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短編小説

アッシェとウィーズ

作者: 有寄之蟻




その日、覚醒しかける意識の中で、頭に触れる温かい温度をアッシェは感じていた。


彼女は夢を見ている。


主人であるウィーズに、優しく頭を撫でられる夢だ。


アッシェは、床に敷かれたふかふかの絨毯に直に座り、その正面にウィーズは立っている。ウィーズはアッシェの肩より下くらいの身長なので、アッシェが立ったままだとウィーズの手が届かない。だから、ウィーズはアッシェの頭を撫でたい時、彼女にしゃがむように命じる。大抵、アッシェはあぐらをかく。すると、彼女とウィーズの身長は頭一つ分逆転する。


アッシェは、そんな小さな主人との身長差を気に入っていた。ウィーズは、子供としては言動が大人びていて、立場もアッシェより上。アッシェはそれをちゃんと理解して、敬語を使い、主人として接している。けれど、150㎝台のアッシェに対し、130㎝あるかないかのウィーズの身長は、二人の5年の年齢差と、ウィーズがまだ10歳の子供である事をアッシェに教えてくれる。それは、忘れてはいけない大切な事だと、アッシェは思っていたから。


ウィーズは手を伸ばし、アッシェの髪にそっと触れる。


いつもそうだ。ウィーズは初めは、そっとそっと雲に触れるかのようにする。そして次に、柔らかな髪の感触を確かめるように梳く。指に絡ませ、髪の中に手を潜らせる。


アッシェは主人に撫でられる時の、その感覚も気に入っていた。ぞくぞくとして、その温もりが、その滑らかな指が気持ちよい。


アッシェは心地良さに微笑んだ。


意識はほとんど目覚めていて、これは夢なのだと理解する。


ウィーズは感情の見えない、透明な瞳でアッシェを見つめている。


淡い、霧のような灰色の瞳。


アッシェの正体を見破ろうとする。

心の底を覗いている。

見つめていると胸が締め付けられる、アッシェの好きな、その瞳。


ーーキレイ。……大好き。


吐息のようにそう零すと、温かな手が、一瞬戸惑うように止まった。が、すぐにまた優しく動く。


ウィーズの小さなかわいい口が、薄く弧を描いたように見えた。


アッシェは、主人の小さな手をそっと握った。自分の冷えやすいものとは違う、子供らしい、柔らかで温かい、ウィーズの手。それは、握られた事に驚いたように硬直する。


これも、毎度の事だ。ウィーズは、アッシェから触れようとすると、怯えたように身を強張らせる。


大人びた静かな表情が、透明なその瞳が(かげ)るのを見たくなくて、アッシェは普段、ウィーズに命じられた時しか彼に触れない。


でも、これは夢。


アッシェは大好きな温もりをふんわりと握ったまま、それに頬を寄せた。


ーー大好きです。ウィーズ様……。


小さくて、かわいくて、綺麗で、どこか欠けているアッシェの主人。


彼は10歳で、貴族のお坊っちゃまで、あまり子供らしくない。


なぜ奴隷として売られていたアッシェを買ったのか、なぜ鳥籠に閉じ込めて貴族令嬢のように扱うのか、なぜアッシェに触れられる時に身を竦ませるのか、彼女は知らない。ウィーズは語らないし、アッシェは尋ねない。


ただ、アッシェに分かることは、ウィーズが何かを求めているということだけ。根拠はないけれど、アッシェはその「何か」の正体を確信している。きっとそれは、アッシェが求めているソレと同じモノのはずだから。


ーー大丈夫ですよ。私は本当に貴方が好きだから。


アッシェの、少女の手で包み込めてしまう小さな手に指を絡ませ、彼女は言う。夢の中、透明な眼差しを持つ彼女の主人に。現実では言えない。ウィーズはそれを命令しないし、アッシェは望まれたことしかしない。


けれど、これは夢だから。


普段は我慢している、彼に伝えたいことを言う。


ーー大丈夫。これは(・・・)本物ですから(・・・・・・)


信じてくれればいいな、とアッシェは思う。しかし、ウィーズは決して信じないだろう、とも理解している。


ウィーズは灰色の眼を曇らせて、アッシェから身を離す。するりと温もりが逃げていって、アッシェは寂しさと悲しさに手を伸ばした。しかし、ウィーズはアッシェに背を向ける。アッシェは、鳥籠を出て行くウィーズの背中を見つめながら、泣いた。


ウィーズが離れてしまったことが悲しい。

自分の思いが伝わらなかったことが悲しい。


夢の中、胸が詰まる苦しさに包まれてーーアッシェはパチリと目を開いた。


暗い部屋の中。

ふかふかでツルツルした上品なシーツの感触。


アッシェは、まだ残る息の苦しさを感じながら、目元に手をやる。


ーー濡れていない。


(そりゃ、そっか)


アッシェは少し残念に思った。あの悲しさは本物(・・)だったのに、と。


胸のもやもやした感覚は、目覚めてすぐのまだはっきりしない意識と、夢の内容による精神的なものだろう。アッシェはそう結論づけて、先ほど見た夢をゆっくり思い返す。


感情の浮かばない表情。

透明な灰色の瞳。

温かくて心地良い感覚。

小さな優しい手。


ウィーズーーアッシェの大切な人。


「…………ウィーズ様」


小さく、声に出す。胸のもやもやが、少しでもなくなるように。


「ウィーズ様……!」


夢で流した涙は本物だ。アッシェの心は泣いている。ウィーズの瞳が(かげ)るたびに。伝えたい言葉を呑み込むたびに。


アッシェが願うことはただ、ウィーズのどこか欠けている部分が満たされること。そして、幸せになってほしい。


なぜそう思うのか、アッシェは自分でも理解していない。けれど、その強い願いは、いつのまにかアッシェの中に生まれていた。


「いつか…………叶ったらいいなぁ」


吐息にのせて呟いたその時、コンコンと部屋の扉がノックされた。そして、扉が開き、一人のメイドがワゴンを押しながら入ってくる。


「お早う御座います、アッシェ様。今日はとても良いお天気ですよ」


手早くカーテンを開けながらメイドが言う。部屋いっぱいに満ちた光に、アッシェは眩しくて目をこすった。意識が完全に覚醒する。


(起きる時間かぁ……。切り替えなくちゃな)


アッシェは、この思いを誰にも言わないでいた。いつまでも引きずっていると、メイドに元気がないと心配されてしまう。何より、数十分後、ともに朝食をとる時に、ウィーズにいつも通りに接しなければならない。


メイドは、鳥籠の戸を開けると、ワゴンで運んできた物をベッドのそばのテーブルに移しだす。


アッシェは一度深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。胸が詰まったような苦しさが、少し軽くなった気がする。


(……よし。今日も一日頑張ろ!)


心内(こころうち)に気合いを入れ、アッシェは身を起こす。タオルと水を入れた盆を持ってきたメイドは、軽く驚いてにっこりと笑った。


「あら、今日はお早いお目覚めですね」


「うん。夢を見たから」


「まぁ!それで」


アッシェは顔を洗い、やわらかなタオルで水を拭う。そしてベッドから出て、クローゼットへと向かう。


「どんな夢だったんですか?」


「……ウィーズ様の夢」


「まぁ!それは良い夢で御座いますね!」


アッシェを着替えさせながら、メイドは上機嫌に言う。しかし、アッシェは首を横に振った。


「ううん。違うよ。最初は良い夢だったけど、最後は悲しかった。……だから、今日も頑張るの」


決意を込めたアッシェの声音に、メイドはしばし目を丸くする。そして、またにっこりと笑った。


(わたくし)は、アッシェ様の味方ですわ。どうか力が必要な時は、いつでもお申し付け下さいませ」


「……うん!ありがとう」


心からのメイドの言葉に、アッシェはいつもの元気を取り戻せた。


テーブルにつき、目覚めの紅茶とビスケットをつまむ。


あと少し経てば、鳥籠に閉じ込めたアッシェと朝食をともにするため、ウィーズがここに来るだろう。


今のアッシェにできることは、命じられたことに従いながら、(おのれ)の思いがウィーズに伝わるように努力することだけ。


けれどもいつか、願いが叶うことを信じて。









アッシェは今日も、鳥籠で彼を待つ。





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