それぞれの旅立ち
箱舟の落下は、そこまで高く飛んでいなかったのと、頑強な作りのおかげで、死者は出なかった。ノアを失った今、これまで新世界を信じていたソワサントの権力者たちはUの領域を離れ、Kの領域に移り住んだ。ソワサントや方々に住んでいた人々もKの領域に入り、ある意味ノアが作ろうとした新世界は、簡単に作られた。
俺たちはあの後、未だ混乱の続くアイルデンに戻り、サスーリカの計らいで一軒の家を貰い受けると、長旅の疲れを癒す為に、しばらくその家で過ごした。そうやって平和な時間を過ごしていると、サスーリカを称えるパレードが催された。アイルデンのキッチリ長さや大きさの整った家屋の間を、サスーリカとフリージアを乗せた馬車が練り歩き、手を振っている。
「しっかし、まさかサスーリカが救世主扱いされるとはね」
遠目でパレードを見ていたクリマがそう言うと、リンが文句を言った。
「本当ですよ! 世界を救ったのはカイム様なのに!」
どうやら、ソワサントで大洪水を止めたのはサスーリカだと誰かが口にし、それが広がって、サスーリカは英雄扱いされている。
「まぁ、俺にあんなパレードで手を振るなんて事できないから、王様も兼ねているサスーリカの方が、花があっていいだろ」
そうやってしばらくパレードを見た次の日、クリマはやることがあると言って家を出て行った。次に会うときはいい話を持ってくると自信満々に言っていたが、何をするのやら。
「それで、そいつの調子はどうだ?」
二階建ての家の一階で、リンが壊れたマグナムのパーツを集め、修復してくれている。
「構造は簡単ですから、お時間さえいただければ直せます」
まったく、本当にリンは有能だった。あの山で出会った事は、遠い親戚だとかは関係なく、運命とかそう言う大きなものだと、最近思うようになってきた。今日も明日も、リンと過ごしていくのだろう。この心にある感情は恋心なのかどうなのかは分からないが、いつかは胸の内を打ち明けよう。
「カイム様、手紙が来てますよ」
リンがそれを持ってくると、立派な封がしてあり、開けてみると、サスーリカからのものだった。なんでも、近いうちに王城に来ないか? という内容だった。暇なので適当な日時を書いて送り返すと、王城に入れる紋章が届いた。
サスーリカに会うのはいつぶりだろうか。あの戦いからこっち、国の中をまともにするために王城の中で籠りっきりで作業していたと噂されるほどだ。たしかに、パレードの時のサスーリカは、どこか疲れた表情だった。
門番に紋章を見せ、アイルデンの王城に入る。以前来たのはスティーリアとユベルとの戦いのときだった、などと思い返していると、手紙にあった王宮の隅にある庭園の場所を聞いて向かった。
そこには、池の淵に座る青いマントを羽織ったサスーリカが、あくびをしながら待っていた。どうやら、あまり寝れていないようだ。
何を言うでもなくサスーリカの隣に座ると、早速申し訳なさそうな顔を向けられた。
「おいおい、王様なんだから、もっと堂々としてろよ」
「友の前でまで王様をやっていたくないのですよ」
やはり疲れているようで、少しやつれたようにも見えた。
「それで、この国の政治やらはどうなんだ?」
「どうもこうもありませんよ。片づける書類はまだ山の様にありますし、ソワサントからの移住者の受け入れも残っていますからね。カルチエに送る代理の王の事もありますし。それに、いい加減嫁の一人でも作れと、フリージアから言われていまして」
困った様な顔で頭を掻く姿は、旅の間よく見た姿だ。まだ記憶が戻っていなかったクラッドの頃からも見ていた気がする。
「それで、ここに呼んだ用ってなんだ?」
わざわざ世間話をするためとは言わないだろう。サスーリカは少し考えた後、俺に頭を下げた。仮にも国王が一般人に頭を下げている姿を誰かに見られたら事だ。無理やりにでも起こすと、サスーリカはすみませんと口にした。
「本当なら、英雄として称えられるべきはカイムなのに、私だけが祭り上げられているのが申し訳なくて……」
なんだ、そんなことか。相変わらず真面目というか、なんというか。
「俺にそんな大層なものはいらねぇよ」
「しかし、実際世界を救ったのはカイムだ!」
「いいや違う」
違う? と疑問を浮かべるサスーリカに、照れくさいが話してやった。
「あの勝利にたどり着くまでの旅路にはクリマが必要だったし、リンの魔術がなければ俺はまともに戦えなかった。そしてサスーリカがいなければアイルデンでの決闘にも勝てなかったし、大洪水を止めるのも間に合わなかった。つまり……」
やっぱり恥ずかしいな……。ええい、そのまま言ってしまおう。
「みんなの力がなかったら世界は水に沈んでた。それ以前に、ここでの決闘も負けてたろうよ。それだけだ」
やはり恥ずかしいが、サスーリカは何度も頷くと、スッと立ち上がり空を見た。
「あの日見た空より、今日はずっと晴れてますね」
何のことだかわからないがそう言うと、こちらを見て笑った。
「それでも私は一生忘れません。世界を救った”報われない英雄”の事を」
王城を出て街をぶらぶらしていると、小柄で金髪の女が走ってくる。
「相変わらず忙しないな」
「あんたは相変わらず暇そうね」
お互い皮肉を言うと、二人とも吹き出してしまった。
「それで、そんなに走ってどうしたんだ」
聞くと、クリマはニヤリと笑い、いい話を持って来たと声高に言った。
「お母さんの相続金も全部回収したから、それを元手に”商会”を作ったの。まだ建物は出来てないけど」
商会? と聞き返すと、旅の中で何度も聞いた常識知らずと煽られた。それでも教えてくれるのがクリマなのだが。
「お母さんがあたしに残してくれたものは、なにもお金だけじゃなかったのよ」
「というと?」
「Kの領域全土のお得意さんと、Kの領域でもUの領域でもない地域のお偉方の情報よ!」
それを何に使うんだ? と聞くと、胸を張って答えた。
「まずは商会を立ち上げて、商人たちを雇うわ。そして、あたしの知っているお得意さんの所でいい待遇を受けられるように一筆したためて、特別価格で商売をするのよ。あたしの所には、利益の二十パーセントが入るんだけどね」
「つまりそれって、座ってるだけで金が入ってくるって事か」
そういうこと! と言ったクリマは、ここから先が良い話だと宣言した。
「虐殺犯だ神様だはいなくなったけど、世の中には山賊やら盗賊はウヨウヨいるし、魔獣もいるわ。そんな奴らから商品を守るための用心棒を探しててね」
「それが、俺って事か」
「あんたもだけど、リンもよ!」
仕事か……まぁ用心棒なら敵が現れたらマグナムをぶっ放すだけで済むし、これから生きていく上で、クリマの報酬やサスーリカとのコネだけでやっていくのは難しいだろう。
「分かった。だが、しっかりリンと相談してから返事を送る」
「うん、いい返事を待ってるわよ」
クリマとはその場で別れ、早足で家に戻った。
帰ってその話をリンにしようとしたら、思わぬ客が来ていた。
「やぁ、久しぶりだね」
ニオが、リンと紅茶を飲んでいた。しかし、初めからとことん、本当に突然現れるやつだ。
「それで、今回は何しに来たんだ?」
「ボクがいつだって何か問題を抱えてるってわけじゃないよ」
そう言って紅茶を一口飲むと、実は今回も話があると言った。
「ノアが死んだことで、この世界を創った創造神はこの世界に干渉できなくなったんだけれど、熱狂的なU信者が怪しい動きをしてるって聞いてね。もしよかったら頼めないかなって聞きに来たんだ」
なるほど、なかなか一件落着とはいかないようだ。だが、
「しばらくは休暇にするよ。その後仕事をするつもりだ。それでもやばそうだったらまた来てくれ」
分かったよ、とニオは拗ねたような顔をしたが、すぐに金色の瞳を向けると。
「世界を救ってくれてありがとう」
そう言って、ニオは出て行った。
「カイム様、仕事って何のことですか?」
「ああ、悪い。今から説明するよ」
クリマから話された仕事の事を話すと、リンは腕を組んで考えていた。何か気になる事があるのかと問えば、リンは一度アインヘルムへ戻りたいと言った。
「私もエルフですから、同じ仲間と話してみたくなったんです。今までの境遇や、アインヘルムでの暮らしの事などを、人間が世間話をするように話してみたいんです」
なるほど、これはエルフであるリンにしか抱けない願いだ。
「もちろん私はカイム様の奴隷ですので、いつかは共に仕事に就きたいのですが、どうしてもアインヘルムが気になってしまい……」
申し訳なさそうだが、リンの中ではアインヘルムへ戻ることは強い願いとなっている。それに、ここまでずっと、文句の一つも言わずについてきてくれたリンの願いは、叶えられるのなら叶えたかった。
「そうだな……お前には世話になりっぱなしだから、そろそろ恩返しをしなきゃな」
恩返しなど恐縮ですとリンは縮こまるが、これは本心から出た言葉だった。
「俺も一緒にアインヘルムへ行くよ。旅の元々の目的地は、アインヘルムだしな」
そう言うが否や、久しぶりの旅支度を始めた。馬車は持っていないので徒歩で行く事になるが、アイルデンとアインヘルムは山一つ越えた先にある距離だ。徒歩でも一日歩けば着くだろう。
翌日、朝の早いうちからアイルデンを出て、アインヘルムへ向かった。その途中で、今までの旅路の事を思い出しては語り合い、時には笑い、会話が途切れても、また新しい思い出が出てきた。それだけ、この時代に来てからの旅路は楽しく、充実したものだった。
そうして歩いている内に、アインヘルムを包む霧の中へと足を踏み入れた。ここからオオアマナなしで入れるものなのかと心配したが、エルフなら道に迷わないという。本当にその通りで、気が付けば霧を抜けて、一面にオオアマナが咲くアインヘルムへ戻ってきた。
「この前来た時は大変だったな」
虐殺犯だと間違えられ、ニオから真実を聞いて、ユベルにリンが攫われて……あの時ゆっくりと堪能できなかった分、今回はゆっくり過ごそう。
リンは、やはりエルフの中でも天才の部類だったのか、到着してすぐにエルフ達に囲まれていた。そういえば、リンがこんな風に誰かと交わるなんて、たいしてなかった。だいたい俺の後ろにいるか、馬車に揺られていたからだ。
「……潮時かもな」
今、ここにいるリンは心の底から楽しそうだ。リンのこの先を考えるなら、アイルデンに戻って、エルフとしての自分を隠しながら奴隷を続けるなど、あんまりだと思った。
「リン、ちょっといいか?」
エルフ達から引き離して、歩きながら今の事を全て話した。リンは俺に大恩があるから離れないと言ったが、なら確かめてみようということになり、族長の所へ向かった。
サスーリカを映したあの鏡を作ってもらい、リンに覗き込むように促した。抵抗していたリンだが、おそるおそる覗き込んでみると、そこにはエルフ達に囲まれて幸せそうに笑っている姿が映った。
「カイム様……私は……」
言葉に詰まっているリンの背中を叩いてやった。
「なに、ちょっとした休暇だと思えばいいさ。戻ってきたくなったら戻ってくればいいし、ここに留まりたいなら留まればいい。なんたって、お前は奴隷なんかじゃなく、俺の友なんだから」
リンは今にも泣きだしそうだった。それでもリンは涙をこらえると、大きく頭を下げた。
「必ず戻ります。ですから、しばらくの自由をお許しください」
最後の最後まで、俺なんかに敬語を使っていた。
「それじゃ。元気でな」
今までついてきたリンを残して、俺はアインヘルムを出た。悲しさからではない涙が流れそうになるが、俺もこらえた。
「また会えるさ」
そう心に誓って、俺はアイルデンへと戻った。
それから幾日が過ぎた頃、俺の元には週に何度もリンから弾丸が大きな袋に包まれて届けられていた。これだけあれば、弾切れを気にする心配はない。そしてこれだけ送ってくるという事は、アインヘルムでの暮らしが充実している証しだろう。
「いい加減、俺も働くかね」
元の時代でも職業についていなかったが、この時代に来て、様々な出会いや出来事を通して、二十を過ぎているというのに成長できた気がする。幸い仕事先もクリマが用意してくれているので、そこに行けばいいだろう。
「さて、行くか」
クリマの元に訪れ、俺一人でも雇ってくれるかと聞いたら、大歓迎とはいかないまでも喜ばれたので、商会の用心棒の仕事が決まった。そして今日が、いわゆる初出勤だ。
旅立ちには最適な快晴で、初めての用心棒を務める相手も旅慣れているようで、特にこれといった心配はなく旅が始まりそうだ。
「頼んだぜ、相棒」
リンが離れる前に直してくれた、ある意味この時代の最古の友と言えるPYTHON357マグナムをベルトに挟むと、準備が出来たと伝えた。
「さぁ、地平線の果てまで連れてけ」
誰に言うでもなく呟くと、商人の馬車は出発した。
きっと、これからもこの時代で生きていくのだろう。まだ知らない事は多いし、行ったことのない場所も多い。それでも俺は、報われない英雄として生きていく。旅はまだ、始まったばかりだ。




