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神官様は無表情2

 使用人の手によってきっちりと糊付けされたハンカチは、つり上がり気味の目を眇めるマリアンヌによく似合っていた。

 母のように扇子が欲しかったところだけれど、あいにく涼しい今日は持ち合わせていない。

 マリアンヌの洗練された動作に、一瞬の間だが神官の言葉が止まった。


「教会において人の貴賎が問われないというのであれば、わたくしの嗜好に口を出してくることもまた無用と心得なさい」

 マリアンヌは良く廻る舌で更に言葉を続ける。

「わたくしの嫌いなものをよくご存知のようだから、付け加えて教えてさしあげますわ」

 鼻と口元を隠してはいても、マリアンヌは他に並ぶ者がないほどの美少女である。目元だけでふわりと微笑めば、楯突いてきていた神官はぽーっとなって頬を朱に染めた。


「わたくしが嫌いなもの。それは何の力も持っていない庶民ですわ」


 うんうんと頷く神官は、おそらく貴族の血を引いているのだろう。どうせ末端の血なのでしょうねと思ったことは胸の奥で押し留めておく。


「ですけれど、それ以上に嫌いなものがありますの――」


 切なげな視線を送れば、つられるように神官も切なげな表情を浮かべる。

 いったん相手の気持ちを同調させてしまえばこちらのものである。

 あとは一気に落とすのみ! である。


「わたくしが最も嫌いなもの。それはわずかな努力であと少しはマシになるものを、まったく何の努力もせずに力の及ばなさを他者の責任であると擦り付ける弱者ですわ」


 マリアンヌの浮かべる笑みは邪気を感じさせない妖精のような微笑みである。


「お天道様、いえ神様はちゃんと見ています。貴方の良いところも、悪いところもすべて。たとえ今この状況を神様が余所見をしていらっしゃったとしても、わたくしの目には焼き付けましたわ。良き行いには良きことで、悪しき行いには悪しきことが返ると自覚なさった方がよろしいのではなくて?」


 たとえ吐いた言葉が悪魔のようなものであっても、十人中九人がうっとりと見入ってしまうほどの愛らしい微笑みである。

 十人中のひとりに当てはまってしまうのは、残念ながらガリオン王子だったりするのだが。彼の話のスルーの出来なさは極端である。


 数瞬の後に、我に返った神官が振り上げた拳は、見えない空気に弾かれて終わった。

 二人の神官は背後で自分たちを無表情に見上げる視線に耐え切れず、じりじりと後退し、最後には駆け足でその場を去っていった。

 遠くの方で「次はないからな」と言っていたが、「次がないのは貴方たちのほうですわ」とマリアンヌは呟くだけで終わらせておいた。

 後で盛大に母に泣き付けば何とかしてくれるだろう、という思惑である。使えるものは何でも使うのがマリアンヌの信条だった。


 つん、と服を引かれるので振り向く。

 身体を反転させると、ほとんどマリアンヌと変わらぬ高さの瞳をかち合った。

 ぺこりとお辞儀をする動作は少したどたどしい。あまり貴族と関わることがなかったのだろう。

ここで拙さを指摘するほどマリアンヌは狭量ではない。そうしようとする心根こそが重要であるのだから。


「男女問わず、嫉妬という感情は醜いものね」


 かつての自分の嫉妬に関するあれこれは差し置いてのこの感想である。マリアンヌの天上天下唯我独尊の思考は幼い頃より大してぶれていないことが伺える。


「貴方ももう少し反論した方が良かったのではなくて?」


 思わず苦言を呈してしまったのは、どうして助けたのかと言うように首を傾げる仕草が、出会った頃のネルを思い起こさせたからだ。

 出会った頃には執着は感じなかったが、長年を経て多少は情が移ってしまっている異母弟のことが想起されて、ついマリアンヌは口を出してしまった。


「貴方の噂はわたくしの耳にまで届いておりますのよ」


 マリアンヌの言葉にぴくっと反応するのは、悪い噂を想定してのことだったのかもしれない。兎角、悪い噂というものは良い噂よりもはるかに早く捻じ曲げられて伝わってしまうものだから――。


「まだあまり社交の場に出ないわたくしの耳にまで届くのです。貴方の逸材ぶりは本物なのでしょうね」


 マリアンヌはまだ年齢のこともあって、夜の社交場には出させてもらっていない。だというのに、屋敷にいることの多いマリアンヌまでもがロビン少年のことを知っているのだ。


「ただの逸材であるというだけではわたくしの耳にまでは伝わりません。貴方がそれ相応の努力をなさったということですわね。そのことに貴賎は関係ありませんわ」


 これは誇るべきことですわ、とマリアンヌは背中を丸めるロビンの背中を「ですので、もっとしゃんとなさい」と手の平を広げて押した。

 自然と胸を張り出す形になるロビンの姿を見て、うんうんと頷く。


「わたくし、何の力も持たない庶民は大嫌いですが、努力する民は嫌いではありませんの。貴方はその生まれを蔑まされるべき人間ではありません。その惜しまぬ努力を買われ生き続けていることをこそ褒められるべき人間です」


 そこで下を向きがちだったロビンの顔が持ち上がる。

 あの、と言い出しかけた口を止めたのは、教会の入り口の辺りから響くマリアンヌを呼ぶ声だった。

「ここですわ、お父様」

 ロビンが上げかけた手は空を切る。

 軽やかに身を翻すと、マリアンヌは「ごきげんよう」と笑って光の中へと溶けていった。


 後に残されたロビンは影の中で、光の中へ溶けていった残像をいつまでも見つめているのだった――。


 ※ ※ ※


 語り終わったロビンの思い出話に、三者はまた三様の反応を送ることになる。


「さすがボクのねぇさまです。素晴らしすぎます。女神の所業とはこういうことを言うのでしょうね」

 ネルは頬を染めて恍惚をした表情を浮かべている。


「何だか思い出が美化され過ぎていないか? 俺には光に溶けていったというよりは、新たな悪巧みをしつつ高笑いで去っていったようにしか聞こえなかったが……」

 ガリオン王子は自分の中にあるマリアンヌの印象から、至極的確な情景を思い浮かべている。意外とこれが一番正確な情景ではあるのだが、誰も突っ込んだ話はしない。


「あぁ、そういえばそういうこともありましたわね。あの後、あのお二方には王都から出て、修行の旅に向かっていただいたのだったかしら。確か月単位だったか、年単位だったか……。まあ、とにかく素直で高潔な心持ちで帰ってきていただけたら良いですわね」

 ちょっと記憶がはっきりしませんわ、と呟くのはマリアンヌである。

 興味のないことは端から忘れてしまう良い性格をしている彼女に、気持ち引いた笑みを浮かべたのはガリオン王子だけだった。


「マリアンヌ様……」


 カチャッとカップをソーサーに置いてロビンが立ち上がる。

 何事かと一同が注目する中、ロビンは無表情ながらも瞳をきらりと瞬かせながらマリアンヌの膝元に身を置いた。


「私はこれからも努力を怠らないつもりです。ですから……、見ていてください。私は神でも天の光でもなく、貴方にそれを見届けてほしい……、です」


 マリアンヌの手を取り自分の額に付ける仕草は、神官の最高位の礼である。

 それを見てガリオン王子は座っていた椅子から腰を浮かし、ネルは「ねぇさまの身の内の光は天上の光さえかすませるのですね」と感嘆の溜め息を漏らした。


「ぜったい、騙されているぞっ!!」


 将来の高位神官の横でうろたえるガリオンを横目に、マリアンヌは「当然ですわ」と高笑いを上げた。

「この命が続く限り、見ていて差し上げます。貴方の良いところも、悪いところもすべて。もちろん、お天道様も一緒ですわ」

 マリアンヌの言葉に、ロビンの表情の薄い顔が徐々に笑みの形になっていく。

 誰の目から見ても満面の笑みになったところで叫ぶのは、この国の将来の国王様だった。


「頼むから考え直せっ。そいつはただのポンコツだ!!」


 だが誰からの同意も得られない。お茶会は終始なごやかな雰囲気のまま進行する。ただひとりのささくれた心を取り残して……。


「以前から、あれらはやれ寄付をしろだ奉仕をしろだと煩く囀っておりましたからね。今回のことは良いきっかけでしたわ。勝手に自分たちの首を絞めるための口実をわたくしの前にさらけ出したのが間違いだったのです。新聞社に教会内での暴行未遂があったことをリークすると脅せばすんなりくちばしを閉じましたわ」


 おーほっほほ、と笑うマリアンヌ。大変すっきりしましたわと清々した顔つきである。


「ほらな? こいつはこういう奴なんだ。正義感で誰かを助けるような奴じゃないんだぞ」

「ねぇさま、明日の茶菓子はどうしましょうか」

「そうね。明日は甘いショコラが食べたい気分ですわ」


 兄弟二人は王子の言葉など、どこ吹く風である。茶菓子の話題の前に王子に対する敬意は風前のともし火である。


「頼むから誰かまともに話を聞いてくれ」

 うなだれるこの国の王子は自身の常識に関して思い悩み……。


「何が善行につながるか。それは神のみがご存知のことです。人の思惑など所詮は儚いもの」

 少年神官はお茶をすすりながら真理を語る……。


「ロビンっ。お前は悟り過ぎだ。もう少し若者らしい溌溂さを持て!」

「だからと言って、私のマリアンヌ様に対する憧憬が薄れるわけではありませんが……」

「重症だな!」


 これもまた彼らの日常である。





神官様は無表情からのデレを見せつける。

そして王子はひとり、常識とは何であるのかと問答するのだった……。

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