間奏曲
~翔の独り言~
あれを見つけたのは、いつ頃だったっけ?
母さんのレッスン室の端にある本棚の上に置いてある写真立て。そこに飾られている、数枚の写真。
一枚は、父さんと母さんの結婚式の時の写真。真っ白いウエディングドレスを纏った母さんは、今よりもずっと若くて美人だ。父さんは黒のタキシードを着て、ぎこちなく、それでも見たことも無いほど幸せそうに笑っている。
もう一枚は・・・見知らぬ女の子の写真だ。
真冬の雪の中、女の子の手のひらには小さな雪だるまがあって、女の子はその雪だるまにキスしている。背景からして、うちの庭で撮ったものだろう。
他にも、その子と母さんが笑顔で写っている。写真はかなり古くて、二人の服装からして発表会か何かの時の写真だろう。写真たてに入っているのに、少し茶色っぽくなっている。
年頃からして・・・小学生の低学年。美人・・・というか、平凡な顔立ちだけど、笑顔がすごくかわいい女の子だ。
その写真を見つけた頃の俺と、同じくらいの女の子だった。
母さんはピアニストをやっている。ピアノを習っている人だったら、一度や二度、名前を聞いたことがある位の、ピアニストの中でも、かなりの有名人だ。
舞台で演奏する傍ら、ピアノ教室もやっていて、沢山の生徒に教えている。俺も、母さんからピアノを教わって、今も習い続けている。
父さんは、そんな母さんのマネージメントやクラシックプロデューサーをし、やはりピアニストでもある祖母のマネージャーもしている。
俺は、表舞台で忙しい母ではなく、父や祖父母に育てられた感が強かった。
それでも、俺は、いつも側にいてくれる父よりも、忙しくても、俺の大切な時に必ず時間を作って来てくれる母が、大好きだった。
ピアノを弾く母の姿に憧れた。
レッスン室に篭る母の側で、母の練習を聞きながら過ごしたり、レッスン室にある絵本を読みながら子供時代を過ごした。
そんな時に見つけたのが、その写真たてだった。
母さんの生徒や弟子は何人もいるけど、こうして写真を飾っているような弟子は一人もいない。あってせいぜい、発表会の集合写真程度だ。その集合写真だって、発表会が一つ終わるごとに最新の写真に変えてゆく。
そんな母さんが、ずっとずっと変わらず飾り続けている写真・・・それが、父さんとの結婚の時の写真と、例の女の子の写真だ。
きっと、母さんにとって、特別な存在に違いない。
(誰なんだろう?)
その疑問は、日々膨れ上がって行った。
小学校の頃、確か、俺が交通事故にあう少し前。
母さんがレッスン室にいるとき、俺も一緒にレッスン室にいることが多かった。レッスン室には絵本がたくさんあって、俺は母さんのピアノの練習を聴きながらその絵本を見るのが好きだった。
その母さんのレッスンが一段落ついた時、俺は思い切って聞いてみた。
「ねえ、おかあさん?」
「何?」
母さんは、昔と変わらない優しい笑顔で俺を見た。少し息が苦しそうで、体も汗だくなのは、ピアノの練習のせいだろう。
俺は例の写真を指さした。
「あの子、誰?」
そう聞くと、笑顔だった母さんの表情が、少し、曇った。困ったような、それでも少しだけ、笑っているように見えたけど、その笑みは、当時、子供だった俺が見破れる程の、儚い作り笑いだった。
「私の・・・生徒だった子よ」
言葉を選ぶように、母さんはそう答えた。
「なんで、写真飾ってるの?」
俺の疑問を、ちゃんと汲み取ってくれていたのか、それは判らない。でも、母さんは少し、困ったように首を傾げた。
「・・・翔が、もうちょっと大きくなったら、教えてあげるね・・・」
困った顔のままそう言った母さんに、俺はそれ以上、何も聞けなかった。
"大きくなったら"教えてくれる、と言っていた母さん。
それは一体、いつなんだろう?
ただ、その時、俺は、この話は聞いてはいけない事のように思えて、その後、母さんに、この話を聞くことはなかった。
そして・・・その質問をした数日後、俺は学校帰りに車にはねられ、生死の境を彷徨った。
即死してもおかしくないほどの大怪我だったらしいけど、奇跡的に命が助かり、リハビリもふくめて完治するのに一年近くかかり、小学校を一年留年してしまった。
けど、後遺症も残らず、学校に戻れたのは奇跡に近いことだ・・・と父母が言っていた。
その入院中の病室で、意識が戻って随分経ったものの、ベットで身動きが取れなかった頃。
たまたまお見舞いに来た父さんに、母さんのレッスン室の写真の女の子の事を聞いてみた。
父さんは、少しだけ、考えているようだった。
もしかしたら、俺が交通事故に遭わなかったら、話してくれなかっただろう。けど、俺の交通事故、それと、生死の境をさまよった、という現実は、父の心境に何らかの変化を与えていたのかもしれない。
父は、ゆっくり、俺にもわかるような優しい日本語で話してくれた。
「あれは・・・」
それによると。
その写真の子は、今から何年も前、母さんが独身だった頃に、あのレッスン室で母さんが教えていた生徒らしい。
母さんが、まるで実の娘みたいに可愛がっていた生徒で・・・父さんの幼馴染の一人娘だったとか。
母さんが、あのレッスン室でレッスンする生徒なんて珍しい。あのレッスン室は、母の専用のようなもので、生徒は隣の、父さんの実家の教室や外の音楽教室で教えている。うちのレッスン室で教えるなんて、異例中の異例だ。
母さんがまるで実の娘のように可愛がっていた生徒?
父さんはさらに教えてくれた。
その子は、家庭の事情もあって、一年程しか、母さんのレッスンを受けられなかったこと。
事情があって、行先も告げず、母親と一緒に引っ越してしまい、今では、どこで何をしているかも判らない事・・・
父さんと母さんの結婚が決まった後、どうしても結婚式に招待したくて、二人で必死に探したけど、見つからなかったこと。
・・・・
「桜は何も言わないけど、今でも、とっても会いたいんじゃないのかな。
あの子がいなくなった時の、桜は、泣きじゃくって、手が付けられないくらいだったんだ。
レッスン室で、ピアノも弾かないでぼぅっと過ごして・・・
翔。
桜が今、舞台にピアノを弾き続けているのはな、あの子を探すためなんだよ。
舞台に立っていれば、ピアノが大好きだったあの子が、桜の存在に気づくかもしれない。
気づけば・・・もしかしたら会えるかもしれないだろ?
そう説得して、やっと桜は、舞台で演奏するようになったんだ。年に何回も、大きな舞台に立ったりミニライブをしたり、あの頃以上に沢山、人前でピアノを弾くようになったんだ。
そのせいで、翔には寂しい思いをさせたかもしれないけど、それだけが・・・あの子を探す唯一の方法なんだ」
俺は、レッスン室でいつもピアノを弾いている母さんの姿を思い出した。
それだけではない、いろいろな母さんの姿を・・・
朝、俺を起こしてくれる母さん。
仕事がどんなに忙しくても朝ごはんを作り、保育園のお弁当も、既製品や冷凍食品に頼らずに作ってくれた母さん。
仕事の都合がつく限り、保育園の送り迎えもしてくれた。
一緒に昼ご飯を食べるとき、作ってくれた、ふわふわなオムライスや、チーズがたっぷり乗ったグラタンやドリア、いろとりどりなランチプレート。
おやつに作ってくれたスイートポテト、飾りっ気のない焼き菓子。
どれだけ仕事が忙しくても、俺にはいつも笑顔で、優しい母さん・・・
今も、交通事故に遭って、俺は入院しているけれど、どんなに仕事が忙しくても、毎日のように病室に来て、世話を焼いてくれる・・・
事故の前も大好きな母だったけれど、今、こうして事故で動けなくなった今、父さんや母さんの存在が、今まで以上に、こんなに大きく、嬉しく思う。
事故以前の俺にとって、母さんの愛情は特別で、俺だけが独占しているものだと思っていた。
でも、そうではなく・・・他に、実の娘のように思っていた女の子がいて、その子の為に舞台でピアノを弾き続けている、母さん・・・
(どんな子なんだろう・・・)
入院中のベッドの中で、俺は、その子に想像を馳せた。
最初のうちは、俺だけの母さんなのに、その母さんの愛情を独り占めしていたその存在に、ひどく嫉妬していたし、悔しく思った。
でも、長い入院生活の間、そんな醜い思いは、毎日変わらずにお見舞いに来てくれる母さんの姿を見るにつけ、少しずつ萎んで行った。
その代わりに芽吹いたのは、あの醜い嫉妬のとは対極な思いだった。
母が実の娘のように愛した存在。その子に・・・会ってみたいと思うようになっていた。
兄妹のいない俺にとって、あの写真の少女は、いつしか、実の姉か妹のように感じるようになっていた。
もしも、今、あの写真の少女がいたら? きっと母さんと一緒になって毎日のようにお見舞いに来てくれただろう。
寝たきりでふさぎ込んだ俺を元気づけてくれたかもしれない。
もしかしたら、この狭い病室で一緒に笑っていたかもしれない。
不思議と、母さんの姿を見ながら、そう思った。
そして・・・
"母さんがそんなに、今でも会いたがっている子なら・・・いつか俺が、この手で、自分の力で、会わせてあげたい"
という想いへと変わっていった・・・
別にマザコンってわけじゃないけど。
あの頃から、そして今も変わらず、母さんが大好きだった。
そりゃ、父さんにもよく子供の頃から遊んでもらったり、ご飯を作ってもらったり、宿題を手伝ってもらったりもした。
長い時間、一緒にいるのは、母さんより、父さんの方が長いと思う。それは、母さんの仕事上、仕方ないことだった。
でも、母さんは仕事や舞台が忙しくてあまり構ってくれなかったけど、時間があれば必ず俺と向き合ってくれたし、学校行事も仕事の都合をつけて参加してくれた。
特に、大きな舞台やコンサートの前などは、本当に大変そうで、辛そうな時もあるし、疲れているのがわかる。
それでも、俺にはそんなそぶり一つ見せずに、毎日、自分の時間を惜しげもなく削って、音楽の仕事並に俺と向かい合ってくれていた。
母の愛情を、腹一杯食って育った・・・その母に対する感謝というか、思慕というか、敬愛している、という自覚は、あの入院時代を経て、同年代の友達以上にあったと思う。
交通事故以前は、その母の愛情が当たり前だと思っていた。でも、交通事故とそれに伴う一年にも及ぶ入院・リハビリ生活を経て、その後成長するにしたがって、母のあの愛情は、"当たり前に得られるものとは違う、特別なもの"だと判るようになり、
「ああ、俺はこの母親の、深い愛情と、ピアノを弾く姿に育てられたんだな」
と感じるようになった。
父の話を聞いてからというもの。
俺は、母の舞台演奏を聴くたびに、その子の事を考えた。
きっと母は、この演奏を通じて、その子の事を呼んでいるのだろう。
その演奏は、母が歳を重ねるごとに、艶を増し、彩りを増していっているように感じた。素人の俺にさえ、それを感じた。
単に、母のピアノの腕が上がった、とかそんな単純なものではない。
ピアノの音を通して、優しい声で、誰かを呼んでいるような、ピアノに興味のない人でさえ、思わず振り返ってしまうような演奏。
聴いた人を、優しく、切ない気持ちにさせてしまうような演奏・・・
誰かに呼びかけているようなその音色に、何度、心奪われただろう。
そして、その音色や演奏も、その子を探すためのものだ、という事・・・
(どんな子、なんだろう・・・)
母に、こんな演奏をさせる存在・・・会ったこともないその子に、俺は何度も思いを馳せた。
今年、俺は中学二年になる。
きっと父さんも母さんも、俺がピアニストとか、音楽家とか演奏家にしたいと思っていたのかもしれない。口にこそ出さないけれど、父さんの実家は、代々ピア二ストやヴァイオリニストを排出している家系だ。
きっと早かれ遅かれ、音楽の道に進むことを勧められるだろう。
けど、その時俺は、もう将来の夢を決めていた。
「医者になりたいんだ」
その思いを、両親に打ち明けた時の、二人の驚きと顔と言ったらなかった。
「人の命を救えるような、医者になりたいんだ」
俺自身、小学生の時に交通事故に遭い、生死の境をさまよった。死んでていてもおかしくないほどの大怪我を治して、こうして普通に生活出来るようになったのも、あの時俺を執刀してくれた医者のお陰だ。
そんな医者になりたいと、思っていた。
その思いを打ち明けた時、反対されると思った。
でも、両親は、驚きはしたものの、顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。
「翔が、自分で決めたことなら、頑張りなさい」
母は、反対どころか、にっこり、笑顔でそう言った。父も、何も言わずに頷いた。
二人とも、力強く、俺の背中を押してくれた。応援してくれている、俺の夢を理解してくれている・・・そう思うと、心強く思えた。
母さんが子供の頃から俺に教えてくれたピアノ。
それを捨てるつもりはさらさらない。ピアノは大好きだ。
何より、俺と母さんを繋いでいる、神聖な存在だ。
この神聖な存在を一生の仕事にすることを、母さんは望んでいたのだろう。
でも俺は、ピアノや音楽以上に価値がある道を、見つけていた。
(母さん・・・ごめん)
母さんが俺に注いでくれた愛情、それを裏切るような気分になって、嫌な気持ちになった。でも、俺の決心は揺るがなかった。
その話をした夜、俺は、一人、ピアノの前に座り、母さんが大好きな曲の楽譜を引っ張り出した。
ハチャトゥリアン、“仮面舞踏会”の、連弾譜。
子供の頃から、何かというと、母は一人でこの曲を弾いていた。自然に俺も、この楽譜を弾くようになっていた。
そして、俺が弾けるようになると、俺と一緒にこの曲の連弾をしていた。よほどこの曲が好きなのか、思い入れでもあるのか・・・両方だろうな、と勝手に思っていた。
ちいさいころから、母さんがいないときに、よく、母さんのレッスン室でピアノを弾いていた。
むろんピアニストをやっている母さんのようには弾けない。まだまだ未熟だと思う。
でも、ピアノが好きで、そのピアノを俺に与えてくれたのは母さんで、どれだけ仕事で母さんが忙しくても、ピアノが、俺と母さんをつないでいてくれている・・・という事を実感するごとに・・・何とも言えない至福感に満たされていた。
そして、レッスン室でピアノを弾くたびに見る、あの写真。
写真の中のあの女の子は、相変らず小学低学年のまま、小さな雪だるまにキスしている。
そして、もう一枚・・・その女の子と一緒に写っている母の笑顔・・・
「誰、なんだろう・・・」
ピアノを弾く指を止めると、俺は、その写真が飾ってある本棚に近づき、その写真たてを手にとって見た。
写真の中の少女は、俺が子供の頃と変わらず、楽しそうに笑っている。
探す手掛かりなんか、一個もない。
それでも、会ってみたかった。
会って・・・みたかった。
それは、母さんが実の娘のように思っていた・・・と父さんが言っていたから。
俺と同じように、母の愛情を腹いっぱいに食べて育った人だと思うから。
母に、あんな素敵な演奏をさせる存在だから。
まるで同志のような、血の繋がらない姉や妹のような、そんな錯覚さえ覚えた。
「母さん、今もこの子に会いたいのかなぁ?」
母さんに確かめることも出来ないし、父さんも、あの幼い日に一度だけ、この子の事を話してくれたきりだ。それも遠い昔。
今、この話を再び出したら・・・もっと詳しい話を、父さんは教えてくれるんだろうか?
それとも、幼い頃の母のように、悲しい顔を・・・するんだろうか?
そう思うと怖くて、聞くことが出来なかった。
でも、いつか。
俺に、母さんへの親孝行ができるのなら。
この子に、俺が、俺の力で、会わせてあげたい・・・漠然とそう思った。
俺が、両親に、自分の進路のことを話した、中二の夏の終わり。
俺たち家族は、新たな局面を迎えることになる・・・




