるとなると、我々の持ち分だけではとても凌ぎきれません。やはり、民間からの徴収を?」
「ええ。そうなると私たちへの風当たりはますます強くなるでしょうけれど、今は彼らに呑んでもらうしかない。『対異形緊急法』で私たちが物資を徴収することは認められているわ。メディアにはそれを十分に周知させてもらった上で、慎重に行いましょう」
『尊皇派』に近しいメディアはそれをネタに『レジスタンス』叩きを加速させるだろうが、全ての報道機関がそうであるわけではない。
国営のテレビ局をはじめとする現政権寄りのメディアなら、『レジスタンス』を勝たせるために尽力してくれるだろう。
彼女ら『レジスタンス』は【異形】との戦いだけでなく、渦巻く人の思惑にも抗っていかねばならないのだ。
「各師団の将校、及び【機動天使】や【ドミニオン】の配属は既に私や三大将で決定しました。これより発表します。
第一師団長、マトヴェイ・バザロヴァ大将。【イスラーフィール】宇多田カノン中佐、【ラジエル】犬塚シバマル少尉、【ガギエル】水無瀬ナギ少佐、そして湊アオイ大尉率いる【ドミニオン】隊もここに加わります。
第二師団長、【ゼルエル】生駒センリ少将。【サハクィエル】風縫ソラ中佐、【メタトロンmark.Ⅱ】早乙女・アレックス・レイ少尉。そして【ガブリエル】皇ミコト殿下。
第三師団長、【レリエル】夜桜シズル大佐。【マトリエル】毒島シオン中佐、【ラミエル】御門ミツヒロ中佐、【ミカエル】刘雨萓少尉。
――以上が主要機とそのパイロットの配属になるわ」
誰もが驚きをもってその発表を受け止めた。
前回は都市で留守番を食っていたマトヴェイについてもそうだが――新たな機体名とともに告げられたその名に、皆が司令の言葉を疑う。
会議室がにわかにざわめくなか、カノンは司令に真偽を訊ね、ソラは爪を噛みつつ早口に呟いた。
「司令、今ミコト殿下の名前が聞こえた気がしたのですが……それは、本当に?」
「正気じゃないぞ、皇女殿下を戦場に送りだそうだなんて。ただでさえ強い市民の反感が限界突破しちまうんじゃ……!?」
「私は正気よ、風縫くん」
そう断言し、カグヤは事のあらましを語る。
「ミコト殿下の適性は、先の入学式でのエキシビションマッチや試験での成績で十分に証明されているわ。それに……これは、殿下自身の意志なのよ。わたくしには力がある、それを活かせる機体と機会が欲しいと頼み込んできたのは、彼女自身」
宮内庁の役人からミコトの書簡を受け取り、それに目を通してカグヤは彼女の意志が確固たるものと知った。
それから極秘裡に何度か連絡を取り、『第二の世界』で最新機【ガブリエル】に試乗してもらった上で、彼女の【機動天使】入りが決定したのだ。
「彼女は皇女としてではなく一パイロットとして、皇ミコト少尉として扱ってくれと言っていたわ。自分だけ軍の縦社会から外れるわけにはいかないとね。だから、そういう配慮はいらないそうよ」
部隊の編成の発表を最後に、この日の会議は幕を閉じることとなった。
ミコト加入の衝撃、そして各々の覚悟を胸に一同は解散する。
離席していく者たちへ「私はもう少しここに残るわ」と言い、カグヤは皆が退室するのを待った。
そしてこの場に彼女と『エル』の液晶パネルだけになった途端、カグヤは懐をまさぐって錠剤の入った小瓶の蓋を開ける。
「っ、はぁ、はぁっ……」
不自然に早く脈打つ胸を左手で押さえ、もう片方の手で薬を口に放り込む。
それを一息に飲み込むと彼女の動悸は次第に収まった。だらりと脱力し、背もたれに身体を預ける。
『思ったより進行が早い……「彼」の魔力がないと生きていられないほどに』
憐憫の眼差しを向けてくるエルに、カグヤは普段のように笑みを返す余裕もなかった。
浅く呼吸する彼女はパネルの中の少女を睨み、掠れた声を絞り出す。
「寿命がないからって、哀れんでいるの? この私を、見下そうっていうの? データを削除されたらおしまいの、私に生かされているだけのあなたが……?」
『私という存在は、この電子の海の中に揺蕩うものさ。その全てを消し去るなんて、人類ごと滅ぼさない限り無理だね』
情報として生き続ける者。命なくとも心だけを生かす者。
ある意味不死者といえる彼女に対し、命の限界を感じているカグヤは――羨望を、抱かなかった。
「私の美しさは、私という肉体あってこそのもの。虚像の身体なんていらないわ、私の価値はオリジナルの私にこそある」
脳のデータを全て読み取り、電子空間にコピーすることで死後も心だけ生き続けられるという技術。
公には知られていないが、それは既に完成している。情報を読み取るデバイスは『コア』。それを可能にするのは『同化現象』。
『同化現象』を起こした者は心を失っているのではなく、心を『コア』へ移動させただけなのだ。肉体がなければ魔力を発生させられないために無人機の実験では使い物にならなかったが、エルのように電脳世界に人を生かす技術には使える。
『それが君の矜持なら……止めはしないけれど。でも、命の使い方だけは誤らないでおくれよ。君の心に宿る「彼」は、鍵だ。カナタくんを目覚めさせるための』
「他に手段があるかもしれないじゃない。神様気取りで私に指図しないで」
相容れない少女へそう吐き捨て、カグヤはエルのパネルの電源を切った。
彼女はエルに言われたことを反芻し、痛む額を押さえながら溜め息をつく。
「……私の命は私のものよ。他の誰にも……」
司令として為すべきことを果たすために、この命はまだ必要だ。
青白い照明に一人照らされる女は、瞼の裏にかつて愛した男の顔を浮かべる。
(……同じ理想を夢見ていた。なのに、私は……)
欲望のために罪を負った。その贖罪のためにも、月居カグヤは彼が目指した世界を作り上げなければならない。
凛然とした面持ちで女は会議室を出、いつものように隠された地下空洞へと足を運んだ。
ひんやりとした空気が漂う、氷漬けにされた【異形】が幾つものガラスケースに入れられている場所。
ここは彼女の「欲望」が凝縮された領域だ。彼女が「夢」を見るための聖域だ。
「あなたたちを全部、私のものにするまでは……私は、散れないのよ」




