イッソス盗賊ギルドにて
「またたびエールちょうだい!
冷えたやつ。
ご主人のおごりで」
ベルと名乗った猫耳女は俺の隣に座り、受け取ったまたたびビールをぐっと一気飲み。
肩までの茶髪から生える猫耳がぴくぴく振るえ、あっというまに顔が赤くなる。
見ると、赤い首輪に鈴がついている。
その鈴の音が鳴らなかったあたり、何か術でも使っているのだろう。
「……いい性格してやがるな。
占いの館のおばば」
「う」
当たったらしい。
尻尾までぴくりと震えた彼女を眺めて、俺はにやりと笑ってエールをもう一杯頼む。
「姿変えのローブで姿も声も変わっていたのに、何でばれたの?」
興味津々の顔で尋ねるベルに、手でボルマナを制しながら俺が答える。
「優秀すぎるんだよ。
後ろでダークエルフが警戒していたのに、その隣にするりと入り込んだ。
散々道化をやっていて、誰もが警戒する状況で突っ込んでくるのは馬鹿か、罠を食い破る自信があるかのどっちかしかないだろ。
で、とどめはこいつだ」
俺は奪った財布から双子石を取り出す。
テーブルに置かれた双子石は淡く光っていた。
「ボルマナに取られたのに気づかない馬鹿が俺の隣に座れる訳が無い。
となれば、そいつから石をもらったか奪ったかだが、それを知っている輩はあのおばばだけだ。
まぁ、馬鹿本人の知り合いという線もあるが、その時はおばばの名前を出せば何か言ってくるだろうからそのまま話を続けると」
サラダを摘みながら説明を聞いていたベルはあきれた顔でまたたびエールをあおる。
「あんたに社会見聞っているの?
かなりのやり手じゃないの。
今からでもギルドに入れば、幹部になれるわよ」
やっぱり、こいつは盗賊ギルド、それも下っ端では無いらしい。
とはいえ、幹部の言葉を出しているから中堅という所か。
俺もサラダを食べつつマスターに指でベルと同じものを頼んで、またたびエールのジョッキをベルの前に差し出す。
「飲め。
これぐらいの金は払えるぐらいは俺も金持ちだ」
金払いのいい旅先のぼんぼんを食い物にしようとやってきたという所だろうか。
ベルはにやりと笑って、差し出したまたたびエールを煽る。
俺は後ろを向いてベルの尻尾を見る。
ふりふりと揺れる尻尾が獲物を狙うように揺れているのが見える。
「こんなに酔わせてどうするつもりぃ♪
良かったら、銀貨五枚で天国にいかせてあ・げ・る♪」
銅貨で五十枚で、平民の一日の生活が銅貨五枚ということは一夜で十日分の快楽か。
悪いな。
この手の駆け引きは、少し強いんだ。
マダムのおかげで。
「銀貨五枚とは中々じゃないか。
もしかして、ギルドの幹部様で?」
しなを作って誘惑していたベルの目が一瞬変わるが、しなを崩そうとしない。
俺にもたれかかって、耳元で甘い吐息を吹きかける。
「あんなお偉方の事なんてどうでもいいじゃない。
今夜は朝まで……ね♪」
まぁ、せっかくのチャンスだ。
そのまま流れに乗る事にしよう。
「よしわかった。
あんたを買おう」
俺は立ち上がり、ベルの腕を掴む。
「ありがと。
たっぷり奉仕してあげるからぁ。
で、部屋はどこ?」
尻尾ふりふりでベルが尋ねるが、俺はボルマナに目線で合図してベルを左右に挟むようにして出口に向かう。
「え?
港の宿まで戻るの?
面倒だからここでしましょうよぉ」
すっかりする気らしいベルに俺は精神的奇襲をかけてやる。
マダムの教えその四。
奇襲は奇襲だからこそ効果がある。
女を喜ばせる贈り物は一撃で決めるものを差し出すべし。
「言っただろう。
あんたを買うって。
盗賊ギルドからあんたを買い取ってやるよ」
「あたしを買い取るって物好きだねぇ」
半信半疑の顔で、ベルが外門の衛視に銀貨を握らせる。
閉まっている門の隣にある通用門から出るためだが、万一帰れなくても俺たちが外に出た事を教える情報になるだろう。
銀貨三枚の支出なり。
これからベルを買うのだから、それもはした金になるのだろうが。
さて、薄暗いスラムだが、その夜にこそ凶暴な姿を見せる事になる。
何も知らない素人が入って帰れるものではない。
それでも今回突っ込むのは、ボルマナの存在がある。
裏切る理由が無い彼女が味方であるだけで、情報を確認する事ができるからだ。
で、そのボルマナはスラムの小道を歩きながら、俺にテレパスを飛ばす。
(本当に買う必要があったのでしょうか?)
(言っただろう。
一応内海審議官からこちらの事を調べるように言われている。
盗賊ギルド員からの内部情報なんて最高じゃないか)
最初だからこそできる荒業である。
それが深くなくてもある事に価値があるという。
「ここよ。
入って」
看板もない家に入ると、視線が俺たちに集まる。
中は酒場風になっているが、この全員が盗賊と考えるとなかなかすごいものがある。
「上玉ひっかけてきたじゃねーか!
身代金をせびるのか?」
中の盗賊の一人がベルに向かって声をかけると、ベルは愛想よく笑い返す。
「あたしを買い取るってさ!
酔狂なご主人だよ!」
さて、俺達は盗賊の巣にいる訳だが、彼らから見ると鴨が葱と鍋と薪を背負ってやってきたものだろう。
だからこそ、皆手を出さない。
あまりにも美味しすぎるから、身内同士の骨肉の争いになりかねないからだ。
そして、食べるかどうかを判断するのは偉い人の仕事だ。
「ベルを買いたいって酔狂な人間は誰だ?」
「酔狂って言わないでよ!
ガースル」
ベルの今の言葉でベルの立ち居地が分かる。
上下関係はあれど、対等かそれに近い。
思った以上にベルは大物らしい。
ならば、こちらもチップを積み上げていこう。
「昨日ここに着たばかりでね。
拾った財布を返しに言ったら、ここにたどり着いたという訳だ。
良い行いはするものだ」
「という事は、港の連中が騒いでいた、あの巨大船から着たのか?」
さすがギルド幹部。情報が早い。
今の一言で、盗賊達の騒ぎすら静まる。
さて、俺が最高の餌というのは分かった訳だが、ガースルはどう料理しようか考えている所だろう。
「挨拶がまだだったな。
俺の名前はガースル。
女達を預かっている」
女達、つまり娼婦部門の頭という所か。
「神堂辰馬。
あの船からやってきた流れ者さ。
一応、コンラッド・イッソス氏からは十騎長待遇をもらっている」
テレパスなんて心を読む魔法があるこの世界で嘘なんてご法度である。
だから、嘘は言っていないが、真実も言っていない。
そんな言葉遊びが大事になってくる。
コンラッド氏の名前を出した時に盗賊たちが明らかにざわつき、それをガースルが一睨みで押さえ込む。
「十騎長待遇ね。
あんた、何人殺した?」
「数えるのも馬鹿馬鹿しいぐらい」
「その割には、腕はたいした事なさそうだが?」
「女を預かっているあんたが、夜の街に立つ必要は無いだろう?」
「そりゃそうだ」
大陸の戦場での匪賊の襲撃は何度あったか覚えていない。
だが、そのあたりに気づくというのは、やっぱりこいつも俺の答えと同じぐらいには人を殺しているという事なのだろう。
さて、表の大物のコネと俺自身の立ち居地というチップは積んだ。
ここから楽しいやりとりが待っている。
「ベルを買い取りたいって物好きな。
ベル以上の娼婦ならば、それこそ仕込んだダークエルフでも買えばいいだろうに」
「買ったさ。
奴隷市場に出ているやつ全部。
だから、こうして出向いているんだろうが」
予想外の言葉にガースルの睨みでは収まらず、盗賊たちが騒ぎ出す。
腕はともかく、人望はそんなにないらしい。こいつ。
「ダゴン商会に確認してもらってもいいぞ。
この間の取引でダゴン商会は金にまかせてダークエルフを全て購入した。
その金主が俺達だ。
その上で聞こう。
ベルの値段はいくらだ?」
俺ではない。俺達だ。
嘘は言っていない。
ガースルは少し考えて、その値段を口にした。
「金貨三十枚だ」
俺は口笛を吹く。
ダークエルフの取引開始値段と同じと来たか。
「値段の理由は尋ねても?」
「聞くな。
だったら取引はなしだ」
「わかった。
金貨三十五枚払おう」
ガースルの顔がゆがむが、表情はすぐに元に戻った。
値引き交渉を考えていたのだろうが、こちらが値上げに来るとは思っていなかったらしい。
テーブルの上に金貨三十五枚を見せ付けるようにおいて、俺はガースルに告げる。
「ご確認を。
この五枚についての追加は尋ねなくても分かるでしょう?」
やりこめられた事に気づいたガースルが怒気を見せようとしてそれを押さえる。
取引終了後にそれを反故にしたり、後から襲ってベルを取り戻す事ができなくなったからだ。
そんな事をすれば、一部始終を見ていた盗賊たちからの人望を完全に失ってしまう。
この手のギルドは実力社会であるがゆえに、当然派閥も複数存在しているだろう。
人望失墜はガースルの派閥に対する攻撃材料を与えてしまう。
彼はこの時点で、円滑な取引を終わらせないといけない立場に追いやられたのだった。
舌打ちしつつガースルは首輪の魔法解除の呪文を唱え、ベルの首から首輪が外れる。
「これでベルはあんたのものだ。
新しい首輪を用意する」
「いや、その手間をかけるのも悪いだろう。
こっちで用意するさ」
俺はベルトをはずして、ベルの首に巻き首輪の代わりにする。
これで、首輪にかかっていた制約からベルが完全に開放された事を意味していた。
「あ、ありがとう……ご主人……」
照れた口調でベルトを触るが、ベルからは殺気がだだ漏れだったりする。
相手はもちろんガースルだ。
「ベル。
この手の場所での騒動はご免だ。
では、俺たちはこれで。
今後とも良い取引ができる事を」
俺達は盗賊ギルドから出てスラムを歩く。
かなりの視線が俺たちを追っていたが、ベルとボルマナが居た為か襲ってくる事はなかった。
外門に到着。
銀貨三枚を払って通用門から中に入る。
ひとまずは、ギルドもこれで手を出さない。
「長い一日だったなー」
俺は背伸びをしながら、二人に話しかける。
ベルは今までつけていた首輪からはずした鈴を手に持ったまま、俺に言葉を返した。
「いやさ。
買っていただいたのはありがたいけど、あたしが逃げる事は考えなかったの?」
「その時はその時さ。
それに……」
そう。
こういう言葉遊びはマダムが好きだったな。
「逃げる女ってのは、それだけいい女ってな。
それを追いかけるのが、男の甲斐性なんだそうな」
「あははっ!
なにそれ?」
聞いてきょとんとしたベルが耐え切れずに笑い出す。
その笑顔が、赤と青の月明かりに照らされて、綺麗だと柄にもなく思ってしまう。
「さてと。
とりあえず宿を探すか」
さすがに内壁の方は衛視を買収するには高くつく。
今日はこのあたりの宿を取って休むかと考えていたら、ベルが俺の手に抱きついてその豊満な胸を背中に当てる。
「だったら、あたしが仕事に使っている宿があるんだ。
たっぷり朝まで……ね♪」
「私も居るのですが?」
自分の居場所を取られると思ったボルマナが反対方向から俺の腕に抱きついて、同じように胸を背中に当てる。
ああ、この展開、少し前にあったなと苦笑しつつ、ヴァハ特務大尉からもらった薬がまた役に立つなとなんとなく考えてしまう自分に苦笑するのだった。
しばらくは書き下ろしの冒険者神堂辰馬の冒険を書いてゆくつもり。




