孤児院2
マリアンヌと孤児院の子供たちとの確執は続く――
「おい、貴族っていうのは平等っていう言葉を知らないのかよ」
またしてもヒュート君である。
今回は、マリアンヌに付いて来たライオネルに即効とっ捕まって、「無礼なことを言うのはこのお口かな? んん?」と両頬を思いっきり引っ張られている。
聞くに、ヒュート君たちのいる孤児院の隣の地区になる孤児院では、おやつは週に一回出ればいいほうで、時には食事の量さえ乏しいということだった。
正義感の強いヒュート君は直訴相手に、よりにもよってマリアンヌを指定してしまったのである。考えなしのお子様である。
「どうして選別されなくちゃならないんだ。俺たちは家畜じゃないんだぞっ」
お馬鹿のくせに「選別」などという言葉をよく知っていたな、とマリアンヌは関心する。完全に馬鹿にしている態度である。
隣の地区と言えば、ハシュワット家の管轄ではない。
孤児院は教会に属するため貴族の縄張りなど関係ないと思われがちだが、実際はそうではない。それぞれの貴族で支援する孤児院は違うのだ。
敵対する貴族同士が同じ孤児院を支援するということはありえない。貴族間の影響は実は結構根深いものなのである。
マリアンヌはあくまでハシュワットの代表なのである。まだガリオンと婚姻を結んでいない今はそうなのである。
他の貴族の影響下にある孤児院にまで我が物顔で参上するわけにはいかないし、そうするつもりもない。
「家畜が平等を謳うなど、はなはだおかしいことですわね。家畜ならば家畜らしくブヒブヒと鳴いていなさい」
相変わらずのマリアンヌ節にヒュート君は絶句である。ライオネルはヒュート君が万が一にでもマリアンヌに飛び掛らないよう、腕を掴んで引き止めておく。
「平等という言葉は、それを享受できるだけの権利を有する者しか仕えない言葉でしてよ。貴方たちは平等、平等と言いますけれど、それが本当はいったいどういうことなのかよく考えたことがあるのかしら?」
教会は平等を謳う。貴族がそんな教会傘下の孤児院を支援するならば、教えの通り平等に行われなければならないというヒュートの言葉は正しい。
だが、平等という言葉を使うならば、貴族が孤児院を平等に支援しなくてもいいということもまた真理なのである。
「わたくしたちは皆、すべからく自身の築き上げた富を守る権利を有しています。ならば自身の富を守るために支援を打ち切ることもまた、権利という名の平等においては責められる言われはない行為ですわね」
椅子によいせと座り肘を突く姿はまさに女王様である。年齢を重ね身長が高くなり、ふっくらとした頬もわずかにしゅっとしてきたマリアンヌの姿は、そう名乗るにふさわしいものだった。
「お、お前、……俺たちへの支援を断つつもりなのかよ」
目を細めるマリアンヌの顔は、ヒュート君にとっては悪魔の微笑みに見えたに違いない。
「何の益もない子供たちを助けて何の得になると言うのです? 孤児院への支援はただの道楽ですわ。そうすれば対外的に恰好が付く、というだけでしてよ?」
自分の発した言葉の意味をようやく理解したヒュート君は、青白いを通り越して真っ白である。
今後、ハシュワット家の支援がなくなれば、隣の地区のことばかりか自分たちの明日だってどうなるか分からない。おやつどころか毎日の食事さえなくなってしまうかもしれない。
微妙に賢いヒュート君は、そこまで思って涙目になった。
こうなったら地面に膝を付き、頭を擦り付けて謝れと言われてもせざるをえないだろう。そんなことで目の前に立ちふさがる悪女が許してくれるとは思えないが。
――こいつは平気な顔をして人の弱味を突いてくる魔女だ! 指先ひとつでやってのけるんだ! みんな、ごめん。
ものすごく恐れられているマリアンヌである。
実は孤児院の中では、「悪い子にしてるとマリアンヌがやって来るぞ」という言いつけが出回っているのだが、今は関係ないので伏せておく。
「まあ、そんなことをしても面白くありませんからしませんけれど」
放り出すような言葉だったが、それを聞いてヒュート君は詰めていた息をほっと吐いた。額にはじんわりと脂汗をかいている。一命を取り留めたといった感じだ。
子ども相手にも容赦のないマリアンヌである。
手加減をしない、という一面でマリアンヌは躊躇なく貴賤関係ない平等を貫いている。ある意味立派である。
柔らかな声と可憐な微笑みを浮かべ、マリアンヌは「平等、という言葉がいかに恐ろしい反面を持つか分かったかしら?」とヒュート君に問いかけた。
「家畜でないと言うならば、それを証明してみせなさい。直訴がしたいと言うならば、正しい手順で訴えてみせなさい。たくさん勉強して世間というものを知り、自分の発する言葉がどれほど恐ろしい結果を招くことになるかということを知りなさい」
話はこれでお仕舞いだと言うマリアンヌは、ふと思いついたようにヒュート君を眺める。
「ところで、貴方。文字は書けまして?」
剣呑な雰囲気を収めたマリアンヌが小首を傾げる。その姿はまさしく可憐な妖精であって、毒気を抜かれてうっかりときめいたヒュート君は顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を横に振った。
市井の民たちの識字率は依然低い。孤児院でも毎日の世話に追われて教育どころではないのだ。精々、文字を知っている年嵩の子供たちが手の空いたときに下の子に伝達するくらいで。
ライオネルの手を取り立ち上がったマリアンヌは、何事かを彼に耳打ちした。
「……、はい。ねぇさまがおっしゃるなら」
渋々といった様子のライオネルが頷く姿から、何かをお願いしたのは分かる。それが自分たちにとって良いことなのか悪いことなのかはさておき。
ヒュート君がマリアンヌの願いを知ることになるのは、数日後のこと――。
「ほらほら、しっかり覚えなよ。一回で覚えないと許さないからね」
教会の講堂に集まる子供たちを前に、ライオネルが黒板とチョークを手に激を飛ばす。
マリアンヌのお願いというのは、ライオネルによる孤児たちへの文字教育だった。
十三歳ではあるが、ライオネルの教えは的確で無駄がない。地頭の良さは一級品である。マリアンヌは実に良い教師を子供たちに付けたのだった。
ライオネルの見かけに騙された女子たちは大乗り気である。進捗具合で言えば、男子たちよりも進んでいるくらいだ。
負けじと励むヒュート君以下男子たち。
「ただでさえ、ねぇさまとの触れ合い時間が減っているっていうのに……ちっ」
「お前、それが本音だろっ!?」
「当たり前だろ。何が哀しくて馬鹿の相手をしなくちゃならないんだ」
「横暴だっ」
「きゃー、ライオネル様、こっち向いてぇ。きゃあぁっ」
「五月蝿いっ。お前らこんな見かけ倒しに騙されんな」
孤児院には、いっそ和気藹々と言った時間が流れるのだった――。