冒険者一日目 その二
『笑うカモメ亭』を出た俺達は一度、拠点である『栄光の船旅亭』に戻った。
ベルの分の宿をこちらに移す為だ。
部屋はそのままで銀貨百枚を追加で支払う。
「そういえばご主人。
あたしの首輪これで良いわけ?」
首輪には本来隷属や制約系の魔法がかけられる。
それをつけていないという事は、ベルは自由に振舞えるのだ。
もちろん、逃げ出す事も、裏切ることも。
だが、俺はそんなベルの問いかけを一笑に付した。
「いいぞ。
ボルマナもそうだが、俺は首輪の隷属や制約の魔法を使おうとは思わない。
とはいえ、互いが知り合ったばかりでお互いを知らないのも事実だ。
だから、使わない事が信用の証だと思ってくれ」
このあたりも実はマダム仕込みだったりする。
あの人は、『得るならばまず与えよ』を素で行っている人だった。
だからこそ、あの人の周りにはあの人になりたいと願った高級娼婦達が集まっていたのである。
「あれ?
ボルマナもこっちで買われた口?」
「似たようなものですね。
正直、貴方に金貨三十五枚も払うなんてと思っていました。
謝罪します」
盗賊兼娼婦というベルが掘り出し物という評価しか与えられないのは、当然マイナス評価もあるからである。
第一に猫耳族--ワーキャット--特有の気まぐれさ。
第二に相手などお構い無しの淫乱な所。
第三に人ではない猫耳族そのものの理由で。
彼女のように、人間形態に獣の耳を生やした種族を総称して獣耳族と呼ぶ。
この異世界に君臨していた古代魔術文明が、主に愛玩用として奴隷種の肉体を改造して作った種が野生化した物なので、異世界における社会的地位は低い。
なお、そんな傲慢かつ高度な魔法技術を誇った古代魔術文明は、約五百年前に発生した『大崩壊』と呼ばれる世界規模の大災害によって滅ぶまで、異世界の過半を支配し異世界人類の覇権を決定付けたのだが、その覇権争いに敗れたのが地球にまで逃れた竜とその眷属こと奴隷種だったりする。
獣耳族は野生化して山森に住んでいる種を除けば、街で見る者は全て人間の奴隷として扱われており、立場は奴隷種とさして変わらない。
組み合わせた動物の能力まで取りこんだ獣耳族は実に使い勝手のいい奴隷だったのだ。
「ん?
今気づいたんだが、お前らって男性の種族はいるのか?」
男女そろうのが当たり前だからこそ気にしなかったのだが、出会う連中がのきなみ女性ばかりだといやでもその不自然に気づく。
で、俺の常識を見事なまでに打ち砕く一言をボルマナが言う。
「居ませんよ。
同族で繁殖する場合、魔法で生やして子供を生むんです。
ちなみに、ゴブリンやオークなんかのモンスターは逆で、雄しかおらずにどんな雌からでも自分の種を生ませる事ができるそうで」
頭が痛くなる。
このあたりは彼らが古代魔術文明の下級兵士として使われていた事に由来するという。
そして、彼らと彼女たちが交わった場合、その親の種が強い方が勝つらしいがまれにハーフという新種が出ることもあるらしい。
そんな事を話しながら、また庶民街に戻る。
なお、色々詰まった背嚢を見てベルが興味津々で眺めていたり、パンをもらうついでに水筒に水を入れようとして、ベルだけでなくその場に居た全員から注目されたりで日が既に傾きかけている。
そして、やっと防具屋に到着。
「まず地下水道に潜るなら、絶対に必要なのが革靴。
変なものを踏んで汚水で病気をもらうなんてよくあるから気をつけて。
次に肘と脛を守る防具。
これは、高いけど金属製のを用意する事。
で、防具の重さで溺れるなんて事はごめんだから、皮製のズボンと上着を用意するように。
あと、頭の防護に帽子ね」
ベルのアドバイスにしたがって、俺とボルマナは防具を選んで行く。
当のベル本人もタイツの上に履くズボンを探している。
皮の上着二枚が銀貨十枚、皮のズボン三枚が銀貨十五枚、木の帽子三つ銀貨十五枚でボルマナは皮の肘あてと脛あてで銀貨十枚、俺は鉄の肘あてと脛あてで銀貨三十枚。
合計銀貨八十枚の買い物である。
もちろん、買い物はここで終らない。
「さてと、盾だけは良い物を買っておかないと。
大鼠の突貫を防ぐんだから」
体が軽装備だからこそ、盾は大事になってくる。
ベルの言葉にボルマナが口を開く。
「私がシールドの魔法かけますから、それほど問題ないのでは?」
このシールドの魔法、攻撃を弾く透明な障壁みたいなもので対象者に包む魔法で、どんな攻撃も最低一回は弾くので、こちらでの戦いで術者がいる場合はまずこのシールドをはがす事から始められるという。
こういう選択肢が取れる事がどれほど幸運なのか、俺もなんとなく分かってくる。
冒険者達の底辺は、装備を揃えられず、魔法支援も与えられずに戦っているのだろうから。
「ここまで金をかけたんだから、徹底的にしよう。
最悪、私とボルマナが死んだ時にご主人が帰れるように」
「そんなへまをするつもりはありませんが、その慎重姿勢には賛同します」
自分の死亡設定にボルマナがむっとするが、それでも賛同するあたりこの二人、実体験があるのだろう。
防具屋の主人が俺達の金払いを見て揉み手でこちらにやってくる。
「だったら、これなんざどうだい?
シールドの魔法石が入った、鉄の盾だ」
丸く磨かれた鉄の盾の中央に、シールド魔法がこめられた魔石が輝いている。
持つと思った以上に軽い。
「悪くないな。
だが、これだと攻撃は無理だぞ」
近接戦闘なんてやった事が無い俺は盾を掲げて苦笑する。
それにベルが笑って答えた。
「ご主人。
なんの為にあたしがいると思っているの?
ご主人が攻撃を受ける間に、私が横から止めをさすわ」
「私は二人のサポートという事ですね」
こうやって役割分担がいつの間にか決まってしまう。
ちなみに、全部ベルに任せるという事も頭に浮かんだので、ためしに言ってみたが、
「見聞を広めるために冒険するんでしょうが。
ご主人がそれを体験しなくてどーするの?
まぁ、あたし一人で十分な仕事なんだけどね」
たしかにそうだ。
という訳で、俺が前衛決定である。
「主人。
これいくらだ?」
「金貨三枚」
ベルを見るが、何も言って来ないあたり妥当な金額と言う訳だ。
「いいだろう。
これも頼む」
「まいど。
防具は使ったら傷む。
補修もやっているから、その時はうちに来てくれ。
その盾の魔法石に魔力をこめるのは魔法協会でできる。
魔法石は外せるので、別の物につけるのも可能だ。
あんたらがまた来る事を祈っているよ」
最後の一言で俺は悟る。
こうやって防具を買って、そのまま帰らない冒険者も居るという事を。
次は武器屋へという所でベルが気づく。
その視線は、俺の腰にある二本の刀だ。
「ご主人。
今回は盾を持って前衛についてもらうけど、その剣使わないならあたしに貸してくれない?」
「あなた自分の武器持っていないんですか?」
ボルマナのあきれ声に、ベルが忌々しそうに吐き捨てる。
考えてみれば、買った時も冒険者風ではあったが、やってた事は娼婦だったな。こいつ。
「ガースルの野郎、あたしに寝首をかかれるのを恐れて全部奪っちゃったのよ」
かなり地位が高いと思っていたが、こりゃ大物だったか。
そうなると、忌々しげにガースルがベルを売り払ったように見えて、ベルを俺に押し付けた事でギルド内の地位が安泰に成ったと考えるべきかな?
「いいぞ。
大事にしろよ。
高いんだから」
軽口でベルに虎徹の大小を渡す。
鞘から抜いた途端、ベルの目の色が変わる。
「ご、ご主人。
これ、何処で手に入れたの?」
「俺が居た所だ。
いい物なのか?」
ボルマナも横から見て唖然としている。
どうやら、本物かそれに準する偽者らしい。
虎徹はとにかく偽者が多い。
名の売れない鍛冶師が虎徹と名づけて売っていたからだ。
「ご主人。
剣って言うのは、突き詰めると三つの事をする為にあるのさ。
斬る、突く、叩く。
この剣、斬るに特化しすぎているわ……」
唖然とするベルに俺はなんとなく納得する。
この刀が使われていたならば、幕末。
斬る事に特化した武士達の、最後のあだ花の残滓がこれだからだ。
「で、使えるのか?」
「使うのがもったいないぐらい。
これ、騎士団の名のある所に持っていったら、多分大金で引き取ってくれるわよ」
俺の頭にコンラッド氏が浮かんだが、そうなると金策の手段として取っておいた方が良さそうだ。
「分かった。
とりあえずこの剣は使わない方向で、武器屋に行って武器を探そう」
かくして武器屋に入ったのだが、武器屋の主人は俺の刀の凄さを即座に見抜く。
散々「売ってくれ」と迫られたが、それを断って武器を購入する。
「地下水道に潜るから、短めの武器を」
「じゃあ、このショートソードなんてどうだい?
銀貨三十枚」
「それを三本頂戴」
「まいど」
それぞれに一本ずつだが、ボルマナは剣を抜かない事になっている。
その理由は、
「誰が松明を持つのよ?」
である。
魔法で明るくする事もできるが、余分な魔力を使う事になる。
それならばという訳だ。
店主の虎徹欲しさの視線を尻目に店を出る。
で、最後は道具屋でアイテムを揃える。
これが一番時間がかかったりする。
俺は背嚢に荷物があるからいらないのだが、ベルとボルマナの装備を整える必要があったからだ。
「背負い袋とベルトポーチと水袋を二つ。
水もちゃんと入れておいてよ。
毛布も二つ、あと長めの棒とロープをお願い。
ランタンと松明、予備の油もね」
「ロープは分かるが、長めの棒って何に使うんだ?」
俺の質問にベルが苦笑して答える。
持った棒で床をつんつんと突きながら。
「これで床をつついて、罠にひっかからないようにするのさ。ご主人。
冒険者の中には、大鼠狩りの為に通路に罠をしかけるろくでなしもいるから、そんなのをかわすのに必須なのさ」
たくましいというか、なんというか。
俺の唖然とした顔を気にする事無くベルは主人に次々と商品を頼んでゆく。
「回復薬は一番良いやつをあるだけ。
あと、身体強化薬もあるだけ。
え?蟲討伐にでも行くのかって?
ただ地下水道で大鼠を狩るだけよ」
惜しげもなく金を払う俺達に、てっきり遠征にでも行くのだろうと思っていた店主の勘違いである。
それぐらい、準備に慎重をきたしていた訳だ。
その結果……
「日が落ちましたね……」
ボルマナの淡々とした台詞に、狩りは明日にしようという事で俺たちは宿に戻る羽目になった。
こうして、冒険が始める前に一日目が終わった。




