第百六話 未来を望む者 ―"Wait for a good opportunity."―
その後、基地内に残存していた低級【異形】らは生徒たちの尽力により数時間で掃討。
二年A組の最初の実戦試験は、彼らの勝利という結果に終わった。
『第二次福岡プラント奪還作戦』の模擬戦であったこの試験での彼らの勝利は、その日のうちに『レジスタンス』へ届けられた。
しかし月居司令も担任のキョウジも、その勝ちだけで有頂天になれるほど愚かではない。
あくまで今回の戦いは、学生の試験向けに敵のレベルを設定したもの。『第一次奪還作戦』のような地獄の戦場にはならなかった。
「この勝ちで早乙女くんや刘くん、【イェーガー・ドミニオン】のパイロットらが自信を得れば……次なる作戦への展望は、明るくなるはずです」
その日の夜、『レジスタンス』本部二階のカフェにて、キョウジは久々にカグヤと二人きりで談話の時を過ごしていた。
コーヒーを傍らに本日の試験をそう総括する白衣姿の男に、銀髪の女性は「そうね」と微笑む。
だが、その微笑みにかつての輝きはなかった。年齢にそぐわないハリのある艶やかな肌も、男女問わず魅了する美貌も、以前に比べると衰えたように思える。目元や口元の小皺など昔は不自然なほどになかったのに、今では年が透けて見えた。
「……あなたの表情は明るくないわね、矢神くん」
「いえっ、別に、何か変なことを考えていたとか、そういう意味では……」
「嘘が下手ね。あなたも老けたということかしら」
溜め息を吐き、女は上目遣いに男を見た。
窓際のカウンター席で隣同士のキョウジの肩にカグヤは身を寄せ、そして、か細い声で囁いた。
「年下の男に縋るなんて、情けないって分かってはいるの。でも……今だけは、頼らせてちょうだい。わがままだとは承知してるわ、それでも……」
息子が目覚めないまま半年以上もの時が過ぎ、追い打ちをかけるように『反レジスタンス』の勢力が増え始めたことで、彼女は憔悴しきっていた。
誰かに助けを求めたい。辛い気持ちを一瞬だけでも構わないから、忘れたい。
頼れる相手は、弱さを曝け出せる者は組織内にはいない。ならば、もう彼しかいないのだ。
「……構いませんよ。たまには、そういう時間も必要でしょう」
男のその感情に打算はなかった。
最初は恩師の死の真相を掴むために近づいた相手だった。だが、その冷たい司令としての仮面の底に眠る一人の女の顔を知ってからは、彼女を守ってやりたいという思いが湧き上がってしまった。
風の吹き付ける過酷な崖の片隅に咲く、一輪の花。それを保護したいという気持ちは、決して間違いではないはずだ。
その癒しの手段が身体を溶け合わせること以外になくとも、きっと、許されることのはずだ。
(組織の設立当初、司令の任期は五年と決められた。彼女を「下ろす」選択肢は組織の役員たちにはあったはずだ。にも拘らず四期も続投させられてしまったのは、彼らが司令を知らなすぎたからか)
月居カグヤは完璧な司令を演じ続けた。あの『福岡プラント』の悲劇が起こった三年前までは、彼女は文句なしの「英雄」であった。
福岡プラントにまつわる失態から、あの地を「悪魔の箱」などと形容する者も世間にはいる。だがキョウジは、あれこそが月居カグヤにとっての「救いの手」だと思う。
二度の失態は彼女のイメージに傷を付けた。秋に控える司令選挙での彼女の勝ちの目は、おそらくないだろう。
今期をもってカグヤが司令職を辞し、その責務から解放されれば、彼女は一人の女性としての幸せをようやく手にすることが出来るのだ。
誰から糾弾されることもなく、ジオフロントの僻地に家を買って穏やかな日々を過ごす――そんな当たり前の平穏をやっと掴めるようになる。
もしそうなったら、自分はどうするか。キョウジはその答えを、既に決めていた。
「では行きましょう、司令」
「……ええ」
手を差し伸べ、彼女をエスコートする。
似合いもしない紳士的な振る舞いに自分で笑ってしまうキョウジに釣られたように、カグヤも頬を緩ませた。
*
とある少女は語る。
『眠いかい? ふふ、不思議だよね。実体としての肉体がない私たちが眠くなるなんて。ヒトの遺伝子に刻み込まれた本能、それをプログラムが再現してくれているんだよ』
『レジスタンス』地下に隠された大空間。
そこに置かれた液晶パネルに映るのは、大聖堂の内部を背景に修道着を纏って立つ緑髪の少女だ。
エメラルドグリーンの大きな瞳を持つ可憐な彼女の名は、エル。『新東京市』のシステム全てを司るAIに付与された「人格」である彼女は、時折この地下空間に現れては、そこにいる「友人」と会話していた。
『優れた科学は魔法と変わらないっていうけれど、ホントだよね。私たちの時代の魔法にようやく科学が追いついた、って感じ! ……あ、これは『魔導書』の秘密に抵触する事項だから、他所には言わないでね』
うっかり口を滑らせた彼女は両手を合わせ、向かいに置かれた液晶に映る「友人」にウインクした。
お茶目なエルに画面の中の少女はくすりと笑み、ある質問を投げかけた。
その問いに確認のため少し時間を置いてから、エルは回答する。
『生命に別状はないよ。経過は良好、壊れた心の穴を埋める「何か」さえあれば、いつだって再起できるだろうさ。……しかし、君は毎日のようにそれを訊くね? それだけ好きってことかい、彼という人間が』
エルの言葉に「友人」の少女は頷きを返した。
少女の目があまりに真っ直ぐだったため、エルは軽く目を見開く。
『その感情はとても尊いものだよ。人が人に抱く無償の愛……それこそが平和を紡ぐ糸であると、私は思う』
胸の前で手を組み、祈るようにエルは目を閉じた。
『それでも……人も、理智ある怪物たちも、争わずにはいられない。知性があれば悪意も生まれる。悪意は悪意と触れ合って、より大きさを増す。かつての君がそうであったようにね』
「友人」の胸を抉り、痛ませる言葉だと分かっていながらエルは言った。
少女の茶色の瞳を正視して、答えのない問いかけをする。
『私たちが間違えずに進む道というものは、本当にあると思うかい?』
それは……、と少女は口ごもった。
彼女はまだ16の少女なのだ。世界の全容も、隠された真実も知らない、一人の女の子。初めからエルも、はっきりとした答えは期待していなかった。
だが――「友人」は言ったのだ。
「彼」が目覚め、表舞台に立てば、あるいは……と。
『君はそこまで彼のことを仰いでいるんだね。その信頼、信用を悪いものとは言わないさ。でもね……祭り上げられ、使い潰された「英雄」の末路を知らないから、君はそう言えるのさ』
月居カグヤもその一人だ、とエルは例を挙げた。
心底悲しそうな、あるいは哀れむような表情で彼女は続ける。
『でも、それが……人が求めてやまないものなのかもしれない。いつだって、拠り所になる「光」を私たちは願ってしまう。光があればそこに影もあるというのに、そのことを考えもせずに』
微かに震えるエルの声に、「友人」の少女は何も返す言葉を持たなかった。
【異形】たちが凍結されて飾られている地下空間に、沈黙が戻る。
『おやすみ、■■■。そして■■。君たちの未来に幸あれと祈るよ』
パネルの表示はそれで途絶え、後にはスリープ状態の黒い画面が残される。
電脳世界に生きる少女は今も愛し続ける少年を思いながら、また共に空を飛べる日を願って眠りに就くのであった。




