第百二話 責任を負ったのならば ―"I'd like to be your help."―
突如【メタトロン】を襲撃するというハルの暴挙に、司令部のユイは叫び散らしたい衝動を懸命に堪えなければならなかった。
味方との同士討ちなど本来、混迷を極める戦場で半ば錯乱でもしないと起こりえないものだ。しかしハルの状況からしてそんな予兆はなく、以前の訓練のことを顧みても、彼が感情に任せてレイに喧嘩を吹っかけたのは明らか。
「保護者」のナツキは何をやっているのか――彼へ通信を繋げるよう命じかけたユイだったが、モニターに映る青年の機体を見て指示を変える。
「またワームホールが――!? これではキリがないです!?」
「【レーヴァテイン】撃ぇ! 【ドミニオン】を援護しなさい!」
「は、はいっ!」
飛空艇の右翼側、左翼側、それぞれに複数個出現したワームホールから出でる、『飛行型』。
空を黒く覆い尽くして飛び渡るバッタのごとき【異形】の集団は、その圧倒的な物量を以て人間から制空権を奪わんとしてくる。
それは正しく人という獲物を囲う、【異形】の鯨波にして檻。これを撃ち破らねば艇もSAMたちも全てダメになる、そんな確信をクルーたちは一様に抱かされた。
ユイが射出を命じたのは対【異形】ミサイル、【レーヴァテイン】。【ドミニオン】に搭載されたミサイルをそのまま大きくしたようなそれは、艇の側面から幾つもの砲身を突き出し、羽音の重奏を聞かせてくる『飛行型』の群れへと炎を纏う弾丸の斉射を浴びせていく。
「【グングニル】撃ぇ!」
「ぐ、【グングニル】撃ちます!」
次いで放たれるのは艇前方正面に取り付けられたビーム砲、【グングニル】。
神の槍の名を冠する通り、極太の魔力光線を一本の槍のごとく敵へと突き進ませる、飛空艇【テュール】における最大火力の砲である。
「――っ、怖い!? 怖いよ、ナツキ……!」
「落ち着けフユカ! あれは全て敵だ! 壊していいものだ! 決して未知のものじゃない!」
すぐ脇を通過していった緋色の光線が『飛行型』の包囲網に大きな穴を穿つ中、初めて目にする規模の軍勢にフユカは一人、怯えていた。
彼女と背中合わせになるようナツキは盾を構え、その上面に備えられた複数の射出口から魔力光線を連射する。
「怖がってばかりじゃ死ぬだけだぞ、フユカ! そうなればお前の友達に会うことも、二度と出来なくなる! 『母親』にだって――」
横一列に走る光線が赤き単眼の【異形】たちを焼き殺していく。
それでも倒したそばから『飛行型』はワームホールから出現し、放たれる光線はフユカの【ドミニオン】にまで迫った。
彼女の機体の前まで回り込み、両腕の大盾を胸の前で合わせるように構えたナツキは叫ぶ。
彼の言葉に金髪の少女の瞳はあらん限りに見開かれ、その喉は掠れた音を漏らした。
「……お母さん? お、母さんに、あ、会えない……? そ、そん、な……!?」
最上フユカの脳裏に過るのは、昔日の思い出。
孤児院に度々足を運んでくれた銀色の髪をした美しい女性が幼い彼女を抱きしめる、温かな光景だ。
女性は親のいない子供たちの前で「私があなたたちのお母さんよ」と慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。孤児院の男性院長が父ならば、女性が母なのだと。
幼く母性に飢えていたフユカは、それを当たり前のこととして受け入れた。
愛を注いでもらう代わりに、それ以上の働きをもって応えなさい。彼女らは常にそう言い聞かされており、それゆえに【ドミニオン】のパイロットになれという命にも応じたのだ。
空を漂う「友達」にも、優しく抱いてくれる「母親」にも会えなくなる。
その恐れが眼前の敵に対する恐怖を上回った瞬間――少女の脳内には電気信号が迸り、瞳は仄暗い「獣」のそれに変わる。
「――敵、全部、倒す……!!」
光を失った瞳で少女は『飛行型』を睥睨し、ナツキの守護さえ捨てて飛び出した。
腕に構えるは二本の小太刀。光線の雨を突っ切ってその羽のもとに辿り着いたそばから一閃、一匹、また一匹と切り裂いていく。
血化粧に彩られる【ドミニオン】の勢いはまさに鬼神。
肉眼での視認さえ困難なほどの速度で走る刃が続々と敵を討ち、そこが台風の目になってしまったかのように包囲網を蹴散らした。
「来栖さんの【ドミニオン】は翼でビームを防いでいましたが、最上さんの機体は全身の装甲にバリアが……!? なんて機体なんですか、あれは!?」
司令部のユイはその反攻に驚愕を露にした。
彼女は詳細を知らないことだが、【ドミニオン】の『反光線塗装』はパイロットの魔力量に応じて適応の範囲を変えることが出来る。
極限状態で脳のトリガーを外したフユカはそれを全身にまで広げ、光線を主武器とする
『飛行型』に対して無双と言える活躍を果たしているのだ。
「【レーヴァテイン】、【グングニル】、撃ぇーーッ!! ここが正念場です、堪えて!」
『アイギスシールド』同様、魔力を主燃料とする砲の発射には乗員の消耗が不可避となる。
二種の砲撃の連続で既に疲弊し、意識を手放す寸前の者も見られる中、ユイは仲間の多少の犠牲は覚悟で命じた。
飛空艇が落ちればSAMたちに帰投する場所はなくなり、彼らは孤立無援で戦わねばならなくなる。
それだけは避けねばならないと強く念じながら、青髪の少女は自身も歯を食いしばって必死に魔力吸収による頭痛に耐えた。
大盾に併設された小砲台からナツキ機がビームを撃ち、アキト機が大鎌をもって敵の球状の体躯を引き裂く最中、レイは追ってくるハル機から逃れつつワームホールに対処しなくてはならなかった。
壊せども壊せども湧き出る異空間へのトンネル。背後から乱射される対【異形】ミサイル。片方でも対処が難しいのに、これを両方捌ききらねばどうにもならない。
「ハルくん! 止めなさい、こんなことは! 撃つなら【異形】を!」
「あぁ!? あいつらになんか興味ないね! 僕が今ぶっ潰したいのはてめえだ、チビ野郎!!」
頑なに制止を聞き入れようとしないハルに、レイはもう何度目とも知れない舌打ちをした。
相手は同じパイロットで、仲間で、学園の生徒。ゆえに撃たず、言葉での説得だけに留めてきた。
だがこれでは……彼の暴走に歯止めが効かないのなら、もう攻撃するしかないのかもしれない。
(本当に戦うべきは、同じ人ではないのに……!)
戦いを嫌って【異形】に対話でのアプローチをかけた少年の声を思い出す。
それは決してしてはいけないこと。撃たれたから撃ち返す、それでは戦は終わらない。
しかし、だからといって何もしなければ傷が増えることも確かなのだ。
理念か、現実か。早乙女・アレックス・レイはどちらを優先すべきなのか、彼は自身の胸に問いかけた。
――『こ、怖いんだ、僕は。じっ、自分の力が暴走して、人を襲ってしまわないかって、不安になる。ぼ、僕はヒトでいたい……け、獣になんかなりたくないのに、時々、分からなくなるんだ……』
その時レイの脳裏に蘇ったのは、『プラント奪還作戦』の前日の夜のカナタのわななく声だった。
得体の知れない力に翻弄される少年。そんな彼にレイは「あなたなら大丈夫ですよ」と何度も繰り返し、それでカナタはようやく眠りに就けたのだ。
人が人を襲う。自らを制御できなくなる。獣の力が発現した当初のカナタの「暴走」、或いはマナカの同化現象による「感情の制御不能」といったものが、ハルにも起こっている?
その可能性はゼロか――そう言い切れるだけの論拠を、レイは持ち合わせていない。
(ならば……)
ハルが自らの精神に起こった異常に苦しんでいる可能性があるのなら、彼と向き合い、その対処に助力してやりたい。
それがマナカを救えず、カナタには根拠のない言葉をかけることしかできなかったレイの責任だと思うから。
「逃げんなよ、雑魚!」
『飛行型』たちの光線を『反光線塗装』で跳ね返しながら吼え、ミサイルを乱射するハル。
反射した光線ともども迫り来る弾頭を見据えたレイが取った行動は、現れたワームホールの方へ一直線に飛ぶことだった。
「――撃墜ッ!!」
喉が裂けんばかりの声で叫び、ハルは腰のウェポンラックから取り出したバズーカをぶっぱなす。
さらに残弾わずかになった対【異形】ミサイルも注ぎ込み、レイを墜とさんと最後の攻勢をかけた。
「くうっ……!」
『飛行型』の群れを突っ切り、ワームホールに肉薄しようという所でレイは歯を食いしばり、直角の軌道を描いて上昇する。
魔力の補助によって強引に実現する物理法則を無視した機動。
ロケットのごとく天へと昇る【メタトロン】にハルが目を剥く中、放たれた弾は全て『飛行型』どもを撃ち落とし、その先のワームホールへと吸い込まれていった。
「ナツキくん、聞こえますか!」
『早乙女? 申し訳ありません、あの馬鹿野郎の手綱を握れず――』
「侘びは後です! 攻撃は『飛行型』ではなく、ワームホール本体に集中させてください! 敵が何処かからボクらを狙うなら、こちらも穴を通して向こうの敵への損害を狙うのみです!」
ハルの攻撃を敵への攻撃に利用したレイは、苦渋を滲ませる声音のナツキへと作戦を伝えた。
絶え間なく【異形】が送られてくるワームホールの向こうにはおそらく、大量の【異形】をストックしている牧場がある。『ベリアル』もきっとそこにおり、ワームホールを通してこちらへアクセスしてきているのだ。
転送される前の敵や、その敵がいる拠点にもダメージを与える――それがレイの策である。
「現在ここに出現している【異形】は地上からの銃撃と砲撃、そして【テュール】の砲を以て対処します! あなた方はワームホールに専念を!」
『了解しました。――アキト、狙いを変更する! あの黒い穴へ、光属性以外の攻撃を撃ち込むんだ!』
『……ん』
レイの指示でナツキ、アキトの両名は目標を異空間への穴に変更した。
司令部にも少年の声は届けられており、ユイもそれに従って【レーヴァテイン】、【グングニル】を間断なく稼働させる。
「撃ーーッ!!」
基地、そして『プラント』に迫ろうとしている上空にて、煙と爆風が連続していく。
武装をランチャー等の対空装備に切り替えたシバマルら地上部隊――その換装は同伴するメカニックらの輸送車のサポートで行われた――も加わって、空の敵は徐々に数を減らしていた。
一時は真っ黒く覆い隠されていた空に、青い切れ間が少しずつ増えていく。
「基地まではもうちょっとだ! ここが踏ん張りどころだぞ、皆!」
「「「おう!!」」」
部隊の先頭に立つシバマルの鼓舞に一同は雄叫びを上げた。
その背中を見つめるイオリは、空で戦うレイを一瞥してぐっと汗ばんだ拳を握り締める。
――『では、その怖れに抗う勇気はあるかね?』
黒髪の少年の頭に過るのは、蓮見タカネからの問いかけ。
責任を負う。その使命を果たす。ここでイオリに課せられた使命とは、責務とは、ただ任務の成功のために尽力することだ。
戦う。上の指示に従って、完璧に勝つ。
責任を負ったのならば、そうしなければ。
(蓮見さん、ミユキさん、九重……俺はあなたたちに恥じない戦いをする。早乙女たちを……仲間たちを勝たせるために)
ここでの勝利が何かに繋がると信じて、イオリは敵の一団に照準を合わせて砲撃を打ち上げる。
走行しながらランチャーを構えての砲撃は、それを支える腕や肩に多大な負荷がかかったが――その反動を感じさせない強靭さを以て、彼は体勢をキープしたまま走り続けた。
「光線来るわ! 【防衛魔法】展開!」
守りの要であるのはユキエだ。彼女はいち早く敵の攻撃の予兆――光線を撃つ直前に「溜め」のため二秒ほど動きが遅くなる――を見極め、皆に警告を飛ばしていた。
ヨリやイタルといった【防御魔法】に優れる者たちは防衛を一手に担い、シバマルら砲撃手たちを守り抜いた。
「私たち、ちゃんと役に立ってる……!」
「へへっ、なんか嬉しいな! そうだ、どうせなら『プログレッシブ・シールド』も出そうぜ! そんなら魔力消費も抑えられるし」
「馬鹿言わないの、アンタらじゃあの大盾を持ち上げ続けらんないでしょーが! 調子乗んな!」
「ううっ、おっかねーよカオルの姉御……!」
ヨリが笑みを浮かべ、イタルが調子のいいことを言うと、即座にカオルが増長する彼を叱りつける。
本気のトーンでキレる白髪の少女に若干涙目になるお調子者の少年に、彼やヨリと近しい仲のカツミは内心で「やれやれ」と呟くのだった。
「逃げんなって、聞こえなかったのかよ!」
執拗に自分を追い回してくるハルに対し、レイの動きは変わらなかった。
回避を繰り返し、増えゆくワームホールを適宜、【太陽砲】で消滅させていく。
一向に反撃してこないレイに苛立っているのか、ハルの攻勢は強まるばかりだ。『飛行型』の光線が飛び交う戦場の中、レイは後ろを振り返らずセンサーだけを頼りにミサイルを躱していく。
「君は――何に苦しんでいるんですか!?」
【ドミニオン】に通信のチャンネルを繋げ、レイは問いかけた。
その瞬間、ミサイルの連射が止む。よく確かめずとも動揺したのが見て取れるその挙動に、レイは手応えを得た。
「教えてください、ハルくん! ボクは君の、助けになりたいんです!」
【レーヴァテイン】の弾幕から逃れるべく高度を更に取ったレイは、眼下の【ドミニオン】を見据える。
空中に佇んで動かなくなった彼の、モニターに映った顔は、何かを恐れるように酷く歪んでいた。
「分からねえよ……俺はっ……僕はっ……」
目を大きく見開き、視線を彷徨わせてハルはその赤い髪を掻き毟った。
はっ、はっ、と呼吸が浅く速くなり、鼓動は激しく肋骨を叩く。頭痛と耳鳴り、吐き気が一斉に彼を襲い、まともな判断能力を奪っていく。
「ハルくん!? どうしたんですか、ハルくん!?」
赤髪の少年の様子は明らかに異常だった。
頭を抱え、顎が砕けてしまうのではないかと思える力で歯を食いしばり、唸っている。
「うううっ、ううううううッ……!」
髪を振り乱す少年の眼は、虚ろだった。
瞳から光が失われ、感情さえも消え、ただ敵を狙う本能だけがそこに宿っていた。
それが何を意味するのか、何が起こっているのか、レイには分からない。それでも、もはや自分の声は彼に届かないのだということだけは理解できた。
「――っ!?」
魔力を燃やして急加速し、風も味方につけて【メタトロン】へ肉薄せんとする【ドミニオン】。
円弧を描いて迫る鎖鎌をレイは【太陽砲】の発射ユニットの一つで受け止め、その隙に後退した。
爆砕した円環状のユニットを尻目に、金髪の少年は脂汗を額に滲ませる。
(……【テュール】との距離が……!)
ハルから逃れるのに精一杯で飛空艇との距離を意識できていなかったレイは、思った以上に離れてしまった【テュール】を視界の端に捉えて歯噛みした。
【ドミニオン】の速度に対応するためにトップスピードを出し続けた結果、魔力は残り二割ほどまで減ってしまっている。艇から近ければ戻って補給を受ける手もあるが、ハルに妨害されればそれも困難になるかもしれない。
何より、あの状態のハルを艇に近づけてしまったらユイたちが危なくなる可能性も高いのだ。現状は薬で魔力をどうにか持たせ、レイが一人でハルに対処する以外にない。
(――いや、ボク一人でやらなくてもいい。彼のことをよく知るであろう人が、まだいる)
更なる加速で追ってくるハルとの距離を広げながら、レイは黒髪の少年へと呼びかけた。
「ナツキくん! ハルくんの様子がおかしいです、ボク一人では止められそうにありません!」
【メタトロン】の主武器である【太陽砲】が『反光線塗装』によって防がれてしまう以上、戦況はレイの圧倒的不利だ。
最終手段として組み付いて自爆するという手があるが、それも叶うなら使わずに済ませたい。
よって、彼は最もハルを御せるであろうナツキに協力を求めたのだが――。
『何故、墜とそうとしないのですか?』
返ってきたのは、そんな無味乾燥とした声だった。
「は? いや、彼は仲間じゃないですか。撃墜だなんて、そんな……」
『薬を与えているにも拘らず自らの力を乗りこなせない……そんな彼にかける情けなど、あるはずがありませんよ。私は出撃前も先の訓練で彼が暴走した時も、重ね重ね言ったのです。「心を強く持て」と。にも拘らずまたも暴走してしまったあれは、【ドミニオン】のパイロットとしての資格などなかった』
薬。力。資格。
それがハルに与えられたもの。では、それは一体何を意味するのか。
訊かねばならないとレイは強く思った。それを知れさえすればハルのことが理解できるという、確信があった。
「待ってください、それは、どういう――」
『あなたに話すことではありません』
通信を一方的に切られたレイは顔を歪めた。
干渉への拒絶。思うところはある。知ったふうな口で救済の言葉をかけてくる者が偽善者にしか見えなくて、信じられなくて、心を閉ざした経験はレイにもあるから。
ナツキが何故他人をそこまで拒むのか、レイは知らない。だがその訳を想像することは出来る。それは単なるエゴに過ぎないのかもしれないが――間違いを、再度の拒絶を恐れて何もしなければ、彼らは遠ざかっていくだけだ。手の届かないところに行ってしまってから色々言い出しても、遅い。
(しかし……!)
追ってくるハルに向き直り、レイは腰に佩いた長剣を抜き放った。
ナツキの協力は得られそうにない。ハルに話も通じない。ならば、もう斬るしか手段は残っていない。
葛藤している時間などなく、意を決さざるを得なかった彼は眦を吊り上げて胸中で叫ぶ。
(汎用武器であるこの剣では【太陽砲】ほどの火力は到底出せませんが、砲が防がれる以上はこれしかない。失敗すればこちらの破壊は確実――それでも!)
敵の鎖鎌の軌道を見極め、一撃で急所を斬るのだ。
――大丈夫、ボクならやれる。
そう自分に言い聞かせ、レイは最後に深呼吸して数秒後には激突する【ドミニオン】を真っ直ぐ見つめた。




