ヒトノモノ その29 落涙
二十九
「はあ」
藤原はため息をついた。
「どうしたんですか?」
「気持ち悪い」
「吐きそうですか?」
「調子に乗って、飲み過ぎた。アハハハ」
「ペースが早いからですよ」
「その通りだねえ」
藤原は頬杖をついて、天井を見つめた。視線が泳いでいた。
「どうしたんですか?藤原さん」
「いやいや、大丈夫。心配しないで」
藤原は突然泣き出した。
「もしかして、泣き上戸なんですか?」
「ダメだ。精神がおかしくなったのかもしれない。ここ最近、嫌なことがあってねえ」
「何かあったんですか?」
「詳しいことは言わねえよ。恥ずかしいんだ」
「だったら、無理して聞きませんけど」
藤原はティッシュで涙を拭っていた。
「ごめん、ごめん。また、暗い話になりそうだから、この辺で止めておこう」
このとき、詳しいことを聞くべきだったと本田は今となって感じた。藤原は何かをずっと悩んでいたのだ。けれども、本田は藤原を気遣って触れないように心がけていた。もう少し、踏み込むべきだったのだ。
「同じサークルの人にまた悩みを相談されて」
本田は話題をずらした。
「すごいねえ。本田くんは駆け込み寺的な存在なんだねえ」
「彼氏と別れられなくて困っているって」
「フーン。バカだねえ。代わりの男なんてごまんといるのに」
「僕も同じように思いますよ」
「でも、君はそう言わないんだろ。優しいねえ。ちゃんと、真面目に聞いたんだろ」
「まあ。2時間くらい」
「長いねえ。その娘さあ、本田くんと付き合えばいいのに。もったいないねえ。でも、本田くん、カノジョいるのか。ハハハハハ」
「茶化さないでくださいよ」
本田は笑った。
「いや、他人の男に手を出す女っていうのはドラマの筋書きとしては面白いよねえ。ごめん、ごめん。そういうのワクワクするよ」
「他人事みたいに言わないでくださいよ」
「いいやあ、別れられないだんて贅沢な悩みだねえ。出会いもしなければ、別れなんて存在しない。出会いがないもんで、オレには分らんねえ」
こういったブラックジョークを聞くのが本田は好きだった。自分が真面目に受け止めた他人の悩みが藤原によって、小馬鹿にされていったとき、本田は一種のカタルシスを感じた。自分の肩の荷が下りたような気がした。
「そうだ、本田くんはいつも、人様の悩みの話をするよねえ。でもさあ、本田くん自身の悩みってないの?」
「別にないですよ」
「君には自分ってものがないんだねえ。オレみたいなエゴがないんだねえ。それはいいことだ。だから、君は人に好かれるんだ。オレとは違ってねえ」
そう言われると、本田は急に申し訳ない気がした。本田は藤原の中にある寂しさの正体を理解したいと思った。けれども、藤原はいつになっても、具体的な話をしてはくれない。ただ、痛快に笑うだけだった。その笑いには底知れぬ寂しさがあった。




