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神官様は無表情1

 マリアンヌ・ハシュワットという令嬢が、選民思想に塗れた絶対貴族主義者であるというのにどこか憎めない人物であるということを知っている者は、実は少ない人数ではなかったりする――。




 マリアンヌとガリオンの出会いから数年後、二人は十二歳と十三歳になっていた。

 マリアンヌは元々つり上がりぎみだった目元そのままに美少女に成長していたし、ガリオンも順調に少年から青年への階段を上り始めている。

 ちなみにマリアンヌの異母弟のライオネルは十一歳になったばかりである。

 ライオネルは儚い容姿そのままに美少年っぷりを発揮し、あらゆるところで伝手を作りまくっているというのは置いておく。その伝手が、将来のマリアンヌの人脈を作る下地になっていくという事実も置いておく。


「――であるからして、ボクは実際にはハシュワットの家名を名乗らせてはいただいていないので、ねぇさまとは繋がりが薄いんですよ。ということは、上手く情報を操作すれば、将来的にはねぇさまと結婚できないわけもないということで」

「待て待て待て。お前とマリアンヌは実際半分とは言っても血が繋がっているのだからな。阿呆な妄想は止めろ。そもそもこいつは俺と婚約していることを忘れていないか?」


 今日も今日とて、王宮内でマリアンヌは勉強会と称したお茶会に出席している。

 ハシュワットの名を抱いていない微妙な立場のライオネルが同席できるのは、表向きマリアンヌの従者という役目を司っているからだ。

 従者であれば椅子に座ることは本来許されないことだが、この場にそれを叱る者はいない。大人のいない子供だけの空間に限り、ライオネルはマリアンヌやガリオン王子と同じ扱いとして席を用意されるのだった。


 いつものようにライオネルがバカなことを言い出して、ガリオン王子が世間一般の常識という盾を持ち出して真剣に止めに入っている。

 どうせネルの言葉は冗談なのに、そんなに真剣に取り合わなくても良いのではないかとマリアンヌは思っている。

 ネルが八割がた本気であることを理解しているのは、この場においてはガリオンただ独りだった。


「バカなことを言わないでちょうだい、ネル。貴方と結婚して、私に何のうま味があると言うの?」

「反論するのはいいが、何か違うっ」


 まるで王妃になりたいがために、ガリオンと婚約しているのだと言わんばかりの言い草だ。ガリオンはそんなマリアンヌの言葉に少ないながらもがっかりとしていた。

 あの天啓を受けた七歳の時点より、マリアンヌの口からガリオンのことを慕っているという言葉はいっさい出てくることは無くなっている。

 ガリオン自身はそのことにちゃんと気付いてはいたが、いざそれを口にすると決定的な何かが壊れてしまうようで言うことはできない状態だった。

 それを思うとき、ガリオンはもどかしさに胸がざわざわするのだが、その正体を突き詰めることは未だできていない。

 むしろ分かっているのはネルの方のようで、もどかしさにざわつくガリオンの表情をふふんと見やるのだった。


「じゃあ、ねぇさまはボクが王様とまではいかなくても、宰相くらいにはなれたら結婚を考えてくれる?」

 すでに身長は追いついたというのに、若干姿勢を崩して見上げる体勢を取るネルはあざとい。気が付かないのはマリアンヌばかりである。

「えー、それはどうかしら。貴方と友人になっても面白くはなさそうだもの。わたくしはガリオン様と良き友人になりたいのですわ。ずっとそれを目指してきたのよ。他の者では意味がありませんわ」

 未だに貴族夫婦のあり方というものを誤解しているマリアンヌである。

 でも他に替えが効かないと言われたガリオンの方は、勝手に頬が熱くなるのを止められなかった。

 内心では「くそっ、このポンコツが。いつか泣かしてやるからな」と思っているのだが、それの正しい意味を理解するには、ガリオンは正直言ってまだまだお子様だった。


 なんだか面白くないライオネルの方はつんと唇を突き出して不機嫌顔だ。

 けれども、「あら、面白い顔をしているじゃないの」と突き出した唇に、マリアンヌから細長い形のクッキーを突きつけられればすぐにご機嫌になってしまう。

 賢しい子供ではあるのだが、ネルはある種マリアンヌに対してはものすごく簡単に出来ているのだった。


「あの……。実際、血の繋がりのある貴族同士の婚姻は様々な弊害を伴うものです。血の濃さは怨嗟を呼び起こしますから、神の怒りに触れたくないのであればするべきではないと心得ます」


 ぼそぼそっと至極真っ当な意見を述べたのは、勉強会と称したお茶会に強制参加させられた少年神官だ。

 名をロビン。庶民出の神官だが、神力の強さを買われわずか九歳という若さで教会に連れてこられた逸材だ。

 現在は十三歳ということなので、神官歴は四年になる。もう新人とは言いがたい年月が経っているということになる。

 親が無く、孤児院前に捨てられていたところを拾われたということだが、「これはまさしく神の遣わした子である」と仰々しい建前を作られている辺り、相当の神力を秘めていることは間違いないであろう。

 将来の国王に進言できる立場を、と無理やりに送り込まれてきた少年神官は、顔ぶれに怖気づくこともなく優雅な動作で紅茶を啜った。


「あら、声が出せましたの。何も話さないので、てっきり声が出ないものとばかり思っていましたわ」


 このマリアンヌの口ぶりは、嫌味などではなく通常運転である。

 まったく悪意のないところが性質の悪いところではある。

 聞く人によっては盛大な悪意と取られかねない言葉に、この場においてたった一人の常識人とも言えるべきガリオン王子は訂正をかけた。


「こうは言っているがな、ただ静かだなと言いたいだけだからな。あまり気にするな。マリアンヌ、お前はもう少し周囲に与える影響を考えてから発言しろ」

「あら、わたくしはお天道様に恥じるようなことは何も言っておりませんわ。ただ思ったままを口に出しただけですわ」

「そうですよ。ガリオン王子はねぇさまのことを悪く取りすぎです」

「いいから、お前たちは無くした常識を拾ってこい」

 こいつらと話をしていると本当に頭が痛くなる、とガリオンは額を押さえるのだった。


「私は……、マリアンヌ様はとてもお優しい方だと思っています」


 ぼそぼそっと告げられた言葉に、ガリオンは「はっ!?」と視線を少年神官とマリアンヌの顔の間を二度三度と往復させた。

 ネルは当然とばかりに頷いているし、マリアンヌの方は「あら、わたくし何かしてさしあげたかしら」と首を傾げている。


 三者は三様に少年神官の語る思い出話に耳を傾けるのだった――。


 ※ ※ ※


 あれは四ヶ月前に遡る。

 その日、マリアンヌは父親に伴われて王都の主神殿にやって来ていた。

 ライオネルの騒動以来、父親は熱心な教会信者と化してしまっている。

 それほど、娘の発した「お父様のしたことは神に背く行為です」という言葉はショックが大きかったらしい。それまで大した反抗もせず、素直に甘えてきていた娘が、妻と同じ絶対零度の視線を持って不潔だという意志を伝えてきたのだ。こうなるのも仕方のないことだったのかもしれない。


 マリアンヌの方はと言えば「神の天罰」というものよりも、悪いことをしたときによぎる「お天道様が見ているからね」という言葉の方がよっぽど怖いのだが――。

 あれを思い出すとなんだかこめかみの辺りが痛くなるのだ。それも両方のこめかみが。

 痛みを感じると思い出すことがあるのだ。両方の手を握りこんだしわくちゃの拳を。

 実際に受けたことはないが、あれは相当に痛いはずだと魂が叫ぶのだ。悪いことはできない。してはならない。くわばら、くわばら。――ちなみに「くわばら」という意味が何を指すのかは知らない。何となくお祈りめいた言葉ではあるみたいだが。

 そういうわけで、マリアンヌの悪行はすっかり鳴りを潜めているところだ。

 相変わらず選民思想は激しいが、他者に害が及ぶほどではなくなっているというのは多分、良いことなのだろう。


 いつもの通り、父親は懺悔室へと入って行く。

 先日、商会の秘書に色目を使ったと、母が怒り心頭で父親を床に平伏させていた姿があったことを思い出す。彼にとっては母の目がお天道様なのだろう。母に怒られた数日中には教会に足を向けるのだ。

 喧嘩は増えたが、夫婦仲は逆に良くなっているように感じる。色々とごたごたのある家ではあるが、それはそれで家族の形なのだろうとマリアンヌは思っているところだ。


 自信家のマリアンヌに懺悔することなど何も無い。なので簡単に祈りを済ますと、マリアンヌは足の向くままに教会の中を散策することにした。

 光の指す教会の白壁に手を添えて歩いていると、神様に連れられて歩いている気分になれる。

 あたりを包む優しい温もりに瞼を閉じて感じ入っていると、不意に荒々しい声が耳に届いてきた。


「――神官長様に可愛がられているからっていい気になるなよ」

「どうせその可愛い顔で取り入ったのであろう。素直に吐けば許してやるぞ」


 まぁ、神聖な教会の中で何と言うことを――。

 なんだかとても下品なことを言っているということは理解した。

 神力は主に男性に多く現れる。そのため自然、神官となる者は男性が多い。

 聞こえてくる声も、まるで嫉妬にかられた女性が発するような台詞ではあったが、どちらも男性のものだった。

 マリアンヌは足音を忍ばせて、そっと彼らの方に向かっていった。


 声を発しているのは二人。背の高い男性神官だ。

 壁際に追い込まれているのは、彼らよりも背の低い神官のようだ。頭は見えないが、足元を見るに、小振りな靴を履いている。足の感じからして、もしかしたらそう年端もいかないような子供なのかもしれない。


「あらあら。発情期の猫が興奮しているのかと思えば、神聖なる教会で神官様が子供相手に何をしていらっしゃるのかしら?」


 相手を威圧するのに必要なのはみなぎる己への自信である。そう教えてくれたのは母である。

 マリアンヌは精一杯凹凸のない胸を張って相手を見下す体勢を取った。

「誰だっ」

「小娘が。邪魔をするな」

「まあ、昨今の神官は口の利き方もなってはおりませんのね。ハシュワット家の小娘でさえ、他者に対する口の利き方には気を遣うよう教育を受けているというのに」

 二人のうち、ひとりはハシュワットの名に思い至ったようである。もうひとりの方の腕を引いて「止めろ」と呟いている辺り、まだ社会的な自分の立場をわきまえていると言えよう。

 もうひとりの方は興奮が収まらないらしく、唾を飛ばす勢いでマリアンヌににじり寄る。


「いかなる立場であろうと、こと教会に置いて人は同じく人である。無用な口出しは謹んでもらおうか」

ほお、これはわたくしに喧嘩を売っているということで良いのでしょうね。とマリアンヌは思った。

 つと視線を逸らせば、昨今貴族の間でも名前が通り始めている逸材の顔ではないか。

 白金の艶やかな髪の下で薄い水色の瞳が宝石のように輝いている。噂に聞いていた容姿にぴたりと当てはまる少年の姿に、マリアンヌは騒動の理由を知った。


「凡人が天才に嫉妬、ですか。見苦しい」


 マリアンヌの言に、にじり寄ってきていた神官は「な、なにをっ」と額に青筋を浮かべて怒りを露わにした。

 怒りを増したということは、それが真実であるということである。


「お嬢様には分かりづらいかもしれないがな、こいつは神官長に色気で取り入って今の立場を手に入れるような、生まれながらの色狂いなんだよ。俺たちみたいな真っ当な神官が教育を入れてやらねばならない存在なんだよ」


 横目で見る少年神官の表情は代わらない。その無表情の奥で誰のことも見てはいない。これでは反感を買ってしまうのも当然か、とマリアンヌは思った。

 普段からガリオン王子にポンコツ、ポンコツと言われてはいるが、マリアンヌは案外他者の機微に聡いのだ。ただし自分自身に関与する機微にはとことん疎いが。

 だが、それとこれとは話が別だ。――表情が変わらぬからと言って、傷つけて良いことにはならないでしょう。


「それにこいつはあんたみたいな貴族のお嬢様が最も嫌う庶民出の神官だ。しかも孤児ときている」

 あぁ、それにしてもコレはよく囀る鳥だこと。朝啼きの雄鶏の方がまだ静かではないかしら。


「それがどうかして?」


 パサリとハンカチを取り出して広げると、マリアンヌは眉を顰めて鼻と口元を覆った。





次回きっちりと報復しますよ。

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