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異母弟は可愛い犬

 貴族の世界には、貴族特有のお楽しみというものがある。

 マリアンヌの父親もそれに漏れずお楽しみという遊びをされていたらしい。しかも大人の男性の。


「はあっ!? 異母兄弟ぃ!?」


 マリアンヌがついつい令嬢らしからぬ声を張り上げてしまったのも仕方のないことだ。即座に母に扇子で手を叩かれしおらしくなってしまったが。

 しおらしくなっても、マリアンヌは驚き呆れつつも内心では酷く怒っていた。それは母も同じだったらしい。

 母の怒りはそのぎちぎちと鳴る扇子の持ち手から伝わってくる。鳴っていなくても、その空気から怒りが伝わってくる。

 ミシミシッ、パキンッと音が鳴った気がする。床に持ち手の破片が落ちていく。顔色を変えず、咄嗟に母の手に新たな扇子を置いた執事は偉い。


「どういうことかしら、あ・な・た?」


 母は尋ねたいのではない。

 これは尋問である。

 父親は顔を蒼褪めさせるが、同情の余地はない。

 マリアンヌは冷ややかに床に這い蹲る父親を見下ろした。奇しくも母娘で彼を見下ろす角度は同じであった。冷たさ二倍、増量キャンペーン中である。

 マリアンヌと母の同角度の見下しを見て、父親は更に深く床にめり込んだ。


 父親の説明によると、ずっとずっと前に数度関係を持った庶民の女に実は息子が生まれていたということだった。

 女手ひとつで育ててきたが、病に倒れ、息子を託す当てもないのでは不憫であると連絡を寄越してきたらしい。

 詳細を調べようとしたときには、庶民の女はすでに息耐えた後であったと言う。

 ひとり残された息子は、父親が気まぐれで女に託していたハシュワット家の家紋入りの羽根ペンを所持していたそうだ。

 周辺の聞き込みからも、女は淫等にふけっていたというわけでもなく真面目一辺倒に働きづめであったと聞けば、決定的である。

 哀れにも、片親が高位貴族であったという息子は貧しいながらも必死に病気の母を支えて生きてきたと言うわけだ。


「……エロ親父、最低」


 脳裏にひらめいた言葉がつい口を突く。

 母はマリアンヌの言った台詞に、扇子で口元を隠しながらも頷いた。眉間にはくっきりと跡がついてしまうくらいの皺が寄っている。

「言葉は汚らしいですが、同意いたしますわね。しかも生まれ月を聞くに、わたしくしがマリアンヌを腹に宿している間のことということではないですか」

 うわぁ。エロ親父、最低。

 今度は口に出さずに内心で罵る。汚い言葉を二度以上言えば、母の怒りがこちらに向いてしまうからだ。


「いつだってお天道様はお父様を見ているのですよ。お天道様に顔向けできないことをよくもできましたわね」

 冷たいマリアンヌの言葉に父親は悲壮な顔を持ち上げた。

 お天道様とはいったい誰のことだ、といった顔つきになる父親に慌てて訂正をかける。

「ま、間違えましたわ。そ、そう神様ですわ。神様はいつだってわたくしたちを見守っているのです。良いことも悪いことも全部、ですのよ。それなのによくも……。お父様はお母様やわたくしを裏切ったのではありません。神様を裏切ったのですよ」

 言い訳の得意なマリアンヌの舌はよく廻る。

 お天道様うんぬんのことなどとっくに忘れ、父親は両手を合わせて天を見上げて祈り始めた。

 宗教色の濃いこの国に置いて、神を裏切る行為だと言われたことにショックを感じたのだろう。祈る様子は必死である。

「あぁ、神よ。私の不甲斐ない行いをお許しください。あぁ、どうか。どうかこのとおり」

 必死を通り越して間抜けな父親に、やや溜飲を下げたのは母の方が先だった。


「懺悔ならば教会でなさい。貴方はさっさとその腹違いの子供とやらを迎えに行けばよいのです」


「はっ!?」

「えっ!?」


 父親とマリアンヌの声が重なる。

 まさか貴族としての矜持がバカみたいに高い母が、庶民の産んだ子供を迎えに行けと言うとは思ってもみなかったのである。


「庶民腹と言えど、片方は貴族の血が混じっているのです。市井に高貴なる種を蒔くなど言語道断。許しがたい行いですわ」


 高貴なる母は腐っても貴族の母であった。

 生まれたのはひとりでも、その子供が更に子を産み育てれば貴族の血は広がっていく。高貴なる血に重きを置く母にとっては、それは許されざる行いなのであった。


 こうしてマリアンヌは一歳年下になる腹違いの弟を迎えることとなる。


 ※ ※ ※


「…………みすぼらしいですわ」


 父親の背中から押し出されてきた子供を見て、マリアンヌはついそう呟いてしまった。

「ライオネル、と言うそうだ」

「はあ、そうですか」

 連れて来られた少年はマリアンヌの一歳年下のはずだが、栄養状態が悪いのか見た目は五歳かそこらといったところ。少年にもなり切れていないようなみすぼらしい子供だった。


 がしっ


 マリアンヌは手を伸ばして、みすぼらしい少年の頭を掴んだ。

 力任せにがしがしと撫でると、ホコリとクモの巣、ついでに小さなクモの死骸が幾つかぱらぱらと床に落ちていく。

 綺麗な場所で生きてきた父と母はそれを見て眉をしかめ、侍女たちは落ちてきたクモの死骸を見て卒倒せんばかりに仰け反った。

 マリアンヌだけは「まぁ、すごく汚れているじゃないの」と眉をしかめず思ったことを口に出した。


 天啓を受けてからこちら、マリアンヌは何故か生き物に対しての忌避感が極端に減っていた。

 庭を散策していて土中の虫が這い上がってきているのを見ても気にしない。むしろ「良い土が出来ているではないの」と庭師を褒めるくらいはする。

 これを聞いた下働きの者たちのマリアンヌを見る目つきが変わっていることを、当のマリアンヌは知らない。

 下働きの者たちが何を考えているかなど、マリアンヌには興味の欠片もなかったからだ。変化は、マリアンヌの与り知らぬところで起きているのだった。


「お風呂に入って綺麗にしてきたらどうなの」


 言ってはみてが、侍女たちは動かない。互いに肘を付き合ってお前が行けと視線でいらない譲り合いを始めている。

 仕方がないので、マリアンヌは「こっちよ」と少年の手を取って歩き出した。

 暗がりを帯びていた少年の瞳がきらりとした光を宿し始めたことになど気付きもしない。だって、マリアンヌには興味の欠片もないことだったから、……以下略。


 すっかり身奇麗になって風呂場から出てきたライオネルを見て、マリアンヌは溜め息を吐いた。

 綺麗になったライオネルが、湯上りの儚い少年の色気を纏っていたからなどではない。そんなことはマリアンヌには興味の……、以下略。

「しっかり髪を拭きなさい。そんなことも教わってこなかったのかしら?」

「……すみません」

 水の垂れる髪をタオルでがしがしと拭く。

 水気がなくなったところで「これでよし」とばかりに頷くと、マリアンヌは彼に櫛を差し出した。

「……?」

「ちゃんとこれで髪をとかすのよ。身だしなみを整えることは貴族にとっては当たり前のことなのですからね」

「……すみません」

 俯くライオネルの姿を、櫛の使い方をしらない子供だと受け取ったマリアンヌは「仕方がないわね」と溜め息を吐く。

 椅子に座らせて櫛を通せば、マリアンヌよりも青みの強い銀髪がさらさらと流れていった。


 いくら幼い子供とは言っても、櫛の使い方まで分からないはずがない。

 そんなことにも考えが及ばないまま、マリアンヌは新たに屋敷にやってきた新参者のお世話を気が済むまですることになるのだった。

 たとえ少年が湯のためだけでない温度で頬を上気させていたとしても気付かない。だってマリアンヌには……以下略。


 ※ ※ ※


 そんなこんなで、ライオネル少年が屋敷にやって来てから十日ほどが経っていた。

 少年は、ハシュワット家の血は引いているが後継者ではないという微妙な立場に置かれていた。この国では庶民の産んだ子供は貴族の後継者にはなり得ないのである。

 微妙な問題はあれども、とりあえず少年はマリアンヌのそばに置かれて教育を受けることになった。

 半分でも貴族の血が入っているのであれば、それなりの教育は必要であると母が判断したからである。

 そこに父親の意見はない。不義を働いていたということで、父親は半年の屋敷内への立ち入りを禁じられて、馬車馬のごとく働かされているということだ。母はとても厳しい方なのだ。


 所作などの教育はマリアンヌと同じ教師が付いて徹底的に教えていくことになっている。

 文字の読み書きもできないということなので、まずはマリアンヌがライオネルに簡単な文字について教えることになった。

 教えると言っても、マリアンヌだって教師ではないので一緒に絵本を読んでやることしかできないが――。


「おい、ポンコツ娘。お前はいったい何をしているんだ」


 ハシュワット家の騒動からしばらく顔を見ていなかったガリオン王子が、突然そこに立っていたことにマリアンヌは目を丸くさせた。

『おぉ、我が心の友よ』

 そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

 青色タヌキのアニメのガキ大将、という文字も一緒に浮かんだが、どういう意味かまでは分からなかった。


 咄嗟に立ち上がろうとしたが、脚が重たくてできなかった。

 そういえばライオネルの頭を乗っけていたのだったと思い返せたのは、彼が屋敷に来て十日が経ち、今ではそれが当たり前になってしまっていたからだ。

 しばらくは隣に座って絵本を読むのだが、話が長いと途中で疲れたと言って膝に頭を乗せてくるのだ。


「そいつか? お前の父親が作った不義の子供というのは」

 思いっきり揶揄して言われているというのに、ライオネルは欠伸をかみ殺して気のない素振りで返す。

 マリアンヌの方もライオネルのことを多少可愛がってはいても、溺愛しているというわけでもないので、ガリオン王子は事実ありのままを言っているのだなという気持ちで頷いて返す。

 すでに似通った性格になりつつあるという姉と弟に、ガリオンひとりだけは苦虫をかみ殺したような顔をした。


「ほら、ネル。挨拶をなさい。この方はこの国の将来の国王になられる方なのですからね」

「ねぇさま、抱っこ」

「まったく仕方のない子なのだから。お天道様はしっかり見ているのですからね。しゃっきりなさい」

 まだまだ体重の軽いライオネルはマリアンヌの力でも軽々と持ち上げることができる。

 よいしょと立ち上がらせれば、ライオネルはぺこりと頭を下げた。

「ライオネルです。よろしくお願いします」

「頭の角度が浅いわ、ネル。この程度もできないようでは、将来ろくな大人になれませんわよ」

 がしっと青銀の頭を掴んで下げさせる姿は、すっかり姉の姿である。


「ふうん。もう愛称で呼び合っているというわけか……」


 適度に凍てついた声にマリアンヌは気付かない。マリアンヌの頭にガリオン王子が嫉妬してくるという発想はないのである。

「だって、こう呼ばないと返事をしないのですもの」

 困った子だわ、という態度にもライオネルはにこにこと笑みを浮かべるだけだ。あまつさえマリアンヌのお腹に顔をうずめて甘えて見せさえする。

「ほお。じゃあ、俺もそう呼ぶことにするか。ネル」

 ガリオン王子は片方の眉をぴくりと動かしてライオネルを呼んだ。だがライオネルが振り返ることはない。

「おい、ネル」

「ぼくの名前はライオネルです」

 ライオネルの反抗的な態度にガリオンの頬が引きつる。

 振り向いたライオネルと火花がバチバチ飛ぶほどににらみ合っているというのに、マリアンヌは気付かない。彼女は割と鈍い性質だった。

「こら、ネル。きちんと返事をなさい」

 ライオネルの青銀の髪に指を差し込み顔を向けさせて、めっと叱りつける姿は弟に甘い姉の姿だった。それを見て、またガリオンの頬が引きつる。

「はい、ねぇさま」

 こちらもまた甘ったるい良い笑顔である。

「本当にもう。言うことをちゃんと聞かないと家から放り出すわよ」

「はい、ねぇさま。捨てられるのはイヤなので良い子にします」

 叱られても良い笑顔だった。


「おい、ポンコツ娘。お前はこの生意気なガキをどう思っているんだ」


 ガリオンからしてみれば、いつも五月蝿いくらいに友人友人と自分を慕ってくる相手が、他の人間に興味を抱いている様子――しかも愛称呼びまでしている――であるのが面白くない。共通の秘密さえ持っているという特別さに水を差された気分だったのだ。

 もちろんマリアンヌがそれに気付くことはない。王子に興味がないわけはないのだが、とにかく自分のことに対しては鈍いのがマリアンヌだった。

 ガリオンが低い声で問いかけても、弟は姉を見つめる甘い眼差しを止めなかったし、マリアンヌの方もガリオンの不機嫌はいつものことだと気にも留めない様子である。


「どう、と言われましても……」

 何かしらね、と半分だけ血の繋がった弟の髪をわしゃわしゃと撫で付けながらマリアンヌは思考する。

 ネルは一応は弟というくくりに入るらしい。だが、大きくなってから初めて会ったのだ。あまり実感は湧かない。

 懐いてくれるのはいいが、別に滅茶苦茶可愛いわけでもない。だってまだ出会ってから十日しか経っていないのだ。突然引き離されても、静かになったなぁ、くらいにしか思わないだろう。

 マリアンヌの執着はガリオン以外に対してはとても薄かった。

 ライオネルは髪を撫で付けるマリアンヌの手を気持ち良さそうに目を細めて受け入れている。


「そうですわね。言うなれば……、可愛い……」

「可愛い?」

「…………犬? とでも言えば良いのかしら」

 よりにもよって犬呼ばわり。

 マリアンヌの言葉にガリオンはぽかんと口を開け、ライオネルは「わふっ」と犬の鳴き真似をした。

続けて「クゥン」と犬の泣き真似をするライオネルに、マリアンヌは「あら、可愛い」とライオネルの顎をよしよしと撫でる。ライオネルの表情はひどくご満悦といった感じだ。


「ひどいっ! お前、それはひどいぞ!! 人の尊厳ってものを知らないのか!?」

いくらライオネルが突然現れた異分子だったとしても、その言葉はないだろうとガリオンは反論した。


「純粋なる貴族の血を引く者の尊厳に対し、半分しか貴族の血が流れていない者の尊厳が勝つようなことがありまして?」


 えっ、何を言っているのですかという顔を姉の方だけでなく弟の方までもがするのだから、ガリオンの常識の壁がぐらぐらと揺らぎ始める。

「絶対違う。俺は、その考えは絶対違うと断言するぞ」

 痛くなる頭を抱えるガリオンを横目に、ライオネルはにこにこと笑って自分の意見を述べる。

「たとえ普通の人の意見がそうでも、ボクはねぇさまの言うことに従いますから。ねぇさまが犬だと言うのなら、ボクは犬なんですよ」

 ねー、と笑い合う二人の姿は、遠目から見れば普通に仲の良い兄弟だ。


「絶対にちがーうっ!! ライオネル、騙されるな。そいつはただのポンコツだ。唆されるままでいいのか!? お前の尊厳はそんなに価値のないものなのかっ」


「ぼくは、ぼくの盾になってくださるねぇさまにどこまでも付き従います。わんわんっ」

「何だか腹黒い! おい、マリアンヌ。そこはかとない黒さを感じるぞ!?」

「あら、忠義に厚いということは良いことよ。ほら、取ってこーいっ」

 マリアンヌは落ちていた枝を遠くに放り投げ、飛んでいくそれをライオネルが走って取りに行く。


「お前ら、枝はいいから落とした常識を拾い戻してこいっ!!」


 広い空に、ガリオンの声がどこまでもこだまするのだった。





異母弟は外見だけは可愛い、打算まみれの末恐ろしい犬。

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