地下水道の悪魔
「ねぇご主人。
何を書いているの?」
部屋の明かりの中、机でノートに書いていた俺の後ろから、ベルの豊満な胸が押し付けられる。
その感触を楽しみながらも、俺はノートに書く手を止めない。
「報告書。
次に船が来た時に渡すと、色々と便宜を図ってもらえる」
「なるほど。
それがご主人の生活の種だったか」
日本語で報告書を書いているから、ベルには何が書いているか分からない。
一方で俺もこちらの言葉が分からないので、ベルやボルマナに教えてもらっている途中だったりする。
「で、何を書いているの?」
興味深々で再度聞いてきたベルに俺は鉛筆の手を止めて教えてやる。
「とりあえず、三日目と四日目の収支」
三日目は大鼠二匹を仕留め銀貨四枚、四日目はなれてきたのか大鼠三匹を仕留めたが、一匹は小物だったので銀貨五枚という収支である。
悪い収支ではないが、初期投資を考えると割に合わないと感じてしまうのは致し方ない。
ベルを買った分が大きいが、考えてみるとボルマナもいるので、その価格を考えたら金貨百枚を超える大規模投資である。
大体一日銀貨一枚を貯めるとして、百日かけて金貨一枚だからこちらの世界の冒険者ができない投資金額だ。
ぼんぼんのお遊びと言われてもまったく言い返せない。
俺はそのままベルの方を向いて、ベルの鼻に指をつきつける。
「ついでに、お前の抱えているトラブルについても報告する。
洗いざらい吐いちまえ」
俺がそれを告げると、ベルがむっとした顔になる。
三日目と四日目も嫌がらせがあった。
帰り道に油がまかれて足が滑りやすくなっていたり、水路の中に尖がった木の杭を刺して、そこに落ちるように黒い塗料で見えにくくしたロープが張られていたり。
全部先にベルが見つけて対処したが。
「落とし前はあたしがつけるからいいのに……」
一回目の襲撃の件の後、高価な虎ばさみ(銀貨十枚で売れた)まで使った計画的な襲撃を、ベルは盗賊ギルドの仕業と決め付けていたのである。
当然、そんな事をされるだけの理由がベルにはあった。
「ギルドの中でガースルと仲が悪かったのは分かるでしょ。
やつとはちょっとした因縁があるのよ」
そこに髪をふいていたボルマナが加わる。
『栄光の船旅亭』の浴場から上がったばかりで、地下水道の匂いが落とせるのは本当にありがたい。
「ガースルとはギルド幹部を争う仲とお見受けしましたが?」
「そう。
あたしよりも長はガースルをとったという訳。
で、いやがらせを長く受けてね」
ベルのつぶやきを俺はノートに書きながら、気になる点を尋ねた。
「俺に買われたのだから、もうギルドとは関係が無いんじゃないのか?」
「そうよ。
関係ないはずなんだけど、あいつ娼婦を預かっているでしょう。
娼婦連中にあいつ受けがよくないのよ」
なんとなく図式が見えてきた。
ベルが娼婦達の支持を集めていたが、娼婦達の長についたのはガースルで、そのいやがらせを受けるようになった娼婦達はどうなっているかという事か。
俺がノートに書いているとボルマナがベルに質問する。
「そんな彼がどうして娼婦達の長についているのですか?
盗賊ギルドなんて実力社会ですから、奴隷種だからといって無碍に迫害されるとも思えないんですが……」
「ガースルは今のギルドの長が送り込んだ男で、『千夜一夜』と謳われているディアドラを抱え込んでいるのさ。
私らが一夜銀貨数枚で男達相手に腰をふるのに、あれはこの国の貴族や富豪相手ににこり微笑むだけで金貨がふところに入ってくる。
悔しいが勝てないね」
ディアドラの名前を聞いてボルマナが震える。
知っているのかと俺が言おうとする前に、ボルマナが彼女について語ってくれる。
「『千夜一夜』ディアドラ。
この国でも名高い高級娼婦で、サキュバスです」
その言葉に俺も書いていた手を止める。
竜神様の眷属として、黒長耳族社会の長老格にあたるサキュバスは、彼女達によって財政再建を目指す帝国にとって是が非でも迎え入れたい重要人物になる。
話がそれつつあるので、俺はガースルの意図にしぼってベルに質問をなげかけた。
「要するに、ガースルはベルをどうしたいんだ?」
「本気で殺しにこなかった。
殺すならば複数で確実に狙ってくるし、こっちが三人居るのを分かっていたから、それ以上の人数を揃えるわよ。
しかも、装備を整えていたのは知っていたから、あれで死ぬとも思っていない攻撃で引き上げたのは、純粋にいやがらせだと思う」
「いやがらせ?」
ボルマナが俺の代わりに返事をすると、ベルは俺から離れて肩をすくめた。
「こうやっていれば、あたしはガースルに報復できない。
奴に報復する場合、証拠を残さない必要があるの。
今の私はご主人に買われたから、ギルドから離脱している形になっている。
その状況で、証拠を残す形でガースルに報復したら、その仕返しがご主人に行く」
ベルの言葉を聞いてため息が出る。
どちらかといえばやくざの因縁つけに等しいって、考えてみたらまんまか。これは。
「現在自由に動けるベルの報復に、ガースルは警戒せざるを得ないのです。
それで、いやがらせをしながらこちらを動けなくしているのでしょう。
わたしたちの存在がベルにとって足かせになっていますね」
ボルマナの状況分析をノートに書き取りながら、俺は対抗策はないかと尋ねてみる。
返ってきた言葉は二人とも手打ちだった。
「いやがらせのレベルで押さえているのが腹立たしいのよ。
さっさと手打ちしてガースルの優位を認めてしまえば止めるんでしょうけどね」
「要するに、盗賊ギルドに金を払えって事です。
向こうも金さえもらえるならば金づるに手は出してきませんよ」
明治維新を経てまがりなりにも近代国家になった帝国士官の俺からすれば、頭が痛くなる結論だがそれもこれもこの国の行政組織の治安維持能力の低さに起因するわけで。
二人が見つめる中、思わずぽんと手を叩いた。
「何?ご主人?」
「どうしました?」
「……いや、なんでもない」
言えないし、言いたくない。
郷に入らば郷に従えともあるが、欧米列強が押し付けた治外法権はある意味正しかったという一言を。
ましてや、大陸でさんざんそれに振り回されてしまった列強の一員として。
翌日。
地下水道にまた潜る前にベルが声をかけた。
「ご主人。
ギルドに金は払わないのかい?」
結局、ギルドに金を払うのはやめる事にした。
俺個人ならば払ってもいいのだが、帝国の一員として考えた場合、それが前例になるのがまずいと思ったからだ。
既に気分は、黒船来航後に開かれた港町にやってきた外国人のようなものだ。
ここで大陸を例に出さなかったのは、あっちは国共対立に政府組織が腐敗しきって役に立たなかったからで、治外法権どころか組織そのものが使えないという寒い理由が。
こっちのカッパドキア共和国政府がどの程度の行政能力を持っているかという所だが、ギルドの存在を黙認している時点でおおよそわかる。
「上に報告してからだ。
しばらくはいやがらせを受ける事になるが、よろしく頼む。ベル」
俺が頭を下げるとベルは尻尾をふりながら照れる。
「しょうがないなぁ。
まぁ、あたしが居る限り怪我はさせないから安心しな。
ご主人」
「で、今日も大鼠ですか?」
ボルマナの言葉に、俺は返事を返す。
「そうだな。
今日も無理をせずに行こう」
そんな訳で地下水道に潜る。
このあたりになると明らかに俺達を見る冒険者達を尻目に最後に入る。
庶民街あたりの地下水道をある程度進み、大鼠を一匹しとめた所でそれに気づいた。
ぬめぬめしたそれはナメクジにも似ているが、形状が溶けた餅のような形をしている。
大きさは米俵ぐらいで実に不気味だ。
「あれは何だ?」
俺の言葉にボルマナが返事をする。
「スライムですね。
あれも接着剤なんかの素材になるので売れるんですが、体や剣を溶かすのでみんな避けているのですよ」
そのスライムはベルの一突きで見事に動かなくなる。
ショートソードを引き抜くと、中から体液が溢れて水路にたれてゆく。
「こいつは動きは遅いけど、叩いても傷つかない。
真ん中に赤い核があるからそれを突けばこうなる訳。
ちなみに火にも弱い。
ここに潜る冒険者の天敵の一つ」
大鼠を狙う冒険者の多くが初心者もしくは資金不足の冒険者で、武器は棍棒などが多く、場合によっては松明で殴っている輩も居る。
そんな連中にとって、打撃が効かないのは致命傷になる。
松明で焼くのもありだが、それをすると当たり前だが火が消える。
地下水路の生物も冒険者対策をしているなと納得しながらなんとなく気づく。
「そういえば、これだけの水路なのに蝙蝠がいないのはどうしてだ?」
「こいつらが理由さ。ご主人。
スライムはその粘着力で天井にも張り付いて、蝙蝠や鼠を捕まえて溶かして食べちまう。
で、生き残ったやつは汚染マナを吸って巨大化して、今度はスライムを餌にする」
「という事は、大蝙蝠もいるという訳だ。
こいつが、この地下水道で一番厄介なのか?」
俺の質問に、二人は同時に首を横に振った。
その顔が真剣なので、かなり厄介なものだろうと思ったら出できた言葉は意外なものだった。
「ごきぶり」
「ごきぶりです」
「……ごきぶり?」
二人とも真顔で嘘は言っていないらしい。
ベルが思い出して寒気がしたらしく体を震わせて呟く。
「人の大きさのごきぶりが信じられない速さでこっちに向かって襲ってくる。
あれはもう恐怖以外の何者でもないよ」
「こんな場所ですから当然生息している訳で、それが汚染マナを吸って巨大化したと。
あれが出た場合、騎士団が動く大捕り物になります。
ちなみに倒したら金貨五枚。
それだけの危険度をあれは持っているのです」
ボルマナの淡々とした説明に、これが冗談でもなんでもないという事を俺はいやでも思い知る。
そうなると、それが出る場所に俺達が居る事が怖くなってくる訳で。
「どれぐらいの確率で出るんだ?
ごきぶり」
こっちが怯えたのを感じ取って、ベルがリラックスさせようと俺の肩を叩く。
「そこまで心配しなくていいよ。ご主人。
それを踏まえて、あたしらは最後に入っているんだ。
あたしらの前に出る前に誰か食べられているって」
「出るとしたらスラムの水道でしょうね。
あっちは餌が豊富にありますから」
ボルマナの言葉を聞きながら、俺はノートに書いた地下水道の地図を確認する。
水源地から引いた水が、上水道と下水道に分離するのは前に話したと思う。
だが、これは城壁内に囲まれた中の話。
外に自然発生したスラムはその地下水道に勝手に繋がるように下水が作られている。
もちろん、そんな勝手をやってのけたのは盗賊ギルドだ。
管理なんてされている訳がなく、衛生状態が最悪だが、その分モンスターの湧きは良い。
「つまり、この奥に行けば行くほど危険になると」
タイミング悪く、地下水道奥から冒険者の悲鳴が聞こえる。
そのまま俺はベルとボルマナの顔を見て呟く。
「引くぞ。
ベル。前に出て罠を頼む。
ボルマナ。
取った鼠は置いてゆくぞ。
俺が松明を持つから、ボルマナが盾を持ってくれ」
「了解」
ベルがショートソードを持ち、前に出て棒で突きながら来た道を戻る。
「わかりました」
ボルマナが大鼠の死骸を通路の傍に置いて、俺の盾と松明を交換する。
相手がごきぶりならば、格好の餌を食べない選択肢はないだろう。
その間に逃げる事ができる訳だ。
俺たちはできるだけ早足で地下水路を戻る。
焦りが不安を呼び、地下水路に響く足音がそれを更に増幅させる。
だが、その不安が的中したのが己の選択の正しさを確信し、かえって落ち着きを取り戻す。
「ごきぶりだぁぁぁぁぁ!!!」
俺たちの後ろから冒険者の最後の叫びが地下水道にこだまする。
ここまで聞こえるという事は、スラムを出て庶民街の方までごきぶりが出たという事なのだろう。
地下水路内を冒険者達の動揺と悲鳴が入り混じり、混乱が生じる。
「助けてくれぇ!」
「出口は!
出口はどっちだ!!」
「いやだ!
俺はまだ死にたくない……」
こうなるともうどうしようもない。
装備も整っておらず、地図すら把握していない彼らが無事に戻ってこれる確率はものすごく低くなるだろう。
俺の鼻に潮の香りがする。
出口が見えてくると、流石にほっとするが、ベルが立ち止まる。
「罠か?」
「少し待ってくれ。ご主人。
調べるから」
「できるだけ早くお願いします。ベル」
盾を構えたままボルマナが後ろを向き、ベルは棒でつつきながら入り口にたどり着く。
「衛視がいない?
鍵は……かかっていない。
ご主人!
安全は確保した!」
ベルが檻の内開きの扉を開けるのを見て、俺は走りながら叫ぶ。
「よくやった!ベル!
ボルマナ!走るぞ!!」
俺が地下水道から出て、ボルマナがその後に続く。
檻のドアを閉めるとやっと気が抜けたらしく地面に座り込む。
「大丈夫ですか?」
「はは。
いまさら震えが来たよ」
ボルマナが俺の背中をさすっていると、ベルが俺の前にやってくる。
その顔は出た安堵感よりも厄介事でうんざりしていた。
「衛視詰め所で衛視が倒れていたよ。
気を失っているみたいだ。
薬で起こしたいがいいかい?」
衛視を起こして事情を説明すると、慌てて騎士団の方に連絡が行き大騒ぎとなる。
俺たちの前に一人出てきたらしいがこいつに当身を食らわされて、ベルが起こすまで詰所で気を失っていたらしい。
結局、この日地下水道に潜った冒険者達の内、五人が帰ってこなかった。
翌日。
地下水道にごきぶりが出たというニュースは、瞬く間に街の中に広がった。
そして、ある程度の実力がある冒険者にとっては、格好の稼ぎになる訳で。
食事に来た俺たちが見たものは、いつも以上に冒険者達で賑わっている『笑うカモメ亭』だった。
「よう。無事だったか」
「おかげさまで。
獲物を投げ捨てて逃げてきましたよ」
俺がカウンターに座ると、ボルマナが後ろに立ち、ベルが横に座る。
ベルとボルマナは後で交代して食事を取るのだが、なんとなくこのスタイルが身についてしまった。
昨日の経験者という事で周囲の冒険者達の視線がいたい。
今の会話で侮る人間が少し、興味を持ったのがほとんどとベルからのテレパスで教えてもらう。
軍でもそうだが、撤退が最も難しい。
獲物を捨てて逃げ出したという一言が、さらにこちらの判断力を飾ってくれる。
「ここの初心者どもから話を聞いたが、支離滅裂でな。
あんたらならば何か知っていると思ってね」
俺が口を開く前にベルが口を挟む。
「それは大事な商売の種なの。
何しろ、地下水道に潜れないから飯の種がなくってね」
ベルが羊皮紙をマスターに渡すと、マスターが思わず叫ぶ。
「こ、こいつは地下水道の地図じゃないか!
しかも、昨日の情報が書かれている!!」
俺でもわかる冒険者の食いついた視線を受けて思わず笑ってしまう。
わざわざ危ない所に潜るつもりはない。
万一盗賊ギルドにいちゃもんをつけられないように、ベルが知っている情報は伏せたが、何処で悲鳴が聞こえたかとこちらの探索ルートを書き込んである。
「こいつを売ろうって訳だ。
マスターだったらいくらで買うかい?」
俺の言葉にしばらく固まったマスターが声を出した。
「銀貨三十五枚」
「売った」
大体一週間分の稼ぎを得る事ができた訳だが、マスターはこれを銀貨五十枚で売ったそうだ。
それでもごきぶりを退治できれば金貨五枚。
必要経費と割り切れる冒険者がそれを買っていたという。
「お前たちは潜らないのか?」
銀貨を渡しながらマスターがたずねるが、俺は首を横に振った。
「俺たちの腕で討伐に参加しても足手まといになるだけさ」
食事を取った後、『栄光の船宿亭』に戻る。
「で、とりあえず稼げたけど、この後どうするの?
ご主人」
ベルの言葉に俺はのんびりと背を伸ばしながら返事をした。
「勉強でもしながら、船を待つさ」
何だろう……チートを書くはずが、初心者冒険者の日常物になっているような気が……




