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『笑うカモメ亭』での一幕 その一

 イッソスの酒場の一つ、「笑うカモメ亭」は冒険者の集う冒険者の宿でもある。

 二階建ての宿の木戸を開けた先にある数十人が酒と共に騒ぐ空間は、人間が持つ欲の縮図だろう。

 一攫千金を夢見る冒険者、その冒険者に夢と金を見て近づく商売女。

 今日の絶望を酒と共に飲み込み、明日の夢を色気漂わせる女達に語り、共に夜の夢を見るために誘う。

 女達はそんな男の金に、体に、夢に己の体を預ける為に男を色で釣りながら静かに値定めを行ってゆく。

 己の野心と無謀さを混ぜた熱気の中で奥から漂うその歌は、ただ静かに彼らの耳に音を運んでいた。


「♪誰が私を知っているの?

  誰が私を愛しているの?

  私はずっとここにいるのに

  誰一人として私を知ろうともしない・・・・・・」


 テーブルを退けただけのステージで、緋色のドレスを着た女が少なくない常連を相手に歌っていた。

 歌う女の腰のあたりまで伸びる黒髪はワルツを踊るように揺れる。

 歌う女の着ける豪華な装飾品と露出度の激しいドレスは、聞く冒険者達を扇情的に挑発しつつ歌声で魅了していた。

 他の席で騒いでいた男もそれに群がる女もその歌声に捕らわれ、やがて酒場は彼女の歌声で包まれる。

 熱気を沈めた優しく静かな歌声が酒場を、人々の耳にしみこんでゆく。


「♪素顔の私を誰が知っているの?

  本当の姿を何故見せようとしないの?

  何かを隠して

  誰かをだまして

  愛して

  私は人になってゆく・・・・・・」


 女の視線がふと俺と合い、女は優しそうに微笑む。

 優しく微笑む女の視線を俺は意識的にずらした。

 真新しい皮の鎧の下は、ここにいる冒険者連中が着ている皮服より上品な生地でできている。

 見たことも無い鋼の剣は彼の椅子の横に鞘に納まったまま何気に立てかけられている。

 この剣がここの冒険者連中が噂している黄金郷の剣――刀――という事を知っているのは持ち主である俺一人だけ。

 この風変わりな新顔がこの酒場に通って常連となった過程は、冒険者達にとってここ最近の話題の種になっていた。

 同時にその雰囲気からぼんぼんらしいが新米ではないと感づいてもいたので、彼と組んで冒険をしようと誘った者もいるが、その誘いに首を横にふり、今みたいに酒を飲んでいる。

 その雰囲気は修羅場をくぐった――人を殺した――男の雰囲気だった。


「♪私はあなたを知っていた

  私はあなたを愛していた

  だから私はあなたを忘れようとした

  私はあなたを不幸にしかできないから……」


 彼女の歌に合わせるように吟遊詩人が絃の音を絡める。

 絡み合う音の愛撫は優しく、そして愛しそうに啼き声をあげて、その音の為に両手を天井に掲げた彼女は愛しそうに、そして寂しそうに笑った。 


「♪だけど私は

  あなたを愛する事しかできない・・・・・・」


 その姿は自分の命を捧げるようにも、子を思う母にも、恋人を信じる女にも見えた。


「♪あなたを信じていいの?

  あなたを愛していいの?

  あなたが私を愛してくれるのならば

  私はあなたに永遠をあげる・・・・・・」


 何かを信じるように祈り歌う彼女の歌声に誰も心が癒されていた。

 その奇跡を俺は酒に酔ったふりをしながら、ただ静かに見つめていた。

 魔法の媒介たるマナという物質が常に満ちているこの世界では、強い意思が魔法という奇跡を起すとこの異世界に来る前に学んだが、おかげで何が奇跡かかえって分からなくなり俺は苦笑する。

 癒しの光で傷を癒すのは魔法だろう。

 生身で空を飛ぶのも魔法だろうし、手から火の玉を撃ち出したり、互いに知らない世界の住人なのに意思疎通が簡単にできるのも魔法だろう。

 この世界には魔法が満ちている。

 だから、この酒場を魅了してみせたその笑みと歌声を魔法と言うのだろうか?

 魔法が無い世界から来た俺にその問いの答えは見つけられるわけが無かった。

 だが、俺もその魅了にかかったのだろう。

 彼女の祈りを受け止めたい、抱きしめたいとは思った。

 だから彼女の笑みから視線を反らす事ができなかった。


「♪幸せにしてね 私を 

  幸せにするわ あなたを

  幸せになるわ 明日は・・・・・・」


 歌い終わった女に対して酒場の全員からの惜しみない拍手が注がれるが、俺はただじっと彼女を見つめていた。

 その視線の先に、彼女を一夜の妻としようと望む男達に妖艶な笑みを振りまいている彼女が映っていた。


 とんとんとつつかれる指。

 気配を消しつつ、殺意の無いそれは俺がここで待っていた相手でもあった。

 戦場で修羅場をくぐっていると背後の気配に鋭敏になるものだが、それを何も感じさせなかったあたりその才能を見せ付けている。


「あれだけ女を囲っていながら、まだ女を見つめるその姿勢は尊敬しますね。

 ご主人」

「で、その女達の熾烈な争いをいつも勝ち抜いて、俺の隣で裸で寝ているお前こそ俺は尊敬するよ。ベル。

 親父。

 またたびエールと、何かつまむものを頼む」


 ベルを隣に座らせて、酒と食事には多すぎる一枚の銀貨をテーブルに置く。

 気づいてみれば、この異世界を知ってまだ半年も経っていないのに、既に帝国は優れた高価な品々を扱い、ダークエルフをはじめとする奴隷種を買い漁る黄金の国と呼ばれ始めていた。

 地球から持ち込んだ全ての物が金銀宝石に変わり、そのほとんどを奴隷種購入につぎ込んでいるからだ。


「で、あの歌姫は誰だ?」


 目線でベルに歌姫の事を尋ねた俺に、ベルはおやという顔でその問いに答えた。

「『歌妃』アニス。

 名前の由来はまんまね。

 けど、長年この街に君臨し、ご主人の国が買い取った『千夜一夜』ディアドラ去りし後の最高位の高級娼婦よ。

 一夜の値段が千夜に値するという、ディアドラと同じだけの金がいるイッソスの闇に咲く大輪の花。

 うちのマダムの商売敵さ」


 称号持ちの高級娼婦は顧客層が貴族・政府要人・大商人と国の中枢、またはそれに類する者達ゆえに、下手すると貴族並の生活を送っている。

 なお、俺がベルを買い取った金額は現在のアニスの一夜より安い。

 ついでに言うと、俺の波乱万丈よりあっさりとかつ大胆不敵にマダムはのし上がっていたりする。

 俺が言っていた『マダム』という二つ名が上流階級に広がったのもその証拠。

 これで、俺意外にまだ男に肌を許していないのだから、色々と詐欺だと思う。

 マダムの凄い所は、こちらの娼婦たちを立たせて自分では客を取らない所にある。

 さんざん男を煽らせておきながら、その話術としぐさで男を交わし、その男に会った娼婦を紹介して女達をあてがってゆく。

 大陸でマダムがやっていた事だが、これが見事なまでに当たる。

 さらに男達を煽ったのが館の玄関に置かれた一枚の絵である。

 印象派大家の絵に見えるのだが、そこに書かれている裸婦はどう見てもマダム。

 マダム曰く、東京に居た鑑定家兼画家商から譲ってもらったというか、こんな印象派の絵があっただろうか俺の少ない知識では分からない名画で、男達はマダムの衣装の下を想像し浮かれあがった所を話術で巧みにずらされて違う女と寝ているという魔法にかかってしまう。

 なお、二つ名獲得までにこんな笑い話があったりする。

 娼館の名前を決めようという事になって、『胡蝶館』と命名したまではいいのだが、


「そうしたら、私マダムバタフライね」


なんて睦み時に言い出すから、その二つ名は辞めてくれと頼み込んで他の面々がきょとんとする羽目に。

 で、昨日のあれは何なのさとベル以下の質問攻めにどう答えていいかと苦労した覚えが。

 蝶々婦人は物語として綺麗だけど、だからと言って物語の結末まで同じだとやりきれない。 

 話がそれた。


「で、仕事の方は終わったのか?」


 俺の確認にベルがまたたびエールを煽って胸を張る。


「もちろん!

 ガースルからきっちりとダークエルフを回収してきたわよ」


 ここで俺が一人酒を飲んでいた理由がそれだった。

 盗賊ギルドが山賊との癒着に街中でマンティコアを暴れさせた一件を責められて、現在大事になっているのだがそこから盗賊ギルド所有のダークエルフを買い叩いたのである。

 新しいギルドマスターになってしまったガースルは、マンティコアが暴れた損害の保障と配下の忠誠を買う必要があったのだが、換金できる金は前のギルドマスターが持ち逃げしていまだ発見されていない。

 で、高値で換金できるダークエルフをこちらに売る事で盗賊ギルドの娼婦部門をたたみ、そこの人員(ガースルの元が娼婦部門の長)を再配置する事で、まだ信頼できそうな人間をギルドの要所に置く事ができるこの取引にガースルは飛びついたのだった。

 蛸が自分の足を食べているようなものだが、そこまで盗賊ギルドが追い詰められている証左でもあった。


「だけど、いい性格しているわよね。

 ここまでしながらギルドに金落とさないなんて」


 ベルのあきれ声に俺が苦笑して返す。


「それを望んだのがベルだろうに。

 下手に口出したくないから、ここで待っていたんだぞ」


 今回の交渉で下手に口出ししたくないので俺はここで待つ事にし、ベルとボルマナの二人でスラムに行ってきてもらったのだった。

 ボルマナは途中で分かれて、ガースルから受け取ったダークエルフ請求書をダコン商会に持っていっており、ベルは俺の迎えという訳だ。


「じゃあ、帰るか」

「はーい。

 今日もたっぷりお仕事がんばったんだから、今夜は朝まで……ね♪」


 帰る為に立ち上がり、まだ椅子に座っていたベルの尻尾を見る。

 ふりふりと揺れる尻尾が獲物を狙うように揺れているのが見える。


「今夜『も』じゃないのか?」

「ひどーい!

 ご主人はあたしがあのわんこやあのマダムを押しのけて、朝までがんばる努力を分かっていないんだ!」


 そんな痴話喧嘩をしながら、俺達は『笑うカモメ亭』を出てゆく。

 世間では、俺の事を短期間で成功した冒険者だと思っているのだろう。

 店を出るとき、寄ってきた男達と艶話をするアニスと目が合う。

 彼女は俺に目で挨拶しながら、それ以上の事はしてこなかった。 

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