マダムの部屋でのろくでもない話
店の二階は女の子達の仕事用の個室になっていて、小さな部屋にはベッドと布団が無造作においてある。
こんな部屋でする事と言えばあれしかないのでそれで構わないのだろうが、廊下から聞こえる個室から聞こえる声を気にせずに、俺とマダムとヴァハ特務大尉は階段を上がって三階に入る。
ここは、女の子達の居住区で部屋も下の個室よりは広い。
この部屋でもできない事はないが、それをするには金銭を払うよりも女の子達との親密な関係が必要になる訳で。
「ろくでもない話ならば、私の部屋でした方がいいでしょ」
というマダムの気遣いに心から感謝する。
既に何人かは上海に行ってしまい、マダム達も向こうに行くというので荷物がまとめられていた。
マダムが茶を入れる湯を沸かす為に奥に引っ込むと、ヴァハ特務大尉は椅子に腰掛けて足を組む。
上海のカジノでも見たが、彼女はコートの下は何も着ていないらしい。
はだけた前からおしげもなく褐色の肌を晒し、その肌を更に引き立たせる銀髪を見せつけつつ、豊満な胸の谷間とへそまで晒しながら、組んだ足でそこから先は見せないあたり、娼婦として自分の体の価値を良く分かっているのだろうと後で聞いたマダムの感想である。
「で、昇進したばかりの中尉に特務大尉殿は何をお聞きになりたいので?」
テーブルを挟んだ彼女の向かい側の椅子に俺は座る。
話が話だけに、俺は警戒して話さざるを得ない。
彼女は、ここに抱かれに来た訳ではない。
武器横流しの件で非公式な尋問に来ているのだから。
こちらの警戒を察したのだろう。
ヴァハ特務大尉は娼婦らしからぬ清楚な笑みで場を緩めようとする。
「そう警戒しないでくださいと言っても無理でしょうね。
先ごろ、帝国と国民党政府の間で実質的停戦になった事はご存知ですね。
これに伴って、支那派遣軍の解体・再編が実施されます。
多くの将兵が退役・除隊して故郷に帰る事になるでしょう」
「どうぞ」
「ありがとうございます。
おいしいですね。これ」
「ちょ!
ま、マダムなんて格好……」
話の腰を折るようにマダムがジャスミン茶を差し出すが、マダムの姿はヴァハ特務大尉と同じ裸コート。
しかも立っているので前が丸見え。
「いいじゃないか。減るものでなし。
大体、散々使ったんだから私の裸なんて見飽きただろうに」
笑いながらマダムは俺の後ろにあるベッドに腰掛けるが、一瞬ヴァハ特務大尉に向けてガンつけていたのを俺は見逃さなかった。
「あたしの部屋であたしの男寝取ろうてっんだ。
あたしを超える誘惑してみなさい!」
という意味だと後でマダムに教えてもらったが、あの時は色気を感じるより早く背筋が凍ったのは内緒だ。
話が話だけに片桐軍曹に行くかどうかで気を揉んでいるのだろう。
ちらりとマダムの顔を見た限りではそのような気配は見えない。
「退役・除隊に伴い、支給された武器等は返還する事になるのですが……」
「戦場での消耗は仕方ないはず。
それとも、その消耗分も用意しろと?」
ヴァハ特務大尉の言葉を俺がさえぎる。
部屋にジャスミンの香りが広がるのに、ちっともリラックスできそうもない。
「問題は、鹵獲品です。
広い大陸で戦争をした結果、常に武器弾薬が手元にあるかどうか分からない。
その為、多くの前線部隊では鹵獲武器を溜め込んでいるのが慣習になっていました。
この武器を回収したいのです」
「は?」
俺の間抜けな声が部屋に響く。
ヴァハ特務大尉はジャスミン茶を飲みながら、話を続ける。
「既に戦争が終わって、現地の匪賊に武器を売却している部隊もあると聞きます。
帝国がここから去ると、待っているのは国共内戦。
どう動くか分からない匪賊に武器が流れるのを、帝国は良しとしていません」
なんとなく話が見えてきた。
武器横流しのルートを摘発するのではなく、利用するつもりらしい。
「質問ですが、集める金は何処が出すので?
それと、それを集めた武器はどうするおつもりなのでしょうか?」
俺の質問にヴァハ特務大尉は淀みなく答えた。
「我々が出します。
手付け金として一万ポンド。
予算はとりあえず十万ポンドで」
「「はい?」」
俺とマダムが間の抜けた声を出した。
この間カジノで見た八百万ポンドを稼いだギャンブラーが居たが、後で調べたら英国戦艦一隻分の値段と同じらしい。
なお、これも後で調べたら十万ポンドは英国駆逐艦一隻の値段と同じぐらいの値段だそうだ。
つまり、人一人一生遊んで暮らせる額の金という事だ。
まぁ、船をたくさん持っている海軍さんだから、そのあたりの感覚が違うのかもしれないが。
「武器は私たちが使います。
私たちには異世界にて助けねばならない同胞が居て、その同胞を迫害する敵が居ます。
これは、先に竜と帝国の間で結ばれた協定の範囲内の行為ですのでご安心を」
ヴァハ特務大尉はそういって微笑んだが、ちっとも俺は安心できない。
あきらかにやばい話。
それも一介の中尉が聞いていい話ではなくなっている。
「何で俺、いや、片桐軍曹なんだ?」
ここまで来ると、俺も腹を決めて片桐軍曹の名前を出す。
帰ってきた言葉は俺の想像を超えていた。
「中尉と一緒に居た人。
あの方馬賊の大物なんです」
つまり、そこから足がついたと。
なんとなく俺はマダムの顔を見る。
マダムはマダムで手を顔に当てて天井を見上げている。
マダムたちを上海に送るための仕事で足がついたと言っているようなものだからだ。
「陸軍憲兵隊は綱紀粛正の為に、いくつかの組織については摘発する方向で動いています」
露骨な脅迫に俺はため息をつく。
ここで断ったら片桐軍曹が摘発されると。
俺の吐き出したため息が了承と悟ったのだろう。
ヴァハ特務大尉は娼婦の顔で、コートを更にはだけさせて囁く。
「私は、監視兼報酬として付き添う事が命じられています。
いかがです?
お味見してみませんか?」
ジャスミンの香りすら吹き飛ばす濃厚な女の匂いにくらくらしながら、俺は立ち上がってヴァハ特務大尉のコートのはだけを直す。
「味見なさらないので?」
「ここはマダムの部屋だ。
味見するならば、それにふさわしい場所でするさ」
ヴァハ特務大尉は二度ほどまばたきをして、にこりと微笑む。
その笑みの後にはあれだけ匂った女の匂いが消えていた。
「失礼しました。
御用の際はいつでも申し付けてください。
連絡先はこちらになります。では」
メモをテーブルに置いて、ヒールの音を小気味良く立ててヴァハ特務大尉が部屋から出るのを見届けると、俺は盛大にため息をつく・・・・・・事ができなかった。
コートを脱ぎ捨てたマダムが後ろから抱き着いてきたからだ。
「ありがとう!
あの人を助けてくれて!
今夜は思いっきりサービスしちゃうから!」
いや、さすがに戻って片桐軍曹に話さないとと言おうとした口がマダムの唇に塞がれて、そのままベッドに誘われマダムの誘いを断ることができなかった。
「俺って、マダムにとって何なんだろうな?」
月明かりの薄暗い部屋。
天井を見上げたまま俺はなんなとく呟く。
マダムもおきていたらしく、キセルに火をつけて紫煙を部屋に漂わせた。
「あの人の弟分だから、私にとってもかわいい弟かしら?」
「弟相手にこれはどうかと?」
苦笑する俺にマダムはキセルを渡し、俺はそのキセルから煙草を吸ってマダムに返す。
吐き出す息が心地よい。
「あの人は言っていたわよ。
中尉だったら、お前を安心して任せる事ができるって。
あの人もこんな商売しているから、覚悟は決めていたんでしょうね」
俺の隣でマダムも煙を吐きだして笑う。
あの人が、片桐軍曹だけでなく、健松の事もなんだろうなとなんとなく分かった。
馬賊の大物が武器を集める。
彼らの拠点は蒙古から満州にかけてだ。
噂されている、対ソ戦の信憑性が深くなる。
「なんだ。
最初から軍曹の手の中で踊っていたのか」
冗談で紛らわせようとした俺にマダムがさびしそうに呟いた。
「あの人、ノモンハンの生き残りなんだって」
ノモンハン事件。
国境紛争で事件と呼ばれているが、日ソ双方ともに数万の兵を集めて戦った戦争だった。
停戦から日ソ中立条約によって事件は一応の決着を見たが、多くの将兵が帰らず今でもその全体を知ることができない事件の一つだ。
「忘れればいいのに……馬鹿よね……
置いてきた仲間が、何も言えなかった上役の無念が忘れられないって……」
月明かりの下、枕に顔を向けたマダムは涙を俺に見せようとしなかった。
だから、ただ俺はマダムの背中をさする。
しばらくしてマダムは起き上がり、俺に涙目の笑顔で抱きつく。
「ねぇ。
あなただったら子供生んであげてもいいわよ。
所帯を持ちたいなんていわない。
あの人の、あの人が信じたあなたの子供が欲しい。
……なんてね」
そのまま押し倒されて、唇を重ねる。
「嘘よ。
こんな女の嘘に騙されちゃだめよ。
こんな女は、人の弱みに付け込んで、腰を振るしかできない馬鹿な女なんだからね」
そして俺は、一晩中切なく腰を振り続けた馬鹿な女に身を委ねて、馬鹿な女を慰める事しかできなかった。
マダムかわいいよマダム。
異世界に送る為の大陸編のゲストとして出したのに、あまりの可愛さにキャラが走る走る。