第百四話 閃く白銀、舞い降りる炎 ―I'd like to go up to the same height as you.―
出現した【第一級異形】『ハルファス』を睨み据え、【イェーガー・ドミニオン】を駆るナツキは空を蹴って飛び出した。
敵はビームを屈折させるベールを繰り出してくる。ならば刃で立ち向かうしかない。
自らの誇りと威信にかけて負けるわけにはいかないナツキは、裂帛の咆哮を打ち上げて『拡張式腕部』から二刀の連撃を突き込んだ。
敵の目前にある虹色のベールに、刃が触れる。
「っ……!」
ぐにゃり、と歪む魔力のベール。
シャボン玉の膜のようにそれはすぐにあっさりと破れ、少年の突破を許してしまう。
実剣の攻撃ならば通る――確かな手応えと共にコウノトリ型の【異形】へと肉薄した彼は、敵の頭上へと躍り上がって剣を振りかぶった。
「はああああああああッ!!」
赤い呼気を吐く少年の獣じみた咆哮。
魔力に髪を逆立て、瞳を赤く燃やし、爪牙を伸ばした彼の一撃が、敵の頭部をかち割らんとした。
が、その瞬間――。
『ピョアアアアアアアアッ!!』
甲高い鳴き声と同時に新たなベールが『ハルファス』の頭頂部手前を覆い隠し、その刃を拒絶した。
刃に伝わるのは、巨岩を叩いたかのような硬い手応えと衝撃。
ベールの色は先ほどの虹色とは異なる、鈍色だ。
「チッ――」
魔法を防ぐもの、刃を防ぐもの。敵はその二種の防護魔法を使い分ける。
厄介だ、とナツキは舌打ちした。攻撃が防がれたと見るや否や急上昇して離脱する彼は、眼下の巨鳥への対処方を思案する。
ナツキが離れたそばから嘴を開き、圧縮空気弾を撃ち放つ『ハルファス』。
飛空艇【テュール】は『アイギスシールド』を展開、着弾したそばから爆風を巻き起こすそれを受けるも、衝撃に艇体を激しく揺らした。
「シールドの強度が……! これでは、長くは持たない」
ユイに代わって指揮を取る司令室のレイは、そう歯噛みした。
度重なる【レーヴァテイン】、【グングニル】による砲撃と『アイギスシールド』の使用により、飛空艇の魔力は限界を迎えようとしている。
『コア』に魔力を吸い上げられた乗員たちの中には、既に倒れた者も少なからずいた。
オペレーターの少女がまた一人気絶したのを横目に、レイは彼女の席を奪ってナツキらへと指示を打つ。
「ナツキくん、もう艇が持ちません! 君はユイさんと協力して、あれを地上まで引きつけてください!」
その場しのぎでしかないかもしれないが、飛空艇からハルファスを遠ざける。
地上のシバマルらの攻撃が届く位置に敵が移れば、勝機はあるはずだ。いや――あるのだ。
どんなに強大な【異形】も生物だ。弱点の一つや二つはあるだろう。そこさえ突ければ、消耗している自分たちにだって勝つ可能性はある。
「――君の勝利を、ボクたちの勝利を、信じています」
その耳障りのいい言葉に、ナツキは眼鏡の下の目を不快げに細めた。
この戦闘で何度目かも分からない舌打ちを繰り返す彼は、残り僅かとなった魔力量を気にしながら光線と対【異形】ミサイルを同時射出する。
「墜ちろッ……!!」
魔力光線と、実弾のミサイル。
ナツキの予測通り敵は二種のベールを発動し、それを呆気なくシャットアウトしてみせた。
――だが、それで構わない。
二種の魔法を同時発動すればその分、魔力を多量に消費する。そして敵を地上近くまで追いこめば、一体の【第一級】に対し三十近いSAMの攻撃を浴びせることが出来る。そうして持久戦に持ち込めれば、数で勝るこちらが敵の魔力を枯らすことも不可能ではない。
「アキト、上を取れ! コウノトリ狩りだ!」
「……了解」
これまで様子見していたアキト機も動き出し、死神の鎌を振りかぶりながら猛烈な速度で上昇していった。
鮫の歯のごとき細かい目の刃の縁には、紫紺のオーラが纏う。
ニヤリと笑みを刻んだアキトはその鎌で空を斬り、円弧を描く斬撃の軌跡に残留した魔力は「見えざる刃」と化して敵へと飛来した。
『アアアアアアアアアッ――!?』
直後、被弾した【異形】の悲鳴が響き渡る。
右翼の一部から緑色の血液を飛散させる巨鳥の痛哭に、ナツキは瞠目した。
攻撃が通った。それはすなわち、『ハルファス』に魔力を感知する能力は殆どないだろうことを意味する。
何が起こったのか理解できず鳴き喚く『ハルファス』にアキトは嗜虐心を刺激され、容赦なく追撃を浴びせていく。
「アハッ♪ もっと、痛いの……刻みつけてやる」
仄暗い快楽が少年の身体を打ち震わせ、死神の鎌の連撃を無作為に見舞わせる。
頭上から襲い来る不可視の刃に『ハルファス』は逃げ惑い、ナツキの目論見通り降下していった。
「七瀬! 【第一級】が降下する、迎え撃て!」
「お、おう! 分かった!」
すかさず指示を下すナツキに応じ、イオリはロケットランチャーを構えて近づきつつある『ハルファス』を睨み据えた。
リサなど射撃に優れたパイロットたちがそれぞれ同型の武器を構える中、シバマルたち白兵戦特化の者は彼女らを守る。
ワームホールから送られてくる【異形】の勢いは失われつつあるが、まだ無視できない数が現れ続けていた。
「それでも、敵の数は、減ってきてる……ワームホールの向こうの、【異形】のストックも、だいぶ少なく、なってるみたいだな……」
そう呟くシバマルの表情に余裕さはない。玉のように脂汗を顔中に浮かせた彼は、幾度も敵を斬り続けてもはや腕を上げていられるのが奇跡といえるまで消耗してしまっていた。
がくりと膝をついてしまう者も出てきてしまう中、それでも戦い続けようとするA組の戦士たち。
今はいないカナタへ勝利を捧げたい――そんな思いで諦めずにいるシバマルたちの闘士が、皆の士気を落ちる寸前のところで繋ぎ留めていた。
「皆さん、まだ諦める局面ではありませんわ! 我々の意地と矜持にかけて、勝利を掴み取るのです!」
かつてのマナカのように皆を鼓舞するリサは、シバマルにちらりと視線を遣る。
今の部隊は貴方が「柱」なのだと、彼女はその目で訴えた。
機体を通してでは視線も分かったものではないが――しかし、シバマルは確かにリサの方へ空いた左手の親指を上げてみせた。
身体は眼前の敵へ向けたまま、右手の長剣で『巨鬼型』へと飛びかかっていく。
「はああああああッ!!」
焼け付く喉を震わせ、軋む腕を振り上げて敵の土手っ腹を刺突する。
一撃、そして即座の離脱。
電光石火の攻撃に怯んだ『巨鬼型』の背後を取らんと回り込んだシバマルは、鈍重な敵が振り返るのに先んじて刃の側面をその背に滑らせた。
『巨鬼型』の体皮は硬く、そう簡単には傷つかない。先ほどの刺突も全力でかかったにも拘らず、大したダメージにはなっていなかった。
だが、それで意気消沈するほどシバマルは物分りが良い男ではない。
愚直に剣を振り、敵へ飛びかかり、貪欲に勝利を狙う――それが犬塚シバマルという少年の姿。
月居カナタの戦いを初めから側で見てきて、彼に心中で憧れ、追い縋ろうとしてきたパイロットの意地。
(お前はこうやって戦ってたよな、ツッキー!)
一撃を叩き込んですぐさま離脱する、ヒット&アウェイの戦術はカナタの十八番だった。
翼はなくとも彼に負けない敏捷な足で、シバマルはこの場に「月居カナタの戦闘」を再現してのける。
カナタを知る誰もが、その戦い方に瞠目した。
その走る白銀に、地を蹴る駿馬の駆動に、息を呑んだ。
刃の連撃は他の何者も寄せ付けず、獲物である『巨鬼型』を翻弄するのに暇がない。
『グオオオオオオオオオオオオッ!?』
一撃の力で及ばなくとも、何度も何度も斬りつければ蓄積したダメージがいずれ致命的な領域まで達する。
明らかに迸った緑色の血液の量が多くなってきたのを見て取って、シバマルはラストスパートをかけた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
カナタが帰ってきた時に彼と肩を並べられるように。
また一緒に笑い、共に戦えるように。
少年はまた、敵を討つのだ。
『グオオオオオアアアアアアアアアア――――!?』
号砲のごとき痛哭が打ち上がる。
それは少年への新たな祝福だ。これまでよりも疾く、これまでよりも強く、何よりも仲間を思って生まれた力への、凱歌だ。
白い光を帯びて敵の四肢を、腹を、肩を、背を、そして首を刈る、刃の連撃。
噴き出す血液に機体を濡らし、最後に少年は、虫の息になった『巨鬼型』の左胸に止めの一撃を押し込む。
「すげえよ、犬塚! 一人でどでかい【第二級】を倒しちまうなんて!」
友達のイタルの賞賛に声を返す余力もなく、シバマルはその場に膝を突く。
顔を上げた彼が見るのは、自分たちを包囲している数々の【異形】たち。基地まであと一キロを切っている部隊を絶対に通さないと言わんばかりに、彼らは立ちはだかっていた。
「ユキエちゃん、私の弾が……!」
「これ使って! 私のは魔法で代用するから!」
対【異形】の毒液弾を切らしてしまったヨリに、待機中のリサらを守るユキエは自らの弾薬箱を投げ渡す。
風魔法の砲撃で前方の小粒たちを軒並み吹き飛ばすユキエに感謝を伝え、ヨリは以前までよりマシになった射撃で迫る敵を撃ち倒した。
しかし、弾切れを起こしていたのはヨリだけではなかった。散見され始めたそのパイロットたちにイオリは目を向け、『ハルファス』の降下に備えて構えていたランチャーを捨てて薙刀を取る。
「弾切れした奴は剣を取れ! 白兵戦が苦手って奴は、俺が守ってやる! だから、下を向くんじゃない!」
戦意を消失させようとしていた仲間を叱咤し、自らも同じ場所に立つイオリ。
彼が地を蹴り、敵の包囲網に風穴を開けようとした、その時だった。
天空より炎の龍が舞い降り、その吐息で【異形】たちを焼き払ったのは。
「【紅蓮花舞】!」
白翼を広げ、緋色の魔力光を纏う剣を大地へ突き下ろすのは【ミカエル】。
翼の一対が頭部を、もう一対が胴体を覆い隠し、最後の一対が空へ飛び立たせる熾天使の救済に、死地の兵たちは歓喜した。
「――ユイ!」
一筋の涙を流すシバマルの声に応えるように微笑んだユイは、赤い光の尾を引きながら漆黒の穴たちへ光線を放っていく。
これまで戦場に出られなかった鬱憤を晴らすかのごとく迸る、掲げた剣先に瞬く紅い光。
闇に吸い込まれるように狙いたがわず驀進した光は、全てのワームホールを無に帰した。
一瞬にして底をつく魔力ゲージに顔を歪め、込み上げる吐き気と頭痛、目眩を堪えながらユイは地上へと降り立つ。
「ユイ! 大丈夫か!?」
真っ先に通信を繋げたのはシバマルだ。
モニターに映る疲労にやつれた少年の顔に、力を振り絞ってユイは微かな笑みを浮かべてみせた。
操縦席に内蔵されたアームが魔力回復薬の投与のため注射器を首元に当ててくる中、ユイは掠れた声で少年へ訴えた。
「……まだ、終わって、ません。任務は、基地の、奪還……」




