近衛騎士は誓約する1
ときにマリアンヌ十三歳、ガリオン十四歳。変わらぬ日常は、同じような時間を刻みつつも進み続けているものである――。
マリアンヌはガリオン王子のことが大好きだ。
恋愛感情とやらは微塵もないが、他に比べるまでもなく好きな人物はだれかと問われればガリオンの名前を挙げる。
たとえ好きな歴史上の偉人は誰か、と問われても。
「えっ、それはもちろんガリオン様ですわ」
と、当然のように答えるのだ。
尋ねた歴史の教師は沈黙し、ライオネルは生ぬるい目で彼女を見つめ、たまたま早く遊びに来て一緒に授業を聞くことになったガリオンが机につっぷしても真面目にそう答える。
「えっ、えっ!? だって、ガリオン様は将来の国王ですから、名前が歴史に刻まれることは確定していましてよ。それでしたら、好きな偉人は誰かと聞かれたらガリオン様の名前を挙げるしかないではないですか」
「そこまでにしておきましょうね、マリアンヌ様。それ以上はガリオン様が茹で上がってしまいます。はあっ、まったくポンコツと言われるだけはありますね。その鈍さはどこ由来ですか」
間に入ってきたのは、ガリオンが十四の誕生日を迎えたときに傍付きになった騎士のティエンだ。平民上がりの騎士でありながら、実力は他の騎士を圧倒するほど。
出会った当初は表情の硬い、いかにも自分は騎士ですという感じであったこの男は、今ではすっかりマリアンヌたちのお世話係となってしまっている。
「もうっ、ガリオン様。最近のティエンのわたくしに対する態度は軽すぎですわ。ちゃんと教育なさっていますの!?」
ティエンの肩に捕まって席を立つガリオンに詰め寄ると、弱々しい手でガリオンに堰き止められた。
「それ以上近づくな。今はちょっと……無理。何をするか分からないから」
「まあっ。わたくしは弱っているガリオン様に手を上げるほど落ちぶれてはおりませんわよ」
ぷんすかと腰に手を当てて怒りを表現するマリアンヌを止めたのはライオネルだ。
「ねぇさま、男の子にはときに限度を超えて我慢をしなければならない試練が降りかかるものなのですから」
悲壮な声を装いつつも、マリアンヌの腕を取り、噴出しそうになっているのを堪えているのに首を傾げる。
「そうですよ。特に今はそれぞれの成長が目覚しい時期ですからね。腰とか尻とか……」
これは少しずつ夜の社交場に出るための勉強を始めたマリアンヌでも分かる失言だ。
すっかり気を許してしまっているためか、ティエンはこうして時折騎士らしからぬ発言を投下してくれる。これで本人は大真面目で言ってくれるので、呆れてしまう。
よぉし、これはわたくしを侮辱しているのだな、と臨戦態勢に入ろうとしたが、思わぬ横槍によってそれは解かれることになる。
「俺の婚約者を嫌らしい目で見るな。あと、これをポンコツと言っていいのは俺だけだから」
ぐふっとうめき声が聞こえてきたのは、ガリオンの真横から。わき腹を思いっきり肘で突かれたようで、ティエンは床につんのめってうめいていた。
「まあ、痛そうですわね。自業自得ですが。そんな可哀想なティエンには、わたくしからお祈り申し上げますわ」
ちょっと可哀想に思ったマリアンヌは、しゃがみ込んでポンッと彼の肩を叩いてこう励ました。
「萎えて潰れて捥げてしまいなさい」
加えて送ったのは可憐な微笑みである。
母より賜った言葉と鏡の前で散々練習させられた可憐な微笑みは、強烈な一発となってティエンに最後の力を失わせた。
「ねぇさま、さすがにそれは恐いっ」
「お前、どこでそんな言葉を覚えたんだ。怒らないから素直に言いなさいっ」
室内にいた男性陣は各々に自分の大切な部位を守りに入った。
「えっ、これはお母様が夜会などで失礼な暴言を吐かれたときに言いなさいと教えてくださった言葉ですわ。確か、毛根が死滅するお祈り、……でしたかしら?」
「それも恐いっ」
「さすがハシュワット家の女王。教えることがえげつない……」
それを聞くなり、若干一名、室内で最高齢の男性教師はそそくさと大切な部分を押さえて部屋を出て行った。
しばしの後に体力を回復した騎士は、床に平伏して「頼みますから、あのお祈りはここぞという場面でのみ使ってください」とお願いしてきたのだった。
※ ※ ※
今でこそティエンは下町言葉の粗雑な印象だが、出会った頃は実に騎士らしい騎士だった。
短く刈り揃えられた黒髪に、光によっては藍色に染まる黒い瞳。筋肉の付いた肉体に無駄はなく、必要なこと以外は話もしない堅物。それがティエンだった。
ガリオンの傍付きの騎士には広く募集をかけた。
応募者には念入りに裏取りをし、後ろ暗い背景のない者を選出し、最終的に残った五人の中から選ぶことになった。
貴族ばかりが顔を並べる中、珍しくティエンは貧しい村の出自だということだった。
毛色の違う者を混ぜることで民の心象を良くしようという思惑が混ざっていることは明白である。
他の四人の候補たちは当然、ティエンが落とされるべきだと感じていただろうし、実際本人もそのつもりだったのだろう。
だが、騎士の本分として不真面目な態度を取ることは許されない。ティエンは愚直に自分の仕事を淡々とこなすのだった。
五人の候補者は順繰りにガリオンの警護に当たることになった。
そうすることで王子との相性を見つつ、働き振りを観察するのだ。
選出された候補者たちは先任の警護者に付き従い、王子の行動を把握していく。それに優劣はあまり見られないと思われた――。
「はあ!? わたくしに選べとおっしゃるのですか?」
いつものように王子の下へ遊びにやって来ていたマリアンヌは、突然の王子の提案に驚き身を乗り出した。
「あぁ、俺の目から見て決めるよりもマリアンヌの目から見て決めるのが面白そ、いや確実そうだからな。お前の基準でいいから選んでみろ」
これはあくまでも参考にするだけだから、とそう加えて王子は優雅な動作で菓子を摘む。
「わたくしに決めろ、と言われましても……。そのような重要なことはご自分でお決めになった方がよろしいのではなくて?」
マリアンヌは眉をしかめてそう言ったが、ガリオン王子は笑みを浮かべつつも引くつもりはないようだ。
「将来的には俺とマリアンヌの両方を守る騎士となるのだ。お前の気に食わない奴に決めてしまえば解任せざるをえないだろう? 何だかんだとお前は他人の評価に厳しいし」
それならば初めから意見を取り入れてやろうというわけだ、と締めくくり、結局ガリオン王子に押し切られる形でマリアンヌが選考のための重要任務を預かることになってしまった。
マリアンヌの方としては面白くない。
多少の護身術などは必須要項として習うが、マリアンヌ自身はさして武に秀でているわけでもないし、騎士の優劣を決めるなどはっきり言って興味が無い。
そんな時間があるのなら美味しいお茶の飲み比べをしたり、夜会に来ていくドレスの布地の選定をしたりする方がずっと有意義だ。
「わたくしに託すと言うならば、どのような方法であっても口出しは禁止ですわよ? 文句があるのならば今のうちにどうぞ」
「その気になってくれればそれで構わない。日程はどうする?」
「いつでもよろしくてよ。何なら今すぐにでも構いませんわ」
という感じで、王子の近衛騎士の選定はマリアンヌに一任されることになってしまった――。