かの勇者の名前は
マンティコア襲撃事件から俺の冒険者としての生活が変わったという訳ではないが、島流し人生のはすが帝国の代理人みたいな事をする現状については思う所があったりする。
「かしこまりました。
革靴千足の用意、たしかに承りましょう」
「よろしくお願いします」
ガリアス氏との話し合いもだんだん慣れてきた今日この頃。
少し前にはこの下の地下水道で大鼠を狩っていたと思うと、色々考えるものがある。
まだ四回しか船団が来ていないのに、そこで取引される商品は帝国とカッパドキア共和国双方の生命線となろうとしていた。
美しい朱色で染められた漆器のお椀は王侯貴族の必需品となった。
注がれる透明な日本酒は入れ物一升瓶込みで、同じ重さの金貨と交換された。
米の存在と味噌と醤油による料理革命によって、単品料理でしかなかった肉や野菜などの料理に味が付与され、その味を知った者は次々と米と味噌と醤油を買い求めた。
美しい絹で作られたドレスは夜会の貴婦人の流行となり、友禅をはじめとする着物それ自体が飛ぶように売れた。
桐の箪笥は大商人が娘の為にこぞって買いつけ、美しい陶器や浮世絵はそれ一つで城が買えるほどの高値で取引されたのだった。
それら日本の商品を帝国はこのイッソスでしか卸していない。
結果、今のイッソスには日本商品を求める西方世界の船で満ち溢れ、カッパドキア共和国にも巨万の富をもたらしつつあるのだった。
話し終わると隣の部屋で待っていたボルマナがやってくる。
ベルは娼館の警護の仕事中、リールはマダムの付き合いで貴族相手にお茶会に出向いている。
「いかがでしたか?」
「問題なくさ。
とはいえ、材料の確保はなんとかしないといけない」
ガリアス氏のダコン商会へ発注した革靴千足は、虚無の平原を逃亡中の獣耳族支援の一環だったりする。
着の身着のままで逃れてきている彼女達が蟲の餌食にならないためには、まず靴だろうという事で発注を頼んだのだが、案の定その数にダコン商会でも対応しきれなかった。
本気で救済を考える場合桁があと二つは必要なのだが、そのあたりは産業革命を迎えていないこの世界に求めるのは酷と言うもの。
で、靴及び衣料品の発注を本土に頼む事になるだろう。
軍関連の物資調達商社を噛ませれば、大陸での戦争足抜けの大量キャンセルを抱える彼らに慈雨となる訳だ。
ダコン商会を出てイッソスの港をボルマナを連れてぶらつく。
穏やかな湾内では、少し前にマンティコアが暴れていたなんて考えられないぐらいに船であふれている。
「なぁ。ボルマナ。
この国の勇者ってあの騒動の時何をしていたんだ?」
気になっていた事を俺はボルマナにたずねると、帰ってきたのは意外な答えだった。
「公式では、カッパドキア共和国は勇者を保有していません」
この異世界の人類は、竜を頂点とする異種族と激しく生存競争を繰り広げ、それに勝利してきた。
その人類最強の武器が勇者と呼ばれる100万人に一人と言われる、魔法適正を持った大魔法使いである。
そして、人類の優位が固まりつつある昨今、その勇者の力は竜よりも同じ人に向けられる事が多くなっていった。
文字通り一騎当千の働きをする勇者を持つ国こそ、この世界における大国の証。
それゆえ、人類国家同士の争いは勇者同士の決戦でその勝敗が決まり、だからこそ勇者情報は何処の国も信じられないぐらい情報が出てこない。
なお、これらの国で諜報に便利な手駒として使い捨てられ続けてきたのが、迫害され続けた竜の眷属であり獣耳族だったりする。
帝国に竜が庇護を求めてきた現在、竜をも調伏しうる勇者について気にならないと言えば嘘になる。
「公式ではってどういう事だ?」
「勇者一人によって戦争の行方が変わります。
という事は、勇者を持たない国は、勇者を持つ国から身を守るすべがない事を意味します。
この国は、かつて勇者を保持していました。
その為、今も持っていると各国が警戒しているのでしょう。
もっとも、ロムルスとカルタヘナの大戦でそれどころではないという事もあるでしょうが」
勇者を中心とする国家中枢に対する信じられないほどの防諜体制は、代わりに国家の治安維持力を削がざるを得ないほどの人・物・金を注いで成り立っていた。
そんな背景がある為に、盗賊ギルド等が治安維持機関として各国に認められていたという背景もあったりする。
「という事は、盗賊ギルドががたがたになったイッソスは……」
「荒れます。
間違いなく」
ボルマナの断言に俺は引っかかりを覚える。
大陸ではないが、帝国が足抜けした途端に国共内戦が再発した。
荒れるのだったら、そろそろ何か起こってもいいものなのだが。
繰り返すが、この世界の人類国家同士の争いは勇者による決戦で勝負が決まる。
では、人間以外の異種族、しかも決定的なまでに関係がこじれているような連中を相手にした場合は?
たとえば、虚無の平原を闊歩している化け物たち。
たとえば、古から人類と対決し続けた竜の眷属達。
たとえば、古に人から生み出されながらその手を逃れて育った奴隷種達。
答えは殲滅戦。
文字通り誰一人逃す事無く滅ぼし、もしくは奴隷としてきたのだった。
そんな戦場に勇者は当然のように投入され、その力で人を殺し、その身に多くの血を浴びた。
「住民を一人残らず殲滅する勇者か……」
(そんな勇者が帝国に居たら、大陸の戦は負けることがなかっただろうに)
後半を口に出さずに俺はため息をつく。
竜による助力で勝ったとされる大陸での戦争。
だが、世間で宣伝されるほど華々しい勝利などではなく、彼女達異世界の者がこなかったならば泥沼の果てに負けていた可能性も高かったのだった。
広大な大陸に兵は追いつかず、文化風習の違いから現地住民との関係は良好でなく、頻発するゲリラに輸送隊を狙う匪賊。
そのまま腰に目を向け私物である虎徹の大小を眺めて己の手を見つめる。
「どうしました?」
「いや。
なんでもないさ。
この国に居たと言われる勇者の話を頼む」
ボルマナの話をまとめるとこんな感じになる。
カッパドキア共和国はイッソス及び、イッソス太守家の分家連中が殖民都市を設立したのが母体である。
そのイッソスのライバルだった都市がトロアで、そのトロアを滅ぼした戦いをトロア戦争と呼ぶ。
二十年ほど昔に起こったこのトロア戦争で、当時イッソスが持っていたただ一人の勇者が相打ちで果て、それ以降この国に勇者はいないという訳だ。
トロア戦争そのものは、歴史にこう記されている。
イッソスとトロアの戦争だったこの戦で双方の勇者が相打ちとなり、双方とも大国としての地位を失ったと思われたその時に起こったトロア落城とその住民の殲滅。
人口十万を数えたトロアは一夜にして滅び、生き残った者は全て殺されるか奴隷として売られたこの殲滅戦において、説明を求めた各国の使者に当時のイッソス太守はただこう答えたという。
「今の我が国に勇者はいない。
だが、古の勇者の残した魔道書の力によってトロアを落としたのだ」
と。
その勇者は百年ほど昔に現れ、末路は不明だが西方世界において活躍し、彼女ほどその身に人の血を浴び続けた勇者はいないと言われている。
「彼女?」
俺の言葉にボルマナが頷いた。
「妖艶な魔女で、人の死体の上で返り血を浴びても妖艶に微笑んでいた事がその称号の由来だそうです。
伝承ではその生涯においてついに竜とは刃を交える事無く、竜の眷属や奴隷種に対する殲滅戦でその名を轟かせた勇者と。
かの書の話題はイッソスの裏で仕事をしている者で知らぬ者はおりません。
少なくとも我々はそれがあるものとして行動をしておりました。
おそらく我ら以外の者も」
つまり、このイッソスがまだおとなしいのは、この魔術書なるものが制止力として働いていたという事なのだろう。
「その魔女の名前は分かるのか?」
俺が尋ねると、ボルマナは二つ名をつけて口に出した。
「『狂艶の公女』ゼラニウム」
の名前を。




