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永田町大走査線 その五

 少しだけ、この茶番の後日談を語りたいと思う。

 しばらくして表向きは兄である神堂武彦氏から第一商会のドライバー経由で渡されたものは、俺宛の小包で送り主はマダムになっている。

 ぴんときた俺が中を開けると、そこには片桐少尉が大陸で行っていた横流しの帳簿が一冊。

 呼び出したヴァハ特務大尉は、上半身を布団で隠しながら帳簿を手に持って尋ねた。


「で、これを私に渡していただける代わりに、私は何を差し出したらよろしいので?」


「金はある、女もいる。

 それなりに楽しい生活を向こうでして居る身でね。

 物欲でどうこうというつもりはないさ」


 事が終わってなんとなく煙草に火をつけずに弄んでいたが、それをそのまま灰皿に押し付ける。

 だからこそ、こんな言葉が自然と口からこぼれた。


「知りたいんだ。

 片桐少尉を犬死に追いやった、この国の事情ってやつを。

 俺は既に異世界島流しの身だ。

 今更秘密が一つ二つ増えた所で、向こうで骨を埋めるだけさ」


「戻る気はないのですか?」


 あえて妖艶な仕草でその誘惑をヴァハ特務大尉は口にした。

 帰りたいと思わなかったら嘘になる。

 だが、この国の醜悪な所を見せられてもなおそれを口にするほど俺は恥知らずではない。


「今、戻ると俺は片桐少尉の亡霊を引き継いでしまう。

 それは片桐少尉もマダムも望んじゃいないさ」

「忘れていますよ。

 私もです」


 俺の背中にヴァハ特務大尉がしなだれかかる。

 それを振りほどく事も無く、情事は終わってヴァハ特務大尉は帳簿を手に去っていった。

 次の日、連絡が入ったのは夜遅くだった。


 大陸での戦争が終わった事もあり、街は夜でも明るくなっている。

 そんな帝都の賑わいの中、官庁街でもある永田町にひっそりと山王日枝神社が鎮座している。

 灯篭の灯りに照らされた社は闇と一体化しながらも存在感を示し、周りを囲む木々はまた鬱蒼としてその神性を高めていた。

 夜の参拝は基本的に禁止しているが、もし不届き者がこの社に侵入しようとしたら命を持ってその浅はかな考えを後悔する事になるだろう。

 日本人に化けた黒長耳族の巫女が四人一組で、常時境内に三組が警備しているこの社の社務所が黒長耳族大長のダーナの仮宿となっていたからである。

 社務所から正装で現れたダーナはいつも化けている日本女性姿ではなく、茶褐色の黒長耳族姿で境内の裏に回り、彼女の周りを一組の黒長耳族の巫女達が囲む。

 全員、ダーナの娘もしくはダーナ直系の娘たちで、竜神様を頂点とする眷属の中で彼女の最も信頼する最強かつ最後の手駒でもあった。

 その一人にヴァハ特務大尉も入っている。

 俺は彼女に連れられて境内を散策する。

 境内の裏手に巫女達に守られた一人の男が待っていた。


「お待たせしました」


 名前を出そうとした巫女が手で制される。

 それだけの大物という事らしい。

 声をかけられた男はかるく目礼をして巫女達の呪文の詠唱とその結果を黙って見つめていた。


「凄いものですな。

 魔法というものは……」


 男は彼女たちの作業に対してぽつりと呟く。

 不自然に大地が歪み、そこを人が立って通れる傾斜の穴がぽっかりと開いていた。

 これと同じ光景が出口側でも黒長耳族の巫女達によって行われているはずである。

 なお、この穴は一定時間経つと自然に復旧する優れもので、そうまでして緊急かつ強引にそして隠密に今回の会談は行われなければならなかった。

 黒長耳族、いや帝国の将来を決める会談はスパイ蠢く帝都において、完全防諜で当事者以外の誰も知らないという形で行われた。

 黒長耳族大長ダーナと東条英機内閣総理大臣がトンネルの向こうから現れる。


「で、貴方が何故彼を連れてきたのかその説明からしていただけますかな?

 銀幕御前」


 何重にも人払いの結界を張り巡らせた神社境内で現在帝国を率いる男は不機嫌そのもの顔でダーナに説明を求めた。


「我々はこの帝国に竜神様の眷属としてやってきて、帝国の役に立ちたい一身でこの身を差し出すと共に多くの方々の知己を得てきました。

 その中で、この帝国の行く末を案じて次の手を考えていた方を海軍以外から探すとなるとこの方しか残らなかった。

 それが理由です」


 わざとダーナは最大の黒長耳族保護者である海軍の名前を口に出した。

 それが総理の不機嫌をさらに進めるためであり、激昂した方がその後の話を冷静に聞かせる為にも都合がいいからである。


「単刀直入に申し上げます。

 今回の選挙の敗北で、このままだと貴方は首相の椅子を追われます」


 ダーナの爆弾発言に総理の顔は歪むが、男の顔には笑みが浮かぶ。

 それがまた総理のプライドをいたく傷つけるのだろう。

 対英米戦回避と大陸足抜けの結果、政権基盤は急速に崩壊しつつあった。

 大陸足抜けの結果として膨れ上がった戦時債務返済による陸軍大削減と、足抜けという外交成果で「何の為に10年近い戦争を戦ってきたのか?」という国民の不満の爆発。

 更に激しく欧州で続いている戦火でドイツにつくのかイギリスにつくのかの外交的対立に、帝国の舵を強引に非戦に持っていった竜神様と黒長耳族達の権利問題と女性参政権と難題が山積する中で、内閣は決定するたびに味方であるはずの陸軍の力が弱まり、一部将校には「裏切り者」呼ばわりまでされていた。

 そんな状況下で行った選挙の敗北は総理を引き摺り下ろす格好の理由になるだろう。 

 総理はそれを分かった上で、選挙を行い負けた。


「もう一つ聞きたい。

 彼は誰だ?」


 総理はヴァハ特務大尉の隣にいた俺を見つけて尋ねる。

 ヴァハ特務大尉が説明するのを手で止めて、俺は自分の事を口にした。


「神堂辰馬。

 冒険者さ。

 ノモンハンの亡霊を成仏させた報酬に、この場に立ち会っている」


 俺の言葉を聞いた総理と男の双方の顔がゆがむ。

 両方ともノモンハンに関して、思う所があったという事なのだろう。

 それだけでも、片桐少尉の墓前に報告できるので良かったと思った。

 あえて男が俺に向けて挑発する。


「で、どうする?

 ここから先は、本当にこの国の暗部だ。

 知れは最後まで、死んだ後までまとわりつく呪いの類だ。

 居るのは構わん。

 だが、その覚悟はあるのか?」


 俺が「もちろん」と言おうとしたら、ヴァハ特務大尉にわき腹を捕まれる。

 見ると、仕事ですらない真剣な視線で俺にその言葉を言わせないようにしている。

 テレパスで簡単に伝えられるのに、それすらしない、いやできない理由。

 それはここからの話が、本当に危ないからに他ならない。


「察したか。

 お前が成仏させた呪いより、数段上の怨霊の類の話だ。

 お前一人で終わらない、知人縁者、一族郎党まで呪いがふりかかる、そんな類の話だ。

 去るならば構わん。

 少し待ってやる」


 男は俺から視線をそらし、総理と雑談を楽しむ。


「銀幕御前。貴方は質問に答えていない。

 その話とこの男がここにいる理由が私には理解できない」

「相変わらず頭が固いな。

 俺がお前を助けてやろうと言っているのだ」

「お前が表舞台に帰る事を条件でか?

 ふざけるな。何で返り咲きを助ける……」

「海軍がたくらむ欧州大戦介入阻止。

 これでは不満か?」


 総理の言葉が止まるまで、俺は考え続ける。

 既に、欧州大戦はロシアの大地で独ソが激しく死闘を繰り広げており、英が邪魔するかのように必死になってクレタに上陸していた。

 海軍は、欧州大戦より対米戦を意識していた事もあり、ハワイを焼いた竜に激怒したアメリカの艦隊大増産を恐れ、その存在意義を失いつつある。

 だからこそ、新たな存在意義を対英対独の欧州大戦に求めなければならなかったのだ。

 この国の選択肢は二つ。

 対英宣戦布告か対独宣戦布告にしぼられる。

 対英宣戦布告をすれば、独逸と手をとり香港・シンガーポールはおろか仏領インドシナ・蘭領東インドを制圧し、夢広がるならユーラシアを独逸と分ける事ができ、陸軍はこちらを押していた。

 対独宣戦布告となると、現在の英国向け護衛艦隊提供による資源と資金提供による英国の艦隊整備支援という恩恵を受け、第一次大戦と同じように海上護衛戦中心で陸軍の活躍の場所が無くなる事を意味する。


「では聞くが、その海軍の企む欧州大戦介入以外の帝国の方針を持ってこの場にやってきているんだろうな?」


 男の答えは即答だった。


「当然。

 正確には、彼女が持っている案を帝国広しといえども俺しか信じなかったという事だ。

 だが、この案が実行されれば、帝国は最も欲しかった時間が与えられるはずだ。

 後は彼女の口から聞いてみるといいだろう」


 そこまで話して、男は再度俺に視線を向けた。


「さて、冒険者。

 答えは出たか?」


 ヴァハ特務大尉が見つめる前で、俺はゆっくりと目を閉じた。


 ベルが、

 ボルマナが、

 リールが、

 アニスが、

 そして、マダムの声が響く。


「いってらっしゃい。

 体に気をつけてね」


「すまない。

 俺はこれで失礼させてもらう。

 ここじゃないが、帰る所があるんだ」


 その言葉に男も総理も少し感心した風に俺を見る。

 男はにやりと笑ってそれ以上は追求してこなかった。


「おかえりなさい。

 どうでしたか?」


 ヴァハ特務大尉と共に境内を出た先には、内海審議官がダットサンに乗って待ち構えていた。

 どうやら彼自身が運転してきたらしい。


「最後の最後で女の顔を思い浮かべました。

 そしたら、国家とか呪いとかどうでも良くなって」


 わざと茶化した形で結果を口にする。

 きっと、あの先を聞いていたら別の未来が待っていたのだろう。

 ヴァハ特務大尉の頷きで俺の言葉が嘘ではないと知った内海審議官は助手席のドアを開ける。


「羽田まで送っていきましょう」


 ヴァハ特務大尉をサイドミラーに移しながら、車は夜の帝都を走り出す。

 二人ともしばらく黙っていたが、内海審議官が雑談交じりに爆弾を口にした。


「竜神様に丸投げした英国仲介の秘密交渉ですが、合意しそうですよ」


と。

 後に『太平洋宣言』と呼ばれるそれは合意直前まで紆余曲折したが、その第一報は既に帝都に届いていた事になる。

 そして、そんな政治的得点を使う事無く東条首相は失脚しようとしている。

 俺が聞かなかった闇の部分がどれほど深いものかそれで推し量る事ができた。


「ああ、そうだ。

 依頼は達成したんですから、報酬用意してください」


 わざと明るく振舞った俺に内海審議官が乗る。


「高くつきそうだ。

 金も女も持っているのだから、あげられるのは地位ぐらいしかありませんよ」


「それでいいですよ。

 片桐少尉は大陸の戦闘で戦死した。

 そう記録に残して欲しいだけですから」


 東京の地下で、犯罪者として殺されるより、記録上だけでも彼の名誉を回復しておきたかった。

 そんな俺の願いを内海審議官はハンドルを握ったまま了承した。


「帰還兵が増えて内務省も大変なんですよ。

 書類の不備の指摘は上の仕事ですからね。

 で、あなた自身は何ももらわないので?」


 その質問に俺は笑って答える事ができたと思う。

 そして、あの選択は間違っていなかったと確信できた一言を口に出した。


「冒険者ですから。

 欲しいものは自分で手に入れますよ」


と。

山は越えた。

ラストまであと2-3話かな。

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