神が許した男
Kの領域とUの領域の境界には大きな壁があり、騎士たちが半分ずつ見張りとして立っている。Kの領域の代表国の王となったサスーリカが対話の為に通ると、幸運を願う声と罵倒に挟まれた。それでも、Uの領域には入ることが出来た。
「あたしも始めて来たけど、ずいぶん殺風景ね」
クリマの言う通り、村や国の類は見当たらず、山肌は禿、緑が少ない。
「Uの信仰者たちのほとんどは、ただ静かに暮らしていたい世捨て人ばかりです。それ以外の発言力のある者がソワサントに集まり、富や名声を集め、Uを信仰していると聞いています」
更にUの領域にはソワサントくらいしか国がないらしく、貧困に耐えかねてKの領域に移り住む人々もいるほどらしい。
「要するにお金がないのね。こっちに生まれなくてよかったぁ」
「あっという間に移り住むだろうな」
なんて、茶々を入れながらの旅も、気が付いたらもう終盤なのだ。色んなことがあったこの数十日間は、この世界で生きることの楽しみを教えてもらった。そして友が出来て、金も手に入れた。この素晴らしい旅を綺麗に終わらせるためにも、なんとしてもリンを助け出さなくてはならない。
二日後の朝、本当に村も国もない平野を突き進んでいたら、たった一つだけ市壁が設けられた国を目にする。
「到着した様です」
最後の馬車での旅は、あっけなく終わった。
サスーリカが検問所で身分を明かし、理由を説明すると、ソワサントに入国できた。だが、国内も大して大きな建物もなく、人々から活気が感じられない。
「聞いた話の通りなら、お偉いさんが闊歩していると思っていたが、静かだな」
サスーリカかもこの事態に困惑しているようで、道行く人に声をかけた。
ボロを着た腰の曲がった老人は、最近になって突然権力者たちがいなくなり、物流を請け負う商業組合も上の人々がいなくなったので、まともに品が国に入ってこないという。
しかし、王城だけはピカピカに磨かれ、少ないが騎士たちも歩いている。
「立ち寄るところもありません。直接王城へ向かいましょう」
そうしてソワサントを進んでいくと、やはり城だけは立派にそびえ立っており、サスーリカが来るのをどこからか聞いていたのか、あっさり城に入れた。
謁見の間まで騎士に案内されて王を待つと、でっぷりと肥えた王が、ドスンと椅子に座り、用件を聞いてきた。
それに対して、リンの事や互いの宗教で敵対することを止めようなどとサスーリカが話していると、王の後ろに人影が見えた。それを感じてか、王は振り返り、控えている人影と話している。すると、どこか冷や汗をかいた王が俺を指差すと、別室に行くように命令された。
「なぜカイムだけなのですか? カイムも仲間である以上、危険な目にはあわせたくありません」
サスーリカがそう言いかえすが、俺は立ち上がると、体を伸ばした。
「なに、王様からの直々の命令だ。答えてやらなきゃ話も進まないだろう。それに、いざって時はこいつでなんとかする」
マグナムをちらつかせて心配はいらないと説得し、サスーリカが折れて、俺は別室へと通されるべく、二人の騎士に連れられて謁見の間を出た。
一階にあった謁見の間から階段を下り、コンクリートで作られた薄暗く狭い部屋に通されると、備え付けられていた椅子に腰かけ、何が起こってもいいように、シリンダーを確認する。リンがいない以上、弾切れを気にする心配があるので、出来る事ならば争いは避けたい。
「そういえば、この時代に来る前も、こんなところにいたな」
死ぬ気でトリガーを引いたあの博打から、俺の旅は始まった。そう考えると感慨深い。そうこうしていると、向かいにあった階段から誰かが降りてくる。
「いささか暗いね」
中性的な声の主は、指をパチンと鳴らすと部屋中の壁に張り付けられていた蝋燭に火をつける。そして露わになった声の主を見て、目を疑った。
「ニオ、か?」
顔だけ見ると、金色の瞳に茶色く短い髪の毛であり、顔つきも中性的だ。だが、背丈や体格は細いとはいえ、男のそれだった。こちらの動揺を悟ったのか、ニオに似た男は椅子に腰かけると、微笑を浮かべた。
「ニオ、だったかな。僕を真似て作られた器は」
器、と言う事は、もしかするとこいつは……
「お前の中にUがいるのか」
「ご明察、と言っておこうか」
Kがこの世界に直接干渉できないからニオを作ったように、目の前の男はUがこの世界に干渉するために作られた存在だという事だろうか。
「その顔だと、僕の中にUがいることの理屈は理解しているようだね。――おっと、申し遅れてた。きっと君なら知っているだろうから、”ノイ・ヌーフ”という偽名ではなく本名を名乗るよ」
「僕の名はノアさ」
「なに?」
この時代に来る前に読んだ旧約聖書の登場人物。世界を水に沈めた神が、唯一許した男の名だ。
「そう驚くことではないだろう。君だってついこの前アベルの子孫と出会っているのだから」
言われてみると確かにそうだが、ノイにはUがついている。
「さて、君はユベルとの決闘に勝利した。だからこれを渡しておこう」
そう言ってノアが手渡してきたのは、一枚の紙きれだった。
「それを持って願うだけで、”箱舟”にワープすることが出来る。スティーリアもユベルも、これを手にするために戦っていたのだけれど、君たちが勝ったからね。先に渡しておくよ」
この口ぶりから察するに、あの戦いは、ノアが作り出した事になる。俺たちは、こいつの手のひらの上で踊らされていたというのか?
「さぁ、神話の時代からの友よ、新世界へと行く箱舟を見て行かないかい?」
手を差し伸べてきたが、その前にマグナムを構えて問いただした。
「アイルデンから送られてきた白髪のエルフはどこだ」
結果として平和が勝ち取れたのだから、この際こいつの思う通りになっていたとしても構わない。だがリンの事は別だ。しかし、ノアはマグナムを前にしてもクスクスと笑っていた。
「残念だけど、その武器じゃ僕を殺せない」
「だが、痛めつけることは出来るだろ」
左足目掛けてマグナムを放った。しかし、弾丸はノイの数センチ手前で進むことを放棄しており、虚しく回転していた。
「仮にも神が宿っているんだ。残念だけど、君に僕は殺せない」
もう数発撃ってみるが、変化はない。これでは弾の無駄だと思い、懐に仕舞った。
「無力さを知ったところで、ついてきてもらうよ。その先に君の言うエルフもいるからね」
そうと聞いては、止まっていられない。マグナムに弾丸を装填すると、ノアについて行った。どうやらこの地下室よりも下がある様で、螺旋階段を下って行くと、地下だというのに煌々とした灯りが付いている。だがそれ以上に、目の前の光景に驚いていた。
「これが、箱舟か……」
ガキの頃、遠目で見た東京ドーム程の広さを持つ空間が地下に広がっており、そこには王城より巨大な帆船が鎮座している。
「ここに、君の探すエルフはいる。そしてこれこそが、僕が……創造神であるUが選別した者を乗せる箱舟さ」
まるで工事現場の様に固定されている箱舟には、数えきれないほどの家畜や、苗木が乗せられている。そしてそれらを運ぶのは、ボロを着た奴隷たちだ。いや、今はそんなことより大事な事がある。この箱舟があるという事は、旧約聖書の通り、じきに大洪水が起こるかもしれないという事だ。
「感づいたようだね。そうとも、あと一週間もしないうちに王城の横に残された古い城門が海へと繋がり、Kの領域もUの領域も……いや、もっと多くの人間たちを飲み込むんだ」
言葉が出てこない。それを察してか、ノアは不気味なほどやさしい口調で語りかけてくる。
「君の目当てのエルフも箱舟に共に乗るよ。それに、箱舟を空に上げるために少し魔力を貸してもらうだけで、奴隷の様には扱わないさ。そして、新世界では人間もエルフも関係なくなり、皆がUの信仰の下で生きていくのさ」
「耳を貸しちゃだめだよ」
唖然としていると、背後にニオが現れた。
「Uの信仰は、独善的な支配者が民を無理やりおさめて、強者が弱者を虐げるような世界を作り上げることが目的なんだ。きっと箱舟に乗っているソワサントから姿を消した権力者たちが仕切る世界になる! そんな世界を許しちゃだめだ!」
聞くだけでゾッとする。たしかにそんな世界で生きていくなんて御免だ。
「カイムがニオの方に傾きそうだから、僕からはいい条件を提示しよう。君とエルフ、それからサスーリカとあの小さな金髪の女には、世界の一部を支配する地位を与えるよ」
神と神が、俺を中心として揉めている。俺は、どうするのがいいのか。ノアの話に乗れば、金に困らず、友と過ごす世界に行けるだろう。ニオの言う通りにすれば、この時代で”これまで通り”生きていくことが出来る。
そう、この時代に来てからの、これまで通りの世界だ。
「――ノア、少し質問してもいいか」
なんだい? と聞き返すノアに、思いの丈をぶつけた。
「平和を取り戻したアイルデンの民はどうなる? 隠れながら穏やかに暮らすアインヘルムの民はどうなる? 暴君がいなくなったカルチエはどうなる? 俺たち四人が出会ったヘイズはどうなる?」
「もし彼らが死ぬのなら、俺は乗らない」
楽しく、大らかで、賑やかなこの世界を、ノアの一存で決めさせるわけにはいかない。それが俺の決断だ。
「せっかく選んであげたというのに、君は僕に逆らうのかい?」
「俺はな……そういう風に見下す奴が嫌いなんだよ!」
ノアから貰った乗船券を握りしめた。すると、一瞬で箱舟の甲板に降り立った。後はリンを見つけて逃げるだけだ。
「愚かだね、神が宿った僕から逃げ切れると思ったのかい?」
ノアも甲板にワープしてきた。それを追うように、ニオも現れた。
「カイム! ボクが押さえておくから、君はリンを探して!」
言われるまでもない。即座にリンの名前を叫ぶと、どこからかリンの声が聞こえて来る。その方向に走って、いくつもの扉を開け、奴隷たちの合間を縫ってたどり着いたのは、牢獄だった。鉄格子の奥に、出会った時と同じように、魔力を封じる鎖に繋がれたリンが待っていた。
「カイム様……!」
「またせたな」
牢獄など、カルチエで壊してきた。魔力を封じる鎖も破壊してきた。ここでも同じことをするまでだ。
南京錠を撃って壊し、鎖を弾丸でバラバラにすると、リンが胸に飛び込んできた。
「迎えに来てくださって、ありがとうございます」
「無事で何よりだ」
このままエンディングを迎えたかったが、現実はハッピーエンドの後も続くのだ。
「逃げるぞ、ついてこい」
はいっ! と、懐かしい答えが返ってきた。
その後、甲板にはノアもニオもいなくなっていたが、ソワサントの騎士たちが立ちはだかった。だが、リンと俺をそう簡単にとめることなど不可能だ。片っ端から片づけていき、ロープを伝って箱舟の下に降りると、リンを連れてここまで来た道を逆走して、王城の一階にまでたどり着くと、ソワサントの街並みに逃げて行った。
「ここまで逃げれば大丈夫だろう」
人気のない路地裏で息を整えながら安全を確認すると、リンが伝えなければならない事があると言う。
「私には何なのかわかりませんが、カイム様なら理解できると思い伝えます。あのノイという男は、一週間後に大洪水を起こす、と言っていました」
なるほど、つまりタイムリミットは七日というわけだ。それまでにどうにかしてノアを止めなくてはならない。
「こんな非常時なんだが、現れてはくれないか? ニオ」
そう言い振り返ると、ニオはそこにいてくれた。
「期待しているみたいだけれど、僕一人の力じゃノアに勝てないし、大洪水も止められない」
ニオは項垂れるが、大洪水を止める策は思いついていた。今の問題は、大洪水を止めた後、襲い来るであろうノアをどうやって始末するかという事が重要だった。
その策を含めて二人に話すと、ニオは勝てるかもしれないと呟いた。
「それじゃ、各自準備に取り掛かろう」




