ヒトノモノ その6 魅惑
六
「こんばんは」
「こんばんは」
先生は髪を結って、ポニーテールにしていた。先週よりも横顔の輪郭がすっきりしていた。出会って、四回目、まともに先生の顔を眺めた。美しい。
「どうしたの?」
先生は怪訝そうな顔をした。
「なんでもないです」
僕は恥ずかしくなって、目をそらした。二人そろって、二階に上がっていった。
「先週の復習からしようか」
僕はさっと数学の問題を解いた。
「すごい。分かってるじゃん」
大して感情がこもっていない言葉だったが、妙に嬉しかった。
ポニーテールがさらさら揺れている。僕はそれに見入ってしまった。先週より、先生は嬉しそうだった。どことなく、ウキウキしている。
「嬉しいことでもあったんですか?」
僕は思わず聞いてしまった。
「別に」
先生は低い声を出した。嬉しいのは事実だが、それを僕には言いたくないみたいだ。嬉しさを隠しきれていない。先生が嬉しそうにしているから、僕まで嬉しくなった。
今日は躓くことなく、問題を解いた。先生はその様子を僕の隣で見ていた。何も教えることがない先生は退屈そうにしていた。自分の長い髪を右手で触れていじり始めた。手持ち無沙汰なのだろう。
「先生、ここどう解くんですか」
僕は解き方を知っていながら、わざとそう聞いた。
「わかるでしょ」
と言いながら、先生は説明し始めた。ちらっと先生の顔を見た。単純に可愛いと思った。
「分かりました」
まるで、僕はその説明で理解したかのように問題を解いた。
「こないだより、物分かりがいいね」
「そうですか」
こうして、沈黙が訪れた。先生ともっと話してみたいと願うけれども、適当な話題が見つからなかった。それに、先生は単なる業務としてしか自分に興味がないことを悟っていた。先生は自分のことを話したがらず、僕に対してもこれといって何も尋ねなかった。先生にとって大事なのは、僕が問題を解けるようになることだった。
「時間になったね」
まだ、僕は問題を解いていた。けれども、先生は早く切り上げようとした。
「はい。先生、今日も母が料理をつくっていて」
「そうなの。ごめんね。今日は先約があるから」
「えっ」
僕は思わず、声を出した。
「ごめんね」
と先生は繰り返した。
先生はスマホを見て、素早く返事を打った。そして、嬉しそうに顔を赤らめた。
「じゃあ、また来週ね」
先生は僕が返答をする前に逃げるように僕の家を出ていった。玄関がガチャっという音を立て、僕はまた孤独な日常に引き戻された。