第十話 他人だから ―I depend on a wall at the heart.―
各種検査を終えて退院したカナタは再起する。
教室に戻った彼はこれまで以上に全力で訓練に臨み、ひたすらに「強さ」を磨いていった。
カグヤが『覚醒』したと言った力――その正体が未だ分からない不安を紛らわそうとするように、少年は誰よりもそれに熱中していた。
彼の姿勢は図らずも周囲の生徒たちへと変化を与えていく。
マナカやシバマルだけでなく、金髪の令嬢・神崎リサやあのホームルームで声を上げた少年・七瀬イオリといった面々が、カナタたちの勉強会や自主練習に参加させてほしいと申し出たのだ。
「前回のロノウェ戦で、私は敵に一矢報いることも出来ませんでした。神崎財閥の名にかけて、あのような失態は二度と犯せませんの。ですから、力を貸していただけて?」
「俺も参加していいかな。あいつは――早乙女は、俺にSAMに乗るべきだって言った。その言葉を、信じてみようと思うんだ」
リサも、イオリも、あの敗北から立ち上がろうとしていた。
それぞれ背負うものは違えど、二人は諦めずに前へ進もうと決めた。
そんな彼らをマナカやシバマルは快く受け入れ、カナタも緊張してはいたがクラスメイトとして協力することにした。
「神崎さん、よろしくねっ」
「勘違いしないでくださいます? これはあくまで訓練、馴れ合いではございませんの。ですから――」
「お嬢様はお固いなぁ。どうせ一緒にやるなら和気あいあいでいきましょ?」
「ちょっ、誰が握手していいって言いましたの!?」
放課後の空き教室を借りて、さっそく机に教科書やノートを開いた彼ら。
握手を求めるマナカはリサに突っぱねられるが、それでも気を落とさずアタックする。
その隣ではシバマルが持ち前の人懐っこさとマイペースを発揮して、イオリにあだ名を付けようとしていた。
「んー、七瀬だから『ななっち』……でもそれじゃマナっちと被るなぁ。下の名前から取るとしたら……そうだ、『いおりん』とかどう? クールじゃね?」
「クールというよりキュートじゃないか、それ……。俺は別に、あだ名とかなくてもいいんだけど」
「よし、いおりん! まずはおれから問題出すぞ! 答えられなかったらジュース奢れ!」
「って、聞いてないし……」
それでも相手する自分のお人好し加減に、イオリはつい溜め息を吐いてしまう。
マナカもリサを弄るのを止めて真面目に机に向かう中、カナタだけはぼんやりと窓の外を見つめていた。
「どうしたんだ、月居?」
イオリに訊ねられても、カナタは視線を外のグラウンドへ釘付けにしたまま。
席を立って窓際へ足を運んだイオリが見たのは、夕陽に赤く染まるトラックを独り走る、金色のポニーテールの人影であった。
「早乙女、か……。あいつのこと、気になるの?」
「え、そ、その……か、彼に言いたいことが、あって……」
入学式から1ヶ月経った今でも、早乙女・アレックス・レイは孤独を貫いていた。
寮ではカナタが寝た後に戻ってきて、朝はカナタよりも先に起きて自主練習に励んでいる。教室や廊下で顔を合わせても、口を利かないどころか目も合わせてくれない。
あの日から――二人でグラシャ=ラボラスと戦った日から、ずっとだ。
「ぼ、僕、かっ彼に、さ、避けられてるのかもしれない」
「あの子、プライド高そうですもの。大方、出来る貴方が気に食わないだけではなくって?」
私は寛大ですから誰にでも平等に接しますが、と言い添えるリサ。
彼女の言葉に、カナタは手元のノートに視線を落とす。
日が沈むまでの時間はゆっくりと過ぎ、カナタの心には靄のようなものが残ったまま、その日の勉強会は終わった。
*
その夜。
照明を消した寮の部屋で、ヘッドホンから流れる曲をぼうっと聞きながら、カナタは二段ベッドの下段に寝転んでいた。
朝にジョギング、午前中には座学、午後からは『第二の世界』での訓練、放課後は勉強会から再びのジョギング。
ここ数週間でパターン化したこの生活に、元ひきこもりのカナタはすっかり順応してしまっている。引きこもっていた中学時代からは考えられないほどだ。
新たな生活、新たな友人、新たに触れるSAM――それらの影響を受けて自分が変わっていっていると、少年は自覚している。
それでもあの夜の『異常』と、あれ以来関わりを拒んでくるレイのことが、しつこく引っかかったままだった。
(……僕は、何でこんなに早乙女くんのことが気になるんだろう。所詮は一緒に戦っただけの、他人なのに。皆の前で僕にきつく当たったり、戦闘中に何度も馬鹿呼ばわりしたりする彼なんて、好きじゃないのに……)
母がよく聞いていたクラシック、そのバイオリンの音を聞き流しながらカナタは考える。
カナタが早乙女・アレックス・レイという人物について知っているのは、彼が他人に対して嘘を吐かないのだということ。
彼は嫌悪感を直接的にぶつけてくる。不快なら不快だと言うし、気に食わないなら相手の髪を掴んで揺さぶってくるような人物だ。
誰をも寄せ付けず、誰の手を借りようともしない。――あの戦いの時を除いては。
(SAMのスピーカーを通して聞いた、彼の声。言葉。多分それが本当の、彼なんだ。……僕と、同じなんだ)
SAMに乗っていないと自分を保てない。それを奪われてしまっては自分の存在意義すら見当たらなくなるくらい、二人は「SAMパイロット」という肩書きに依存している。
単なる民間人とは違う。カナタにもレイにも、SAMから逃げられない理由があるのだ。
ガタン、と乱暴にドアが開けられる。
カナタはヘッドホンを着けたまま、壁の方へと寝返りを打った。
彼の狸寝入りに気付かなかったのか、レイはそのまま部屋に備え付けのバスルームへと向かっていった。ほどなくして、シャワーの水音が流れる。
(早乙女くんは、友達の仇を討つために戦ってる。『異形』っていう存在を強く憎んでる。……それに比べて僕は……得体の知れない力を持つだけ。母さんが戦えって言うから、従っているだけ。……でも、仕方ないじゃないか。僕には、そうするしかなかったんだから)
レイと自分を比較して劣等感を抱くカナタは、そう自らを正当化した。
卑屈な少年はニヒルに笑う。
SAMから一歩外に出れば、少なくない無責任な悪意がカナタへと注がれる。カナタにとっての敵は『異形』ではなく――人間なのだ。
だから、ロノウェ戦で仲間が襲われていても助けられなかった。あの時、カナタを苦しめていたのは、見かけ上は仲間の人間たちだった。
カナタが中一の頃、『レジスタンス』は福岡の『プラント』を失う大損害を被った。新東京市に届く食糧等の物資の二割を担っていた福岡プラントが『異形』に蹂躙された結果、日本の人口は同じく二割ほど減ってしまった。そのために最高司令・月居カグヤや幹部たちは連日のバッシングを受け、その余波は息子であるカナタにも及んだ。
彼の吃音症も気にせずに接してくれた数少ない友達も、その事件をきっかけに離れていった。
「君とはもう友達じゃない」――その言葉に、裏切られた、とカナタは思った。
それ以来、彼は他人を信じられなくなった。人と関わるのを避け、家に閉じこもった。
(誰も信じたくなかった。それでも、また信じてしまった。瀬那さん、犬塚くん、神崎さん、七瀬くん……彼らが裏切らない保証なんて、ないのに)
きっと、カナタがレイを意識するのはそのせいもあるのだろう。
レイはカナタに甘い顔をしない。言い換えれば、友達だと見せかけて裏切ることもない。
彼はあくまでも他人で居続けてくれる。だから、「怖くない」のだ。
水音はいつしか乱暴なドライヤーの音に切り替わっていた。
ヘッドホンから届くBGMは、穏やかなピアノの音色。――引きこもっていた部屋に置かれていた、母が買ってくれたピアノの音。
「Hallo, Mama. Es bin ich, es tut mir leid spät.」
そのピアノに過去を思い出したくなくて、カナタはヘッドホンを外して布団の上に放る。
同じタイミングで脱衣所からドア越しに聞こえてきたのは、レイがドイツ語で電話する声であった。
「Keine Sorge, es geht mir gut. Ich bin schon an japanischeSchulen gewöhnt. Ich habe viele Freunde gefunden. Die Hälfte ist beliebt.」
レイが何を話しているのかカナタには分からなかったが、弾んだ口調からして明るい話であるのは察せた。
彼の電話はそれから五分ほど続き、時折そこに笑い声も混じった。
異国の言葉で話すレイは、まるで異世界の住人のようで――やっぱり他人なんだ、とカナタは安堵してしまう。
通話を終えて脱衣所を出てきたレイに、カナタは今しかないと声をかけた。
「ね、ねえ、早乙女くん」
「なっ――月居くん、起きていたのですか」
一瞬声を裏返らせるレイだったが、すぐに平静さを取り戻して溜め息を吐く。
すっかり暗闇に慣れた目で見るレイの姿はノースリーブのシャツにハーフパンツといった格好で、風呂上がりでほんのり漂う石鹸の香りが妙にカナタの胸をざわつかせた。
「……もしかして、さっきの電話聞いてました?」
「う、うん。ごっ、ごめん……で、でも、なな何を言ってるかは、わっ分かんなかった……」
「でしょうね。どうせ海外に行くこともないからって、この国では英語以外の外国語教育を止めてしまったようですから」
形骸的に英語科目だけ残っているのが日本らしいですね、とレイは嘲る。
二段ベッドの上段が主の体重を受けて微かに軋む中、カナタは言ってみた。
「あ、あのっ、さささ早乙女くんっ……。ぼ、僕から一つ、てっ提案があるんだ」
「提案? くだらないことを言ったら、蹴りますよ」
脅しをかけてくるレイにびくつくカナタだが、言わずに後悔するよりマシだと思い、口を開く。
「……ここ今度のGW、い、一緒に、ゆっ遊園地に行きたい……って、お、思うんだ」
「…………は?」
本気で理解できなかったらしく、そんな呆けた声がレイから漏れた。
「ゆ、遊園地……と、都市の南区画にある、ち、小さい施設だけど……」
「そういう遊興施設が学園の敷地を減らしてることくらい知ってます。問題はそこではなくて、何故あなたがボクを誘うかということです。いいですか、ボクはエリートとして来日したパイロットです。ですから、例え休日といえども遊びに現を抜かしてはいられない。まさかあなたはそれを分かった上で、ボクを誘ったわけではないですよね?」
得意の早口で捲し立ててくるレイにカナタは圧倒された。しかし、言ってしまったのだから引くわけにもいかない。銀髪の少年は、声を震わせながらも金髪の少年の問いに答えた。
「い、いや……き、君が誰よりも忙しそうにしてるのは、しっ知ってる」
「はぁ……やっぱり馬鹿ですね、あなた」
「ば、馬鹿でもいいよ。は、張り詰めた糸は、いっいつか切れてしまうんだって……とっ富岡さんが言ってた。だ、だから……」
富岡とは、月居カグヤの側近の老紳士である。引きこもっていた頃に会いに来てくれた彼が口にした言葉をカナタは思い出し、受け売りながらレイを案じた。
「……ボクが君のことを敵視していることを承知で、それを言うのですか。ボクと君は他人同士です。先日共闘したのは、それが戦略的に最適解と判断したまで。仲間だとか友達だとか、勘違いしないでください」
「し、知ってるよ。ぼっ僕と君は他人なんだって。で、でも……だ、だからこそ、僕は君と一緒にいたいんだ。み、味方のふりをした敵よりも、さっ最初から他人だと分かってる相手のほうが、安心できるから」
カナタの本音に、レイは沈黙した。
静かに答えを待つカナタだが、レイはなかなか次の言葉を発さない。
もしや寝てしまったのか。そう思って二段ベッドの上を確認しに行こうとカナタが上体を起こした、そのタイミングで、ようやくレイは返答した。
「……ボクはグラシャ=ラボラス戦で君に助けられました。借りを作りっぱなしなのも嫌ですし、付き合ってやってもいいですよ。いいですか、勘違いしないでくださいね――別に、君だから一緒に行くとか、そういうわけじゃないですから。あくまでも恩に報いるためなんですからね」
ぶっきらぼうに言うレイに、カナタは「あ、ありがとう」と囁いた。
それが会話の終わりの合図だった。
友達ではなく他人――求める関係性を言葉にされて初めて、レイはカナタが少し分かった気がした。
*
そして、来るGW、五月三日。
久々に私服に着替えて寮の玄関ホールに集合したマナカたちは、時計とにらめっこしながらカナタが来るのを待っていた。
「遅いなあ、ツッキー。いつもは早起きなのに」
「全く、この私を待たせるとはいい度胸ですこと」
心配そうに言うシバマルとは対照的に、リサは口を尖らせる。
ブロンドの縦ロールをツインテールにしたいつもの髪型に、黒をベースとしたパンクなファッションという出で立ちの彼女は、その美貌も相まってかなりの異彩を放っていた。
「リサさんばっちり決めてるね~。お嬢様らしく清楚な感じで来るのかと思ってたから、びっくりしたよ」
「うふふ、庶民の予想もつかない領域に私はいるのです。瀬那さんは……意外と、着痩せするタイプなのですわね」
「しっ、失礼なっ!? 普段から痩せてるよ私! そりゃ人より食べるし、空き時間にお菓子も食べるけど、どうせ訓練でカロリー消費するから関係ないし!」
「冗談ですわ。正直に言いますと、私も夜中にこっそりお菓子をひとつまみしているのです」
口元を手で隠してくすくす笑うリサに、顔を真っ赤にしていたマナカもつられて笑う。
マナカの衣装は白無地のワンピースで、リサとは対極の清楚さを演出している。あの契約の日、カナタに色仕掛けで迫ったら嫌がられた反省がしっかり表れている服選びだったが、その事情はリサたちには内緒だ。
じゃれあう少女二人を遠巻きに眺め、イオリは呟いた。
「元気だな、二人とも。俺なんか、昨日の訓練の疲れがまだ残ってるってのに」
「それを癒すための遊園地、だろ?」
後ろから肩を揉んでくるシバマルの厚意に預かるイオリは、階段から下りてきた銀髪の少年に気づいて軽く手を上げる。
が、その後ろからついて来ている金髪の美少女――っぽい少年の姿に、目を丸くした。
「さ、早乙女? なんであいつまで……」
「ごっ、ごめん、遅くなって……。さ、早乙女くんが、服選ぶのに時間かかっちゃって」
「ちょ、ちょっと待ってください月居くん。あの人たちは何ですか、もしかして一緒に行くんですか?」
弁明するカナタに耳打ちするレイ。
カナタは黒の、レイはグレーのオーバーサイズのパーカーを着てきている。もっと攻めた女性的なファッション、反対に男性的なジャケット等々、悩んだ結果レイはそこに落ち着いていた。
「そ、そうだけど……いっ、言ってなかったっけ?」
「一言も聞いてませんよ、そんなの! 君はともかく、ボクはあの人たちと付き合う義理なんて――」
言いかけた口が誰かの手に塞がれる。
レイがぎょっとして振り向くと、そこにはニヤニヤと笑うシバマルの顔があった。
「共に戦う者同士、互いを知ることも大事だと思うぜ、早乙女先生」
「味方の思考や行動の癖なんて、知ったところで戦略には活かせませんよ」
「戦略では、だろ? 『兵士には現場でのコミュニケーションが往々にして求められる。対「異形」においては集団戦がセオリー』……ってなわけだ。せっかくだし行こうぜ、先生!」
「……その『先生』という呼び方はなんですか……」
無理やり背中を押してくるシバマルに、咄嗟にいい反論が出てこなかったレイは溜め息を吐いた。
彼はかつて同じ時間を過ごした人達と似たような会話を交わしたのを思い出したが、頭を振ってそれを胸の奥へと押しやる。
「じゃ、じゃあ、行こっか、みんな」
銀髪の少年の言葉に一同が頷く。
こうして早乙女・アレックス・レイを加えた六人は、久々の休暇に胸を踊らせながら出発したのであった。




