もう片方の出会い
――僕は、何をしているのだろう。こんなに冷たい水の中で、体中が痛くてたまらないのに、立ち上がる力も残されていない。
「……っと……大丈夫……?」
誰かの声が聞こえる。女性の声だろうか、僕の近くに寄ってきて、冷たい水の中から引きあげてくれた。
震える唇でなんとかありがとうとだけ伝えると、再び意識を失った。
今度目が覚めた時は、暖かい布団にくるまれ、知らない天上の下にいた。ここはどこだろう。あの女性が連れて来てくれたのだろうか? そこのところが意識がなかったので分からない。
「おや、目が覚めましたかな」
どこかの部屋の入り口から声がした。寝ていたベッドからなんとか起き上がると、体の節々が未だに痛む。
「まだ横になられた方がいいのでは? 治癒の魔術を施しましたが、全身が打撲と骨折で、生きているのが不思議なほどだったのですから。それに、三日間も寝たきりでしたから、体もうまく動かないでしょう」
その後申し遅れたと言い、自分は神父だと名乗った。ということは、ここは教会という事になる。
「それで、あなたのお名前は?」
答えようとすると、なぜか名前が出てこなかった。それを伝えると、神父はいくつかの質問を問いかけてくる。
名前、出身、親、常識等、いろいろ聞いてもらい分かった事は、自分は記憶喪失だということだった。
「こればかりは魔術でも治せませんね」
神父は困ったようにそう言うと、また一人部屋に入ってくる人がいた。短い金髪で背の低い女性は、どういうわけか僕を睨み付けてくる。
「記憶喪失だろうとなんだろうと、払ってもらうわよ!」
何か大きな袋を背負い、勝気な声でグイグイ迫ってきた女性は、今にも僕を絞め殺すような威圧感があった。
「その、払うとは、何をですか?」
「何もわかってないようね……」
神父が間に入って止めようとするが、この女性に人睨みされただけで後づさってしまった。
「まず一つ目に、あたしの名前は”クリマ・ロール”。ちょっとした事情であちこちの国を回っている商人よ」
そして一呼吸置くと、豹変したかのように言葉をいくつも羅列した。
「払うのは、あんたをこの教会に置いた貰った代金と、治療費と、滞在費よ! いい? 借金だからね!」
怒声とも取れる声がやむと、クリマは胸倉を掴んで、体を売ってでも払いなさいと言い残すと、部屋を出て行った。
「あの、僕の為に彼女が払ってくれた代金はいくらくらいですか?」
貨幣の価値は覚えていたので聞くと、銀貨十枚と答えられた。
「体の方が大丈夫でしたら、いつでもここを出て行って構いません」
神父はそう言うと、部屋を出て行った。しかし、問題は山積みだ。記憶喪失を治して、空手で銀貨十枚を用意して、その後生きて行かなければならない。
「はぁ……今は寝よう」
ベッドに横になり、出来るだけこれからの事を考えないようにしながら目を閉じていると、眠りの世界へ落ちて行った。
翌日、神父がクリマから手紙を預かったと言って持って来た。内容は、クリマがこの国”サンセット”に滞在する日数が書かれており、この国の商業組合に代金を持ってこいとも書いてあった。
「あと三日以内に何とかしなくてはならないというわけですか」
逃げようとは思わなかった。心の奥底にある記憶とは違う部分が、正しい事を成せと囁いているように感じ取れたのだ。
「神父様、体の方もなんとかなりましたので、この教会を出て行きます。お世話になりました」
頭を下げて、クリマが用意してくれた青いローブを羽織ると、神父が待つように言った。
「これを持っていってください。クリマ様が支払われたお釣です」
手のひらほどの小さな皮袋の中に、銀貨一枚と銅貨五枚が入っていた。
「ありがとうございます」
礼は言うが、これだけのお金では宿にも泊まれない。飢えをしのぐことは出来るが、それにも限りがある。
「それでは」
皮袋の財布を懐にしまうと、教会の外に出た。景色を見れば記憶が戻るかもと思ったのだが、ここは見たこともない国だ。ため息を漏らしつつ、教会から離れて国の中心にある掲示板を見に行くが、記憶喪失の自分に出来る仕事はなかった。
ではどうするか。考え込むも、答えは出てこない。仕方がないので、クリマに謝るために商業組合の建物に入った。そして用件を伝えると、クリマはまだ帰っていないとのことで、しばらく国の中を歩き回ってみる事にした。
鉄を打つ鍛冶屋や、旅道具の並ぶ雑貨屋などを見ながら道を進んでいくと、一本の細い道に迷い込んでしまった。道の先は、まだ昼過ぎだというのに薄暗くなっている。建物と建物がびっしりと並んでいるせいで、日の光が届かないのだろう。
行っても何もないので来た道を戻ろうとすると、細い道の先から何かが聞こえてきた。気になってそこまで行ってみると、そこにはクリマが、大柄な男たち三人に囲まれていた。
「背は小せぇが、いい体してるじゃねぇか」
今の言葉で状況を理解する。クリマは男たちに襲われそうになっているのだ。助けてもらった恩を返すため、三人の男の前に走って立ちふさがると、道の隅に追いやられていたクリマが真っ先に反応した。
「借金持ち! あたしを助けたら借金取り消しよ!」
そんなことはどうでもよかった。ただ、目の前でこれから起こるであろう暴力と欲に塗れた行為が許せないから、僕は出てきたのだ。
「なんだぁ? そいつの男か?」
「違います。僕はあなた方を止めたいだけなんです」
大柄の男たちに勝てるとは思えない。しかし、少しでも動きを止められれば、クリマが逃げることが出来る。
「ハッ! 白馬の王子様気取りかよ! 俺たちに喧嘩を売ったことを後悔させてやるぜ」
ひときわ大きな男が前に出てくると、その剛腕が顔面目掛けて空を切る。しかし、自分でも驚くほどの動体視力で避けた。続けざまに拳をいなして、足を引っ掛けて転ばせると、男たちはいったん下がった。
とはいえ、なんだ? この反応速度は? 記憶がある時は、武術か何かを習っていて、それが無意識に出たということだろうか。とにかく戦える事が分かると、クリマに逃げるように促した時、炎の小さな塊が飛翔してきた。クリマを抱いて避けるが、尚も炎は飛んでくる。
「言っただろ! 後悔させてやるってな!」
三人の中で一番背の低い男が手をかざすと、手のひらから炎の塊が飛び出してくる。
「俺様の炎の魔術が怖かったら、女を置いて逃げるんだな!」
三人の男たちが下種な笑いを浮かべている。だが、炎の魔術とやらを見て、記憶の中にあった”魔術の使い方”が、徐々に思い出されていく。
「そらそら! 今度は威嚇じゃねぇぞ! その頭を燃やしてやる!」
炎の塊が飛んでくる。気が付けば家と家に挟まれて逃げ道はない。クリマも怯えて、震えている。
――民を守ることが使命。
炎の塊がこちらの二人を襲う刹那に、片手をかざして”氷の魔術”で壁を作った。
ああ、僕は魔術師だったんだ。こんな時になんだが、自分の正体について近づけた気がした。
「野郎、氷の魔術とはな……だけどよぉ、炎と氷なら、相性はこっちにあるってことだよなぁ!」
今度は小さな炎の塊ではなく、両手を広げたほどの炎が迫ってきた。
「な、何とかしなさい!」
クリマが担いでいた袋を抱きしめて叫ぶと、異常に冷静な自分がいることに気が付いた。宙を舞う大きな炎の塊を肉眼で確認し、両手を掲げる。そうすると、今さっき作った氷の壁とは比べ物にならないほどに厚い壁が出来た。
炎の塊をもってして、少しも溶けすらしない氷の壁の中から氷柱を作りだし、浮遊させた。
「当然ですが、これに貫かれると死にます。なので、退いてもらえませんか?」
男たちは茫然としていたが、氷柱を一本垂直に発射してコンクリートの壁に穴をあけると、驚いて逃げて行った。
「終わりましたね」
腰を抜かしているクリマに手を貸すと、ガッチリと両手を握られる。そして話があると言い、一方的に連れて行かれた。
着いたのは、落ち着きのある二階建ての宿だった。クリマが受付で部屋に食べ物と飲み物を持ってくるように伝えると、二階の部屋に通された。
「まず腹ごしらえをしたら、事情を話すわ」
次々と運ばれてくる肉や魚、山菜や海藻を食べ、酒を一口飲むと、クリマは一息ついた。
「さて、と……そうそう、あんたを呼び止めたのには理由があるのよ」
二つあるベッドの片方に腰を掛けたクリマはもう一口酒を飲むと、本題を話し始めた。
「あたしは今、魔術や剣術にとてつもなく優れている人材を探しているの。あんたにはそれだけの価値があるからここへ来てもらったのよ」
自分でも不思議に思うほどの氷の魔術は、まだ全力ではないどころか、半分も魔力を使っていない。それだけでも、クリマのお眼鏡には認められたというわけだ。
「まだまだ増やしたいけど、あたしの目的が目的だけに、誰も力を貸してくれないのよ」
そこに、僕という人材を加えようというのか。
「気が付いてるみたいだからハッキリ言うわ。あたしはあんたを雇う事にした。そして目的は、あたしの”復讐の旅”に付き合ってもらう事よ」
途端に物騒な話になったが、クリマは一枚の紙きれを渡してきた。
『前金、金貨十枚。成功報酬金貨三十枚以上』と記された依頼書を見て、ほんの少し驚いた。本来なら飛び上がるほどの額だが、なぜかそれだけの金貨を前にしても、心の奥底は揺らがなかったのだ。しかし詳しく話を聞けば、クリマは道中の面倒もみるという。それに報酬がこれだけあれば、記憶喪失が治るまでは生きて行けるだろう。
とはいうものの、復讐の旅とは物騒だ。そこのところを聞くと、クリマは両手を強く握りしめると、怒りをあらわにして答えた。
「一週間前、あたしのお母さんが率いていた商人連合が、アイルデン付近で虐殺にあったのよ……あたしのお母さんも含めて、二十数人の商人連合はみんな殺されたの」
まだ二十歳前後の彼女に降りかかっていた現実は、重く、辛いものだった。
すると、おもむろに担いでいた皮の袋を開けると、流石に目を疑った。中身には、ギッチリと金貨が詰められていたからだ。
「この金貨は、商人の神様といわれたお母さんの相続金なの。心配性だったお母さんは各国に金貨を預けていたのよ。そしてこの国の分も回収したから、更に増えたわ」
まぁ、そんなことは置いといて、とクリマが話を戻す。
「虐殺犯は、アイルデンを中心に虐殺を行い、いくつもの村が襲われたそうよ。そして、決まって血で書いた文字が残っているの。『戻らなければ悲劇は続く』とね」
アイルデンという言葉に、頭の中で何か違和感を感じたが、ただの頭痛だという事にして続きを聞いた。
「あんたには借金もあるし、命も助けてやったんだから、手を貸しなさい」
「もとより、あなたについていくことはこの会話が始まった時から決めていました」
クリマは簡単に決まってしまった事に驚きを隠せなかったが、落ち着きを取り戻すと、袋の中から金貨を取り出して、小さな袋に入れて、手渡してきた。
「前金よ。あと一応言っておくけど、それを持って逃げたりすれば、金貨の力で地の果てまでも追いかけるから」
「胆に銘じておきます」
懐に仕舞うと、今度は地図を取り出して見るように促された。
「ここが今あたし達のいるサンセット。そしてこの先からは、Kの領域とUの領域に分かれているけど、あたし達はKの領域を進むわ。
ぼんやりとした記憶をたどると、ここからアイルデンまでは相当かかる事を思い出した。しかし、クリマの資金があればどうにかなるだろう。
「早速明日には出発よ! しばらく馬車の旅だから、今の内にベッドのありがたみを噛みしめておきなさい」
クリマは金貨袋に封をすると、枕元に置いて横になった。やがて静かな寝息が聞こえて来ると、僕も横になった。教会の固いベッドとは違い、フカフカな布団にくるまっていると、あっという間に眠りに落ちた。
翌日、朝一でクリマにたたき起こされ、旅支度をするように言われると、歯を磨いて、顔を洗って、宿の外に出た。
「来たわね」
そこには、道行く馬車とは違い、天井が除けられた馬車があった。それを引っ張るためか、二頭の大きな牡馬が繋がれている。
「旅の面倒をみると言った以上、食べ物も飲み物も、詰めるだけ積んだわ!」
少し前まで記憶喪失だったというのに、あっという間にお金持ちの仲間となって、路銀を心配する必要もなくなった。
「さて、出発する前に、一つだけあんたにあげるものがあるわ」
なんだ? と首を傾げていると、クリマはにっこり笑った。
「記憶を取り戻すまでの名前よ! その名も”クラッド”。なかなかいい響きでしょ?」
悪くないです。そうクリマに言うと、馬たちが走りだした。
「さて、行くわよ!」
クリマの掛け声とともに馬が鳴き声を上げると、馬車は国を出発した。
なんと、彼が生きていた! 記憶こそなくなっているけれど、魔術の腕前はそのままに、更には大金も手に入れてだ。あの金髪の女も、これから先生きていく上では重要な役割を演じてくれるだろう。しかし一番驚いたのは、二人の向かう先がアイルデンという事だ。カイムとエルフがアインヘルムを目指すのなら、目的地は同じようなものだ。
もしかしたら、どこかで出会ってくれるかもしれない。そうすれば、カイムのマグナムとエルフの魔術。それから氷の魔術まで加わって、旅の路銀の心配もいらなくなる。そんな奇跡を、ボクは願った。