それはまるで昔話のような「メデタシメデタシ」でした。
あるところに、仲の良い夫婦がおりました。
そしてその夫婦の元に女の子が生まれ、幸せな家庭を築いておりました。
だけれど、少女は高校生になったばかりのある日を境に寝たきりになってしまいました。
悪い病気だ、いつかは元気になるから頑張ろう、そう両親は思いましたが現実は無情です。
「もってあと三か月です。娘さんとの時間を大切にしてください」
お医者様の言葉に泣き崩れる母親と、それを抱き留めながら呆然とする父親。
そしてそれを陰から見ていた娘。
幸せな家庭は、少女の病気という悲しい結末を突きつけたのです。
好きに過ごさせよう。
そう思う両親の気持ちとは裏腹に、少女は上手く動かない体で出かけるなどできるはずもなく退院を拒否しました。学校の友達たちが代わる代わるお見舞いに来てくれましたが、誰にも死期を告げることはできませんでした。
彼女の胸の内にはやりたかったことに対する憧憬、どうして自分がという憤り、不安、苦しみ、悲しみと様々な感情が吹き荒れました。
それだというのに少女は穏やかで、両親からすればいっそ八つ当たりでもしてくれたら救われると思うほどでした。
「――それで? ワタシに何を望むノカナ?」
「ねえ悪魔さん悪魔さん。悪魔さんは私の病気を治せますか?」
「ンン? んン~……んー、ゴメンネ。無理かな。死神が憑いてイル人の病気を治すニは、キミの魂じゃアちょっと足りないかな」
「……そう」
「でモ呼び出されてナニモっていうのも困っちゃウからナあ、ナニかナイかナ?」
夜の静けさ、真っ暗な病院の個室。
床には奇妙な文様と、その中に描いた円の中には少女。
そして対峙するのは奇妙な靄のような、人のような、――悪魔がいた。
彼女は別に信じてなどいなかった。けれど死にたくなかったのも正直なところで、神さまに祈っても無駄ならば同じ無駄なことを試してみようとおまじないの本に載っていた魔法陣とやらを試したのだ。
まさかホンモノが来るとは思わなかったけれども。
「……そうね、じゃあ」
「ウン?」
「ねえ、悪魔さん。私が死ぬその時まで、悪魔さん恋人になってよ」
「えエ?」
「どうせ三か月くらいなんだから、そうねえ、毎晩遊びに来てよ」
「……」
うごうご、うごうご。
靄があちらこちらに四散しては戻って、妙な形を作って。
おそらくそれは悪魔の戸惑い、なのかもしれない。普通ならば気味が悪いと思うその靄の中に浮いているかのような目玉もあちらこちらを向いている。
それが妙に可愛いから、と少女が重ねて言えば靄がぎゅうっと集まった。
そうして今度はヘドロのようにどろりとした人の形をしたナニカが現れて「コれデモイいノ?」と問うてきたが、少女は「抱き上げてもらうのは無理そうね、パジャマが汚れちゃうもの。でもいいわ」と答えた。
その答えにとうとう諦めたのか、ヘドロ人形が華麗にターンをひとつ。
すると今度は黒い鳥のような頭部を持った、ひょろりとしたスーツ姿の男が現れたのだ。
「変わっタ、本当に変わっタお嬢さンだねえ。ボクは、知恵の欲の悪魔の一人、オーロ。オーロ、と呼んでくれタまエ」
「オーロ」
「そうダヨ、ボクの可愛い恋人サん。三か月、ヨろシくね」
「ええ、よろしくね。オーロ」
「さテ可愛い恋人、ボクに名前ヲ教えテクレないのかナ?」
「私はつつじ」
「ツツジ、ネ」
奇妙な発音で、人間ではない首の動きを見せながらオーロが今度は猫のように喉を鳴らした。
それがどうやら笑っているのだ、と気が付いた時には彼はつつじの前に立って、その手を取って立ち上がらせてベッドに座らせた。
そうして彼が今度は指を鳴らすと床に描かれた紋様はするりと消え失せて、今度はティーセットが現れた。
「恋人ヲ、いつまデも床に座らせテタらだめダからネ!」
恋をしたかった。
他の人みたいに。
そう願ったつつじのそれを叶えるように、その日からオーロは毎晩彼女の枕元に現れた。
巡回の看護士が来るときには闇夜に隠れて、お茶とお菓子を持ってくる。
最初のひと月は、まるで千夜一夜物語を語るがごとく彼女の知らない世界の話をオーロはたくさん聞かせてくれた。
動けなくなっていく体には、まるで別世界を知れるようで楽しかった。
時に怖く、時に甘く、時に優しく、悲しく、紡がれるその物語が本当にあった出来事かどうかはつつじにはわからないしどうでも良かった。オーロという恋人が彼女の為に語ってくれる、そこが何より重要なのだ。
次のひと月は、いつまでも病室だけじゃ味気ない、と言い出したオーロによって夜な夜な世界中を旅した。
最初はそんな馬鹿なと思ったけれど、これが悪魔の魔法なのか誰にも彼女の姿は見えず、息切れなんてしない軽やかさ。
オーロは笑って、「ホんの少しダけ意識を連レテきちャっタだけさ」と言っていた。よくわからなかったけれど、やっぱりつつじは気にしなかった。
憧れだった国内外の美術館や博物館を巡って、オーロが実際に見たことがあるという偉人の話を聞かせてくれたりそれはそれは充実していた。
そんなオーロとの逢瀬は、いつもある一定の時間で「ハイ、時間だヨ」という彼の言葉で終わりを迎える。
そうして優しくベッドに誘われて、眠りにつく――それが、彼と彼女のデートの約束。
ある日、彼はこう言った。
「ハイ、時間だヨ」
ああそうか、とつつじはわかった。
契約が終わる、つまり――自分の寿命のその時だ、と。
確かに体は動かない、声も出ない。
ただ枕元から覗き込むようにして見てくるオーロの顔を、眼だけ動かしてみるだけ。
(そうだね、ねえ、オーロ。いつもみたいに、眠るまで、そばにいてね)
「ワかッタよ、僕の可愛イ恋人サン!」
(……ありがとう)
この恋人関係が、普通の恋なんかじゃないことはつつじだってわかっていた。
ただ恋がしたかった。それだけだ。
病気が治らないなら、せめて恋がしたかった。
この真っ白でつまらない病室で、なにもできない情けない自分を無条件で愛してくれる人が欲しかった。
その代償が自分自身なら、ちょうどいいじゃないかと思った。
現れたオーロはよくわからない悪魔だったけれど、悪くなかった。幸せだった。つつじが望んだように、幸せをくれた。恋をくれた。それで十分だった。
(オーロ)
「うン」
(好き)
「……ウん」
(あり、がと、ね)
眠るように死ぬって、言葉だけだと思っていた。
でも、瞼を閉じるその瞬間まで、好きになった人がいたなんて。
なんて幸せなんだろう。
そう思ってつつじは目を閉じた。
それで終わったはずなのに。
何故だか次に目を開けた時は、体中にチューブが付いていて、両親が泣いていて、目が覚めたって騒ぐ病院関係者がいて、なんだなんだと思う羽目になったのだ。
結果から言えば、何故だか【治らない】病気は綺麗さっぱり治っていた。
ただ、最後に『眠った』あの日から、一か月近く経っていたってくらいだった。
勿論、色んな検査も受けたけれど結局健康体になったのだから退院した。
眠りっぱなしだったから弱った体はリハビリを必要とはしていたけれども。
自宅に戻れば両親が毎日のように気を遣い喜び笑い、幸せな家庭が戻ったことを実感した。
だけど、つつじは納得ができるはずもない。
だから、両親が仕事でいない夜に自分の部屋に鍵をかけて、あの紋様を描いた。
「アレアレ」
「オーロ」
「名指しデ呼び出スなんて、情熱的ダね!」
「オーロ」
「それデ今度ハ、どんな願イがあるのかナ?」
首をくるりと回したオーロに、つつじはぷぅ、と頬を膨らませた。
「どうして私は生きてるの」
「アア、ウン、そッか、知りたくテ呼んだノ?」
「そーよ!」
「チャンとキミは死んだよ。可愛いつつじ。死ンダから、その魂をモラって、生き返るのか色々実験シテミタんだ。嗚呼、嗚呼、アレは、楽しかったヨ!」
「……え、へえ?」
「依頼料ノ魂はちャンと貰って、弄ッテ遊んだ結果キミは生キ返ったってワケ」
「なるほど?」
よくわからない。そう困った顔をしたつつじに、また猫のように喉を鳴らしたオーロが彼女の前に歩み寄ってしゃがみこんだ。
「今度モ、恋人ガ欲しいノ? 人間の恋人、カナ?」
「違うわ、私、ただ――」
知りたかっただけで。
つつじはそう言おうとして、やめた。
そして少しだけ考えて、にっこり笑った。
「そうね、オーロ、ねえあなた人間になれる?」
「勿論?」
「じゃあ、人間になってよ。私の残りの余生、オーロは人間になってお嫁さんにしてよ。それで老衰とかで死んだらまた私の魂持ってって」
「おヤ、オヤ!」
オーロは大げさに手を広げて驚いたフリをしてみせた。
悪魔の彼からしてみたら、彼女の魂はすでにもう彼の物だったのだけれどそれを教えてあげるつもりはない。彼女の肉体が死んだら、こんな契約時見たことなどしなくたって彼女の魂はまたオーロの元に戻るだけ。それをつつじが知らないだけ。
「それじゃあ恋人サン、これからどうぞよろしくね!」
「それジャア可愛い恋人さん、ボクはキミのご両親ヲ安心させられるような人間に化ケてご覧に入レまシょう」
くすくす。
くるくる。
笑う少女と、笑う悪魔が恋をした。
どうやって病気の体が治ったのかって?
そりゃあ、実験したからね。
実験材料?
彼女の魂、彼女の体。
それと、健康な――あの日、オーロが他に何人契約をしたんだっけなと死神が笑ったのを、オーロは素知らぬふりしてつつじを撫でていたのだけれど。
まあ、それは余計な話。
要するに、おひめさまとおうじさまは愛し愛され結ばれました。
古式ゆかしきめでたしめでたし、ってね!
勢いで書いたのでツッコミどころは満載。
童話風? ファンタジー?
まあ、そんな要素を突っ込んでみました!