孤児院3
果たして数ヵ月後、拙い言葉で出されたヒュート君からの直訴状。ついでに来た他の子供たちからの手紙に、マリアンヌは朱色のペンで書き込みをしていた。
間違いだらけの直訴状に、事細かに訂正を入れて返事を書く。よく書けているものには花丸を付ける。
「孤児院からの手紙?」
手紙のひとつを手に取り、ガリオンが尋ねてくる。
下は三歳から、上は十五歳まで様々な年齢の子供たちからの手紙は、勉学に触れる機会の少ない孤児からのものとしては随分と体裁の整ったものである。ライオネルの鬼の扱きが正しく実を結んだと言ってもいいだろう。
三歳から五歳頃の子供たちは上手く文字が書けないので、手紙と一緒に絵が同封されていた。
「何だこれは?」
その中の幾つかを拾い上げ、ガリオンは首を傾げた。
「あぁ、それらはわたくしの姿を書いたのですって。みんな一生懸命でしょう? 下手なりに頑張って描いていると思いませんこと? わたくしが広く愛されているという証拠ですわね」
うふふと微笑むマリアンヌに、ガリオンはまた首の角度を深くした。
「何故、顔が真っ赤だったり、服装が真っ黒だったりするんだ」
「色彩感覚が悪いのではありませんの?」
「これは何だ? 鞭か?」
「扇子でしょう。縮尺がおかしいだけですわ」
「おい、これ額から角が生えていないか!?」
「気のせいですわ。下手糞なだけです。お子様ですもの。仕方のないことですわ」
マリアンヌの表情からは本気で言っているのか、それとも強がりで言っているのか分からない。
「あ……、あぁそうだな。仕方ないよな、小さな子供なのだから。でもこれだけたくさん描いて送ってくるということは、お前は慕われているのだろうな……」
「うふふふふ。当然ですわ」
ガリオンは大人の返しを覚えた。
殿下と呼ばれるようになり、多くの者と接する機会も増えてきたガリオンである。ときには正論を封じることも必要だと、それ以降の口を閉じることにした。
後日、やはりあれは強がりだったな、とガリオンは知ることになる。
マリアンヌがやらかしたのである。ハシュワット家の支援孤児院の隣接区画になる孤児院の支援者、ファロス伯爵に。
「ファロス伯爵、最近屋敷に出入りしているお針子のひとりに大層熱心にご注文を入れているのですってね。心づけまでなさるなんて、さぞかし余裕がおありのようで――」
夜会での一幕である。
親しげに微笑みかけた次の瞬間に、相手を奈落の底に落とすこのパターンはよく知っているので、ガリオンは伯爵がマリアンヌに無体を働かないようにそっとティエンを配置させた。
マリアンヌが差し出した包み紙を見て、ファロス伯爵は蒼白となる。
「あ、あの……そそ、それは……」
「素敵な包み紙でしょう? 香水で有名な店のものですわ。十代向けの爽やかな甘さのある香水が流行りなのですって。特に豊かな栗毛色の髪を持っている娘には好評だとか……。あら、伯爵は当然ご存知でしたわね」
失礼しましたわ、とほほ笑む顔は完全に悪役のものである。
「ですが、あの香りだと伯爵の細君には少し不釣り合いかもしれませんわね。まあ、あの奥様のことですから、愛する旦那様から頂いたものならば何でも喜ばれるでしょうけれど……」
そんなことはない。
ファロス伯爵の奥方は大層な恐妻家として有名であるのだ。知れば不貞を察知し、問い詰めるに違いない。そうなれば婿養子のファロス伯爵に逃げ場はない。
これが完全なる脅しであることは明白である。ファロス伯爵の方もそれを察知し、こわごわとマリアンヌに視線を向けた。
「な、何が目的で……?」
「何が目的か、とは不躾ですわね。これはささやかな提案でしてよ」
違う。脅しである。相手に抵抗の手さえ出させないほどの脅しである。
「実はわたくし、先日支援している孤児院の子供からなじられたのですわ。どうして隣接地区の孤児院の子供たちは不憫な扱いを受けているのかと」
噂に過ぎませんわよね、と首を傾けるマリアンヌの儚いこと。何も知らない周囲の者たちはマリアンヌの姿を見て胸を抑えた。
「それを聞いて、わたくし涙してしまいましたの。国の宝である子供たちが不憫な想いをしているなど、想像もしておりませんでしたもの」
涙目で訴えるマリアンヌの姿に、二人の会話が聞こえない周囲の者たちは同情的だ。
実際には相手の子供を言葉でねじ伏せ、完膚なきまでに叩き伏せたことは言わない。
たとえそれを知られたところで、「あれはわたくしなりの精一杯の子供たちへの激励、誠意ですわ」と白を切る。それがマリアンヌである。
「もし本当にそうならば、どんなにか辛いことでしょうか……。わたくし、うっかり癒しを求めてファロス伯爵夫人に会いに行きたくなってしまうかもしれませんわ。このわたくしが、ハシュワットの人間が罪なき子供たちに責め苦を味あわされたとなれば――」
「そそ、早急に対処させていただきます!!」
よよっと泣き崩れんばかりのマリアンヌに、ファロス伯爵はでっぷりとした腹を揺さぶりながらその場を退散したのだった――。
後日、彼はハシュワット家の令嬢を泣かせたとして社交界で後ろ指を指され、奥方にぎっちぎちに絞められることになる。
噂によると、隣接地区の孤児院だけでなく、支援に乏しく困窮していた各所の孤児院において、毎日規則正しい食事とおやつが支給されるようになったということらしい。
「――ストレス発散にしては追い詰め方がえげつなかったな」
ガリオン殿下はそのときのことを思い出して、そう呟く。
マリアンヌの方は「あぁ、そのようなこともありましたわね」と、すでに忘却の彼方一歩手前で興味の欠片もない様子だ。
「情報源はライオネルか? あいつも裏で何かとこそこそとしているみたいだからな」
「ネルは清く正しい良い子でしてよ。情報は善意の第三者が教えてくれたことですわ」
「お前の知りうる裏情報の発信源は、だいたいあいつ由来のものだろうが」
ガリオンに隠し事のできないマリアンヌは、しどろもどろになりつつ「と、とにかく善意の第三者なのですわ」と目線を横にずらして咳払いをする。
このポンコツが。いつか痛い目を見るぞと思いつつ、ガリオンはマリアンヌの頬を染めてごまかす姿に「まあ、いいか」と追求の手を止めた。
「こほんっ。とにかく、お天道様は常に人の善意というものを見ているものです。あの方も素晴らしい善意を施されましたものね。きっと良いことがあるでしょう。このわたくしのように……」
マリアンヌの柔らかな手の中には、孤児院の子供たちから送られてきた絵が握られている。描かれているのはマリアンヌの笑った顔ばかりだ。
手紙のやり取りをする中で、マリアンヌの内面に触れた子供たちが心を変えたのか、それとも熱心な教師の元に行われた洗脳によるものなのかは定かではない……。
「お前、それ子供たちを脅して描かせてなどいないだろうな?」
「何をおっしゃっていますの。これはわたくしが愛されている証拠ですわ!!」
こうしてマリアンヌは孤児院の子供たちとの間に確執を作りつつ、陰のライオネルの尽力によって子供たちを宥めたり時々脅したりで上手く関係を保つことになる。
事実、マリアンヌのきついことは言ってくるが相手の言葉に真摯に対応する姿に、ヒュート君を始め子供たちは本気で絆されていくことになるのだが、それはまだもう少し先のことになる――。