もう一人の主人公
もう春先だというのに、この王宮の中庭から見上げる空は鈍色だ。雪こそ解けたが、まだ北国である”アイルデン”では、防寒対策をしていないと夜を凌げない程だ。
「サスーリカ王子、謁見を希望する者が参りました」
王子。それが私を表す名詞。本名はアイルデンの第一王子サスーリカ・リ・アイルデンだ。
しかし、謁見か……。
「父上にではないのですか?」
青い衣に身を包んだ執政は、あくまで王子に話があるという。
「では、”スティーリア”に任せます。あと、後学の為に”フリージア”も同席させてください」
執政は少し戸惑っていたが、お心のままに、と残すと、謁見が行われる玉座の間へ続く通路を歩いて行った。
しかし、いくら王子に謁見があるとはいえ、双子の弟の”スティーリア・リ・アイルデン”と、二つ歳の離れた二十二歳の妹”フリージア・リ・アイルデン”に任せて大丈夫だろうか。
本来なら私が赴くのだが、次期国王としての習練で疲れているのだ。しかし、私の心には、本当に民を統べられる立派な王になれるかという不安にも似た感情が燻っている。それを思い返すたびに、自分は国王となり、Kの信仰を信ずる者たちが集う”Kの領域”の代表国の王になるのだと、自分で自分に言い聞かせてきた。
「しかし、疲れましたね」
新鮮な空気を吸いたくて中庭に出てくる時は、いつだって隅に設けられた池の淵に座る。一種のこだわりという奴だ。
「少しやつれたかな……」
池に映る自分の顔を見て呟くと、こんなことでめげていてはだめだと思いなおす。とはいえ、いつか誰かに思いっきりカツを入れてもらいたいものだ。王子である時点で、そんな人物は父上しかいないのだが。
ふとそんな時、城門へと続く通路の先から、茶色い髪と金色の瞳の少女が歩いてくる。記憶では、あのような少女は城内にいない。警戒のため意識を集中し、己の周囲に氷柱を生み出し、浮遊させる。この氷の魔術は王家の血を引くものに与えられた強力な力だ。ただの少女にそこまでするか? と疑問もあるが、油断している時に暗殺でもされたらたまらない。
しかし、少女は氷柱に臆することなく歩み寄ってくると、ぺこりと頭を下げて口を開いた。
「初めまして、サスーリカ王子。ボクはニオ・フィクナーといいます」
中性的な声の少女はニオと名乗ると、王城の方へ視線を変えた。
「あまり時間はないようだ。サスーリカ王子、どうか僕の話を聞いて、信じてください」
突拍子もない事をいうものだ。しかし、ニオからは敵意や悪意は感じられない。王を継ぐ者として様々な外交の席に父上と同席してきたからわかるが、人を騙そうとする輩や欺こうとする輩は気配でわかる。少なくともニオからはそういったものが感じられない以上、話を聞いてもいいかもしれない。
笑い話だと割り切りたかった。そんなことはないと断言したかった。けれど、ニオの話した真実は、作り話にしては複雑すぎる。それに、ニオが語った『これから私に起きる事』の一つが、ニオがどこかへと消えた今、発生してしまった。
「父上……」
ニオの話の最初、まだ話の真偽すら考えていなかった時に語られたこれから起きることの中に、父上”グラキエース・リ・アイルデン”が殺害される、という事があった。そして全てを聞き終えた後に駆けつけてみれば、父上は寝室で氷柱に胸を貫かれて死んでいた。
ニオの言った事が現実となった。ならば、この後に起こる事も現実となるのか? 答えは、寝室を出ようとしたところで分かった。
「僕の父上グラキエース王を、兄サスーリカが殺害したようだねぇ。さぁ騎士諸君、彼を逆賊として捕えてね」
父の死後、弟スティーリアから免罪をかけられるという事も聞いた通りだ。間違いない、ニオの言った事は全て真実だ。だとすると、急がなければならない。
「みんな、すみません!」
氷の魔術を使い、寝室に押しかけてきた騎士とスティーリアの足を凍らせると、急いで厩へ向かった。
「兄さん!」
そんな時、妹のフリージアが駆け寄ってくる。敵意はないようだ。
「私は見ていました! 父上を殺したのは、スティーリア兄様です!」
これも聞いていたことだ。そして、このままではフリージアは私と共に来るだろう。フリージアはそういう性格だ。だがそんなことになれば、謂れのない罪をフリージアにも掛けることになる。
「すまない」
首筋をトンと叩いて気絶させると、その場に寝かせておく。今は、逃げることが大事だ。そして、逃げた先でカイムと名乗る男と合流しなければならない。
厩にたどり着くと、一匹の馬にまたがり、アイルデンの街中を駆けた。やがて市壁を越え、アイルデンが遠くに見えるKの領域を流れる激流のほとりに逃げ切ると、ようやくひと段落ついた。
と、思っていたのだ。
「グゥゥ!」
突然、頭の中がかき回されるような感覚に襲われる。その衝撃で落馬してしまい、体中が痛む。だがこの感覚は、まるで記憶が奪われるようだ。ニオから聞いた、この先に起こる真実に関しても、記憶に霧が掛かる様に思い出せなくなる。
「あの女が余計な事を吹き込んだようだからな……消せはしないが、記憶を思い出せないようにした」
声のする方を見ると、なんと翼を生やした灰色の髪の男が宙を舞っている。
「ああ、いたいたぁ。彼こそが第一王子サスーリカで、王殺しの大罪人だよぉ」
いつのまにやらスティーリアにも追いつかれていた。しかし、今はそんなことを考える余裕はない。落馬の衝撃で骨は折れ、今もまだ、頭の中がグルグルとかきまぜられている。
「いやぁ、僕が玉座に座るためには、お兄様は邪魔でねぇ……ここで殺しちゃってもいいんだけれど、それじゃ国民は信じないだろうから一緒に帰って来てもらうよぉ」
髪を掴まれて持ち上げられた頭が、スティーリアの赤い瞳に映る。
「帰る先は、断頭台だけどねぇ」
このままでは殺される。宙を舞う男と、自分と同じ修練を積んできたスティーリアの二人が相手では、勝ち目はない。だからといって、諦めて命を差し出す真似はしたくなかった。そう思うと、逃げ道を探した。
「無駄だっていうのが分からないのかなぁ?」
スティーリアは髪を離すと、いたぶる様に氷の魔術で小さな氷塊をぶつけてくる。しかし、
「スティーリア、傲慢は時として思わぬ結果につながるという事を忘れないでくださいね」
言うと、倒れたまま転がり、激流の淵にたどり着く。
「必ず、戻ってきますよ」
そう言い残して、捕えようとするスティーリアから逃げるように激流に身を投げた。二人は止めようとしたが、一歩遅く、私は激流にのまれた。何度も岩や淵にぶつかり、体中が痛み、氷のように冷たくなっていく。
意識を手放す前に頭をよぎったのは、これから先荒れるであろうアイルデンの民たちの事だった。
ボクの計画はまたしても失敗した。サスーリカにはカイムと出会ってもらう必要があるというのに、その命すら危うくなってしまった。
ボクは再び考える。あの二人を出会わせる方法を。そうしなければ、世界はUの信仰に染まってしまう。強者が弱者を虐げる世界が、この場所でも成り立ってしまう。止める為には、何としても出会わせなければならない。
だが、どうやって? サスーリカは激流にのまれ、死ぬかもしれない。どこかへ流れ着いても、あの傷では立ち上がる事すら難しいだろう。考えるんだ、なんとしても。最後まで抗うんだ。