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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第四章 落日

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第九十九話 臆病な翼 ―Rei & Kanata―

 人工太陽が照らす、青々とした芝の匂いが立ち込める中庭。

 葉桜の下でうつらうつらとしている桃髪の少女――皇ミコトは、馴染みの少年の声に跳ね起きた。


「ミコトさん」

「れ、レイ……お、お恥ずかしいところを見せてしまいましたね」


 僅かに涎が垂れていた口元を慌てて隠し、ミコトは俯く。

 そんな彼女にレイはポケットからハンカチを取り出し、手渡した。


「お疲れになられているようですね。クラスのことですか? それとも……」

「どちらも、ですわ。いえ……後者のほうが大きいでしょうか。見通せない物事に直面する不安は、わたくしが思っていたよりも、ずっと重かったようです」


 最近の政界は毎日のように水面下の争いが繰り広げられている。

『尊皇派』に賛同する議員も少しずつ増えてきており、ある有識者の予測では、このままいけば次の選挙で議席の三分の一もの無視できない数が当選してもおかしくはないほどだという。

 彼らの神輿になることを拒みたいミコトとしては、決して喜べないニュースだった。


「……ごめんなさいね、会うたびにこんな話をして」

「いえ、全然大丈夫ですから。それでミコトさんが少しでも楽になるなら、喜んで聞きます。それで……あの、ミコトさん。今日は一人、ボクのクラスメイトを連れてきたんです。新曲、聴かせてはくれませんか?」


 レイは振り向き、少し離れたところに立っている少年へ手招きした。

 芝を踏む柔らかい音とともに木陰に来たのは、長めの茶髪で前髪を隠した、陰気そうな少年――朽木アキトである。


「彼、音楽が好きなんだそうです。だからミコトさんの歌も、知ってほしくて」

「あら、そうなのでしたか。お兄さん、お名前は何と言うのですか?」


 ミコトに訊ねられたアキトだったが、彼は俯いて固まったまま何も言えなかった。

 その様子に首を傾げるミコトに、レイは言う。


「朽木アキトくんです。彼、少し……というかかなり、人と話すのが苦手なようでして。お気を悪くされたのなら、ボクのほうから謝りますので……」

「いえ、そういうことなら気にしませんわ。悪意があって無視したわけではないのでしょう?」


 微笑み、ミコトは立ち上がるとアキトへ手を差し伸べた。

 腕をびくつかせる少年は何か言いたげに口を小さく開閉させ、数十秒そうした後、少女の手をおそるおそる握る。


「…………」

「よろしくお願いしますね、アキト」


 こくり、と首を縦に振ったアキトに頷きを返し、ミコトは「では始めましょうか」と周囲を見渡した。

 彼女とレイがここで会う時は必ず、一曲歌う。それは生徒たちの中で周知の事実であり、今日も中庭には多くの見物人がやって来ていた。

「あいつ誰だよ」「ミコトさまと握手してもらえるなんて羨ましい!」「新曲って言ってたよね、どんな曲なんだろ?」「おい、始まるぞ、静かにしろよ」 


 ミコトがマイクを握り――これは彼女の活動に理解のある教師の一人が与えたものだ――、中庭の中央に出ると、ギャラリーたちの声はぱたりと止んだ。

 深々と一礼し、桃髪の少女は左前髪の蝶を模した髪飾りを陽光に煌めかせながら話し出す。


「皆様、ごきげんよう。今日も良い天気にしてくれた『エル』、そして集まってくれた皆様、それからレイ、新しいお友達のアキト、全てに感謝して新たな歌を歌います。では、聴いてください」


「♬ 胸に灯す光は優しさの証

   さあ手を取り合って、進もうあのみらいへと」


 伴奏があるならば激しいベースの旋律を思わせるような、腹から吐き出す勢いのある声。

 透き通るような少女の声との強烈なギャップを感じさせるパワフルな曲調に、観客たちは驚き、沸き立つ。


「♬ 死ぬのが怖くて戦えなかった

   あの日の僕を君は蔑んだ

   だけど、知らなかったの

   君だって、怖さ抱え続けてたこと」


 歌う少女が立つその場所はいつだって、舞台ステージになる。

 熱狂する観客が聞くのは歌に合わせて盛り上がるバンドのメロディ。制服姿の少女はこの瞬間アイドルの輝かしい衣装に変身し、スポットライトが照らすステージ上で舞い踊るのだ。

 声一つで、人の心を鷲掴みにする。自分の世界に引きずり込んでしまう。

 曲調が変わってもそれは同じ。ミコトの笑みも、リズムに乗った腕の所作も、飛ばす汗でさえも、世界の全てをより鮮やかに色づけていく。


「♬ さあ飛び立とう、僕らの蒼穹きぼうへと

   二人一緒ならきっと怖くない

   たとえ傷を胸に刻もうと

   君を一人で行かせはしない

   

   君が臆病な僕を守るなら

   僕だって臆病な君を守るよ」


 風が吹き抜け、比翼の鳥は未来へと飛んでいく。同じ思いを抱え、希望を目指すために。

 歌い終えたミコトが浴びしは喝采のシャワー。

 伸びやかな声で歌い上げられた詞は、彼女がある少年たちを思って書いたものだ。

 

「『臆病な翼』……それがこの歌のタイトルですわ。たとえ敵が怖くても、優しさを胸に親友ともとともに戦っていく――そんな人の思いを込めましたの。気に入っていただけたら、幸いですわ」


 スタンディングオベーションする生徒たちに手を振り返しながら、ミコトは胸に手を当て言った。

 彼女に興奮するギャラリーたちを横目に、レイは隣に立つアキトを見上げて訊く。

 

「どう、でした? 彼女の歌、好みに合いましたか?」

「…………甘い」

「えっ?」


 蚊の鳴くような声でこぼされた呟きは、周囲の歓声にかき消されてレイには聞き取れなかった。

 呆けた顔になってしまうレイの肩をがしっと掴み、顔を近づけ、アキトは重ねて言う。


「甘い、味がした。お、俺の好きな、味……。あ、あの味を……もっと、感じたい。俺のベースと……せ、セッション、したい」


 何度も吃りながらも今度ははっきりとした声で、アキトは主張した。

 彼はミコトの歌声に甘さを感じたという。五感の一つに別の五感がリンクする『共感覚』と言われる知覚現象――随分か前に心理学の本で読んだそれをレイは思い出す。

 アキトの提案を聞き、レイは大きく目を見開いて鋭く息を吸い込んだ。

 声すら聞いたことのなかったアキトが初めてまともに喋ったこと、それも当然驚いた点だが――彼のその姿がカナタと重なってしまったのが、レイの中では最も大きなことだった。


「か……アキト、くん。ミコトさんならきっと、快諾してくれますよ」


 レイはミコトへ手招きし、アキトの意思を彼女へ伝えた。 

 桃髪の少女はぱあっと笑顔を咲かせ、無口な少年の手を取る。


「それ、素敵ですわね。今度、学園の音楽室で練習しましょう! と、いっても出来ているのは詞だけでして……アキトは作曲、出来ますか?」


 問われ、アキトは深く頷いた。

 瞳に生き生きと光を宿す彼とそう約束し、ミコトは腕時計に視線を落とす。


「もうそろそろ、訓練の始まる時間ですわ。試験は来週に迫っています、お互い、いつも以上に頑張っていきましょうね」

「はい。……では」

「ええ、また。あ、ハンカチ、洗って次に会うとき返しますから」


 微笑んで一礼し、静かな足取りで校舎へ戻っていくミコトに、レイは手を振った。

 アキトも所在なさげに手を少し彷徨わせた後、ぎこちなくレイに倣う。

 と、そこにやって来たのは眼鏡をかけた黒髪の少年だった。


「おい、アキト! こんなところで何をしてる? 薬も飲まないで……」

「すみません、ナツキくん。ボクが連れ出して、ミコトさんの歌を聴いてもらっていたんです」

「は? ――おいアキト、他人と馴れ合うなと日頃から言ってるだろう」


 詫びつつ事情を説明するレイを睨みつけ、ナツキは視線を頭一つ低い背丈の少年へ移した。

 威圧的な目を向けられ、アキトは明らかに怯えた表情で唇を引き結び、俯く。

 それが仲間に対する態度なのか――レイが声を上げようとしたのを制するように、しかしナツキは先手を打ってきた。


「これは私たち……いえ、私たちを送り出した『レジスタンス』が決めたルールですので。あなた方から見れば異質にも思えるでしょうが、どうかご理解を」


 アキトの腕を乱暴に掴んで引っ張り、ナツキは足早にこの場を去っていった。

 一人残されたレイは、「異質」と彼自身が語った関係性への違和感をやはり拭いきれず、やるせなさのようなものを感じて唇を噛む。

 ようやく『使徒』の一人と距離を縮められたと思ったにも拘らず、そのリーダー格に明確な拒絶を示されてしまった。

 それでも――。


(それで諦めてしまえるほど、ボクは賢くはありませんよ)


 カナタなら、懸命に、愚直に、対話のために目の前のものに向き合うはずだ。破壊の権化となってしまったマナカと相対し、戦い抜いた彼ならばきっとそうする。

 だったら、レイも同じ道を行く。

 レイは彼を愛し、比翼の翼の片方を担おうと決めているから。



 翌日の月曜に試験を控えた、安息日。

 ユイは『レジスタンス』本部へと足を運び、カナタに会うために『メディカルルーム』へと向かおうとしていた。

 だが、いつもならば隊員証一つで通してもらえる医務フロアの受付で、彼女は足止めを食らってしまった。


「来ていただいたのは嬉しいのですが、いま、カナタくんはこのフロアにはいないんです。すみませんが、お引き取りいただけますか」

「それは、どういう……? 彼の状態が悪化した、そういうことなんですか?」


 血の気が引いていくユイを見つめ、受付のナースは静かに首を横に振った。

 

「いえ、ただの定期検査ですよ。より優れた設備の病院で、脳の状態の詳細を調べているんです。心配するようなことはないはずですよ」

「そう、でしたか。……ちょっと、来るタイミングが悪かったみたいですね」


 ニアミスになってしまったと苦笑し、敬礼してから踵を返すユイ。

 これから空いた時間どうしようか――そう考えながらエレベータに乗り込んだ彼女は、そこに先んじて乗っていた女性に声をかけられた。


「あら、リウさん♡ お久しぶりですね、元気にしてましたか?」


 ウェーブのかかった長いブロンドの髪の、柔和な雰囲気を纏う美女。普段着として水色の『アーマメントスーツ』を着用し、『鋼鉄の歌姫』の二つ名で親しまれる【七天使】の一人、宇多田カノンである。

 ユイと彼女は『福岡プラント奪還作戦』の際に共に戦い、その後も何度か食事をする付き合いとなっていた。


「ええ、まあ。……最近はクラスのリーダーに選ばれたこともあって、ちょっと疲れ気味なんですけどね」

「分かりますよ、その気持ち。私も学生時代はリーダーでしたから。自分以外のクラス29人、58個もの目が自分を見つめていると思うと、プレッシャーはすごいですよね」

「本当ですよ。皆が皆わたしに素直に従ってくれるわけでもなくて、『強制力がない』ってところが軍と違ってやりにくいんですよね」

「ええ。でもそこが腕の見せどころなんですから、チャンスだと思ったほうがいいですよ。何事もポジティブシンキングです。……ところで刘さん、初めて会った時と比べて、だいぶ日本語上手くなりましたね」


 来日してからまだ一年も経っていないとは思えないほど流暢に喋るようになったユイは、その賞賛に頬を緩めた。

 彼女自身、その上達にはかなり驚いている。元々語学は得意なほうではなく、日本語は難しくて勉強も嫌いなくらいだったのだが、気づけばほぼ完璧に身につけられていた。


「『レジスタンス』の科学研究部のデータによると、『コア』に脳を刺激されることによって言語野が急速に発達し、外国語を第二の母語として習得できるようになるということがあるようです。まあサンプルも少ないので信頼に足るデータかと言われると微妙なんですが、少なくとも海軍のミラー大将やルイス中佐、空軍のバザロヴァ大将といった外国人の方の脳はそんな感じになっていたそうですよ」


 実は雑学好きであるカノンの言葉に、ユイはへえと合点がいった。

 エレベータがカフェ等の憩いのスペースのある二階で止まると、カノンは出る間際にユイを誘う。


「カナタくんの様子を見に行っていただけなら、この後時間ありますよね。よければ久々にもう少しお話しませんか?」

「は、はい。喜んで」


 予定にはなかったが特に拒む理由もないため、ユイはカノンと一緒にカフェを訪れることとなった。

 昼食も兼ねてサンドイッチとコーヒーのセットを揃って注文し、まずはコーヒーにたっぷりのミルクを入れてからカノンは他愛のない雑談を始めた。

 直近の任務や【七天使】を取り巻く人間模様、それから芸能人のゴシップなどについて適当に話しながら、女は少女の顔をじっと観察していく。

 ころころと笑みを浮かべるその表情から大丈夫そうだと判断して、カノンは口火を切った。


「刘さん。実は、【ラジエル】パイロットの後継の選定が、人事部によって既に進められているんです。カナタくんの状態が一向に変わらない現状、あの機体を眠らせ続けておくのは損だと、富岡のおじ様たちは考えているみたいで……。私のほうにも、めぼしい者をリストアップするように通達が来ました」

「そんな……カナタさんは必ず帰ってきます! 彼の戻ってくる席は、その機体は、他の誰にもっ……」 

 

 声をわななかせるユイの手をそっと握って、カノンは苦渋を滲ませる声で続けた。


「気持ちは十分理解できます。あれがカナタくんのために調整された、彼のための機体だということも承知しています。ですが……これは『レジスタンス』上層部の決定なんです。反レジスタンスの勢力――『尊皇派』からの圧力が高まっている今、民衆に対する求心力を取り戻すための大きな戦果は不可欠になっています。【機動天使】の中でもオールマイティな能力を持つ【ラジエル】があれば、その戦果に一歩、いえ三歩は近づける。それはあなたも分かるでしょう?」


 感情では受け入れがたくとも、理屈では分かる。

 ぎこちなく首を縦に振るユイの目を正視して、それからカノンは頼み込んだ。


「【ラジエル】の次期パイロットはカナタくんと精神的に近しい者……彼を理解し、寄り添ってきた元一年A組の誰かから選ぶべきだと私は思います。だから、刘さん――その資格を持つ子に打診してみてはくれませんか。私もその子が選ばれるよう尽力します」


 後継選びは避けられない。だからせめて、カナタに近しい者を。彼が不在の間、その居場所を守り抜いてくれる人を。

 カノンのその願いに、ユイは力強い口調で応えた。


「分かりました。必ず、相応しい者を選びます」 

「ありがとう、刘さん」


 相応しい者。

 ――その候補になる生徒の名は、既にユイの中には浮かんでいた。

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