化け物退治
これは、望んでいた奇跡だろうか。いや、この際なんでもいい。あの二人が出会ってくれた。そして、目的地もアイルデンだ。
燻っていたボクの熱情が込み上げてくる。まだやれる。まだ賽の目は出ていない。だが、本来ある運命とは大きく変わってしまっている。
ボクも、彼らに対する考えや接し方を変える必要があるかもしれない。なにせこうもキッチリと四人の進む道が運命の決戦の地へ続いているのだから。
この旅にはクリマの復讐という大きな目的があるが、各々にもこの旅で成すべきことがある。リンにはアインヘルムへ行くという目的があれば、クラッドにも記憶を取り戻すという使命がある。俺は、楽しめればそれでいいのだが。
「しっかし、ここら辺は物騒ね」
御者台で手綱を握るクリマが振り返ると、一同頷いた。
「ヘイズを出て三日、この近くの”シール”という国に近づくたびに、魔獣に襲われる頻度が増えていると思います」
「この前、通りすがりの行商人も言っていましたが、この先のシールはまだ市壁もろくに作られていない国なので、魔獣が国の中に乗り込んでくることが多いとも聞きました」
とは言っても、アイルデンに向かう進路と物資の都合上、シールで補給を済ませ、慣れない馬車の旅での疲れを癒す必要がある。
「ま、あたしには頼りになる魔術師が三人もいるから、蚊ほどの心配もしていないけどね」
余裕の表情を浮かべた後、再び御者台に座りなおしたクリマは、欠伸をしながら馬を止めると、双眼鏡を取り出して遠くを見た。
「みんな、シールについたわよ」
聞いた通り、市壁は建物二階分ほどの高さしかなく、まだ壁にすらなっていない個所もある。おまけに徒歩数十分で、魔獣が住むであろう森に囲まれている。
クリマが入国料を支払いシールに入ると、作りかけの建物がそこら中に並んでいる。国の真ん中に位置する王城にも、まだペンキか何かで青く塗られている途中だった。
「発展途上国ってわけか」
「なにそれ?」
クリマが聞き返してくれたおかげで、また一つこの世界について学べた。
「俺のいた地方で使われていた表現だよ。発展途中の国の総称だ」
なるほど、とクリマが言うと、元々決めていたのか、三階建ての縦長な宿に馬を預け、馬車の部分もしまってもらうと、岩の様にゴツゴツとした顔の宿の主に宿泊代を渡した。話を聞いている限り三日はここに止まるようで、馬車の上で揺れて休めなかった体も満足するだろう。
「さて、あたしはお母さんがこの国に預けたっていう相続金を受け取りに行くわ。ボディーガードってことで、クラッドもついてきなさい」
頭を下げたクラッドは、金貨袋を背負ったクリマに続いて宿を後にした。
「途端に暇になったな」
クラッドたちはしばらく帰らないだろうし、まだ昼過ぎなのでベッドで眠るには早い。リンにどこか行きたいところはあるか? と尋ねるが、奴隷の身で決めることなどできないと断られた。
「仕方ない、この国を回ってみるか」
ポケットに前金として受け取った金貨十枚を確認すると、リンに深くフードを被せてシールへと繰り出した。
金貨を受け取ったはいいものの、リン曰く屋台や酒場では、高価すぎて取り扱ってくれないらしい。なので、リンが両替商を探してくれた。あまり金貨をたくさん持っていても邪魔になるので、一枚の金貨を財布から取りだし、道端で商いをしている両替商に渡した。
「純度のいい金貨だ。これなら銀貨二十五枚にはなりますぜ」
遊ぶには少し物足りないのでもう一枚金貨を取り出すと、両替商は口角を上げて囁いた。
「流石はエルフを連れる旦那様だ。金貨をそんなにポンポンと出してくるとは、憧れますねぇ」
リンに気づいたという事は、この両替商も魔術師なのだろう。
「一つ頼みがあるんだが」
なんでしょう、と両替商が言うと、リンの正体はばらさないでくれと言う。
「とんでもない! 金貨を持ってきてくださった旦那に刃向うようなことはしませんぜ」
そして銀貨五十枚を受け取ると、リンと半分ずつクリマにもらった財布に入れて、両替商を後にした。
まだ時間があるので掲示板のおいてある広場にフラッと立ち寄ると、珍しく人だかりが出来ていない。
「何かあったんでしょうか?」
リンが不安そうに口にするが、そこらかしこで建物を建てているのだ。単に仕事には困っていないからだろう。
クリマからの前金があるのでわざわざ依頼など受けなくていいのだが、少しだけ目を通してみた。
「――なるほどな。そりゃ人がいないわけだ」
張られている依頼は、どれもこれも魔獣退治の依頼だった。王城すらまだ完成していない国では、騎士も国を離れられないだろうから、そんな依頼が殺到していた。
「どうしますか、カイム様。行かれるのであれば、私もお供します」
とはいうが、金があるというのに、わざわざ命を賭けたくない。
「金ならあるからな。この国を回ってみるとしようか」
はいっ! と元気よく答えたリンを連れて、まだこの世界で触れたことのない場所へ赴くことにした。
鉄を叩く音が木霊する鍛冶屋をまず覗いてみた。剣に兜、槍に盾等、騎士たちが使うのであろう武器たちが並んでいる。
「なんだい兄ちゃん、ここで働きてぇのか?」
そういうわけではなくただの観光だと答えると、鉄を打っていた職人はリンをじろじろと見ている。まさか、エルフであることがばれたか?
「それじゃ、俺たちはこれで」
去ろうとすると、背後から職人の声が呼び止める。
「そんな別嬪さんに髪飾りの一つもないのはいただけねぇな。そこでだ」
職人は鉄を打つ鈍器を手放して歩み寄ってくると、何やら紙に記し、手渡してきた。
「そいつを雑貨屋に届けてくれ。内容は商品の出来上がり具合を知らせるだけのもんだが、人手が足りなくてな。もし届けてくれるんなら、雑貨商で女物の品を渡してやれと書いといた。まぁ、お使いみたいなもんだな」
手渡された書類を懐に仕舞うと、鍛冶屋を後にした。この世界が好きな要因の一つである、人々の”大らかさ”を体験できたので、悪い気はしない。
「今の内に何が欲しいか考えとけ」
「奴隷である私に、そのようなものはよろしいのでしょうか?」
久しぶりに弱気に戻ったリンの背中を叩くと、あくまで奴隷と主というのは形だけだと言い、雑貨屋の扉を開けた。
「先に言っとくが客じゃない。その代わりにこいつを届けに来た」
店主はいらっしゃいが言えなかったのをもどかしそうにしながらも、書類を受け取り、リンに品を選ぶように言った。
今のリンの恰好は、銀色の筋が入ったローブと、その下に安かった紺色の長袖長ズボンを着ている。しばらくリンは迷うと、決められないのか、こちらにすがってきた。
「鍛冶屋の野郎はネックレスだとか髪飾りだとかをお勧めしただろうが、ワシならもっと別のものにするね」
初老の雑貨商がそう言ってペンを取り出すと、また紙に何かを記し、持っていくように渡された。
「この先の通りで砂糖菓子の屋台を開いている奴への手紙だ。届けてくれれば、今まで食べたことのないような甘くとろける砂糖菓子が食えるぞ」
なるほど、そう言えばこの世界に来て砂糖は見ていなかったので、食べてみたい。
「リン、鍛冶屋では着飾れと言われてここに来たが、食い物で済ませちまっていいか?」
聞くと、リンは不器用な笑顔を浮かべた。
「服や装飾品は、いつか使わなくなってしまいます。ですから、もし私に施しをくださるのなら、思い出に残る食べ物の方が嬉しいです」
日本にはおそらくいないタイプの女だ。やれ高級バッグだ財布だと強欲に求める女たちより、リンは正賓だと言えた。
「それじゃ、ありがたく受け取っていくぜ」
手紙を受け取り、言われたとおり道を進んでいると、件の屋台は見つかった。
「雑貨屋からの手紙だ。なんでも、手間賃として砂糖菓子をくれるだとか」
手紙に目を通した褐色の男は、早速二人分の手のひらサイズの皿を用意すると、固く閉ざされていた炊飯器の様な四角い箱を開けると、ミルクの匂いが鼻孔をくすぐる。そして皿の上に盛られたのは、冷気を放つ砂糖菓子だった。というより、これは完全にアイスクリームだ。
「牛の乳と砂糖を混ぜて凍らせてみたらよ、これが美味いんだ。いつもならあっという間に売り切れちまうんだが、今日はまだあってよ。あんたらついてるな」
リンは初めて見るアイスクリームに目を奪われていたが、早く食べないと溶けるぞと屋台の主から言われて、スプーンですくって一口運ぶと、出会ってから最高の笑顔を見せた。
「カイム様! 美味しいです!」
あっという間に食べ終わったリンは、興奮気味に急かしてくるが、俺は苦戦していた。
不味いわけではないのだが、これではただの凍ったミルクと砂糖だ。更に砂糖の分量が多いのか、甘ったるくて食べきれなかった。
「残りはやるよ」
リンに皿を渡してやると、目を輝かせてスプーンですくって食べていた。
日が暮れてくると、リンと共に国をめぐるのを止め、宿へと戻る。そこでは、クリマが更に大きくなった金貨袋を背負っている。しかし、機嫌が悪そうだ。
「どうした」
若干項垂れているクリマに声をかけると、どうもこうもない! と声を荒げた。
「あたしのお母さんの相続金だっていうのに、中々返さないのよ。穏便に済ませたかったから話し合いにしようとしたら、勝手にお母さんのお金を使って雇ってた傭兵どもを呼び出したのよ」
強欲ですね、とクラッドが言うと、クリマは何度も頷きながら声を大にして続きを話した。
「なにも、預けている額全部貰うって話じゃないのよ。何割かは預かってくれていたお礼として残す手はずだったのに、あたしが持ってる金貨まで寄越せっていうのよ! だから、後はクラッドに任せたわ」
おどおどしているクラッドに聞いてみると、その場にいた三十人近くの傭兵を、巨大な氷の壁と氷の壁で挟んだらしい。それに怯えて、相手はクリマに相続金を渡した。
「で、そっちは何かあったの?」
話を振られたので今日一日の事を答えると、クリマは不機嫌そうにため息を付いた。
「あたし達が戦っている間に、あんた達はデートしてたってわけね。良い身分ねぇ」
ジトッと睨んでくるクリマに、デートではないと言うが、クリマはクスクスと笑っていた。
その後は用意されていた四つのベッドに寝転がり、旅の疲れを癒した。
「旅の途中で体調崩されたら面倒だからね。たっぷり休みなさい」
と言うと、クリマは思い出したかのようにハッとすると、三人に向けて引きつった笑顔を見せた。
「この国だから部屋は取れたけど、今後は期待しないでね。最悪は野宿よ」
なぜだ? と聞くと、答えは簡単だった。
アイルデンに近づくにつれて人が国に集まり、ただでさえ少ないベッドでの睡眠はなくなるかもしれないとのことだった。
「先の事は先の事ってことにしよう。今はとにかく疲れた」
ごろんと横になると、馬車の旅の疲れが布団に吸収されていくようだ。
「ちょっと、これから夕飯だってのに、寝るんじゃないわよ」
クリマの声が聞こえたが、無視した。今はこのベッドでゆっくり寝たい。そう思っている内に声は遠くなっていき、眠りの世界に落ちた。