孤児院1
時は過ぎ、マリアンヌは十四歳、ガリオンは十五歳という年齢になった。
ガリオンは正式に立太子し、名称が王子から殿下へと移り変わった。
精力的に政治に参加するガリオンは将来の王としての頭角を現し始める。
反して、マリアンヌと言えば――
※ ※ ※
マリアンヌはガリオンの立太子に際し、婚約者候補から――と言ってもマリアンヌひとりきりなので確定事項ではあったが――正式な婚約者として対外国へと表明をした。
それに合わせ、ガリオン殿下の婚約者としての夜会への顔出し、その他様々な行事への参加をしていくことになる。
孤児院への慰問というのも、またマリアンヌの仕事として割り当てられたことだった。
マリアンヌが望まれることは、生まれ持っての可憐な美しさに笑みを乗せ、可愛らしく孤児たちへ愛想を振舞うこと。――ということではあるのだが、傲岸不遜なマリアンヌが素直に言うことを聞くわけがなく、勝手気ままに振舞っては孤児たちから反感を買っていた。
たとえば――、
「外から戻って来て手を洗わないですって!? 汚らしい手でモノを掴むなど、なんて野蛮な行為なのかしら」
周りの護衛はおろおろとし、マリアンヌにもう少し声を落とすよう頭を下げるが当のマリアンヌは気にしない。
外遊びから帰ってきた子供たちが泥だらけの手でおやつを掴もうとするのを制して、この言葉である。
当然、反感を買う。
貴族のお嬢様が何を言っているのだ、嫌なら来るなコノヤローである。
「うるせー。貴族のお嬢様は優雅にナイフやフォークを使って食事をなさるんだろうけどな、俺たちにはそんなもんはないんだよ」
孤児院の野蛮代表のヒュート君、八歳。まだまだお子様である。貴族に楯突くということがどういうことかまだお分かりでない様子だ。年嵩の子供たちは「うわぁっ」と青白い顔である。世間というものをよく理解できている。
相対するマリアンヌはいたって冷静である。負け犬の遠吠えとばかりに片眉を上げて見下ろすに留める。
「わたくしだって菓子を手で摘むことくらいありますわ。当然、手は洗った上でです」
ふん、と最近成長し始めた胸を逸らして大威張りである。
マリアンヌは続ける。手を洗うというのは、付いた汚れを落とすだけでなく病気の元凶を落とす行為である。清潔な水で手を洗うだけで簡単な病気は防げるのだ、と。
そんなことも知らないのね、このお馬鹿さんは、と付け加えることも忘れない。
「それを実践しているわたくしは風邪など引いたことがありませんわよ」
この場にガリオンがいたならば、「何とかは風邪を引かないと言うからな」としたり顔で頷いたことだろう。
聞いている女性神官たちは、言われてみればその通りだと頷いている。
耳の痛いヒュート君その他の子供たちは、菓子に伸ばしていた手を「ぐぬぬ」と言って引っ込めた。
「貴方、先日風邪を引いて顔を出しませんでしたわよね。そんな体たらくでわたくしに文句が言えまして?」
相手の弱味はがっつりしっかり掴んでいるマリアンヌである。ヒュート君の睨みもどこ吹く風である。
しぶしぶと手を洗いに行くヒュート君、その他大勢を見つめながら高笑いである。
「ついでにしっかりと口の中もゆすいでおけばよろしいですわ。健康面で庶民が貴族に負けるなど、愚の骨頂ですものね」
子供たちがしっかり手を洗い口の中までゆすいでいるのは、マリアンヌの言葉に感化されたわけではない。「絶対にこいつにだけは負けなくない」という敵愾心のみでやっている。実に乗せられやすい子供たちである。
マリアンヌに対する敵愾心から、このときだけでなく彼らは今後も手洗いと口すすぎを続けていくことになる――。
こうして孤児院の子供たちに敵対心を抱かせつつ、慰問という名のいびりを終えたマリアンヌは去っていく。
後日、孤児院の神官から「今年は例年より風邪を引く子供が減りました」という礼状が届くのだが、マリアンヌはしっかりと忘れてしまっている。
孤児院の子供たちは生意気な子が多い、そんな子供たちから病気を貰っては大変だものね、くらいにしか思っていない。
一応、「健康で息災ならそれで良し」という旨を手紙にしたためて送り返した。汚いのも嫌いなので、ついでに生活面での清潔は極力保てと加えておく。
貴族言葉で湾曲に真綿に包まれた言葉を目にし、神官たちがまた盛大に曲解したところでマリアンヌには与り知らぬこと。
後に、〝マリアンヌ健康法〟として各地の孤児院へ病気にならないための小冊子が出回ることになるなど、予測もしていなかったことである。
「――〝マリアンヌ健康法〟?」
ずっとずっと後になって、王宮にまで回ってきた小冊子を手に取り、ガリオンが首を傾げることになることもまた、予測の外のことである――。
マリアンヌは子供を乗せるのが上手。