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バクー油田侵攻計画『ブラウ』

 当時第三帝国総統と陸軍中枢の間で、次の攻撃目標について大きく意見が分かれていた。

 総統は段々苦しくなる石油資源を確保する為にバクーへ目が行き、陸軍はモスクワを攻略してソ連の政治・軍事指揮中枢を崩壊させる事を目論んでいた。

 その議論に重大な影響を与えたのが、アフリカ戦線のイタリアの敗北とソ連冬季反攻の挫折だった。

 アフリカ戦線の敗北で余力ができた英軍がクレタ攻略の動きを見せ、ルーマニアの油田が爆撃圏に入るのを総統は何よりも恐れ、その前に新たな石油資源確保の為にバクー進撃を強く主張。

 ソ連軍の冬季反攻をスモンスク近郊で挫折させた事により、予備兵力の乏しくなったソ連軍はモスクワ近郊に兵を集中させていた事も総統の主張を強くしていた。

 これに対し陸軍はフランス戦の教訓からモスクワ陥落による指揮系統の崩壊と、集まっている予備兵力の撃破を主張。

 広がり続ける戦線と少なくなった予備兵力から、手打ちができる戦果を求めていたのである。

 陸軍とてナポレオンのモスクワ侵攻後にロシアがどうなったかぐらいは知っていたので、モスクワを落としても戦争が続く事はある程度覚悟はしていた。

 それを踏まえた上で、指揮系統と予備兵力を潰す事で先の戦闘を楽にと考えていたのである。

 議論は平行線を辿ったが、ここで陸軍参謀総長は一つの手を打った。

 あえて総統の意に沿った本来国家戦争計画であるカラーコードの名前まで与えられたほどの重要作戦、バクー油田侵攻計画『ブラウ』を提出したのである。

 ソ連の心臓でもあるバクー油田を押さえるこの計画の為に、南部方面軍を二つに分割。

 その一つを囮に使い中央軍集団と共にモスクワを攻略するふりをしてみせ、ソ連軍を吸引しその隙にバクーを落すという内容である。

 総統は数字を細かく覚える代わりに数字以上の事を知ろうとはしない。

 主軸となるB軍集団司令官に総統の覚えめでたい将軍を当て、その貴下に弱体なルーマニア・ハンガリー・イタリアやスペイン義勇兵等の同盟国軍と、陸軍と利害が対立する武装SSを組み込ませたのだ。

 東部戦線での権力確保を狙っていたSSはこの申し出を快諾。

 かくして書類上約50個師団という大軍団を総統お気に入りの将軍が指揮して、バクーを狙うという『ブラウ』作戦は承認された。

 だが、この作戦の真の狙いはその支援作戦である『クレーメル』にあった。

 これこそ参謀総長が、いや陸軍全てが待ち望んでいたモスクワ攻略作戦である。

 この支援作戦にかき集められた兵力は、スモンスクからクルスクにかけて全てドイツ軍で編成された二十個機甲師団を含む130個師団。

 指揮官も中央軍集団を統括するキラ星の将帥達は東部戦線で生き残り功績を立ててきた男達ばかりをかき集めた。

 支援作戦と銘打っているが、彼らならば大兵力の元彼らが指揮するというその意味を分かるだろう。

 モスクワ包囲の為に南から迂回した後、ソ連が予備兵力を動かさなかったらバクーが落ちる。

 逆に、ソ連が予備兵力を動かして叩こうとした場合、この軍団でモスクワを落す。

 予備兵力の撃破をあきらめてモスクワ攻略に目標を一本化した為、参謀本部の殆どが囮と認識している将軍がスターリングラードに入るあたりで、ソ連軍予備兵力に補足される事を願っていた。

 そこまでソ連予備兵力が南下すればモスクワ攻略の時間は十分にある。

 そして、その参謀総長の思惑を総統お気に入りの将軍はしっかりと認識していた。



 ソ連には母なる大地を守護する二人の将軍がいる。

 一人は冬将軍。

 その寒さで敵を凍死させてゆく。

 もう一人は泥将軍。

 その泥濘に軍の足は取られてしまうのだ。

 この二人の将軍がまだ力を振るっている四月初頭に、ドイツ軍は東部戦線の中部と南部の全域で攻勢に出た。

 激しく打ち鳴らされる砲火の音に私は顔をしかめる。


「桁違いの戦車、桁違いの砲、アフリカとは大違いですね」

「アフリカでの戦争は祖国にとって所詮人事だったという事だろうな」


 参謀長の軽口に私も皮肉を持って返す。

 激しい砲撃戦で二人がいる場所の近くにも砲弾が飛んできているのだが、私も参謀長も気にしていない。

 去年のトブルク攻防戦はイギリスのクルセイダー作戦によって消耗した為に、一時兵をリビアに下げて改めてトブルクを攻めようとした。

 シチリアにドラゴンが住み着いてイタリア軍が裏崩れさえ起こさなければ、今頃はまたトブルクを攻めていただろう。

 この裏崩れの結果総統閣下はアフリカ戦線を見捨て、私の指揮下のアフリカ軍団に帰国命令を出して我らは東部戦線へと送られた。

 だが、我らがやってきた時には既に大寒波はロシアの大地で吹き荒れており、ソ連軍ですら戦えない状況だった。


「でも悪い話じゃないですね。

 ここでは、定数どおりに戦車がある」


 参謀長が笑いながら、Ⅳ号FⅡ型戦車を拳で軽く叩く。

 私がB軍集団を指揮するにあたって総統に直談判して捻じ込んだのは戦車であり、総統も『ブラウ』作戦の主戦力である私の為に戦車を用意してくれたのだ。

 私が率いている機甲師団の全戦車が最新鋭のⅣ号F型かⅣ号FⅡ型、Ⅲ号J型によって編成され定数を満たしていた。


「だが、我々の仕事は相変わらず脇役らしいな」

「作戦主軸と位置づけられているのですがね」


 私の皮肉に参謀長も苦笑で答える。

 私直轄の三個機甲師団は申し分無いのだが、他の師団が悪すぎた。

 特にアフリカから引き上げる原因となったイタリア軍がいるあたりで幕僚の一人は「あいつらの顔すら見たくない」と吐き捨てたほどだった。

 他のルーマニア軍や武装SSもⅡ号やⅢ号装備なので押して知るべし。

 そんな軍を率いて、はるかに優秀なT34を持つソ連軍と死闘をせねばならぬとなれば私も皮肉の一つも言いたくなる。

 私は自分達が囮である事に気づいていた。

 だが囮とはいえ、頼りない同盟軍と武装SSとはいえ、約50個師団を率いる軍集団の司令官という地位は魅力だったし、私とて勝算が無い訳ではない。


「さて、参謀長。

 この戦場で我々はどう戦うべきだと思う?」


 私はアフリカの砂漠からロシアの大地に来る過程で二つの事を学んだ。

 同盟軍はあてにならない事と、自分の食い扶持(補給)は自分で抑えておかないと、結局自分が泣きを見るという二つを。

 参謀長もアフリカ戦の経験から私が何を言わんとしているのか良く分かっていた。


「同盟軍をあてにすると戦闘に負けます。

 それに、中央でドイツの同胞が血を流している時に、あてにならない同盟国にまで補給を与えるほど総統も寛大ではないでしょう。

 我々は総統から与えられたこの三個機甲師団でソ連軍と戦わなければなりません」


 意地悪な笑みを浮べて私が愚痴る。


「参謀本部の連中は我々がソ連軍に補足・包囲される事を望んでいる。

 それを避ける為には?」


 同じように参謀長も意地悪な笑みを浮べた。


「拘束される都市戦闘はさける」

「分かっているじゃないか。参謀長」


 愉しそうな声を上げる私に参謀長はそのまま話を続けた。


「このロストフをはじめとして、都市戦は血気盛んな武装SSにでも任せてしまいましょう。

 それでどうします?」


 激しい砲撃に黒煙を上げ続けるロストフを眺めながら私は口を開いた。


「我々はドン河を渡らない」

「カフカス方面に進出しないので?」


 私は視線をドン河に向けた。


「この大河を越えて補給をするのは、リビアから砂漠を越えて補給をするのと多分等しいと思うぞ」

「おっしゃるとおりで」


 『ブラウ』作戦の命令書には、『ロストフ攻略を手始めにスターリングラードを落とし、カフカスに侵攻。最終目標バクー油田』としか書かれていない。

 この作戦が陽動作戦である為、参謀総長が与えた作戦自由度を私は読み取っていた。


「要するに、モスクワの予備兵力がこっちにくればいいと参謀本部のお歴々は考えているわけだ」


 参謀長の皮肉に答えずに私は話を続けた。


「ロストフを落としてドン河沿岸沿いに進撃する。

 同盟国軍も川沿いに陣地を構築すればソ連軍でも渡河は難しいだろう」


 ソ連軍が反撃を考えるならばドン河渡河を考えねばならない。

 そして、こちらがためらうぐらいなので、ドン河渡河は手間隙がかかる。


「で、神出鬼没に小規模部隊でドン河を超えてソ連軍を撹乱すると。

 スターリングラードは?」


「命令だからな。行くさ」


 私はスターリングラードを「落す」とは言わない。


「つまり、トブルクと同じさ」


 やばくなったら総統の死守命令が出される前に一撃を浴びせて逃げると参謀長は理解する。

 この作戦の本質はモスクワから予備部隊を引き離す為であって、スターリングラードやバクー油田を占拠する訳ではないと私は読み取っていた。

 そして、ソ連軍に食わせる餌が総統お気に入りで『砂漠の狐』と呼ばれた私のスターリングラード侵攻なのだから。


「派手に暴れて、モスクワの耳目を引きつけながら堂々とスターリングラードに入ってしまえば『ブラウ』は成功したも同じさ。

 後は、参謀本部に任せておけばいい」


 私達が話していると、大量のトラックが二人の横を通り過ぎていった。

 トラックが横を通るたびに兵士達が歓呼の声をあげる。

 私はロシアでもアフリカと同じように、兵士達と共に暮らし、兵士達より前に出る事により兵の信頼を勝ち取っていた。

 さすがに軍集団を率いる身ゆえ「最前線に立ってくれるな」との幕僚達の嘆願によって砲戦陣地にて戦況を見守っているのだが、それでも危険な事にはかわりは無い。

 兵士の歓呼に耳を傾けて敬礼していた私だが、聞きなれない声を聞いて参謀長に尋ねる。


「今のトラック、女性の声がしなかったか?」


 吐き捨てるように参謀長が答える。


「SSの女性義勇兵ですよ。

 やつら、陸軍に張り合う為だけにここに出張ってきていますからね。

 これだけ国家に貢献しているというプロパガンダの為に志願して来たそうです」


 ソ連が市民を巻き込んでの防衛戦をしている事もあって女性兵士の比率は高く、この作戦以降ドイツも負けじと女性兵士を大量に動員してゆく事になり、東部戦線での独ソ両軍の女性兵士への陵辱は後の世にまで残るだろう悲惨な結果となる。


「時代は変わったな」


 ぽつりと私が呟くのに参謀長が冗談を言った。


「けど、一つだけいい事があります。

 あのSSの女性義勇兵が来てから、イタ公が逃げなくなりました」


 悲しげな顔のまま私は笑った。


「それは嬉しい事だな。

 我々は鉄十字勲章を受け取る資格がある彼女達の多くを祖国に帰さねばならんぞ」


 二人にはロストフからの砲撃が弱くなり、そのイタリア軍と武装SSの兵士達がロストフに突入するのが見えていた。

 その日の夕方、ロストフは陥落した。


「『砂漠の狐』、勇敢なるSS将兵を率いてロストフを攻略!」


の報告は大々的に宣伝され、以降彼は信じられないスピードでドン河沿いに進撃してゆき、神出鬼没にソ連軍を翻弄する将軍に『雪原の狐』と新たなあだ名が加わる事になる。

 それはソ連も彼の事を無視できない事の現れであり、参謀総長の目論見どおりソ連軍予備兵力の南下を誘う事となった。

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