第百五話 鬼神の少女 ―She protects my mother certainly.―
ユイの言葉にシバマルは静かに頷きを返した。
……そうだ。まだ、戦いは終わっていない。ワームホールやそこから出てくる【異形】たちを片付けても、基地を奪還しなければ作戦は完了しないのだ。
魔力を一気に使い果たし満身創痍でいるユイに代わって部隊に声を放ったのは、イオリである。
「【異形】たちは軒並み排除された! 全軍、前進!!」
消耗から地面に膝を突いていた者たちが一人、また一人と立ち上がっていく。
震える脚に活を入れ、互いに言葉を掛け合って心を奮わせ、一歩前へ。
魔力回復薬を各自で使いながら、彼らは無理のないペースでの進軍を再開した。
「あなたのスタミナ【異形】並みね、七瀬くん」
「昔っから身体は頑強な男だったからな、俺は。しかし、冬萌も悪い例えをするな」
「あら、これは最上級の賛辞よ」
シバマルと並んで誰よりも積極的に動いてきたイオリは、前者に比べて割と余裕を残しているように見えた。
黒髪の少年はそれについて言及するユキエに笑みを返し、少し口を尖らせる。
そんな彼にユキエもまた頬を緩め、後ろに付いてきているクラスメイトたちの様子を確認した。
「基地への突入を果たせたとして、今の私たちの状態では少しでも無茶な動きをすれば瓦解するわ。あなたや犬塚くんの鼓舞があってこそここまで来れたわけだけれど、戦果を逸るあまり『無理をさせる扇動』だけは避けるようにね」
一歩間違えば奈落へ足を踏み外す危うさがこのクラスにはあるのだとユキエは指摘した。
そしてその間違いへと皆を誘導してしまえる力を有する少年を画面越しに真っ直ぐ見つめ、ユキエは釘を刺しておく。
陸軍大将の娘として学んできたユキエは、このクラスで最も対局を見る目に長けていた。イオリやシバマルは戦術的な視点からいえば大きな力を持つが、まだ戦略的に深く考えられる境地に達していない。
彼らに諫言できるのは【機動天使】の二人を除けば自分だけ、そう弁えた上でユキエは言った。
「……了解。気をつけるよ」
「これからは何か全体に言う前にまず私に一言入れて。手間だと思うけど、ダブルチェックは必要よ。いいわね?」
イオリが首を縦に振るのをしかと見届け、それでユキエは通信を切った。
彼女は空を見上げ、未だ地上からの射程範囲外にいる【第一級異形】を観察する。
地上の部隊を邪魔するものがなくなった今、あの巨鳥の【異形】への対応も変わっていた。
ナツキ、アキトの両名はレイの指示で『ハルファス』を地上部隊から遠ざけ、多少の無理は承知で自分たちだけでの撃破にプランを変更。ユキエたちが確実に基地へ突入できるよう全力を尽くすこととなった。
(頼むわよ、【ドミニオン】!)
同じクラスに所属しながらまだ一度も口を利いたことのない少年二人。
だが言葉を交わさなくとも、その戦いぶりを見れば彼らが真摯にSAMというものに向き合っていることは理解できる。人体にはない機構の翼を自在に操り、苦もなく多くの特殊装備を扱えるようになるまでに、彼らは並大抵でない努力を重ねてきたはずだ。
そのSAMにかける情熱は同じ。戦いにかける思いは違えど、その熱量は等しいものだ。
シンパシーを感じるパイロットたちへユキエは胸中で声援を送り、皆を率いて戦陣の戦闘を進んでいく。
しかし、彼女にも【ドミニオン】パイロットらに関して心配がないわけではなかった。
最上フユカ――鬼神のごとく『飛行型』を破砕していた彼女の動きが、先程から見られないのだ。
何があったのかは分からないが、空中でホバリングした状態のまま変化がない。
(彼女の心配は後回しよ。今はとにかく、彼らの奮戦を無駄にしないためにも進まなくては!)
*
司令室からコウノトリ型の【第一級異形】、『ハルファス』をつぶさに観察するレイは、その攻防についての情報を脳内で整理していた。
第一に、敵は防御と攻撃を両立できない。
第二に、敵の主な攻撃である圧縮空気弾は開口しなければ撃てない。
第三に、敵の防御には攻撃を認識してから発動までコンマ数秒のラグがある。
その全てが付け込む隙になりうる。
しかし、逆にいえばその隙を突けなければどうにもならない。敵の防御魔法の性能は類を見ないほどに高いもので、都市を防衛している『アイギスシールド』をも凌駕していると思えるくらいだ。
真正面からの突破は現状、不可能と考えていいだろう。
今はナツキとアキトの攻撃によって敵を防御に専念させ、時間を稼いでいるという状況だ。だがそれも、二機の魔力が持つまでの猶予。両機ともこれまでの『飛行型』との交戦で既に消耗しており、そう長くは持たない。敵を反撃に移らせないペースでの攻めとなれば、魔力消費は一層早くなってしまう。
ナツキの小型砲による光線、アキトの死神の鎌による「見えざる刃」が『ハルファス』を追い立て、地上部隊からも飛空艇からも離れた位置にまで移動させているが、戦況は先程から変わらぬままであった。
(敵の防御が発動するまでのラグ、そこに突破口はあるはずなのに……!)
だが悲しいかな、ナツキとアキトの速度ではその壁を破れない。
【ドミニオン】四機はパイロットや武器に合わせてそれぞれチューニングされており、能力には機体差がある。ナツキ機は防御、アキト機は魔力増幅器の性能が特に優れている、といった具合だ。
そして、いま最も求められる速さに長けているのは――ハル機。
しかし生憎、ハルは暴走を起こしレイと交戦した結果、前羽の片方を失ってまともに飛べない状態に陥っていた。
(この場にカナタさえいれば……)
銀髪の彼なら、刹那の間に敵の懐に潜り込んで一撃を叩き込めた。
無いものねだりをしてしまう自分に心底嫌気が差して、レイは頭を振った。
戦場に今あるもの全てを使い、敵を倒す戦い方を組み立てる。今の早乙女・アレックス・レイの使命はそれだ。
頭を回せ。情報を精査しろ。要らないものは除外し、本当に必要なものを炙り出せ。
「早乙女さん……!」
瞑目して思考に沈み込む少年に代わり、メカニックたちは戦場に目を凝らす。
空中を飛び交って敵の現在地からの移動を許さない【ドミニオン】と、二種の防御魔法を同時発動して完全なる守りを実現している『ハルファス』。
【異形】の巨体に蓄積された魔力とちっぽけなSAM内の魔力、どちらが先に尽きるかは明白だ。
メカニックたちは何も助けになれない自らの非力を呪った。今はもう、彼らには見守ることしかできない。祈ることしか、できない。
「気に入らない、あいつ……!」
最初は通った攻撃も、繰り返すうちに敵は対処法を理解し始める。
鎌を振る挙動を認めたそばから防護のベールを展開し、その『見えざる刃』を無効化してくる『ハルファス』に、アキトは苛立ちを露に唸った。
「落ち着いていけよ、アキト。失敗作のようになりたくはないだろう?」
「……ナツキ」
「保護者」役の少年に何か言いたげなアキトだったが、言葉を抑え込んで敵を睥睨する。
下から実剣で攻めるナツキと、上から魔法で攻めるアキト。二人の攻勢によって敵は今、空中の一点に釘付けとなっている。
「……チッ」
刃の一本が刃こぼれし、ナツキは舌打ちした。それでも砕け散るその時まで使い潰すつもりで、彼は剣撃を続行する。
最初は硬質なベールの突破を狙い、優れたコントロールで一点に攻撃を集中させていたナツキ。だが今は消耗と共に集中力も徐々に欠け、その剣筋もぶれてきていた。
もとより彼の得意な攻撃スタイルは、大盾で守りながらの射撃戦。【ドミニオン】は本来四機での連携を前提に設計されたSAMで、敵に近接しての白兵戦はハル機とフユカ機が担う役割であった。
(フユカは――?)
彼女が暗示によって『敵』と思い込んでいた『飛行型』は、ユイの炎によって全て焼き尽くされた。
力を解放し鬼神のごとき活躍を果たした彼女は現在、何を思っているのか――それを思うと気が重かったが、ナツキはフユカへと通信を繋いだ。
「フユカ! お前の敵はまだ消えたわけじゃない、分かるな?」
『な、ナツキ……わたし、怖いよ、ナツキ……何で、私の手、こんなに汚れてるの……? なんで、なんで、あの子たち、みんな……』
「いいから聞け! 『母さん』に死なれたくないだろう!」
その「母さん」という一単語を聞いた途端、フユカは息を鋭く吸い込んだ。
彼女をコントロールするための暗示、その「条件付け」に使われる言葉がそれだ。「母」にまつわる単語を聞くだけで彼女はそれを失いそうになる恐怖体験――仮想現実で何度も何度も見せられたものだ――を思い出し、防衛のために『力』を呼び起こす。
「あの巨大な鳥を倒すんだ、フユカ! お前ならやれる。お前の力ならば、母さんを守れるんだ」
『……分かった。わたしが、戦う。お母さんを、まもる……!』
平生の彼女は戦いを恐れ、兵士としては到底使い物にならない。
だが一度『力』を解き放てば、他に追随する者も限られるパワーをその身に宿すのだ。
『うあああああああああああああああアアアアアアアアアアアア――ッ!!』
か弱い少女が獰猛なる獣へと一変し、二刀の小太刀を胸の前で交差に構えて飛び出していく。
その気配にコウノトリの【異形】もすぐに気がついた。真紅の瞳を上空へ向け、雲を切り裂いて出現した漆黒のSAMに殺意の眼光を送る。
「動き出した!? 彼女、まさか突っ込むつもりなのですか!?」
司令室のレイは驚愕の叫びを上げていた。
二機でかかって破れない防護のベール。たった一機が加わったところでどうこうなるとは思えない。
その考えは司令室の他の者たちや、地上のユキエたちも同じだった。
誰もが無謀なる突進としか思えない、後先顧みない少女の攻撃。魔力の烈火を推進力とし暴走列車のごとく敵のベールへ突っ込んだフユカ機は、二刀の切っ先をそこへ突き立てる。
『アアアアアアアアアアアアッ!!』
少女の鼓動は荒れ狂い、澄んだ青の瞳は血肉の赤へと染まる。光を失った眼は敵意と殺意に満ち満ちて、その喉は獲物の死を望む砲声という歌を奏でた。
最愛の母を守りたい。
彼女を突き動かす唯一の感情は理性の箍を破壊し、限界を超える出力をSAMに強制した。
これ以上の魔力負荷は機体が耐えられない――それを訴えるアラートの不快音が鳴り続ける中、フユカはそれを無視して軋み震える腕に更なる力を乗せた。
『――――!?』
オーロラのような輝きを放つ硬質なベールに、亀裂一筋。
バキリ、というその音は【異形】にとっての死の宣告。
肉薄する絶命の気配を感じ取った『ハルファス』は、魔力消費を顧みない火事場の馬鹿力でさらに五枚にも及ぶベールを重ねがけた。
一枚でも二機の【ドミニオン】の攻めを通さなかった防御。それが五枚も追加されれば、誰だって突破など不可能。
――それが、『ハルファス』の誤算だった。
『アアアアアアアアアアアアアアアッ――――!!』
少女の絶叫が機体に極限の力を与え、その翼を、腕を燃やした。
流れ出る魔力液と噴出する硝煙。
体中の筋肉が悲鳴を上げ、心臓がのたうつ血潮に痛哭を漏らしてもなお、少女は止まらなかった。
母親を守れるならば、自らの命さえ惜しくはない。
その意志を身体をもって証明するフユカの緋色の刃は、一枚、また一枚とベールを貫いていく。
『アアアッ、アアアッ、アアアアアアアアアアアア――――ッ!!』
『ハルファス』の見上げた視界に映るのは、半透明のベールを一枚ずつ突き破って近づく獣の姿だった。
あと三枚。――破られる。
あと二枚。――あえなく散る。
あと一枚。――もう猶予はない。
パイロットのそれと同じく真紅に輝く【ドミニオン】の両眼が『ハルファス』の目を射抜き、そして――
「お前は『完成形』だ、フユカ」
ナツキの微笑みと同時に、最後の連撃が『ハルファス』の首を両断した。
大地は滂沱として降り注ぐ緑色の血液によって濡れ、落下した怪物の身体のために揺らぐ。
誰もが瞠目し、言葉を失っていた。戦場に重く横たわるその沈黙を最初に破ったのは、ユキエだった。
「全軍、進行を再開! 【第一級】も【第二級】以下の奴らも全滅した今がチャンスよ! 基地へ突入せよ!」
「りょ、了解!」
その勝利を無駄にしないためにも、地上部隊のパイロットは一斉に行軍速度を上げて基地へ直進した。
飛空艇【テュール】もそれに続き、高度を下げて求められる補給にすぐ応えられるよう備える。
そして空の【ドミニオン】三機は武器を下ろし、ナツキ機は文字通り燃え尽きかけているフユカ機を抱いて帰投。アキトもそれに倣った。
「総員、武器の持ち替えを! 基地シェルター内は外に比べて小回りがききません、相応の装備でないと内部の小型【異形】の反撃を押さえ込めませんよ!」
レイの号令により、基地前に停まった【テュール】へ地上部隊が帰投。
補給する者と哨戒する者とで交代しつつ魔力の充填、武器の換装を手早く済ませる。
「ふふ、最後のひと仕事ってやつ? 任せといて、自慢じゃないけど雑魚狩りは大得意だから!」
「犬塚、七瀬、冬萌、神崎。てめえらは休んでろ。あとは俺らで片付けてやるからよ」
そう意気揚々と小銃を担ぐのはカオルとカツミだ。
彼らはユイの指示で、【異形】らを掃討した後の基地内への進入のために力を温存していたのだ。
仲間たちが必死に戦っている最中も援護したい思いを堪えてきた甲斐があったと、カオルたちは笑う。
「さぁ、行くよ!」
そうして作戦の仕上げとなる基地進入は開始された。
司令部からパスコードを入力してドーム型のシェルターの扉を開き、そして突入していく。




