情報の真偽について思うこと
情報はどれだけあっても構わない。
それが事実であり、誰かの主観によって曲げられたものでなければ。
けれど、僕が手に入れられる情報は基本的には『誰かが聞いたり見たり書いたり話したりしたもの』でしかない。一次情報を得ようと思ったら生活をすべてそのために変更するしかない。それは実際、難しい。
そうなると、『誰から得た情報か』というのは常に意識したいところだ。
信頼できる人物からの情報はそれなりに高い確度の情報だろうし、信頼できない人物からの情報はねじ曲がって本来の情報とは違う解釈になっていたりするだろう。
でも、『信頼できる人物』を決めているのは結局自分自身が『信じたいと思うことを言っている人を、信じているだけ』とも考えられる。誰かの話を妄信することは自分の考えを捨てることであり、思考停止だと思う。
そうなると、得るべき情報とは伝聞の情報ではなく、『データ』や『証拠』レベルの情報でなければいけない。最初の話に戻ってしまうけれど、いまの生活を変えることはできない以上、これは難しいということになってしまう。少なくとも、「いま」は。
本気でこの問題に取り組むなら、いまの生活を捨てなければいけないだろう。そうしなければ、誰かの考えを変えられるような話ができるようになるとは思えない。ぶっ飛んだ話を説き伏せ、冷静に、妥当性のある話を伝えるためには、本気で挑まなければいけないだろうと思う。
そのためには。
生活を変えられるだけの原資を稼ぎ、自由を獲得する。
これが、いま考えられる方法だ。
その準備をしている間は、自分の考えを深めていく時間に充てる。
まずはそこからか。。。