サラリーマンのササキさん 1
「いらっしゃいませぇー」
妙に語尾を伸ばした挨拶が、店内に響く。
昼時のコンビニエンスストア『スマイリーマート』は、弁当を買い求める客でごった返している。
「百三十円がいってーん、五百五十円がいってーん」
波のように不思議な調子で高らかに値段を読み上げる、レジの女性店員。歳は五十過ぎには見えるが、糸のように細い目が笑い、寝ている猫のような顔をしていて、実際のところは幾つか分からない。
「はい、肉まんがお一つですね。お後よろしいでしょうかー。お会計八百円になりまーす」
そう言うと店員は何も聞かず背後のレンジに弁当を入れ、さっとレジを離れて手をアルコール消毒し、中華まんの蒸し器の扉を開けてトングで掴んだ。
「ハラダさーん、やっぱマルゲリータまんに変えていい?」
『ハラダ』と呼ばれた店員は、袋に入れかけた肉まんを戻し、下の段のマルゲリータまんを包む。
「ササキさん、何でいつも袋に入れる寸前に変更するの。一旦決めたらそれで行きなさいよ」
レジに戻ったハラダは客にも関わらず、ササキというサラリーマン風の若い男をたしなめる。
「ごめんごめん、この写真に今気が付いてさ。美味しそうだったからつい」
「もう、忙しいんだから勘弁してちょうだいな。千円お預かりしましたので二百円のお返しですー。温め少々お待ちくださーい。お次のお客様どうぞー……そんなんでちゃんとお仕事勤まってるの?」
次の客を受けながらハラダが聞く。返された二百円を財布にしまいながら、ササキはため息を吐いた。
「それがさ、上司と反りが合わなくて……」
「その上司の人、すごく仕事が速いんじゃない?……はい、丁度です。ありがとうございましたぁー」
列をなす客を素早く捌きながら言ったハラダの言葉に、ササキは驚いた顔をした。
「すごい、何で分かるの?」
「だって、ササキさんおっとりしてるじゃない。反りが合わないなら正反対の人に決まってるでしょ。仕事が速い人は決断も早いから、ササキさんみたいに優柔不断タイプはイライラするんだわ。仕事でも、一度通した話をやっぱり止めるって言ってるんじゃないの?……はい、いらっしゃいませぇー。あ、いつものタバコね」
ますますびっくりして、ササキは更に目を真ん丸に開く。
「ハラダさん、いつの間に俺の職場来たの? 何で知ってるの、俺が出した企画しょっちゅう取り下げてること」
ハラダ担当のレジの前は、並ぶ人の進みが早い。隣が一人受ける間に、二、三人終わらせている。
と、レンジが温め終了のアラームを鳴らした。
ササキの話に呆れた顔で、ハラダはレンジから弁当を取り出し袋に入れながら言った。
「毎日いろんな人相手にしてるんだもの、それくらい分かるわよ。ましてやササキさんは常連なんだし」
「そっかぁ……ハラダさんここ長いんだもんね」
「十五年だからね。とにかく、一旦出したものは簡単に引っ込めちゃダメよ。迷うなら腹が決まるまでじっくり考えないとね。はい、ありがとうごさいましたぁー」
細い目を殊更細くしながら、ハラダはササキに弁当を差し出す。渡しきるか切らないかのタイミングで、順番を待っていた後ろの客が、ササキを押しのけるようにして商品をカウンターに乱暴に置いた。
「お待たせしましたー。でもねお客さん、人を押しのけちゃいけませんよ。危ないからね。待てないほど急いでるなら、昼時のコンビニなんか来ちゃいけません。見ての通り忙しいから。はい、丁度です。ありがとうございましたぁー」
注意を受けた客は、袋をふんだくるとバツが悪そうに早足で去っていく。その後ろ姿を、ササキは呆然と見送った。
「お次のお客様どうぞー。あら、ヨシオカさんのおじいちゃん。こんにちは」
「ハラダさんは相変わらず厳しいねぇ」
ふふ、と笑いながらヨシオカという老人がおにぎりを二つ置く。
「そうだよハラダさん。キレて殴られでもしたらどうするの」
「あれ、ササキさんまだいたの。お昼休み終わっちゃうよ。……だってねぇ、あんな風にされちゃ誰だって気分悪いじゃない? お客様なら何やっても許されるって訳ないからさ。他のお客様を不快にさせる人は、店を守る人間として我慢ならないのよ」
財布から小銭を出すのに手こずっている老人を手伝いながら、ハラダは笑う。
「店長にはいつもハラハラさせちゃうけどね」
「分かってるならもう少しこらえてくださいよ……」
丁度ハラダの後ろに来た中年の男性が、苦笑いしている。
「ごめんねさいねぇ、店長。でもああいう人がいると、せっかくうちを気に入って使ってくださるお客様が離れちゃいますから」
「そうなんだけどね、私は気が気じゃないんです」
その言葉に、ハラダは眉尻を下げて呆れたように言った。
「店長はもうちょっと心臓に毛を生やさないとね。あんまり頼りないと奥さんに逃げられちゃいますよ」
「……もう逃げられました」
さっきまで笑って聞いていたササキとヨシオカは、一瞬ぴりついた空気を感じ取る。
「じゃ、俺これで……」
そそくさとササキが逃げ出す。
ヨシオカは人の良さそうな笑顔のまま、無言でその場をあとにした。
「あっ、ずるい! 二人して聞かなかったふりなんて!」
「……ハラダさんはもうちょっと考えてから喋った方が良いですよ」
「へ、へへへ……あ、お次のお客様どうぞー」
気まずい空気をごまかすように次の客を受けるハラダの背中に、半ば諦めた顔の視線を送る店長。
昼のピークはそろそろ落ち着く頃だ。
「ありがとうございましたぁー!」
駅前のコンビニ『スマイリーマート』、通称『ス・マート』は、今日も変わらずあらゆる人の便利なお店なのであった。
ある週末。
その時ハラダは休憩のためバックヤードで昼食をとっていた。
「ハラダさん、お客様です」
好物のタマゴサンドを一口食べようとしたまさにその時、同じシフトのヤマグチが来客を知らせに来た。
「え? お客様? 誰かしら……」
食べ損ねたサンドイッチを名残惜しそうに置くと、渋々売場へと顔を出す。
「ハラダさん! 助けて!」
そこにいたのはササキだった。
「何だ、ササキさんか。私今お昼休憩なのよ。せっかく最後にとっておいたタマゴサンドを食べようとしてたのに……。パンが乾いちゃうじゃない」
仕事の合間の楽しみを邪魔されたハラダは、一方的にササキへ文句をぶつける。
「ごめん、新しいのおごるから。それより、ハラダさんに頼みがあるんだけど」
「頼み? 一体何よ。私のタマゴサンドを邪魔するほどの内容なんでしょうね」
畳みかけるようなサンドイッチへの執着にややうんざりしながら、ササキは話を切り出した。
「実はさ、頼みっていうのは人を紹介してもらいたいってことなんだけど……」
「はぁ? 紹介?」
まるで今にも天地がひっくり返りそうな勢いで来たササキの、全く思い至らなかった頼みごとにハラダは拍子抜けして言葉を失った。
「その人っていうのが、ここのバイトのコなんだよね」
続くササキの言葉に、ハラダは苛つきをおぼえた。
「ちょっと……おふざけでないよ」
「ふざけてなんか! 真剣だって」
「そのくらい自分で何とかせい!」
すっかり聞く気が失せたハラダは、パンが乾いてしまわないうちに食べるべく、サンドイッチの元へと帰って行く。
目の前でシャットアウトされたササキは、なすすべなくその場に立ち尽くすほか無かった。
「全く……男なら出るとこ出ろっての!」
鼻息荒くバックヤードに戻ったハラダは、ようやくサンドイッチにありつく。パンは何とか無事であった。
「ハラダさーん……」
どうやら一部始終を聞いてしまったらしい店長が、困り顔で防犯カメラのモニターを見ている。週末のコンビニは絶えず客が出入りするため、事務所にいる間はチェックを欠かせない。店内の音声はカメラのマイクに全て拾われているのだ。
「何ですか店長まで。というか聞いてたんなら店長が代わりに紹介したらどうです」
「ハラダさんご指名なんだから、私の出る幕じゃないですよ。それよりこれ、見てください。ササキさんこんなにしょんぼりしちゃって、可哀想じゃないですか」
モニターには、バックヤードの扉の前に立つササキの姿が。がっくりと肩を落とし、この世の終わりのような背中が映っている。
しかしハラダはササキに目もくれず、いとおしそうにタマゴサンドを頬張るのであった。
「ああ、最後の一口になっちゃった。明日お休みだから、次食べられるのはあさってね」
しばしかけらを眺めていたが、意を決したように口へ放り込む。これがハラダの、昼食の儀式なのだ。
「あと十分で休憩終わりか。お手洗いに行かなくちゃ」
席を立つハラダに、店長が声を掛けた。
「ササキさん、扉の前で待ちかまえてますよ。これは話聞いてもらえるまで粘る気だね。ハラダさん、さっさと聞いて帰ってもらってくださいね」
「嫌ですよ。お金もらえるわけじゃないのに、何で私がお客さんの悩み相談まで引き受けなくちゃならないんです?」
もっともなハラダの台詞に店長はやや言葉を詰まらせたが、ササキを不憫に思った彼は引き下がらない。
「スマイリーマートの経営理念は?」
ハラダの顔が一気に曇った。
「……いつ、いかなる時も、お客様のご要望に真摯に対応します……」
嫌みたらしいくらいニッコリと笑う店長。
「じゃ、よろしく。今度お高いサンドイッチ買ってあげるから」
「一週間分で手を打ちましょう」
「え、そんなに? せめて二日……」
「一日たりとも負かりません」
「う、うう……分かりました」
転んでもただでは起きないハラダであった。
「あっ、ハラダさん!」
バックヤードから再び現れたハラダに、ササキは地獄で仏を見たように表情を輝かせる。だがハラダは彼を後目にトイレへと消えた。
またすげなく断られたと思ったササキは落ち込んだが、この日の彼はいつもの優柔不断さはどこへやら、粘り強くハラダを待ち続ける。その異様さに、普段の彼を知る『ス・マート』の人間達はざわついた。
「ササキさんや。思いっきり不審者にしか見えないからおやめなさいよ」
トイレから戻って、いまだに居座り続ける彼に辟易しながらハラダはレジへと入る。
「だってハラダさんが冷たいんだもん! お願いしますよぉ。俺、常連でしょ? 売り上げに貢献してるんだから、少しは話聞いてよぉ」
「あのね、私仕事中なの。会社員は暦通りに休みなんだろうけど、サービス業は週末稼ぎ時なの。ただでさえ忙しいんだから、しょうもないことで邪魔しないでちょうだいよ」
昼過ぎだというのに、店内は混雑がおさまらない。
「しょうもないって、身も蓋もない言い方しないでよ。俺にとっては切実なんだから」
ハラダのレジには次々と客が並ぶ。皆、何を買うでもなくハラダに話し掛け続けるササキを睨みつけるが、彼は意に介さない。頑としてその場から離れようとしないので、たまりかねたハラダは折れることにした。
「分かった分かった。夕方五時に終わるから、その時にまた来なさいな。全く、これじゃ仕事しにくくって仕方ないわ」
「やった! ありがとうハラダさん!」
大喜びのササキを面倒そうに横目で見ながら、フランクフルトを袋に突っ込む。
「ニタニタ笑ってないでいい加減帰ってちょうだいよ。営業妨害で警察呼ばれたいの?」
「……すみません」
ようやく周りからの視線に気づいたササキはとたんに気まずくなり、ヘコヘコと頭を下げながら帰って行くのであった。
ハラダに言われた通り、ササキは再び現れた。正確には、四時三十分から店に入りまたバックヤードの前で待ちかまえていたのだ。
イマドキの若い男であるササキはその世間的イメージに違わず(本人には失礼な話だが)ふわふわと軽い人間というのがこの店の総意で、ハラダも、てっきり気が変わって戻らないだろうと踏んでいたのだが今日はことごとくそれを裏切られている。
「……今日はどうしちゃったの、ササキさん」
着替えを終えて出てくるハラダを逃がすまいと、ドアをふさぐように立っていたササキの顔面にアルミの扉をぶつけてしまった後ハラダは言った。
「ええー? 謝るより先にそれ? 本当にドライだよねハラダさんって」
「だってねぇ、あんなに優柔不断で頼りないはずのササキさんが、私と話したいってだけでここまでするんだもの。いつものあなたを知ってる人はみんな驚いてるわよ」
鼻の頭を赤くしたササキは、その言葉に憤然とする。
「別にハラダさんと楽しくお喋りしたくて待ってるんじゃないんだよ。病むに病まれずです」
「……じゃあさっさとお目当てのコに話しかけたら? その方が早いじゃない」
積極的なのか消極的なのか、いまいちはっきりしないササキにイライラし始めたハラダは相談に乗る気を無くしかけたが、店長とサンドイッチを約束したことを思い出し、思いとどまった。
「まぁ、それができたらこんなことしてないか。仕方ない、このハラダさんが話を聞いてあげましょう!」
猫のような糸目の奥が、キラリと光った。