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マダムリターンズ その一

「この手紙が渡っているという事は、俺はこの世に居ない事になっているはずだ」


という文面から始まった手紙をマダムから受け取った俺は、手を震わせながらその手紙を読む。

 間違いなく検閲されるのを予期した片桐少尉の手紙は、驚くほど情報が少なかった。

 まとめると書かれていたのは、


「神堂中尉の所に逃げろ」


という事だけ。

 片桐少尉は俺が大尉に昇進した事は知らないらしい。

 だが、それ以上にこの手紙のやばさがひしひしと伝わってくる。

 俺が異世界に島流しになっている事は片桐少尉は知らないだろう。

 だが、マダムが上海の店をヴァハ特務大尉に渡して、本土に行った事は知っているのだろう。

 そして、俺が帝国の暗部を知ってしまって警戒される場所にいるというぐらいは、推測できるという事だ。

 そんな俺の所に逃げ込めと片桐少尉は遺書という形でマダムに伝えた。

 それは、本土すら安全ではないと言っているのと同じ事である。


「この手紙ヴァハちゃんが持ってきてくれてね。

 この船に乗っているの。

 読んだら来て欲しいって」


 寂しそうに微笑むマダムの顔を見ずに、俺は急ぎ足でヴァハ特務大尉のいる部屋に向かう。

 そこには、当然のように内海審議官が居て、俺は異世界で楽しくやっている間、帝国がどうなっているのか知る羽目になる。



「お久しぶりです。

 とりあえず挨拶はあとでするとして、状況を説明します」


 淡々と語るヴァハ特務大尉の姿は最初に合った時と変わらない。

 それゆえに、変わってしまった自分を強く思ってしまう。


「欧州大戦ですが、独逸軍の進撃が再開しました。

 独逸軍はバクー油田を目指していると思われます」


 テーブルの上に地図が広げられ、細かく書き加えられた戦況図は特秘ものだと悟ったが、俺も口に出すほど馬鹿ではない。


「作戦名『ブラウ』。

 本来国家戦争計画であるカラーコードの名前まで与えられたほどの重要作戦で、その陽動としてモスクワ攻略作戦『クレーメル』を発動しています」


 ヴァハ特務大尉の言葉に淀みは無く、内海審議官の顔に動揺はない。

 つまり、二人とも知っている事を俺に告げているに過ぎないのだ。


「北方軍集団は、この冬将軍の影響をもっとも強く受け、かつ冬の期間も長い事もありレニングラード方面の包囲にとどめ、余剰兵力を中央軍集団に抽出。

 中央軍集団は、この北方軍集団転属兵力を予備として、『ブラウ』の陽動作戦としてモスクワ攻略作戦『クレーメル』を発動。

 モスクワ南方より迂回してモスクワを包囲するふりをみせて、この行動でソ連軍予備兵力を拘束します。 

 南方軍集団はA軍集団とB軍集団に分割し、A軍集団は中央軍集団の南方迂回の支援に。

 『ブラウ』作戦の主力となるB軍集団ですが、彼らにはロストフ攻略を手始めにスターリングラードを落とし、カフカスに侵攻。

 長躯バクー油田を押さえるというのが計画の骨子です。

 参加師団数百八十。総兵力二百万を超える一大作戦です。

 これにソ連軍はモスクワ近郊に集めていた予備兵力を南下させて、スターリングラード近郊で独逸軍と交戦中。

 更に、極東軍を呼び寄せる為満ソ国境全域で無線封鎖を実施中ですが、この軍勢が今の戦闘に間に合うかどうかは微妙な所です」


 なるほど。

 先の無線封鎖はこれ絡みだったのか。

 俺が理解したのを確認して、ヴァハ特務大尉は新たな地図を出す。

 これは、俺が居た大陸の地図だった。


「これに歩調を合わせたのか知りませんが、上海・南京および長江流域で国民党による共産党の弾圧が開始され、共産党が徹底抗戦を宣言。

 大陸が内戦状態に突入しました」


 ついに来たかという思いしかわかない国共内戦の再発である。

 そして、重ねられた二枚の地図の空白地帯を見て戦慄が走る。

 国共内戦が勃発した以上、双方他所に手出しはできない。

 ソ連極東軍はモスクワ防衛の為に引き抜かれた。

 では、間にある満州に滞在している帝国は?

 いや。

 ノモンハンの復讐に燃える陸軍強硬派はどう動く?

 俺が確信に辿り着いて顔色を変えたのを確認して、内海審議官が口を開いた。

 つまり、最高機密を。


「かねてより内偵を進めていた神祇院は、陸軍に内偵情報を提供。

 陸軍は『戦争終結に伴う組織改変』を名目に、春の人事異動に合わせて、関東軍内部の強硬派のパージに成功した」


 さらりと言ってのけたが、実質的な粛清である。

 ソ連みたいな大粛清をした訳ではないだろうが、不自然な自殺とかが出たのだろう。きっと。

 まさか、片桐少尉は……


「問題は満州国軍でね。

 多くのパージ候補者が先に満州国軍に移ったからこそ、関東軍が掌握できたふしもあるから何ともいえないが、国民党レンドリースの横流し品と陸軍で食えなくなった連中をまとめて引き取ったおかげで、いまや総兵力三十万を数える満州防衛の柱だ。

 ここがどう動くか怪しくなっている」


 満州国は帝国の傀儡国家であるが、それゆえに色々と立ち回りが怪しい所が多々あった。

 実際、満州国軍と外蒙古軍の衝突が帝国とソ連を呼び寄せて、軍事衝突に発展したケースがノモンハン事件なのだから。

 またこれをやられた場合、いくら関東軍が黙っていても国際社会は帝国がソ連を挑発していると見てしまうだろう。


「それだけならば、まだどうにでもなる。

 君の知り合いをここに逃がした事で察しただろう。

 本土で、これに連動する動きがある」


 俺の考えを読んでいたのか、内海審議官の不意の言葉に完全に時が止まった。

 思い出すのは雪の帝都に起こった惨劇。二・二六事件。

 今の本土は竜神降臨による戦争の足抜けと、女性参政権がらみで英独の工作激しい魔界と化してしまっている。

 そこに、満州国という更なる爆弾が運び込まれたという訳だ。

 火花一つで何が起こるか考えたくも無い。


「私は君を先物買いして良かったと本当に思っているよ。

 君の知り合いからの手紙を見なければ、確信が持てなかったからね。

 それだけでも、君は英雄たる仕事をしてくれた。

 彼女がこの船に乗っているのは、その礼と考えてもらってかまわない」


 淡々と言ってのける内海審議官だが、マダムの身柄確保に感謝する事も、片桐少尉が死んだ事になって何処に潜ったのかも忘れる一言を言ってのけた。


「既に、上は来るべき『事件』に向けて行動に移っている。

 その為、異世界は儲けが出ている限りは下手に動きたくは無い。

 しばらくは、冒険者を楽しみたまえ」



 第四次異世界派遣船団は護国丸と清澄丸に金龍丸と三隻の特設巡洋艦に第一二駆逐隊(叢雲・東雲・白雲)の三隻、今回は駆逐艦が三隻なので、軽巡洋艦の鬼怒を持ってきたとはヴァハ特務大尉の説明である。

 三隻もの特設巡洋艦に何を積んでいるのかだが、いつものイッソス向けの商品以外の残りは撫子三角州に駐屯する陸海軍の将兵達だという。

 海軍陸戦隊はこの増援で大隊規模になり、陸軍はこの地に一気に連隊を置くという。


「ずいぶん急だな。

 あんな話を聞いた後だと」


 歩きながら呟いた俺の言葉にヴァハ特務大尉が口を挟む。


「あんな話の後だから、急いでいるんですよ」

(それに、陸軍の連隊はパージした方々で編成しています。

 あまり関わりになりませんように)


 後半部のテレパスにたまらず苦笑するしかない。

 なるほど。

 ここならば何をしても問題は本土に波及しないか。


「神堂中尉ですか!

 お久しぶりです!!」


 声がかけられて振り向くと、そこには大陸で率いていた兵達がいた。


「なんだ。

 こんな所にまでやってきて、除隊できただろうに」


 多分、マダムと一緒で、保護してもらったのだろう。

 あっという間に、俺たちの周りを十人ほどの兵が囲む。


「今は、大尉ですか。

 昇進おめでとうございます」

「自分は東北の水飲み百姓の次男坊でして、帰っても飯が食えないからと残った口なんですよ」

「除隊した連中以外で食えない奴等は、みんな隣の特務大尉に拾われてこっちに」


 片桐少尉は兵達を巻き込まなかったらしい。

 とはいえ、累が及ぶのを避ける為には、マダムと同じくこっちに連れて来なければならなかったという所なのだろう。


「彼らについては?」 


 俺の言葉にヴァハ特務大尉がわざとらしく答えてみせる。

 どうせ答えが分かっている問いだからこそ、冗談にできるのだ。


「大尉と同じく、出向扱いでこっちに来てもらっています。

 大尉が買った館の警護も必要でしょうし」


 こっちで使ってかまわないらしい。

 実際、館の警護については頭を抱えていたので助かる。


「まぁ、こんな異世界まできて俺と付き合う事になるがよろしく頼む」


 兵達は俺の言葉に綺麗な敬礼で返した。

 そんなやりとりを経て兵達と分かれて食堂に入ると、そこには修羅場が発生していた。


「あ、ご主人」

「あ、辰馬くん」


 ただ一言。

 その一言にこめられた意地と色気と敵意の凄い事と言ったら。

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