再会、そして始まり
あの、杏樹との別れから、すでに20年近く、経過していた。
別に年数を数えて生きてきた訳ではないけれど、ふとした弾みにカレンダーの西暦を見たときに、あの子の笑顔を思い出した。
「もう・・・そんなに経つんだね・・・」
誰に言う事もなく、そう呟いた。
私も憲一さんも歳を重ね、あの頃教えていたあの少女のことは、少しずつ、記憶の波に埋れていった。忘れているわけではない。あの、杏樹がいなくなった日の事も、二度と会えなくなった日の事も、ちゃんと覚えている。ただ、こういったタイミングでないと、思い出さなくなっていった。
「そういえばそんな子がいたね」
「今頃、どうしているのかな?」
「笑ってるんじゃないか?」
「そうだと・・・いいね・・・」
懐かしく、憲一さんとそんな会話を交わした。
気がつくと、私は杏樹の事を思い出そうとすると、真っ先に、あの子の笑顔が浮かんだ。
例えば最後にあった日の服装とか、
あの日の空の色とか、
一緒に飛ばした色とりどりの風船の色とか
最後にレッスンした曲とか
かわした会話とか
歳をとったせいか、すぐに思い出せないことが増えていった。
それでも、あの子の、周りの人を幸せな気持ちにさせてしまう、あの甘い笑顔だけは、鮮明に心に残っていた。
そして、思い出すたびに、私もまた、幸せな気持ちに満たされた。
時々思い出す杏樹は、いつまでもあの小学生のままの笑顔で、私ばかりが年老いたような、そんな気分になっていた。
あれから、いろいろなことがあった。
師匠・・・義理の母は現役引退し、今は、表立った演奏活動やレッスンはしていない。
引退する数年前から、少しずつ、門下生や、外の教室の生徒を、私や、同門の音大生や教室講師に任せるようになっていっていた。けど、橘門下で、師匠に次ぐ存在、として見られていたのは私のせいか、私に振り分ける生徒の数は、妙に多いような気がした。それも、今考えると、橘門下の世代交代をスムーズに行うためのものだったのかもしれない。
たくさんいる、長年師匠が教えていた、辞める意思のない生徒を、師匠の現役引退、という私的な理由(とは私は思わないけれど)で、師匠の都合で教室を辞めさせるわけにはいかない。さりとて、師匠がずっと教え続けるにも限界がある・・・そう思ったのかもしれない。
後々、生徒たちに聞いたら、"誰に、これから先ピアノを教わりたいか、師匠に聞かれた"と言っていた人がたくさんいた。きっと、生徒一人一人と話し合い、どの生徒を誰に振り分けるか、決めたのだろう。
橘の音楽教室は、実質、私と憲一さんが引き継いでいて、私は大勢いる門下生にピアノを教えている。
ピアニスト、橘直子の後継者、橘門下の師匠・・・私自身が、“師匠”と呼ばれる身となっていた。私が教えた門下生の中には、名の通った音大に通う生徒もいた。
あの、杏樹がいた頃、師匠の門下にいた祥子ちゃんと祐介君も、私が引き継いだ。
今も相変わらずピアノを続けていて、祥子ちゃんは音大を無事卒業して、演奏活動をしながら、私がかつて担当していた楽器店の教室や都内の音楽教室を任せられるような存在になっていた。
祐介君も変わらず門下にいる。音大での専門教育は受けていなくて、普通の会社員をしている。それでも、ピアノの腕前は、門下でもトップクラスだ。私や祥子ちゃんにはない、力強くて大胆でダイナミックな演奏は、男性独特なもので、その姿は本当にかっこいい。他の門下生、特に中高生や大学生の女子からは、とても人気がある
その祐介君は、数年前から祥子ちゃんとお付き合いして、来年結婚を控えている。
子供だった頃を知っているだけに、感慨深い。見ているだけで微笑ましくなるようなカップルだ。
私は相変わらず、舞台で演奏し、門下にピアノを教え続け、家では翔の母親をし、憲一さんに支えられ、・・・忙しいけど充実した日々を送っていた。
それでも、あの頃と比べたら随分歳を取り、例えば舞台の後の疲れが抜けなかったり、細かい楽譜が瞬時に読めなくなったり、舞台で演奏する曲の暗譜に時間がかかったりと、歳と、それからくる衰えには勝てなくなりつつあった。
それでも私は、舞台に立ち続け、ピアノ教師を続けた。
その根底には、やはり、何処かで杏樹が聴いていてくれているかも・・・杏樹の消息が知りたい、と言う思いがあるのは確かだった。
でも、それ以上に、杏樹に願う事もあった。
「逢いたい」以上に、あの子に願う事。
それは・・・まだ言葉にすらならなかったけれど・・・
そんなある日のこと。
朝のワイドショーの報道を見ていた時だった。
海外の、とあるピアノコンテストで日本人が優勝した、というニュースが飛び込んできた。
「あのコンテスト・・・そういえば今年は開催される年だったっけ・・・懐かしいな・・・」
私は呟いていた。
そのコンテストは、数年に一度開催されるもので、はるか昔、私が留学中出場し、優勝したコンテストだ。しかも、滅多に東洋人が入賞できない、ヨーロッパでも歴史と権威あるコンテストだった。事実、私が優勝した以後は、誰も東洋人が、優勝はおろか入賞さえも果たせなかったものだった。
およそ四半世紀ぶりの快挙・・・とニュースやマスコミでも話題になった。
「桜が優勝した時みたいだな。あん時も、日本じゃすごい騒ぎだったぜ?」
私が優勝した時、日本にいた憲一さんも、懐かしそうな顔をしてそう言った。
「そうだったの?」
「ああ。東洋人初の快挙! って言ってさ。母さんも、当時の門下も大喜びしてた」
彼の当時の話を聞きながらも、テレビではニュースが続いていた。
新聞や、昼のワイドショーでもその事が取りざたされ、普段クラシックの事なんかまったく報道もしない様々な報道機関がそのニュースを取りざたし、大騒ぎになっていた。
まるで日本人がノーベル賞を取ったときのような・・・そんな騒ぎにも似ていて、少し滑稽にも思え、苦笑いした。
けれど、その詳細を知るにつれ、私の苦笑いはだんだん凍り付いていった。
在籍している音大は、私がドイツ留学時代に留学していた音楽院で。
コンテストの演奏曲は、私がはるか昔、このコンテストに出場した時に演奏した曲と全く同じ。誰もが演奏できるわけでは無い。プロピアニストがこの曲を舞台で演奏しようと思ったら、相当な覚悟がいるほどの難曲だ。私だって、コンテストとその後の凱旋コンサート以来、殆ど演奏しない程、技術的にも解釈も難しい曲だ。
そして、何よりも驚いたのは、その、入賞した日本人の名前が・・・
「向原 杏樹」
その名前を見た瞬間、まるで身体の中で死に絶えていた何かが息を吹き返し、止まっていた心臓が再び強く鳴り響き始めたような、そんな錯覚を感じた。
そう、今でも忘れない。あの杏樹と同じ名前だった。苗字こそ違うけど、"杏樹"なんて変わった名前、そう多くはない筈。苗字なんて両親の再婚や、杏樹自身の結婚で変わるし、そんなことがなくても、家の都合でいくらだって変わるはず。でも"杏樹"という珍しい名前は、よほどなことがない限り、変わるはずがない・・・。
まさか・・・・あの杏樹なの?
あの、子供の頃、一年だけピアノを教えたあの杏樹なの?
私の疑問とは裏腹に、世間は大騒ぎだった。「杏樹」という日本人は、にわかに日本でも「時の人」となった。
「ねえ、この子・・・あの杏樹なの?」
すがるように憲一さんに聞いた。でも、憲一さんは、テレビに映っている、その"杏樹"の顔写真や動画を見て、首を傾げた。
「さあな・・・顔立ちも雰囲気も、あの頃から変わってるからな・・・この映像だけじゃ断言できない」
憲一さんはそう結論を出した。それは、私が思ったことと同じだった。
私が知っているのは、あの頃の杏樹・・・小学校一年生の時、たった一年だけ教えていた子供だった杏樹で、あの頃からかれこれ20年近く過ぎている。年回りだけを見れば、テレビに映る杏樹と私が知っている杏樹は同じ歳の筈だし、名字はともかく名前は"杏樹"。日本人に多い名前ではない。
けれど、この子を私達が知っている、ずっと探し続けていた、あの"杏樹"だと決定づけるには、決め手が欠けていた。
それに、仮にこの子が、あの"杏樹"だとしても・・・
たった一年だけ、ピアノを教えた私のことなど覚えているはずもない・・・そう思っていた。
不思議なもので。
杏樹がいなくなってから、必死で杏樹を探し、今まで舞台で弾き続けたのも、音楽活動を続けたのも、ただひたすら、杏樹を探すためだった。
でも、その私の音楽活動とは全然違うところで、心の準備もなく、こうして杏樹の名前を見つけてしまうと・・・それもまた微妙だった。
それに、この"杏樹"が私たちの探していた"杏樹"だとしても・・・彼女は私達の事を覚えている?
それとも、新しい土地で、新しい生活の中、私達の事は忘れてしまった?
「・・・きっと、忘れちゃってるよね?」
そう思いながらも、この子が在籍している、私が留学していたのと同じ音楽院、コンテストで弾いた、私と同じ曲の事を思うと、忘れてしまった、とか、赤の他人、とも思いにくくなってしまう。偶然にしては出来すぎている。
「・・・一体・・・何者なの?」
そんな疑問は、日を重ねるごとに大きくなっていった。
こうして杏樹のことでためらうのは、自分でも意外だった。まだ、杏樹の手がかり一つなく、血眼で探していた若かったころにこのニュースを聞いたら、一も二もなく、飛びついて真相を確かめただろう。
今、それが出来ないのには・・・私自身の心境の変化もあった。
最後に会ってから20年経ち、私の杏樹への思いは、あの頃の「会いたい!」と強く願う気持ちから、もっと違う、穏やかなものへと、ゆっくりと変わって行っていた。
それは、口に出すにはあやふやで曖昧で、心もとないものだったので、まだ、憲一さんにすら話していないものだったけれど・・・
杏樹が今でも大好きなことは、全く変わっていない。会えるものなら会いたい。
けれど・・・それが、あの、いなくなった直後の様に、血眼になってできることを全てやり尽くしてでも"会いたい!"という、情熱のような強い強い想いに直結しないのだ。
諦め。認めたくないけど、そう言ったものなのかもしれない。
何より、彼女はきっと、私の事など忘れてしまっている・・・その想いは拭いきれなかった。20年、という歳月は、私にも、おそらく彼女にも、長く重たいものだろう。忘れるには十分すぎる歳月だ。
それでも、あの頃と変わらない想いもあった。
「生きて・・・幸せで、元気で笑っていてくれればいいから・・・」
あの、甘くて元気いっぱいな笑顔・・・あの頃の、無彩色だった私の世界を彩りに満ち溢れたものに変えてくれた、あの笑顔・・・
今でもあの笑顔でいて欲しい。幸せで、笑っていてほしい・・・
それは、今の私の、彼女に対する切なる願いだった。
「幸せで…いて・・・お願いだから・・・」
彼女のことが特集されているピアノの専門雑誌を見ながら、私は雑誌の中の彼女の写真に、そう呟いていた。
その時、私はまだ気付かなかった。
呟いていた私の後ろ姿を、翔が、じっと見つめていたことに・・・
・・・・・・・・
世間は、夏から秋へと移る季節。
私にとって、舞台に立つ仕事が増える季節だった。
憲一さんと結婚してからというもの、舞台に立つ仕事が格段に増えた。それに伴って、ピアニストとしての私の知名度も上がった。
そして、ピアニストとしての演奏活動は、毎年秋から冬の終わりにかけてピークになる。
舞台で弾く曲、私自身のソロライブで演奏する曲、そして、門下生の発表会・・・仕事は尽きない。これはこれでありがたいことだ。
そして、毎年やっていると慣れてくる。
でも、今年は・・・
「桜?」
憲一さんに呼ばれて、私ははっとピアノから顔を上げた。練習しながら、うたた寝していたらしい。
「疲れてるみたいだな」
「まあね。毎年のこと」
「無理するな、今日はもう休んだ方がいい・・・」
「ん・・・」
曖昧に答えながら、思いを別の事に馳せた。
あの、“杏樹”がマスコミを騒がせてから、私は、その“杏樹”のプロフィールの詳細を調べてみた。
現在26歳。アメリカ在住。
6歳の時からピアノを習う。
10歳まで日本で育つ。その後、父の仕事の関係で渡米。
アメリカ、⚪️×州 ⚪️⚪️音大卒業後、ドイツに留学。
ドイツの△×音楽大学院在学中。・・・
それが、公表されている“杏樹”のプロフィールだった。
私の知りたいことは、何一つ、なかった。
ただ、私と同じドイツ音楽院に在籍中、という事実で、不思議と心がざわついた。
それと、コンテストで私が演奏した曲と同じ曲。
でも、当時の杏樹に、私はドイツの留学先の話も、コンテストで演奏した曲の話などしたことないはず。
単なる偶然だろう。
それに、たったこれだけのプロフィールで、“杏樹”が、私の知ってる、あの“杏樹”だと、断定できない。
多分、真剣になって、師匠や私自身のツテを使って調べればすぐにわかることだろう。でも、そんな暇もない程、このシーズンは演奏活動に忙しくて、そんな暇もない程だった。
それでも、忙しい合間をぬって調べたのは、この杏樹のプロフィールだけではなかった。
・・・もう一つわかったことがあった。
それは、晃也さんのこと。
晃也さん・・・杏樹のパパの事なんか、杏樹が引っ越してからすっかり忘れていた。私にとって、この人さえバカなことをしなければ、杏樹と一緒に過ごし続けることが出来たのに・・・と、憎しみにも近い想いを抱き続けていた。
でも、歳を重ねるごとに、そんな憎しみも口惜しさも、思い出さなくなっていった。
恐る恐る、晃也さんの事も調べてみた。
すると・・・いろいろなことが判った。
晃也の奥さんの実家の会社は、CEAに外部の人間が入り、晃也の奥さんの父は辞任した、と言うこと。
どうやら、社内で内部分裂が起きて、親族経営が限界になったらしい。
閉鎖的な経営が一掃されて、その会社は少しずつだけど、業績を伸ばしつつあった・・・
そして晃也さんは、例の奥さんと離婚したこと・・・
晃也さん・・・杏樹のパパが、杏樹を探し回る理由は、もうなくなっていた。合法性もない。今度、杏樹のパパが杏樹に何かしたとしても、杏樹のパパを擁護するような不法な権力は働かないはずだ。
もう、杏樹達が身を隠す理由など、今はないはずなのだ。
それなのに、私たちには、杏樹親娘から、連絡一つ、なかった。
それはやはり、私の事など忘れている、という事なのかもしれない。
ましてや私が杏樹を教えたのは、ほんの1年だけだ。
そして、最後に会った時から、20年も過ぎているのだ。
もう、記憶に埋もれて、忘れてしまっているだろう・・・
そう、結論づけることにした。そして、結論付けるとともに・・・酷く胸と頭が痛んだ。
秋と冬の、大きな舞台が全て終わった二月。
私の誕生日の日。
いつ頃からか、翔は、この日になると、私に誕生日プレゼントをくれるようになっていた。まだ小学生の頃は、例えば学校の休み時間に書いた落書きのような絵だったり、折り紙で作った手裏剣や紙飛行機だったり、憲一さんと一緒に選んでくれた雑貨だったりしたけれど、彼も成長するたびに、そのプレゼントも大掛かりなものになって行った。
私は、翔には何も言わなかったけれど、毎年一生懸命プレゼントを考えて、少ないお小遣いでプレゼントを用意してくれる彼の気持ちが、どんなプレゼントよりも嬉しかった。
「誕生日おめでと」
憲一さんによく似た、照れ臭そうな笑顔をすると、彼は私にあるものを手渡した。
「ありがとう・・・なあに?これ?」
翔が取り出したのは、何かの封筒だった。私と憲一さんは顔を見合わせて、その封筒の封をあけてみた。どうやら憲一さんも、中身を知らないみたいだ。
中からは、チケットが三枚・・・
「これ・・・」
私は驚きで声が出なかった。
「おばあちゃんからもらったんだ。3人で行ってらっしゃいって言ってた」
そのチケットは、“向原杏樹”の凱旋公演のチケットだった。
場所は、都内屈指のコンサートホール・・・
「翔・・・」
「父さんから、ずーっと前に、“杏樹”の話、聞いたんだ。母さんのレッスン室に飾ってある女の子の写真の事。
おばあちゃんに相談したら、確かめておいでって、チケットくれたんだ。
母さん、気になるなら、一緒に確かめに行こう!」
翔の明るい声と優しい気持ちが心に染みる。
この子もまた、憲一さんと同じように・・・私のことを見ていてくれたのだ。ううん、彼らだけじゃない。翔を通して、このチケットを渡してくれた、義母・・・師匠も・・・
「母さんが、実の娘みたいに思ってた人なんだろ?
それだったら、俺にとっても、お姉さんみたいな存在のはずだろ?」
生真面目な顔に、少しだけ照れ臭い笑みが混ざった顔で、翔はそういった。
「そうだな・・・
いろいろ悩むより、確かめに行った方が、確実だな」
憲一さんも、そう言って頷いてくれた。
その二人の気持ちに背中を押されるように、私も、ゆっくりと頷いた。
「そうね・・・行ってみれば・・・解るかもしれないわね。
翔、ありがとう」
私はそう言って、翔をぎゅっと抱きしめた。
翔の頬と耳が同時に真っ赤になった。
「やめろよっ! わ、解ったから」
あの小さかった翔は、気が付くと、他人の心を察し、思いやれる程の優しさと強さを身につけていた。
(私が歳とるのも、無理ないか・・・)
抱きしめた翔の暖かさに心満たされながら、胸の内で呟いた。
・・・・・・・・・
それから約一ヶ月後の、3月末の土曜日。
3人で都内まで聞きに行った。
場所は都内随一のコンサートホールで、私もこの会場は、演奏を聴きに行くことはあっても、演奏したことのないホールだ。
それだけ、“杏樹”が世間から注目されていて、将来を嘱望されている存在されている、と言うことだ。
私は、期待と不安と、何だか訳の判らない気持ちのまま、席についた。
席は、“S席”。一番高価な席で、一番、音響も良く、ステージで演奏する人の表情が判りやすい席だ。
このチケットを用意してくれた翔と師匠の意図を感じた。この20年のけりをつけて来なさい・・・そう言われてる気がした。
やがて開演のブザーがなり、辺りは暗くなった。
そして、コツ、コツ・・・と言う足音が響き、ステージには、ワインレッドのドレスを着た年若い娘が出てきた。“向原杏樹”その人だ。
彼女は客席に向かって一礼すると、会場一面を見渡した。
その一瞬、私とも目があったような気がしたけれど、おそらく気のせいだろう。
(私、随分彼女のこと意識してるみたいだな・・・)
会場を見渡す仕草は、私は勿論、舞台に立つ演奏家は誰でもする仕草だ。それで知らない人と目があったとしても、演奏者の記憶には残らないものだ・・・
そんなこと判り切った事なのに、一瞬でも目があった瞬間、ひどく胸がざわついた。
彼女はそのままピアノの前に座り、プログラムが開始した。
そして、一曲、また一曲、演奏を聴くにつれ、私と憲一さんは、あの舞台の上の娘が、あの「杏樹」だと確信していった。
顔立ちも、あの頃とは違った。目鼻立ちがはっきりしていて、その目には、あの頃にはない、独特な鋭く強い意志を感じた。あの頃の面影は全くなかった。
でも、私にはわかった。
あの娘は、紛れもなく、私の生徒だった、あの杏樹だ、と・・・
根拠などない。でも、間違えない自信はあった。
隣に座る憲一さんを見ると、きっと私と同じことを考えているのだろう。私の顔を見て、軽く頷いた。
あの頃のような稚拙さはない。あの、足をぶらぶらさせる癖も、全くない。
あの頃の杏樹の演奏と比べたら雲泥の差だ。清廉されて、隅々まで神経のゆきとどいた、若いながらも、プロの演奏をしている。
それでも、演奏している時の、大人なのに天真爛漫で楽しそうな表情も、
一曲終わるたびに見せる、まるで幼子のような表情も、
舞台に立って挨拶している時の、あの明るくて甘い笑顔も、
私の知っている、あの杏樹が持っている表情だった。
「母さん?」
隣では、翔の心配そうな声が聞こえた。気が付くと、私は泣いていたみたいで、目頭も頬も、涙で濡れていた。
「ほら」
憲一さんが差し出してくれたハンカチを受け取り、そっと目を押さえた。
間違えない。
あの子は・・・
私が教えていた、あの杏樹だ!
やがてプログラムが終了し、アンコールががかかった。
杏樹は再び舞台に出てくると、辺りに一礼し、アンコール曲を演奏した。
その曲を聴いた途端、私は心臓が止まる程、驚いた。
忘れるはずもない!
“いつか、さくらせんせいと、このきょくをぶたいでれんだんするの!”
そう言って、あの曲の楽譜を大事そうの抱きしめていた。
あの「仮面舞踏会」!
連弾曲ではなく、ソロ曲として編曲されている仮面舞踏会を、彼女は演奏し始めた。
「桜・・・」
憲一さんは、再び涙腺が崩壊した私の肩を、労わるように、そっと抱き寄せた。
それ以上、言葉など、いらなかった・・・
あの子は、紛れもなく、私たちが探していた、杏樹だ・・・
コンサートが終わり、私たちは会場を後にした。
「翔は?」
ロビーを出てふと気がつくと、翔の姿が見えなかった。
「トイレだって・・・あ、戻ってきた」
ロビーの向こうから、翔が私たちを見つけて駆けて来た。
広くて格式高いコンサートホールのロビー。でも、ここに杏樹が出て来ることはないだろう。私の地元ライブとは訳が違う。今や向原杏樹は、私にとっては手の届かない存在で、誰もが知っている新進気鋭のピアニストだ。こんなところでロビーに出てきたら、ちょっとした騒ぎになるだろう。
その現実に、少しだけ寂しい気持ちになりながら、私たちは会場を後にした。
「会わなくていいのかよ?」
最寄り駅へ歩く道すがら、翔が心配そうに私の顔を覗き込んだ。翔も、気づいたのだろう。私や憲一さんの持つ空気感が、杏樹のコンサート前と比べて変わっただろう。
「いいのよ」
翔に、私はそう言った。でも、知らず知らずのうちに視界が歪んできた。
「母さん、泣いてるのか?」
知らず知らずのうちに、私は泣いていたみたいだ。
「悲しいのか?」
まるで何かから庇うように、翔は私の横に立って、私の顔を心配そうにのぞき込んだ。
「ううん、そうじゃないの」
私は首を横に振った。
「幸せだから、涙が出たのよ」
そう言うと、私はその涙をハンカチで軽く拭った。
「幸せ?」
翔の問いかけに、私は頷いた。
「なんでだよ?会いに行ったらもっと幸せなんじゃないのか?」
「そうね・・・でも・・・
あの子が・・・」
その視界の歪みが、どんどん酷くなった。
私は、大きく息を吸って、吐いた。
「あの子が、私とは違う世界で、幸せでいてくれている。笑っている。
幸せで、自分の夢を叶えてくれたから・・・
どこの世界に、自分の教え子の不幸を願う先生がいるのよ?」
そう・・・不思議と、心は満たされていた。
ずっと、杏樹を探し続けていた。
会いたいと想い、願い続けていた。
けれど、20年、という歳月は、知らないうちに私自身を、少し臆病にしていた。
もしもあの子と今、向き合って、あの子が私のことを忘れていたら?・・・そう思うと怖かった。
怖い・・・恐怖。心がえぐり取られそうになる感情だった。
だから、会わない。
あの子が幸せでいることが、演奏を通じて解ったから。
それで十分だ。
私は、大きく息を吸って、吐いた。気持ちを切り替えるように。
考えている以上に静かで、穏やかに、満たされた想いを抱えながら・・・
「帰ろうか? あ、どっかで美味しいもの、食べて帰ろうか?」
翔と憲一さんに笑顔でそう言った。
「本当に、それでいいのか?」
今まで、何も話さなかった憲一さんはが、ぽつり、とそう聞いた。
もちろん! そう答えようとしたけれど、何故か、声が出なかった。心なしか、息が苦しいような気がした。
「俺がお前だったら・・・絶対に会いに行くけどな・・・
覚えていなくても・・そこからまた、初めまして、ピアニストの叶野桜です、から人間関係始めるのも手じゃないのか?」
初めまして、から?
そう聞きなおそうと、顔を上げた瞬間・・・
息苦しさがピークになり、胸がひどく傷んだ。
そして・・・
ぐらり・・・
視界が反転したような気がした。
何の前触れもなく、私の身体がバランスを崩した。
「母さん?」
「桜?」
翔と憲一さんの声が同時に聞こえた。
その声に、私は答えることができなかった。
その代わり、前触れもなく、意識が遠のいた。
「どうした? 桜? 桜っ!!」
「母さん? ?」
「翔! 救急車呼んでくれっ! 桜の様子がおかしいっ!」
二人の声が、ずいぶん遠くに聞こえた・・・
目を覚ました時、憲一さんと翔が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
私が横たわっているベッドの側では看護師さんが点滴の確認をしたり、心電図を取ったりと、せわしなく動き回っている。
どうやらここは病院で、病室とかではなく、救急車で病院に搬送された患者さんの応急処置や手当をする部屋のようだった。
「ここは・・?」
そう聞いた私に、憲一さんは病院名を教えてくれた。あのホールからほど近くにある大学付属病院だった。
「お前が倒れたとき、救急車で、一番近くの病院に搬送されたんだ」
「そう・・・」
まだ、頭がハッキリしない。ホールの前で、翔と憲一さんとで、杏樹の事を話していたところまでは覚えていた。けれど、そのあとの記憶が、ぷっつりと、途切れていた。
そのあと、検査やCTスキャンやらMRIやらの検査の為、検査の科をストレッチャーに乗せられたまま移動を終えた後、過労、と診断された。
検査結果の数値を見て、絶句した。どの数値も、健康体の数値から明らかに外れている。でもそれは、過食で肥満、とか運動不足でメタボ、という方向性ではなく、明らかに疲労や疲れ、ストレスから来るもののようだった。
念のため、検査の為何日か入院をして、そのあとは自宅で安静にするように・・・と指示された。
「過労・・・ねぇ・・・」
確かにここ数年、疲れが抜けない事が多かったけれど、ここまでひどくなっているとは思わなかった。
心配そうな顔をする憲一さんに、ことさら笑顔で言った。
「杏樹が見つかって・・・ちょっと気が抜けちゃったみたいね」
そう言って、軽く息を吐いた。あの子の存在も、あの子が見つかったことも、私が考えている以上に、私の中に根付いているみたいだ。
でも、それ以前に。
若い頃なら、舞台に立つことで疲れることはなかった。むしろ舞台で演奏するのは好きだったし、疲れもすぐに取れた。でも、歳を重ねるごとに、体力的にもしんどくなっていたのは事実だった。
「そういえば、母さんがアメリカで交通事故に遭ったのも、今のお前の歳の頃だったっけ?」
「怖いこと言わないでよ!」
憲一さんの言葉に、私は笑顔で返した。でも、数えてみれば、私もとうに50歳を越えていた。彼の言葉に反論する事も、医者のいう事を守らずに仕事を続けることにも抵抗を感じていた。
「・・・コンサートシーズン終わってるんだし、しばらく、仕事、休んでもいい?」
病室で寝かされながら、私は憲一さんにそう相談した。すると憲一さんは、軽く頷いた。
「判った。レッスンは、母さんと祥子ちゃん達に頼んでおく」
そう言うと、横になったままの私の額に、軽く触れて、髪をやさしく撫でてくれた。私の髪の毛に指を絡めるようにして撫でるその手の感触は、付き合い始めた頃とちっとも変らない。酷く懐かしく、温かくて安心した。
「早く・・・治せよ?
来年は翔の受験だし、さ、今度の秋もライブ、やりたいだろ?」
「うん。そのつもり」
そんな私達を、翔が、心配そうに見ていたけれど・・・その時は、翔が何を考えているのか、考えるゆとりもなかった。
…………………………………
出会いの日が突然だった。
そして、別れの日もまた、突然だった。
泣きじゃくった日々があった。
歳を重ねて、想いは穏やかな物へと変わって行った。
そして・・・再会の日もまた唐突で、運命的だった・・・・・
退院して、自宅療養が続いた。
憲一さんが手配してくれた休暇は一か月。ここ数年休みなく働き続けていた私にとっては、長い休暇だ。
でも、過労と疲労ですでにボロボロになっていた私の身体を癒すには、それくらい必要だったようで、医者からも、"最低一か月は無茶はしないように。今無茶をしたら、今後舞台に立てなくなるかもしれない"という脅し文句にも似た言葉を言い放たれ、休むことを余儀なくされていた。
季節は春の午後。
庭を見ると、庭に植えてある大きな桜の木が満開で、春の風に乗って少し、花びらが舞っていた。
「そういえば・・・あの子とこの花を見ることは、なかったね・・・」
不思議と、杏樹の事が脳裏をよぎった。
初めて会った日の事。
始めてレッスンをした日の事。
一緒に行った小学校のプールや、夏祭り。
運動会のかけっこや玉入れ。
バザーの帰りに寄ってくれたこと。
一緒に作ったスイートポテト。
聴きに来てくれたコンサートや、あの子の最初で最後だった、発表会。
一人の正月、会いに来てくれた事
バレンタインに、唯一貰った本命チョコ。
一緒に遊んだ、大雪の日。
校庭で飛ばした、色とりどりの風船・・・
まるで、一つ一つが、映画のワンシーンの様に、鮮やかに蘇り、消えて行った。
「あの子と一緒に、この桜、見たかったな・・・」
次のレッスンで必ず会える。
あの頃はそう思っていたから、伝え忘れたことがあっても、さほど気にも留めなかった。急ぎの用も、メールや携帯で連絡できた。
でも、今思うと、どれだけの言葉を、伝え忘れていたんだろう・・・
私がどれだけ、杏樹の事を大好きだったか、
あの子の存在で、どれだけ癒されていたか、
無彩色だった私の世界に、彩りを与えてくれたか・・・
そして、勇気を持てたか・・・
『ねえ、大好きな人に、好きだよって言ってもらえる方法があるの!』
そう言って教えてくれたこと・・・
『簡単だよ! その人に、"私の事、好き?"って聞いてみればいいんだよ!』
彼女のあの言葉がなかったら、こうして憲一さんと結婚することも、翔を授かることもなかっただろうし。
あの子のことがあったから・・・私は"ピアノ教師"から"ピアニスト"となったようなものだ。
「人生って・・・意外と面白いのかもね」
たった一人の子供との出会いが、これだけ、私の中に根付いている・・・そして今の私さえも、作っている・・・まるで奇跡だ。
風が吹き、舞い散る桜の花びらを、庭の縁側で座りながら、見上げていた。
「桜、どうかしたのか?」
憲一さんが、家の中から声をかけた。私はそんな彼に軽く笑った。
「お花見・・・それくらい、いいでしょ?」
「寒くないか?」
「うん、今日はあったかいよ」
季節は四月。学校では新学期が始まる時期だ。もう、寒さも随分和らいだ。
とはいえ、私は、起きて、座っているのがやっとな状態だった。
なにせ、あの倒れた日からつい先日まで、ベッドから起き上がれない生活だったのだ。先週、やっと起き上がることが出来るようになった。それほど衰弱していた、という事を考えると、過労も疲労も怖い病気だ。
憲一さんは、私の隣に腰掛けた。
「翔は?」
「さっき出かけた」
今日は塾も部活の日曜練習もない日だった。
翔は午前中から、どこかそわそわしていて、お昼ご飯を食べると、この間買ったばかりの、年相応なカジュアルな服を着て出かけて行った。普段、制服姿と部屋着と、部活用のジャージ姿しか見ていない気がする。そんなあの子のお出掛けスタイルなど、久しぶりに見た気がする。
「デートかな?」
「・・・翔に彼女なんているのか?」
「さあ? でも、男の子って、そういう事、親に話す?」
「俺だったら話さないな」
「・・・だよねぇ・・・」
中学ではテニス部に所属して、なかなかの腕前らしい。文武両道でピアノも弾ける、女子の間でもちょっとモテる男の子らしい。
バレンタインや誕生日に学校でもらってくるチョコやプレゼントの量は、歳を重ねるごとに増えているような気がする。
「素直で可愛い子だったらいいな・・・翔の彼女」
たとえば・・・杏樹のような・・・
「気が早くないか?」
「それもそうね」
私と憲一さんが、顔を見合わせて、どちらからともなく笑った、その時だった。
『さくらせんせぃーーーー!』
「えっ?」
空耳かと思うほど、小さな声だった。でも。
耳を掠めるような、微かに聞き覚えのある声だった。
忘れたことなどない。それでも、記憶の奥底に焼き付いているものが、突然浮き上がって来たようだった。
びっくりして、隣の憲一さんを見ると、彼にも聞こえたのか、びっくりしたような顔をして私を見ている。
『さくらせんせぃーーーーー!』
再び聞こえたその声は、さっきよりも大きく、はっきりとしていた。さっきよりもずっと近くに来たような・・・
気が付くと私は縁側から立ち上がり、そばにあるサンダルを引っ掛けるように履くと、庭から玄関先へと向かっていた。
まだ、歩くのがやっとの体調で、足元もおぼつかない。でも。
考えるよりも先に、体が動いていた。
「おい、桜?」
憲一さんの声が後ろで聞こえたけれど、そんな声に構っていられなかった。
だって・・・あの声がした時、玄関を開けてあげないと、あの子は私の事を心配して泣くから!
(よかったぁ! せんせぇ、でてこないから、びょうきかとおもったよ!)
いつか、レッスン室に籠って練習していた時、あの子の声に気づけず、あの子を随分心配させてしまった。
庭から玄関や門まで、大した距離はない筈なのに、距離が酷く遠く感じる。
病み上がりのせいか、動悸がして、息が苦しい。
酷く足が重たいのは、これが夢だからか、私が病み上がりだからか・・・
やっとの思いで門の所に着いた時、私は軽く息切れをおこしていた。
門を開けて、門の前の道に出たとき・・・
家の前の、緩い坂道を、妙齢の女性が、こちらに向かって歩いていた。
すらりと背の高い、妙齢の女性が着るような華やかな服をきていた。明るい色合いのもので、まるで一輪の花みたいだった。
そしてその女性の横に立っている男の子は・・・翔?
どうして翔が・・ううん、それより!
坂を上ってくる二人は、どんどん私に近づいてきた。
そして、近づくにしたがって、その女性の顔もはっきりしてきた。
「杏樹・・・」
考えるより先に出てきたその子の名前が、ぽろり、と私の口からこぼれた。向原杏樹・・・ううん! あの杏樹だった!!
「杏樹・・杏樹っ!」
その声が聞こえたのか、女性は私に向かって嬉しそうに笑うと、大きく手を振ってくれた。
「さくらせんせいっ!!!」
次の瞬間、その子は、ゆるい坂道を駆け上がり、私に駆け寄ってきた。彼女が履いているローヒールの響きがどんどん大きくなり、とても不思議な音に聞こえた。
駆け寄ってくると、彼女はまるで飛びつくように私に抱き付いてきた。あの頃、子供だった杏樹に飛びつかれて、私は何度か後ろに倒れそうになったことがあったけど、今日はそうはならなかった。私が支え切れている、というよりむしろ、この子が、あの頃のように全力で飛びついてこなかったから・・・ごく普通の、大人同士のハグになった。
「さくらせんせいっ!!!!!」
突然よぎってきた既視感と、抱き付いてきた彼女の優しい重みに、私は声が出なかった。
「・・・杏樹・・・」
私に抱き付いたまま、今にも泣きそうな顔をしているのは、まぎれもなく杏樹で・・・あの春先の凱旋公演で舞台に立っていた、"向原杏樹"その人だった。
そっと、そっと、その子の背中に手をまわしてみた。抱きしめ返した彼女の背中は、まぎれもない体温を持っていて、今のこの現実が、夢でも幻でもない、実際に起こっていることだ、と無言で教えていた。
「本当に・・・杏樹よね?」
私に抱き付く彼女にそう聞くと、彼女は何度も何度も、頷いた。
「杏樹、ですよ! 桜先生!
ずっと、ずっと、桜先生に会いたかった!」
私に抱き付いたまま、まるで感情を押し殺すような声で、そう言った。あの頃の杏樹だったら、感情のままに大声で叫んでいただろう。
たったそれだけのことなのに、わたしと杏樹の間に長い時間が過ぎたことを思い知った。
でも、それでも。
「私も・・・ずっと、会いたかった・・・」
そんな杏樹と対照的に、私は杏樹を抱きしめながら、溢れて来る涙を抑えることなど、できなかった。
そういえば、こんな夢を何度か見た。
あの子の声がして、玄関を開けようとした瞬間に夢が覚める・・・あの子がいなくなってから、何度、そんな夢を見ただろう。
夢が覚めると、私は泣いていて、あの子がいない事を再認識する・・・その繰り返しだった。
そんな夢を見るにつけ、あの子にもう一度会うことは、もう叶わないかも、ううん、再会出来ても、お互いわからないまま、街の殺到の中ですれ違うだけだと思っていた。
それが、現実に起こることが、何よりも怖かった。
再会出来ても、お互いわからないままなら、まだいい。でも、私が覚えていても、彼女が私を忘れていたり、・・・こんなことはないと思うけど・・・私自身が、彼女に会ったとしても、私が彼女を認識できない・・・そんな悲しいことを何度も思った。
出会えたら奇跡、お互いがちゃんと、20年経った今でも認識出来たら、それ以上の奇跡だと・・・
(これも、夢かもしれない・・・)
私が都合よく見た夢・・・そう思いながら。
「夢じゃないよね? 杏樹なのよね?」
抱きついている杏樹を私の身体からはがして、杏樹の両頬を優しく掌で挟むように触れながら、そっと彼女の顔を見た。
あの頃、想像していた、20年後の杏樹・・・そんなの思い出すこともできない。
でも、あの頃の子供らしさはすっかり消えている。その代わりに、年相応の顔立ちと表情と、屈託なく笑う、見ているだけで幸せな気持ちになる、あの甘い笑顔も、その大人びた表情の中に間違えなく、備わっていた。
それらの全てが、物語っていた。
“私は杏樹だ”・・・と・・・
「本当ですよ!」
「一体、どうして・・・」
どうしてここに? なんで今? 今までどうしてたの?
聞きたいことは他にもたくさんあった。でも、すべて言葉にならなかった。
すると杏樹は、私と同じくらい、短い答えをくれた。
「翔君が、教えてくれたんですよ」
杏樹がそう言うと、彼女の横に立ってた翔が、照れ臭そうに私たちから目線を逸らした。
「翔君が、東京の凱旋公演の時、私に手紙をくれたんです」
ね? 杏樹がそう言って翔の顔を覗き込んだ。翔は相変わらず照れ臭そうだ。
「勝手なことしてごめん」
翔はそう言って俯いた。
「母さんの旧姓と俺の名前と間柄名乗って、簡単に事情書いて、もしも母さんの名前に覚えがあったら連絡欲しい、覚えが無かったら、人違いだから、この手紙は捨てて欲しい・・・って、俺のメアドも書いて、この前の凱旋公演の時、向原杏樹に渡して欲しい、って受付の人に渡して来たんだ。
もしもあの人が、母さんたちが探している人で、母さんと同じ事考えてたら、何らかリアクションがあると思ったんだ」
「翔、あなた・・・」
あの凱旋公演の時、あの演奏を聴いて、向原杏樹が、私たちが探していた“杏樹”だと確信した。でも、怖くて会うことも名乗ることもできなかった。
覚えていなかったら・・・そう考えると怖かった。
でも、怯えていた私とは正反対に。
この子は私がすべきこと、確かめなきゃいけないことを、軽々とやってのけてくれた・・・
「ありがとう、翔・・・」
私は、杏樹から両手を離すと、翔をぎゅっと抱きしめた。あんなに子供だと思っていた、小さかった翔は、抱きしめると、子供、と言うにはずいぶん大きくなって、肩幅も広く、背も伸びていた。
「や、やめろよ母さんっ!」
翔は耳まで真っ赤にしてそう言ったけれど、無理に私の腕を振りほどこうとはしなかった・・・
「桜先生!
凱旋公演聴きに来てくださったんでしょう?
どうして楽屋に来てくれなかったんですか?
私、舞台からすぐ、先生のこと、わかったんですよ!」
そう言われて、私はあの凱旋公演のことを思い出した。
一瞬だけ、杏樹と目があった気がした、あの瞬間を思い出した。
私は翔を腕から離して、杏樹に向き直った。
「私のことなんか、・・・もう、覚えていないって思ってたのよ。
せっかく会っても、貴女が私のこと、忘れていたら、悲しいもの」
そう言うと、杏樹が意外そうな顔をした。
「私が桜先生のこと、忘れるわけないでしょ!
先生は、私にとっての、原点なんですから!
それに、私だって、もしも桜先生が私のこと忘れてたら、って考えたら、怖くて動けなかったんですよ!」
杏樹のその言葉を聞いた途端、私と杏樹は顔を見合わせた。そして、どちらからともなく、笑い出した。
「私たち、同じようなこと、考えてたんだね」
二人の女性の、独特の笑い声が、静まり返っていた住宅地に響いた。こんな風に笑うのは、ずいぶん久しぶりな気がする。
「おい、感動の再会が済んだら、中に入れよ。
これでも桜、病気療養中だからさ」
騒ぎを聞きつけて玄関先にやって来た憲一さんが、笑顔と呆れ顔の混ざったような表情で、私たちにそう言った・・・
私たちはリビングに杏樹を通した。
「杏樹、コーヒー平気?」
一瞬、あの頃を思い出して麦茶を出そうとしたけど、再会した杏樹の姿をもう一度見てそう聞いて見た。
「平気です!もう私、あの頃の桜先生とあんまり変わらない歳なんですよ?」
元気な返事が返って来たので、私はうなづき、3人分のコーヒーと翔用の砂糖抜きのカフェオレを淹れた。
あの頃のように、ダイニングテーブルの席に座っている杏樹と、その隣の翔、それぞれにコーヒーとカフェオレを出して、私も席についた。
「凱旋公演の後、手紙をくれた翔君にメールしたら、桜先生、倒れたってお聞きしたんですけど、もう大丈夫なんですか?」
座ってから、急に疲れが出たせいか、ふぅ、と、大きく息を吐いた。そんな私に杏樹が心配そうに聞いた。私はうん、と頷いた。
「今は自宅療養中なのよ。もう私も歳だからね。
コンサートシーズンが一つ、終わる度にどんどん体力が落ちて来て・・・」
「それだけじゃないだろ?」
言いかけた私の言葉を、憲一さんが止めた。そして私の隣の椅子に腰掛けた。
「杏樹が見つかって、気が抜けたんだろ?」
その言葉に、杏樹は驚いたように私を見た。私は観念して肩を竦めた。
「ちょっとだけね」
「桜は、杏樹を見つけるために、ずっとピアニストとして演奏活動続けてたからな。その杏樹がいきなりコンテストで優勝して、氏素性が分かったからさ。気ぃ抜けるのも仕方ないだろ?
でも、別に杏樹のせいじゃない。それを桜に勧めて演奏させ続けたのは俺だからさ」
憲一さんが、杏樹を庇うようにそう言った。
「・・・翔君からお手紙をもらって・・・」
私たちの言葉に、杏樹はぽつり、ぽつりと話を始めた。
「桜先生が、橘さんとご結婚なさっていること、お子さんがいらっしゃることを初めて知りました。
今、ピアニストとして演奏活動を続けている理由も・・・そのときはじめて知りました。
本当は、あの凱旋公演の後、翔君からお手紙をもらった時、すぐにでも会いに行きたかったんです。
でも、翔君と連絡を取ると、あの凱旋公演の後、桜先生がお倒れになったって・・・だから、翔君と相談して、先生が退院して、回復するのを待っていたんです。
先日、桜先生が退院して、今は自宅療養中って聞いて・・・今日、翔君と待ち合わせて会いに来たんです」
「そう・・・だったの・・・」
翔は相変わらず照れ臭そうに下を向いてカフェオレを飲んでいる。
「私が思っていたより元気そうで、安心しました!
それに何より・・・」
そこまで言いかけると、杏樹は言葉を止めた。
「桜先生が、私のこと、覚えててくれてたのが、一番嬉しいんです!
さっきだって、私がそこの道で先生の事呼んだら、外に出て来てくれたでしょ?
先生が外に出て来てくれたのを見た時、あの頃にトリップしたみたいでした!」
そう・・・私もそうだった。杏樹の私を呼ぶ声を聞いた時、20年という時間さえも気にならない程、あの頃に戻った気がした。
声も言葉もずいぶん大人びているけど、あの子独特なあの笑顔は、昔とちっとも変わっていなかった。それが嬉しくて、私も自然、笑みが零れた。
「それにしても・・・今までどこにいたんだ?
あれ以来ずいぶん探したんだぞ」
憲一さんが、杏樹の顔をじっと見つめながらそう聞いた。
杏樹が、別れも転居先も告げずに去って行った、あの春の日から、ゆうに20年、過ぎていた。その間、手がかり一つ見つからなかったのだ。憲一さんの疑問も無理ないことだ。
「私の事・・・話したら、すっごい長話になりますよ?」
不安げにそう言う杏樹に、私は軽く笑った。
「時間はたっぷりあるわ。
それに杏樹の長話なんて、今に始まったことじゃないでしょ?」
そう言ってあげると、杏樹はわらって、コーヒーを一口、飲んだ。
「今は、自覚してるんですよ・・・
あの頃は、桜先生と、本当によく喋ってたなー」
杏樹は懐かしそうな表情を見せると、当時のこと、あの後の事を、ゆっくりと、噛みしめるように話してくれた。
晃也のストーカー行為・誘拐監禁によって、母・・・香織さんが心を病んだこと。杏樹自身も酷く心に傷を負ったこと。
その後、回復した香織さんの再婚と、義父の海外赴任で移り住んだアメリカでのこと。
そこの自由な空気が、とても性にあい、新しい父親の献身的な愛情も手伝って、杏樹の心の病は治って行ったこと。
掛け替えのない友達のこと、そこであった、様々な出来事。
アメリカでもピアノをつづけ、アメリカの音大を卒業し、今はドイツの、桜が留学していた音楽院に留学中だと言うこと。
その音楽院が、私が留学していたところだった、というのを知ったのは、留学してからで、それを知った時、どれだけ驚き、私との縁を感じたか。
教授に、桜先生のことを話したら、その先生は桜先生を知っていて、どれだけ驚いたか。その教授は、桜先生と同時期に同じ音楽院に在籍していた人らしく、そこからまた、かけがえのない日々が始まったこと。その教授に、当時の私のエピソード、私が出場し、優勝、入賞を果たした様々なコンテストの事を聞いたという事。
とりわけ、数年に一度開催される、私が留学時代、東洋人として初めて優勝したコンテストの事、それがどれだけ格式の高いコンテストか、私がその時、どんな状態だったかと言うことを教えてくれたのも、その教授だった、ということ。
自分もそれに出場したいと思い、必死で練習したこと。
桜先生と同じコンテストで優勝できた事・・・
杏樹が、今まで起きたことを全て話し終えた時、窓の外は夕暮れにり、手元のコーヒーは二度程空になった
「いろんなことが・・・あったのね・・・」
私も翔も憲一さんも、杏樹の長い話の間、コーヒーのお代わりを入れる以外に席を立つことなく、最後まで杏樹の話を聞いていた。
私たちが二十年、日本で杏樹を探しながら暮らしていた間、杏樹もまた、異郷の地で試行錯誤したり、様々な事を思いながら成長していたのだ。
「どうりで、日本であれだけ探しても見つからないはずだ。アメリカにいたんだな」
憲一さんがしみじみとそう言った。彼のツテをいくら使って杏樹を探そうとしても、手がかり一つ見つからなかったのだ。杏樹のお母さんの実家が情報を流さなかっただけではない。さすがの憲一さんも、海外にまで、つてはない。
「ずっと、探していたんだぞ」
「・・・それも、翔君から聞きました。ご心配おかけして、ごめんなさい」
杏樹は、深く頭を下げた。慌てて私は首を横に振った。
「そんな、謝らないで!
誰も悪くはないでしょ!」
そう、誰のせいでもない。
質の悪い運命のいたずらだ。せめて今はそう思いたい。
「でもね、先生!」
杏樹は顔をあげると、私の顔を見つめた。
そのまっすぐな目は、昔とちっとも変っていない。
「いつか、また桜先生に会いたいって、そう思い続けてました。
私にとってね、桜先生は、原点だし、ずっと、光だったんです。
どんな嫌なことや辛いことがあって、暗い気持ちになっても、その先に桜先生がいるって思うと、乗り越えられたんです!
だから・・・今回の凱旋公演で会えたらいいなって、ずっと思っていたんです」
「杏樹・・・」
ああ、この子は。
昔からちっとも変っていない。
いつだって私の欲しい言葉をくれて、
いつだって私を慕ってくれて。
いつだって、私が失って久しい、笑顔をいっぱいくれた。
だから、だからこそ、私は杏樹が大好きだったのだ・・・
「ねえ、杏樹・・・」
私も、杏樹をまっすぐに見つめた。
「なに?先生?」
あの頃は、毎週レッスンしてるんだから、毎週会える。だからいつでも伝えられる、と思っていた。その伝えたかった想いは、この20年で少し色褪せ、埃をかぶってしまったかもしれない。でも、今、私をまっすぐに見つめている杏樹の笑顔は、その埃を一気に吹き飛ばし、色あせた私の想いに、再び彩りを与えてくれた。
だからこそ・・・素直に言葉が出てきた。
「私も・・・ずっと、杏樹に会いたかった。
でも、杏樹が私の事、忘れてるかもって思ったら、怖くて会えなかった。
それでもね」
私は言葉を止めると、心の中の想いを整理した。
「あの頃も今も、変わらない想いが、あるの。
もう二度と会えなくてもいいから。
それでも、杏樹、貴方が」
そこまで言うと、私は一息ついた。あの頃ほど体力が衰えている私にとっては、想いを一気に伝える力は残っていなかった。
「いつでも幸せで、笑っていてほしい・・・
ずっと、そう思ってたし、今も思ってる。
これからもずっと・・・」
最後は、声がかすれて、ちゃんと声にならなかった。すると杏樹は、私の側に近づいてくると、両腕を伸ばして
「さくら、せんせい」
昔のような、少し甘い声でそう呼ぶと、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。
あの頃は、杏樹は、同学年の子の中では背が高く大柄だったけれど、それでも私より背が低くて、私が抱きしめるとすっぽり、腕の中に納まってしまうほどだった。
でも今は、椅子に座っている私よりも頭一つ分以上、背が伸びていた。
そんな杏樹が、ぎゅっと、私を胸に抱きしめてくれた。
「先生・・・大好き・・・
ずっとずっと、大好きでした。
今までも、これからもずっと、大好きですっ!」
その言葉と同時に、私の涙腺は、ぼろぼろと崩れだした。
「だって、私の為にいつだって、泣いたり笑ったりしてくれたでしょ?
探してて・・・くれたんでしょ?
先生のピアノの音が、そういってたもん!
秋の先生のコンサート聴きに言った時・・・先生のピアノの音が・・・」
「聴きに来てくれていたの?」
この間の秋のコンサートに、杏樹が来てくれていたの?
「ええ・・・この間の秋、聴きに行きました。たまたま、その時日本に来ていたんです。
親戚の法事があったし、日本の祖父母に、コンテスト優勝の報告もしたかったんです。
その時、たまたま桜先生のコンサートの事、知って、聴きに行きました。
先生の演奏、聴いて・・・すごく先生に会いたくなりました。
でも、先生が、たった一年教えただけの私の事、覚えていないかも知れないって思うと・・・怖くて名乗れませんでした」
「・・・私と、一緒だね」
杏樹に抱きしめられたまま、私は杏樹の暖かい腕に凭れるようにして、そう呟いた。
あの頃は、私が抱きしめる側だった。でも、あの時抱きしめてたあの少女は、この20年の間に、私を抱きしめて有り余るほど大きくなり、あの頃以上に温かくなっていた。
「おんなじこと、考えていたんだね・・・」
私の呟きは、杏樹にしか聞こえなかったかもしれない。それでも杏樹は、それに応えるように、私を抱きしめる腕に、力を込めていた。
私と杏樹は、レッスン室へ入った。
かつての約束を果たすために・・・
「ここのレッスン室も、久しぶりです!」
嬉しそうにそう言う杏樹に、私も笑顔で応えた。
なるべく、杏樹がいなくなった直後のままにしてあるこのレッスン室。ここでレッスンした生徒は、後にも先にも、杏樹だけだ。他の生徒が使うのは稀だ。
レッスン室の片隅の本棚には、あの頃と同じように絵本が所狭しと並んでいて、その上には、杏樹の写真が飾ってある。
「あ、これ! 懐かしいーー!」
それは、雪だるまにキスする杏樹の写真だった。あの雪の日、携帯で撮った、杏樹の写真だ。
そしてもう一枚は、杏樹が発表会に出たときに、撮ってもらったスナップ写真だった。それは、あの発表会の時、たまたま近くにいた生徒の保護者さんが撮ってくれたもので、杏樹がいなくなった後、ふさぎ込む私に、と焼き増ししてくれたものだった。
「ずっと・・・飾っていてくれたんですね・・・」
「勿論。だって、私にとっては大事な思い出だもの!」
私はそう言うと、グランドピアノの蓋を開けて、鍵盤に触れた。
「桜、病み上がりなんだから無茶だけはするなよ」
後ろでは憲一さんがそう言った。でも、心配そうな声色ではなかった。むしろ、これから始まる演奏が楽しみで仕方がないようだった。
「いつか、さくらせんせいといっしょに、ぶたいで"仮面舞踏会"をひくの!」
あの発表会以来、いなくなってしまう直前まで、事あるごとにそう言っていた杏樹だった。
「母さん、杏樹さんとそんな約束してたんだ」
「ううん、私が一方的にそう言ってたの!
叶わないかもって思ったけど・・・思い続けてて、本当によかった!
夢って・・・思い続けたら、本当に叶うんだねー」
杏樹は、感慨深げにそう呟いた。そして、その手のひらを自分の胸にあてた。そして
「なんかドキドキしてきた~」
子供みたいにそう言う杏樹は、いとおしくて仕方がない。
「コンテストよりましでしょ?」
「コンテストの方が楽でしたよー!
間違えたら自業自得で終わるんだから!
でも連弾はそうはいかないですよ。
桜先生にも迷惑かけるんだから!」
コンテストのほうが楽だ、なんて、大した神経の持ち主だ。きっと将来、大物なピアニストになるだろう。
「ここは舞台じゃないのよ」
「でも、桜先生に呆れられたくないもん!」
ぶぅっ! と拗ねた顔をして私を見た。この子は20年たっても、大人な顔の所々で子供っぽい表情をする。それがまた、あの頃の杏樹を思い出させて、感慨深い気持ちになった。
「だから母さん、しょっちゅうこの曲、弾いてたんだ・・・杏樹さんとの約束、果たすために?」
翔は納得するように、呟いた。私は、少し苦笑いして頷いた。
「いつか会えた時に、弾けなくなってたら嫌でしょ?杏樹に呆れられるの、嫌だもの。
・・・私も矛盾してるよね。
覚えていなかったら嫌だし、会えないかもって思いながら、この曲だけはずっと弾けるように練習してたんだもの」
そう言うと、少し緊張気味な杏樹に二冊の楽譜を差し出した。
「で、どっち弾く?」
私の手元には、"仮面舞踏会"の連弾譜が二冊ある。ファーストとセカンドだ。杏樹は、何も言わずにセカンドを指さした。
「この曲は、やっぱり桜先生にファーストを弾いてほしいです。
でも、楽譜はいりません。
この曲・・・覚えちゃいました」
「わかった。私ファースト弾くね」
そう言うと、私は、その二冊の楽譜をテーブルに置いた。私も覚えてしまっているので、見なくても弾ける。
私は軽く指を動かし、指を慣らすと、鍵盤に指を置いた。
杏樹もまた、私の左側の椅子に座った。でも、杏樹は、どこか感慨深そうに、大きく深呼吸していた。
「どうしたの?」
「ずっと、この、桜先生の隣に、対等に座りたくて今までがんばってきたんです。
それが・・・子供だったあたしのスタートラインでした。
夢がかなったから、嬉しくって」
そう言って笑うと、まるで切り替えるように、私の顔を見た。
「ピアノと真面目に向かい合うようになってから、この曲の難しさや面白さを知りました。
あの頃は、単に先生が大好きでピアノと向かい合っていました。ただ先生に褒められたかっただけでした。
でも、色んなところでレッスンみてもらって、一つの曲を、ちゃんと弾けるようになればなるほど、桜先生の凄さを感じて、あの頃以上に、いつか桜先生と一緒に弾いてみたいって、思いました」
その顔は、あの頃の子供ではない。さっきまでドキドキしていた杏樹とも、たった今夢を話していた杏樹とも違う。いくつもの舞台経験とピアノの教育をちゃんと受けた、一人前のピアニストの表情だった。
あの時、あんなに小さかったあの女の子は。気が付くと、こんなにも成長していた。
その表情に、言葉に、何とも言えない幸せを感じながら、私は彼女に向かって軽く頷いた。
"せーのっ!"
そんな声の代わりにアイコンタクトで合図を出し、杏樹もそれに応え、聴きなれた前奏が始まった。
ピアノは、今までにない程、よく響いた。楽しげな曲ではない。むしろ少し切なげで、これから何かが始まる・・・そんな予感を秘めた曲だ。
後ろのソファでは、憲一さんと翔が、楽しそうに私達の連弾を聞いていた。
連弾をしながら、まるで、杏樹と別れたあの日からの時間が、やっと、やっとつながった・・・そんな気がした。
そんな満たされた想いを鍵盤に乗せて弾いた。ちらりと横をみると、杏樹も、嬉しそうに、私を見ていて、目が合った。
もしかしたら、杏樹も私と同じことを考えていたのかもしれない。
会えなかった20年。
会いたくて仕方なかった。
でも、会えないと思って諦めた。
それが、今は、手をつなげる、肩が触れる程の距離にいる。まるで、この20年の時を埋めるように。
演奏が終わったら、きっと、この20年という時は、すっかり埋まっているのだろう。
「杏樹??」
演奏しながら、杏樹に小さく囁いた。きっと、後ろで聴いている憲一さんたちには聞こえないであろう、私にしか聞こえない声で・・・
杏樹は、演奏を止めずに、なに?と聞くかの様に、私の方を見た。
私は、ずっとずっと、杏樹に伝えたくても伝えられなかった言葉を、杏樹にだけ聞こえる声で、囁いた。
「覚えててくれて、ありがとう
私、杏樹の事、誰よりも大好きよ」
あの頃は、いつでも伝えられると思っていた。でも、20年前、そう伝えられなくて後悔していた想いを、そっと伝えた。
杏樹は、幸せそうに笑うと、
「私も。
今までも、これからもずっと
桜先生のこと、大好き」
切なげなメロディーは、とぎれてしまった時をつなぎ、心をつなぎ、そして未来までも、道をつないでいるみたいだった。
(ひだまりの詩 完)




